5 有力な情報
―今、風蓮湖で他殺体で発見された大河原三之助さんの事件の捜査を行なってますよね。
「ああ。そうだが」
と、大川は冴えない表情で言った。そんな大川の表情から、その捜査の進展状況が思わしくないことが自ずから察せられた。
そんな大川に、松村警部補は、
―捜査状況はどんな具合ですかね?
「それが、てんで思わしくないのですよ」
と言っては、大川は今までの捜査状況の凡そを話した。
そんな大川の話に、松村警部補は黙って耳を傾けていたのだが、そんな大川に、松村警部補は、
―大河原さんの誤射の事件を知ってますかね?
と言っては、眉を顰めた。
「大河原さんの誤射の事件ですか……」
大川は、呟くように言った。というのも、実のところ、大川は二年前に根室署に赴任し、その前は函館方面の警察署で勤務していた。そういうこともあり、今、松村警部補が語ったその誤射の件というものには、てんで心当たりなかったのだ。
それで、大川はその旨を話した。
すると、松村警部補は、
―そうですか……。
と、呟くように言っては、
―実はですね。三年前のことなんですが、大河原さんは大雪山で狩猟をしていたのですが、その時に、誤射をしてしまい、同僚を死に至らしめてしまった事件が発生してるのですよ。
と、松村警部補は渋面顔で言った。
すると、大川も渋面顔を浮かべた。というのも、その事件が、大河原の事件に関係してるかどうかは、何とも言えなかったからだ。
それで、大川は渋面顔を浮かべては、言葉を詰まらせたのだが、そんな大川に、松村は、
―僕はその誤射の事件が、大河原さんの事件に関係してるのではないかと思うのですよ。
と、いかにも渋面顔を浮かべては言った。
すると、大川は何故その誤射の件が大河原の死の事件に関係してるのか、よく分からなかった。
それで、その旨を言った。
すると、松村は、
―実はですね。その誤射の件ですが、大河原さんは誤射で今村さんを死に至らしめてしまったのではなく、意図的に殺したと主張した人物がいたのですよ。
と、渋面顔で言った。
「意図的に殺した、ですか……」
大川は呟くように言った。それは、正に思ってもみなかった言葉であったからだ。
―そうです。意図的に殺したのではないかということですよ。
と、松村はその可能性は十分にあると言わんばかりに言った。
「どうしてそのような主張をしたのでしょうかね?」
大川は些か納得が出来ないように言った。
―ですから、誤射によって死亡してしまった人物、つまり、今村さんは大河原さんとの仲が悪かったからですよ。二人とも、刀昔に住んでいた漁師なんですがね。
それで、今村さんの遺族は、大河原さんが意図的に今村さんを殺したのではないかと主張したのですよ。
しかし、その主張に根拠がなかった為に、その主張は退けられたのですがね。
と、松村はいかにも決まりそうに言った。
「なるほど。で、その誤射の件が、大河原さんの事件に関係してるのではないかと、松村さんは推理されてるのですね?」
―そうです。
「どうして、そう推理されてるのですかね?」
大川はいかにも興味有りげに言った。
―ですから、今村さんの遺族が復讐したのではないかということですよ。
と言っては、松村は眼をきらりと光らせた。
「今村さんの遺族が復讐した、ですか。何かそれを裏付けるものはあるのですかね?」
と、大川はいかにも興味有りげに言った。
―いや。具体的な裏付けはないです。しかし、今村さんの遺族が、今村さんは大河原さんの誤射によって死亡したことを強く否定してましたからね。つまり、意図的に殺されたと主張したということですよ。
誤射なら、罪状は軽いものです。それに対して、意図的に殺したのなら、殺人です。つまり、罪の重さが違うじゃないですか。
それ故、大河原さんは今村さんを事故に見せかけて殺したと、今村さんの奥さんは強く主張したのですよ。その時の奥さんの形相を忘れないですね。それ故、大河原さんが殺されたと聞いて、僕は、今村正江さんのことがすぐぴんと来たのですよ。
と、松村は表情を強張らせては言った。そんな松村は、大河原を殺したのは、今村の妻であった正江の可能性は十分にあると言わんばかりであった。
そこで、正江のアリバイを確認してみた。
すると、アリバイが曖昧であることが分かった。というのは、その頃、正江は根室の町で買い物をしていたというのだ。しかし、午後八時から九時頃に掛けて、根室の町で買い物をするだろうか? そんな正江に何処で何を買ったかと聞いてみたとところ、明確な返答を得られなかったのだ。
そんな正江の返答を不審に思った大川たちは、早速正江の車を捜査することになった。正江が大河原を殺し、風蓮湖に遺棄したとなれば、その移動手段として、正江のワゴンRが使用されたに違いなかったからだ。
すると、忽ち有力な成果を得ることが出来た。というのは、正江のワゴンRから、何と大河原の指紋が付いた100円ライターが発見されたからだ。そのライターは助手席のシートの下にまるで隠れるように落ちていたのだ。そんなライターのことに、正江は気付かなかったのだ。正にこれは重大な正江のミスというものだ。
しかし、これは大河原の事件の捜査を一気に進展させることになった。正江は根室署の取調室で、大川たちから訊問を受けることになったからだ。
そんな正江は、最初の内は白を切ったが、二日間に及ぶ執拗な訊問に音を上げたのか、やがて大河原殺しを認めたのだ。
「大河原を許せなかったのです」
と、漁師の妻に相応しいような赤銅色に変色したその顔に皺を浮かべては、いかにも悔しそうに言った。
「どうして許せなかったのですかね?」
大川は興味有りげに言った。
「そりゃ、大河原が主人を殺したからですよ」
と、正江は眼を大きく見開き、そんなことも分からないのかと言わんばかりに言った。
「しかし、その件は事故ですよね。大河原さんは故意にご主人を撃ち殺したわけではなかったのではないですかね」
と、大川は今の正江の言葉は正しくないと言わんばかりに言った。
すると、正江はにやっと笑った。その笑みは、正に残忍な笑みであった。とても、女性らしくない笑みであった。
そんな正江に、大川は、
「そうじゃないのですかね?」
と、何が間違ってるのかと言わんばかりに言った。
すると、正江は眼を大きく見開き、大川をまじまじと見やっては、
「大河原は常日頃から主人のことが憎くて仕方なかったんだよ」
と、大川に言い聞かせるかのように言った。
「どうして、憎かったのですかね?」
大川は怪訝そうな表情を浮かべては言った。
すると、正江は再び眼を大きく見開き、
「まあ、性格の不一致とでもいいましょうか。何かと言い争いが絶えなかったのですよ。
それで、同じ漁仲間といえども、主人は大河原とはあまり口を利いたことがなかったのですよ。
ところが、漁師仲間でシカ狩に行こうということになりましてね。それで、同じ村の仲間五人でシカ狩りに行ったのですが、何と主人は大河原が撃った弾に当たり死亡してしまったのですよ。
しかし、刑事さん。大河原が誤射すると思いますか? 大河原は狩猟暦三十年のベテランハンターだったのですよ。大河原の家の倉庫には、シカの角が五十個程飾られてします。あれ、全部大河原が仕留めたシカなんですよ。
そんな大河原が誤射するわけはありません。
つまり、大河原は誤射に見せかけて、主人を殺したのですよ。誤射なら、罪は軽くなりますからね。
案の定、大河原の罪は執行猶予がつきました。つまり、主人が殺され損というわけですよ。」
と、眼をギラギラさせては、いかにも悔しそうに言った。そんな正江は、大河原に殺され損だと言わんばかりであった。
そんな正江に、
「でも、本当に大河原さんが意図的にご主人を殺したという証拠はあるのですかね?」
と、大川は怪訝そうな表情を浮かべては言った。
すると、正江はいかにも真剣な表情を浮かべては、
「そりゃ、勿論ありますよ」
と、いかにも力強い口調で言った。そんな正江は、それがなければ、大河原を殺すかと言わんばかりであった。
「それは、どんなものですかね?」
大川はいかにも興味有りげに言った。
「大河原は根室の飲み屋で飲んでいた時に、そのことを友人に話したのですよ。つまり、故意に主人を殺してやったと。警察は俺の偽証をあっさりと信じやがった。あっはっはっと、いかにも愉快そうに言ったのですよ。
でも、私の兄さんがその友人の友人でもあったので、その友人は兄さんにそのことを話したのですよ。そして、兄さんから、その話が私に伝わったというわけですよ。
主人をあっさりと殺されてしまえば、黙っているわけにはいきません。それで、私は仕返しをしてやったのですよ。
その日、大河原は午後八時頃、外出しました。
何処に行くのか知りませんが、私はそんな大河原の後をつけては、手頃な場所で大河原の後頭部を鉄亜鈴でぶん殴ってやったのですよ。
これには大河原といえども、たまりません。大河原は苦痛の為に頭を抱え込んで膝をつきました。
そんな大河原の後頭部をもう一度鉄亜鈴でぶん殴ってやりました。すると、大河原は程なく死にました。
後は、深夜に春国岱まで私のワゴンRで運んでは、遺棄したというわけですよ」
と、正江はいかにも力強い口調で言った。そんな正江は、何ら悪いことはしてはいないと言わんばかりであった。
最後に、大西直純が大河原の死亡推定時刻に根室の町で飲んでいたということを大川に話したがらなかったのは、その頃、愛人と飲んでいたということを付け加えておこう。
(終わり)
この作品はフィクションで、実在する人物、団体とは一切関係ありません。また、風景、地名、構造物等が実際の状況とは若干異なってることはご了解ください。