8 意外な犯人
和光和代のことを覚えているだろうか? 和光和代とは、馬場が犯人であると思わせる証言をした「小松原荘」の近所に住んでいる主婦である。その主婦の指紋が田中五郎の死顔の写真に付いていたのだ! これは、どういうことなのだろうか?
それを明らかにする為に、和代は直ちに署に任意出頭を要請され、松山たちから訊問を受けることになった。
すると、和代は最初の内は、厳しい表情を浮かべては、言葉を発そうとはしなかったのだが、やがて、自供を始めたのだ。
「田中五郎を殺したのは、確かに私なのですよ」
と、いかにも決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
これによって、松山たちを悩ましていた田中五郎の事件は解決したといいたいところだが、何故和代が田中五郎を殺したのか、松山たちはまるで分からなかった。また、和代は、正に松山たちの捜査圏外の人物だったのだ! それ故、和代が犯人となれば、正に松山たち捜査陣の面目は丸潰れといった具合なのだ。
それはともかく、その和代の言葉を耳にした松山は、
「詳しく話してもらえますかね」
と、いかにも険しい表情を浮かべては言った。
「実は、私、田中五郎の母親に恨みがあったのですよ」
と、和代はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
そう和代に言われ、松山たちは唖然とした表情を浮かべた。その和代の言葉は正に松山たちが想像もしてない言葉であったからだ。
それで、松山は、
「詳しく説明してもらえますかね」
と、いかにも好奇心を露にした表情を浮かべては言った。
「実は、田中明美、つまり、田中五郎の母親と私は仕事仲間だったのですよ」
と、いかにも神妙な表情を浮かべては、淡々とした口調で言った。
「仕事仲間、ですか……」
松山は呟くように言った。その和代の言葉も正に思い掛けないものだったのだ。
「そうです。私と田中明美は、『媚薬』というクラブでホステスをやっていました。
で、明美はなかなかの美人で男に媚を売るのが得意なので、なかなか人気のあるホステスでした。それに対して、私は明美と比べて、容貌は決して劣るというわけではなかったのですが、明美程愛想がよくなかったのです。それで、私を指名するお客さんは少なかったのですが、そんな私の前に私を何度も指名してくれるお客さんが現われたのです。
そのお客さんは大田さんといって、従業員三十人程の会社の社長さんだったのですよ。
そんな太田さんに私は店外デートにも誘われたりしたこともあるのですよ。
ところが……」
そう言うと、和代は一層険しい表情を浮かべては、
「ところが、ですね。そんな大田さんに明美が私の悪口を並べ立てたのですよ」
そう言った和代は、正に怒りの眼で満ちていた。そんな和代は、正に明美が憎くて堪らないと言わんばかりであった。
そんな和代は、更に話を続けた。
「明美は、大田さんに私がいかにも純情そうな感じだが、尻軽女で何度もお客さんと簡単に寝ては小遣いを騙し取ってるとか出鱈目なことを話したのですよ。
その結果、太田さんは私の許を去り、その後、私の前に現われなくなったのですよ」
と、和代はいかにも腹立たしいと言わんばかりに言った。そして、和代の話はまだまだ続いた。
「そして、その明美の私に対する侮辱は、それだけではなかったのです」
と、明美は怒りに満ちた表情と口調で言った。
「で、私の店は私達ホステスとボーイが恋仲になるのは、ご法度なんですが、私はボーイの山崎君と一度だけ飲み屋で飲んだことがあるのですよ。でも、それだけで終わったのですよ。
ところが、その場面を明美が偶然眼にしていたのか、そのことを明美は店長に告げ口したのですよ。
その結果、私は馘になってしまったのですよ。その為に私は新たな働き口を見付けなければならなくなったのですよ」
と、和代はいかにもそのことを思い出すだけでむかむかすると言わんばかりに言った。
「なる程。でも、明美さんは、何故和光さんの嫌がるようなことばかりしたのでしょうかね?」
と、松山は些か納得が出来ないように言った。
「世の中には、虐めっ子とか虐められっ子という人がいますよね。何故虐めっ子になるのか、虐められっ子になるのか、それは理屈というよりも、ただそういった風になるのが適した人間だとでも言いましょうか。まあ、そういう理屈なんですよ。
つまり、私は小学校の時から虐められっ子だったのですよ。もっとも、明美が小さい時から虐めっ子だったのかどうかは知らないですよ。でも、明美は私を見てると、私のことを虐めてやりたいと思ったのではないでしょうかね」
と、和代は正に憤懣やるかたないと言わんばかりに言った。
「なる程。つまり、和光さんの心の中では、明美憎しの思いが渦巻いていたというわけですか」
「そうです! 正に殺してやりたいと、思っていました」
と言っては、和代は唇をわなわなと震わせた。
そんな和代に、松山は、
「でも、明美さんは小田島慎一というパチンコ店経営者の愛人となったのですが、あっさりと捨てられ、その小田島慎一に強い恨みを持っていたそうなんですがね」
と言い聞かせるかのように言った。
「正にざまみろと思いましたね。明美のことですから、本妻を追い出し、自らが小田島さんの本妻に納まろうと目論んだのではないですかね。しかし、その目論見は、正に目論見で終わったのですよ。正にざまみろという感じですね」
と言っては、和代はにやっと笑みを見せた。
「で、あんたは何故明美の息子を殺したのですかね?」
と、この時点で松山はやっと本題を切り出した。
すると、和代は松山から眼を逸らせ、俯いた。そして、二十秒程言葉を詰まらせたが、やがて、
「私は偶然に明美の息子の田中五郎と知り合ってしまったのですよ。私は運命とは、何て不思議なことだと思ったのですがね」
と、和代は眉を顰めては、淡々とした口調で言った。
「私はクラブを馘になったあとは、スナックなんかでアルバイトをしながら何とか生活していたのですが、私が働いていた店に何と偶然に田中五郎が客としてやって来たのです。
もっとも、私はその男が、明美の息子の田中五郎だとは、分からなかったのですが、やがて、その男は酔いの勢いに任せては、自らの素性、つまり、自分はパチンコ店経営の男がクラブのホステスを引っ掛けた為に生まれたてて無し子だと言ったのですよ。
私はその男の相手をしていたのですが、その話を聞いて、私の表情は一気に強張りました。何故なら、その経緯は、私が知ってる明美の経緯と同じだったのですから。
それで、私はいかにも表情を綻ばせては、
『そのクラブのホステスは、『媚薬』というお店で働いていたのではないかな』と言ったのです。
すると、その男はいかにも真剣な表情を浮かべては、
『何で知ってるんだ?』
その言葉を受けて、私は事の次第を理解しました。というのも、私は、その男を何度も具に見てみると、何となく明美の面立ちを感じさせたからです。
それはともかく、その田中五郎の言葉に対して、私は、
『私、そのお店の客として飲みに行ったことがあるのよ。それで、そういった話を耳にしたことがあるのよ』
と、嘘をつきました。やはり、本当のことを言うのは、まずいと思ったのですよ。
で、私がそう言うと、田中はその点に関して、私に詳細を聞きたがりました。つまり、田中は田中の母親とパチンコ店主であった小田島慎一との馴れ初めに関して詳しいことをもっと知りたかったようです。
でも、私もその詳細に関してはよく分からないから、そう言いました。すると、田中はそれ以上、その点に関しては言及しようとはしませんでした。
それはともかく、田中は何故だか分からないですが、私のスナックに度々やって来ては、私の話し相手になりました。そして、田中がやって来て四回目に、田中は私に外で会わないかと言って来たのですよ。
私は何故田中がそう言って来たのかは、分からなかったのですが、断る理由もなかったので、とにかく私は田中の応じるままに、外で田中に会いました。
そして、お決まりのように、その日の日の内に二人でホテルに入ったのです。というのも、私はここしばらくの間、男には縁がなかっということと、また、田中は母親の明美に似てなかなかの美男子だったので、つい、私は田中の誘いに応じてしまったのです。もっとも、田中が何故田中の母親に近い位の年齢の私を誘ったのかは、よく分からなかったのですが。
で、ホテルでの行為が終わった後、田中は私にとんでもないことを言ったのですよ」
そう言っては、和代はいかにも険しい表情を浮かべた。そんな和代は、正にそのことを思い出すだけでもむかむかすると言わんばかりであった。
「で、話の続きですが、その時、田中は私に『あんたは、和光和代だろ』と言っては、にやにやしたのですよ。
私はそう言われ、正に驚愕の表情を浮かべました。それは、正に思ってもみなかった言葉だったからです。
それで、正に驚愕の表情を浮かべては、言葉を詰まらせていたのですが、そんな私に、田中は、
『お前は、いつも俺の母親から虐められていたねくらホステスだったんだろ』と言っては再びにやにやしたのですよ。
私はもう呆気に取られたような表情を浮かべては、言葉を詰まらせてしまいました。私は、田中は私の正体を知らないとばかりに思っていたのに、それは私の勘違いであり、田中は私の正体を知っていたのですよ。
それで、正に唖然とした表情を浮かべては言葉を詰まらせていたのですが、そんな私に田中は、
『何故俺があんたのことを知っていたのかと言うんだろ?』
『……』
『俺の家にクラブのホステスをしていた母さんのクラブのホステスたちの顔写真があったんだよ。そして、俺はたまたまその写真を見たところ、あんたのことが分かったというわけさ』
『……』
『あんただって、俺の正体が分からなかった筈はない! それなのに、何故俺にのこのことついて来たんだい?』
そう言った田中の表情には笑みは見られませんでした。そんな田中は、私の胸の内をを探ってるかのようでした。
そんな田中に私は、
『あんたこそ、私の正体を知ってるに、何故私にこんなことをしたの?』
と、いかにも納得が出来ないように言いました。
すると、田中は、
『俺だって最初は知らなかったんだ。しかし、あんたの店に来て三回目の時には、既にあんたのことは分かっていた。だから、少しあんたを弄んでやろうとしたわけさ。つまり、あんたは、あんたにとって、憎き相手の息子に弄ばれれば、いかに惨めになるか、つまり、あんたに屈辱感を味わわせてやろうとしたのさ。ただ、それだけのことさ』
と、いかにもにやにやしては言った。
そう田中に言われ、私の表情は、真っ赤になりました。正に、私は母息子の二代に渡って、馬鹿にされたのです。そう思うと、正に屈辱感で胸が一杯になりました。
そんな私を見て、田中は、正ににやにやしました。そんな田中は、正に私を虐めて愉しんでるかのようでした。そんな田中に、私は明美の面影を見たのです。だが、その時、異変が起こりました。というのは、田中は何かに蹴躓き、その拍子でベッドの縁に頭をごつんとぶつけてしまったのです。
『痛っ!』
田中は思わず頭に手を当てては、私から視線を逸らせました。
すると、その時です!
私の手は、自ずから浴衣の帯紐を握り締めては、それを田中の首に巻きつけたのです!
田中は軽い脳震盪を起こしていた為か、また、私が全身全霊を傾けて首を絞めた為か、田中はやがて首をガクンと垂れました。つまり、その時点で田中は魂切れたのですよ。 すると、その時、私は、正に大きな仕事をやり遂げたという満足感に満たされました。明美にやっと復讐を成し遂げたという満足感に満たされたというわけですよ」
と言っては、和代は大きく肯いた。そんな和代は胸の痞えを吐き出し、すかっとしたという感じであった。
そんな和代は更に話を続けた。
「後は田中の死体を何処に遺棄するかだけとなりました。そのホテルに田中の死体を残しておくわけにもいかなかったからです。
幸いにも、私たちは田中の車でこのホテルにやって来たので、それは私にとって幸運でした。
私は田中の死体を田中の車に運び終えると、後は深夜になって、田中の死体が見付かったT川の土手に遺棄したというわけですよ」
と、和代は正に力強い口調で言った。そんな和代は、正に和代の犯罪を自画自賛してるかのようであった。
そんな和代に松山は、
「そういうわけでしたか。では、何故、馬場の部屋に、和光さんの指紋が付いた田中五郎の死顔の写真があったのですかね?」
と、松山は些か納得が出来ないように言った。
すると、和代は、
「ですから、田中を殺したのは、馬場の犯行と思わせようとしたのですよ。私の身内にF大生がいて、馬場と田中が仲が悪いということを知っていました。そして、その身内から私は馬場のことを知り、馬場が田中を殺したと思わせる偽装工作をしたのですよ。私の家の近くにあった『山田荘』の馬場の部屋には、ピッキングをして入りました。何しろ、『山田荘』古いアパートでしたから、ピッキングし易いでしたからね。クラブのホステス時代のお客さんに、鍵屋さんがいて、その人から、ピッキングのやり方を教えてもらったのですよ」
と、決まり悪そうに言った。
「成程。でも、どうして写真に和光さんの指紋が付いていたのですかね?」
と、松山は些か納得が出来ないように言った。このようなミスは、子供しかやらないようなミスだと思ったのだ。
すると、和代は眼を伏せ、言葉を発そうとはしなかった。そんな和代は、正に馬鹿なミスを仕出かしてしまったと言わんばかりであった。
「では、田中五郎の死顔の写真はいつ撮ったのかな?」
「ですから、田中五郎を殺した時に、ホテルの部屋でですよ。私の携帯電話で撮りました。まあ、記念という意味でなんですがね」
と、決まり悪そうに言った。
そんな和代に、
「で、海老原君の場合は?」
と、松山は海老原をいかにして殺したのかを訊いた。
すると、和代は、
「私は海老原を殺してはいません!」
と言っては、大きく頭を振った。
「それは、間違いないか」
松山は確認した。
「間違いありません。大体、私は海老原という人物がどういった人物なのか、まるで知らないのですから。それ故、殺す必要がないじゃないですか! それに、海老原という男の写真を馬場の部屋に入れたのも、私ではありません! でも、空家に海老原と海老原と同じ位の男が入ったというのは、本当ですよ。無論、その男が海老原を殺したと思ったから、その旨を警察に話したのですよ」
と、和代は田中五郎の犯行はあっさりと認めたものの、海老原殺しに関しては、頑なに否定した。
では、一体、誰が海老原を殺したというのか?
その点に関して、松山は和代に確認してみたが、和代は心当たりないと言った。
となると、やはり、海老原と共に空家に入ったと思われる人物が怪しいというものだ。
そう思った松山は、改めて馬場に確認してみたところ、馬場は改めて自らの犯行を否定し、
「やはり、小田島が怪しいですよ」
と言っては眉を顰めた。やはり、海老原を殺した人物は、小田島しか考えられないというのだ。
「小田島は海老原君と同じ『小松原荘』に住んでいますし、身体付きも海老原君と同じ位ですからね。それに、普段は眼鏡を掛けてませんが、銀縁の眼鏡を掛ける時もあるのですよ」
「ということは、海老原君の死顔の写真をあんたのタンスの引出しに入れたのは、小田島だというのかい?」
と、松山は渋面顔で言った。
「そうかもしれないですね。もっとも、断言は出来ませんが」
と、馬場は眉を顰めた。
そう馬場に言われたこともあり、とにかく小田島の部屋が調べられることになった。
そして、小田島の部屋にはパソコンとプリンターがあり、また、海老原の死顔を保存したSDカード等がないか、捜査された。
すると、あっさりとそれが見付かってしまったのだ。これは、正に小田島の失敗だったというものだ。
小田島は署で早速、松山たちから訊問を受けることになった。
そして、SDカードのことや、更に、小田島のスニーカーに海老原の死体が見付かった空家にしか見られない赤土の成分が見付かった(空家には赤土混じりの土が含まれ、その成分が小田島のスニーカーから見付かった)ことに言及されると、小田島はもう逃れられないと観念したのか、真相を話し始めた。
「海老原が僕をゆすったのですよ」
と、小田島はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
「あんたをゆすった?」
松山は興味有りげに言った。
「ええ。そうです。僕が一人言で『田中五郎を殺してやる!』と口走ったのを耳にして、僕が田中五郎を殺したことを警察にばらされたくなければ、百万円払えと、僕をゆすったのですよ。
もっとも、僕は田中五郎を殺したわけではありませんから、そのような脅しに屈することはないのですが、海老原は、絶対に僕の言い分を聞こうとしないのですよ。
それで、改めてあの空家で話をすることになったのですが、頑として海老原は僕が田中五郎を殺したと決め付けるので、僕はついかっとして、事に及んでしまったというわけですよ」
と、小田島はいかにも決まり悪そうな表情と口調で言った。そんな小田島は、正に海老原を殺してしまったことを大いに後悔してるかのようだ。
「しかし、かっとした位で、殺したりするものなのかい? 他に動機があったんじゃないのかな?」
と、松山は眉を顰めては言った。
すると、小田島は些か顔を赤らめては、
「そりゃ、海老原は僕が一人言を喋るのをからかったんですよ。俺に聞かれてるのも知らずに、禄でもないことを喋りやがってという具合に。それも、動機になったですね。つまり、恥ずかしさやら、憎たらしさやらで、つい、我を忘れ、馬鹿力が入ってしまったのですよ。で、海老原の死顔の写真を翌朝早く撮ったのは、本当に死んだか確かめる為に、空家に行ったのですが、まあ、記念という意味で撮ったというわけですよ。
で、いずれ、警察が海老原の死を捜査するでしょうから、僕は馬場を犯人にしようと目論んだのですよ。海老原の部屋で、海老原と馬場が僕をゆすってやろうと言い合っていたのを、僕は耳にしたのですよ。つまり、海老原が海老原の部屋で僕の一人言を耳にしたように、僕も海老原たちの会話を僕の部屋で盗み聞きしてやったというわけですよ。
そして、その内容に腹が立ったから、馬場への仕返しとして、馬場を海老原殺しの犯人と思わす為に、馬場の部屋に侵入し、海老原の死顔の写真を馬場のタンスの引出しに入れたというわけですよ。馬場と海老原が僕に対するゆすりの件でトラブルになったと社会に思わすことは決して不可能ではないと僕は思いましたからね。因みに、馬場の『山田荘』は『小松原荘』のようにおんぼろアパートでしたから、ピッキングで侵入することは、簡単なことでしたよ。
で、馬場のタンスの引出しに、田中五郎の死顔の写真が入っていたというのは、偶然ですよ」
と、淡々とした口調で言ったのだった。
(終わり)