エピローグ

「実は前々から、森川卓司のことは我々がマークしていたのですよ」 
 と戸田は言っては、些か険しい表情を浮かべた。
「森川が警察からマーク? 何故ですかね?」
 と、森口は些か納得が出来ないように言った。
 すると、戸田は、
「麻薬の密売人ですよ。以前、麻薬を密売した犯人を逮捕したのですが、その犯人の手帳に森川の名前と連絡先が記されていたのですよ。また、橘商事社員というメモも記されていました。
 しかし、その犯人は森川に関しては堅く口を閉ざしていました。
 しかし、我々は森川が麻薬密売に何らかの関わりがあると密かに内偵していたのです。しかし、森川はそんな我々の捜査から逃れるかのように何処やらに引っ越してしまった。
 それはさておき、我々は森口さんが言ったこと、つまり、田中一郎、二郎とかいう男たちからの奇妙な誘いに応じ、溝口社長の事件に関係あると疑われてしまったという証言に基づき、森口さんが件の文章を書かされという事務所やマンションの中を捜査してみました。
 すると、とでもない男たちの指紋が採取されたのです。
 そのとんでもない男たちというのは、七年前と六年前に発生した現金輸送車強奪事件に関係したと疑われてる滝川治と岡林康雄の指紋が採取されたのです。この二人は今、行方不明という状況で、我々警察は全国に指名手配はしていたのですが、その行方は杳として分からなかったのですよ。
 そんな折に、森口さんに奇妙な文章を書かせた男たちが、その二人であったということが、明らかになったのですよ!」
 と、いかにも甲高い口調で言った。そんな戸田からは、戸田が今、とても興奮してることが容易に理解出来た。
「それ故、我々は滝川治と岡林康雄の行方を突き止めようとしたのですが、森口さんはその二人の行方はまるで分からないと言いました。
 そんな折に、溝口社長から妙な情報が寄せられました。というのは、溝口社長宅のダイヤモンドのネックレスと宝冠が盗まれた事件の犯人は、溝口社長の奥さんの淑子さんではなかったかというのですよ。
 というのも、その宝石は確かに誰もが眼に出来る溝口社長宅の応接間に飾ってはあったのですが、それを飾ってある陳列ケースは頑丈に鍵が架けられ、また、陳列ケースは強化ガラスで出来てる為に、犯人は強化ガラスを割らないと盗めないわけですが、その事件が発生した日にいずれも、淑子さんは手に切り傷があったそうです。
 それ故、溝口社長は淑子さんに疑いの眼を持ち、我々に相談しました。
 すると、淑子さんはあっさりと犯行は元より、森川のことも自供したのですよ。
 それで、我々は森川逮捕の為に、淑子さんが森川を住まわせてるというマンションに向かったのですが、すると、何と森口さんの姿を森川のマンション近くで眼にしたのですよ。
 それで、我々は何かあると看做し、密かに森口さんの後を尾けたのですよ。すると、森口さんはやはり、森川の部屋に入って行ったではないですか!
 それで、我々は事前に森川のマンションを管理してる管理会社から森川の室の合い鍵を借り、森口さんの後に、森川の部屋に密かに入り、森口さんと森川の会話を盗み聞きさせてもらったというわけですよ」
 と戸田はいかにも厳しい表情を浮かべては言った。そして、小さく肯いた。そんな戸田は、戸田たちの捜査手法は、何ら問題はなかったと自らに言い聞かせているかのようだった。
 そんな戸田は更に話を続けた。
「そして、森口さんと森川の会話から、滝川治と岡林康雄も何とその場にいることが分かり、森口さんがピンチになったのを機に我々は姿を現わしたというわけですよ」
 と、森川たちの逮捕劇がいかにして行なわれたか、その一部始終を戸田は森口に分かり易く説明した。そして、森口はその事の次第を凡そ理解出来たのであった。
 だが、まだ分からないことがあった。
「でも、何故森川は滝川治と岡林康雄という凶悪な男たちと繋がりがあったのですかね?」
 と、嘗ての同僚で、気心が通じ合っていたと思っていた森川が、何故滝川治と岡林康雄という現金強奪犯と接点ががあったのか、それは森口にとって皆目分からなかったのである。 
 その森口の疑問に対して、戸田は、
「森川はたまたま上野の路上で外国人から薬物を購入してしまったのですよ。
 すると、森川は薬物から離れられない身の上となり、その外国人たちから何度も薬物を購入する内に、繋がりが出来、その線から滝川と岡林とも知り合うようになったというわけですよ」
 と、渋面顔を浮かべては言った。
 この戸田の説明によって、一応、森口が巻き込まれた奇妙な事件は終止符を打ったといえるだろう。とはいうものの、正に後味の悪い結果となってしまった。
 というのは、親友と思っていた森川卓司には信じられないような裏の顔があり、また、森口を奇妙な事件に巻き込んだという事実は、森川に対して怒りを燃え上がらせるに十分であったからだ。
 この事件によって、森口は一人の友人を失ったことは、確実であろう。もはや、森川との関係を修復出来ないのは、確実であろう。 また、失ったのは、森川卓司だけではなかった。道子と亜沙子も失ってしまったのだ。
 道子は道子があの奇妙な事件に一枚噛んでいたことを森口に知られてしまい、また、道子のことを面白おかしくマスコミに書き立てられれば、もはや、森口と衣食を共にすることが出来なくなってしまったというわけだ。つまり、森口と離婚という結果となってしまったのだ。
 そんな道子の許に、亜沙子もついて行くことになった。また、そんな道子と亜沙子は、森口との別れ際に何ら言葉を森口に向けなかったのだ。
 だが、そんな二人の表情は、森口を非難してるかのようだった。そんな二人の顔はこう物語っていた。
〈こんなことになったのは、あなたの所為よ!〉
 と。
 その冷たい視線を受け、森口は返す言葉がなかった。これが、二十五年も共に暮らして来た伴侶に対する仕打ちか!
 そう言いたかったが、その森口の言葉を発する隙も与えない程、二人は森口の許からさっさと去って行った。
 住み慣れた部屋に一人遺された森口は、虚ろな表情をしていた。
 職を失っただけではなく、馬鹿みたいな事件に巻き込まれたかと思えば、その結果、妻子までも失ってしまった。
 この先、森口はどうやって生きて行くのだろうか?
 正に、それは哀しき中年男の呟きであった。
 だが、そんな森口の思いを慰めてくれる者は、誰もいなかったのだった……。

 〈終わり〉
   

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