エピローグ

 大河内龍雄は、もはや何もかもが嫌になった。我慢に我慢を重ねて来た人生と決別し、新天地を求めて東京にやって来た龍雄に待っていたのは、とんでもない事件であったのだ。龍雄は警察に自らの知ってることを話したものの、その姿を警察の前に現すことはなかった。龍雄は面倒なことにもうこれ以上関わりを持つのは嫌だったし、また、龍雄のことを警察が道代に話せば、龍雄は何と道代に弁明してよいのか分からず、また、道代に嘗てない位の罵詈雑言を浴びせられるのは眼に見えていたからだ。
 そんな龍雄はしばらくの間、東京の浅草周辺にあるサウナに寝泊まりしながら、しばらく時を過したのだが、やがて新聞で龍雄が巻き込まれた事件の一部始終を知るに至った。そして、改めてとんでもない事件に巻き込まれてしまったと実感し、また、自らの不運を嘆いたのだ。そんな龍雄には、もはや、東京に新天地を求めようという気力は残されてなかった。
 そんな龍雄は、その日、即ち、熊本の自宅を飛び出して、一ヵ月が経過した頃、熊本に向かう飛行機の切符を買った。そして、熊本に向かった。
 だが、龍雄はもはや熊本の自宅に戻る気はまるでなかった。
 熊本空港に着いた後、龍雄は阿蘇に向かった。阿蘇は今、ミヤマキリシマの最盛期で、子供時代のみならず、大人になってからも度々その頃、阿蘇を訪れ、その可憐なピンクの花を眼にしたものだ。そして、その時、龍雄は何故か最も充実した一時を感じたのだ。そして、今、もう一度阿蘇のミヤマキリシマを眼にしたくなったのだ。
 バスで阿蘇山山頂の駐車場に来ると、龍雄はロープウェイで山頂にまで行っては、久し振りにその火口見物を行なった。正に、阿蘇は熊本の象徴で、阿蘇の火口は偉大であり、また、改めて地球は生きていると実感した。
 そんな状況であったが、阿蘇の山頂は肌寒く、風も強かった。ロープウェイも頻繁に強風に煽られて、運航中止となる。それ故、早めに龍雄はロープウェイで山頂から降りた。そして、阿蘇自動車道をゆっくりとした足取りで歩き始めたのだ。
 時刻は午後五時に近付いており、阿蘇自動車道を歩いてる姿を眼にした車上の人は、龍雄が何処に行こうとしてるのか首を傾げてる者もいたかもしれない。しかし、龍雄はまるでそのような者の視線を気にすることもなく、ひたすら歩みを進め、地獄温泉に向かう道へと折れた。そして、ひたすら歩みを進めた。そんな龍雄の左右には、ミヤマキリシマの花園が拡がっていた。
 龍雄は手頃な場所に来ると、突如、道路を進むのを止め、左に折れた。そこにあるのは、ミヤマキリシマの花園だ。
 龍雄はミヤマキリシマの中に入っては、膝をつき、間近でそのピンクの花を眼にした。すると、何故こんな可憐な花をつけるのかと、不思議に思った。正に自然とは不可解で、驚異なのだ!
 そんな龍雄はやがて腰を下ろし、しばらくの間、花園の中で時を過した。そんな龍雄は辺りが暮色に包まれていくのを、まるで他人事のように感じていた。そして、暗闇に包まれる前に、龍雄は意を決したような表情を浮かべては、上着のポケットから何かを取り出した。
 それは、睡眠薬であった。睡眠薬が入った瓶だったのだ。
 その睡眠薬の瓶の蓋を開けると、龍雄は阿修羅のような表情を浮かべた。そのような表情を龍雄が浮かべたことが今までにあったであろうか。
 そんな龍雄は、その表情を浮かべながら一気にその錠剤を口に入れ始めた。
 だが、龍雄は今、こうやって睡眠薬を飲み続けても、死ぬかどうかは分からなかった。しかし、死ねればよいとも思っていた。
 そして、龍雄は薄れていく意識の中で、龍雄はもう二度と目覚めることはないだろうと、今や信じて疑わなくなったのであった。

     (終わり)

    

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