6 事件解決
ここは川崎市内の然程大きくない某公園。昼間は子供連れの奥さん連中たちの姿や、小学生の姿がちらほら眼に出来るが、朝のまだ六時ともなれば、まるで人気は見られない。
しかし、浅野達也(68)は、公園のベンチの前まで来ると、どっしりと腰を下ろした。というのも、久し振りに早朝のジョッキングを行い、その疲れた身体を休憩させる為に、ベンチに腰を下ろしたというわけだ。正に一ヶ月振りのジョギングだけあって、十五分も走り続けると、かなり疲れるものだ。更に、汗もびっしりと掻いてしまった。
それで、背中に背負ったザックからタオルを取り出し、顔に滲み出ていた汗を拭った。
そして、一息ついたのだが、そんな浅野の眼がふとベンチの後方に移動したその時である。浅野の顔は突如、歪んだ。というのも、とんでもないものを眼に捉えてしまったからだ。
それは、人間だ。中年の男性が、ベンチ後方の草むらで不自然な恰好で横たわっているのを眼に捉えてしまったからだ。そして、その様からして、その男性に一大事が発生してるのは、確実であった。
そんな男性を眼にして、男性をそのままにしておくわけにも行かず、浅野はベンチから立ち上がると、恐る恐るその男性に近付き、男性の様子を見てみることにした。しかし、脈を診るまでもなかった。というのも、その男性は眼をかっと見開き、その身体を微動だにさせてなかったからだ。その様からして、男性は既に事切れてるに違いなかった。そう察知すると、浅野は直ちに110番通報したのであった。
浅野からの110番通報を受け、所轄署の刑事二人が直ちに現場に駆けつけた。二人は辺りをパトロールしていた為に、現場に到着するのに10分も掛からなかった。
そして、二人の刑事は早々とその男性の死を確認した。
男性は刑事に遅れて到着した救急車で最寄の病院に運ばれて行き、司法解剖されることになった。というのも、男性の首には、ロープで絞められたような鬱血痕があったからだ。
そして、男性の死因は程なく明らかになった。そして、それは、予想された通り、ロープのようなもので首を絞められたことによる窒息死であった。明らかに殺しであった。
それを受けて、捜査一課の前川幹夫警部(55)が捜査を担当することになったが、男性の身元は早々と明らかになった。即ち、男性はその前日に、警視庁の田川が話を聴いた海野茂一であったからだ。
そして、前川は田川から海野に関する情報を入手することになった。そして、早々と海野の死は、その犬飼という男性の事件に関係してると理解した。しかし、それは前川でなくても、誰だってそう思うことであろう。
即ち、海野は、海野の死体が発見された日、田川に犬飼の事件に関して重大な情報を提供することになっていた。しかし、その為に殺されてしまったというわけだ。
「全く迂闊でした」
と言っては、田川は項垂れた。昨日、別件逮捕でもして海野の身柄を拘束しておけば、海野は死ななくて済んだに違いなかったからだ。
無論、前川もそう思ったが、しかし、済んでしまったことはもうやむを得ないであろう。
しかし、海野が犬飼の件で殺されたのは、確実だろう。
それで、前川はそれに関して、田川に何か心当たりないか、確認してみた。
すると、田川は、
「それが、無いのですよ」
と言っては、唇を噛み締めた。田川は、今まで犬飼を殺したのは、海野の単独犯に違いないと推理していたのだ。それ故、それ以外のケースは想定してなかったのだ。
しかし、海野が海野の部屋に何か情報を遺してるかもしれない。
それで、早速海野の部屋の捜査が行なわれることになった。
すると、特に成果は得られなかったが、しかし、海野の部屋に遺されていた携帯電話に海野の死体が発見された前日の記録が残っていた。
それで、その電話の発信先を調べてみた。
すると、それはすぐに明らかになった。
そして、それは、『山海魚』の店長である長谷沼正志であったことが明らかとなった。
それで、直ちに田川は長谷沼と会って、長谷沼から話を聴いてみることになった。
長谷沼は田川の姿を眼にすると、警戒したような視線を田川に向けた。そんな長谷沼は、正に何の目的で長谷沼の前に姿を見せたのか、警戒してるかのようであった。
そんな長谷沼に、田川は、
「海野さんのことで聴きたいことがあるのですがね」
と、険しい表情を浮かべては、長谷沼の顔をまじまじと見やった。
すると、長谷沼は何も答えなかった。そんな長谷沼は、次の田川の言葉を固唾を呑んで待ってるかのようであった。
そんな長谷沼に、田川は、
「正に『山海魚』の従業員が最近になって二人も死んでしまいました。それも殺しによってです。こうなって来れば、二人の死が『山海魚』に関係してると思っても不思議ではないですよね」
と、険しい眼差しを長谷沼に向けた。
すると、長谷沼は、
「そう言われましても……」
と言っては、田川から眼を逸らせ、言葉を濁した。そんな長谷沼は二人の死を『山海魚』に関係付けられては迷惑だと言わんばかりであった。
そんな長谷沼に、田川は、
「で、長谷沼さんは、犬飼さんの死には心当たりないと以前言われましたが、では、海野さんの死にも心当たりありませんかね?」
と言っては、長谷沼の顔をまじまじと見やった。
すると、長谷沼は、
「まるで心当たりないですね」
と、正にその通りだと言わんばかりに言った。
「それは、間違いないですかね?」
「間違いないですよ」
「では、長谷沼さんは、一昨日、海野さんと話をしましたかね?」
そう田川が言うと、長谷沼の言葉は詰まった。そんな長谷沼は、正にそれは訊かれたくない質問だと言わんばかりであった。
田川のその問いに、長谷沼は言葉を詰まらせたままなので、田川は同じ問いを繰り返した。
すると、長谷沼は、
「刑事さんは何故そのようなことを訊くのですかね?」
と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「だから、海野さんの携帯電話の発信記録を調べてみたところ、一昨日の夜、長谷沼さんと話をしたことが明らかになったんだよ」
と言っては、田川は長谷沼を睨め付けた。そんな田川の表情は、正に長谷沼は海野の死の重大な参考人だと言わんばかりであった。
そう田川に言われると、長谷沼は、開き直ったような表情を浮かべては、
「確かに刑事さんのおっしゃる通りですよ」
と言っては小さく肯いた。
「どんなことを話したのですかね?」
と言っては、田川は眉を顰めた。
「ですから、『山海魚』は、今、どんな具合とかいった世間話ですよ」
と、長谷沼はそれが何か問題なのかと言わんばかりであった。
そんな長谷沼に、田川は、
「それ、本当ですかね?」
と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「本当ですよ。どうして、嘘をつかなければならないのですかね?」
と、長谷沼は再び開き直ったような表情を浮かべては言った。
すると、田川は渋面顔を浮かべては、
「僕は今の話は出鱈目だと思いますね」
「出鱈目? 何故そう思うのですかね?」
と、長谷沼は納得が出来ないように言った。
「海野さんは、一昨日、我々警察から話を聴かれてましてね」
と言っては、田川はクッチャロ湖畔のサイクリングロードに関する話を話した。
そんな田川の話に黙って耳を傾けていた長谷沼は、田川の話が一通り終わっても、特に言葉を発そうとはしなかった。そんな長谷沼は、それが何か問題なのかと言わんばかりであった。
そんな長谷沼に、田川は、
「で、海野さんが長谷沼さんに電話したのは、その後なんですよ」
と、長谷沼に言い聞かせるかのように言った。
すると、長谷沼はまだしばらくの間、言葉を発そうとはしなかったが、やがて、
「ですから、先程も言ったように、他愛ない世間話だけですよ」
と、長谷沼は眉を顰めた。そんな長谷沼は、正に海野の事件には何ら関係ないと言わんばかりであった。
「そんなこと、信じられませんよ」
と、田川は吐き捨てるかのように言った。
「しかし、それが真実なんだから、仕方ないじゃないですか!」
と、長谷沼は繰り返すばかりであった。
それで、海野の死亡推定時刻のアリバイを確認してみたところ、家にいたであった。
しかし、今の時点では、長谷沼を逮捕出来る証拠もないということもあり、一旦、長谷沼の許を引き下がるしかなかった。
しかし、今までの状況証拠から、長谷沼が海野の死に関係してる可能性は極めて高いというものだ。
それで、長谷沼のアリバイを確認してみたところ、はっきりしたことは分からなかった。というのも、長谷沼はマンションで一人暮らしであり、また、一昨日は午後九時頃、店を後にし、それ以降の長谷沼の足取りはよく分からないのだ。
海野の死亡推定時刻は一昨日の夜の午後十一時頃であったが、その頃の長谷沼のアリバイは曖昧といえるだろう。しかし、そうだからといって、まだ長谷沼を逮捕するわけにはいかない。
それで、『山海魚』の従業員たちに、引き続き聞き込みを行なってみたが、特に成果は得られなかった。
しかし、クッチャロ湖畔のサイクリングロードに関しての捜査は進展があった。
というのは、やはり、レンタルサイクルを借りたのは、海野であったことが明らかとなったのだ。サイクリングロード店で海野の指紋が残っていたのだ。となると、海野はやはり犬飼の死に関係してると言わざるを得ないだろう。
しかし、何故長谷沼が海野の死に関係してるのだろうか?
この三人を結び付けてるのは、やはり『山海魚』だ。それ故、『山海魚』に関してまだ明らかになっていない何かが存在してるのに違いない。
その点を踏まえて捜査してみたところ、興味ある情報を入手することが出来た。その情報を提供したのは、以前『山海魚』でアルバイトをしていた安田正美という女性であった。
正美は、
「事件に関係あるかどうかは分かりませんが」
と、前置きした後、
「実は、私、妙な話を耳にしたことがあるのですよ」
と、渋面顔で言った。そんな正美は、まるでこのことを話してよいのかどうか、躊躇ってるかのようであった。
「妙な話? それ、どういうものですかね?」
田川は興味有りげに言った。
「三ヶ月程前のことですが、私、その日は午後五時出勤だったのですが、四時半頃、店に着いてしまいました。『山海魚』は夜は午後五時半開店なので、いつもなら四時半はまだ従業員はお店に姿を見せていない時間なのですが、私が店の中に入って行くと、人が言い争うかのような声が聞こえてきました。そして、その言い争うような声は、犬飼さんと長谷沼店長の声でした」
と、正美は淡々とした口調で言った。そして、正美の話は続いた。
「で、何を言い争ってるのかの詳細までは分かりませんでしたが、こう犬飼さんが言ったことは、覚えています。つまり、犬飼さんは長谷沼さんに『会社の金をねこばばしていいのかい。上の方に知られていいのかい』という声を」
そう正美が言うと、田川の表情は、一気に真剣なものへと変貌した。というのも、今の正美の話は、正に重要なものだと確認したかのようであった。
つまり、今の正美の話から推すと、長谷沼はどうやら会社の金をねこばばし、その秘密を犬飼に知られてしまった。それによって、二人は揉めていたということだ。
そして、その思いを正美に話した。
すると、正美は、
「まあ、そんな感じですね」
と言っては、小さく肯いた。
そんな正美に、田川は、
「で、それから?」
そう田川が言うと、正美は、
「私、何だか聞いてはいけないような話を聞いてしまったと思い、その場を逃げるようにして後にしたのです。それ故、それ以降、長谷沼さんと犬飼さんとの間にどんな話があったのかは知りません。でも、それから少し経った頃、犬飼さんの遺体が奥多摩の山中で発見されたのですよ」
と、正に深刻な表情で言った。そんな正美は、正に今の正美の話が犬飼の死に関係してるに違いないと言わんばかりであった。
そして、田川も同感であった。即ち、犬飼の事件は、口封じの為だ。これが、動機だ。犯人は、長谷沼であろう。
しかし、犬飼の事件に海野も関係してるのは明白だから、海野も共犯だろう。
そして、その延長として、海野は長谷沼に殺されたのだ。
しかし、証拠はない。
犬飼の事件、海野の事件も、長谷沼のアリバイは曖昧だ。しかし、それだけでは、長谷沼を逮捕出来ないだろう。
しかし、海野の死を受けて、海野の恋人であったという秋野沙織が口を開いた。沙織は長身の美人だった。
そんな沙織は、田川に対して、
「海野さんを殺したのは、長谷沼に違いありません」
と、いかにも険しい表情を浮かべては言った。
「何故そう思うのですかね?」
と、田川はいかにも真剣な表情を浮かべては言った。
そう田川が言うと、沙織は田川から眼を逸らせては言葉を詰まらせた。そんな沙織は、それに関してあまり言いたくないと言わんばかりであった。
そんな沙織に、田川は、
「秋野さんは、犬飼さんに恨みがあったのですね?」
「……」
「何でも、秋野さんは、犬飼さんにレイプされたとか」
そう田川が言うと、沙織は田川から眼を逸らせ、小さく肯いた。
すると、田川も小さく肯いた。そんな田川は、これによって、捜査が一歩前進したと言わんばかりであった。
そんな沙織に、
「そのことを知った海野さんは、犬飼さんに対して強い怒りを持ったのではないですかね?」
「……」
「海野さんは日頃から犬飼さんからお金を返してもらわなかったこともあり、仲が悪くなっていた。そんな折に、海野さんの恋人であった秋野さんを犬飼さんがレイプしたことを受け、それが犬飼さんを許さないという感情になってしまった。
そんな海野さんと長谷沼さんが犬飼さんを殺した。これが、犬飼さんの事件の真相ではなかったのですかね?」
そう言っては、田川は険しい表情を浮かべた。そんな田川は、正にそれが犬飼の事件の真相ではなかったのかと言わんばかりだ。
すると、沙織は田川を見やっては、
「私は犬飼さんの事件の真相は分かりません。でも……」
と言っては、田川から眼を逸らし、言葉を濁した。しかし、そんな沙織は今回の一連の事件に関して、何か重大な情報を持ってると言わんばかりであった。
そんな沙織に、田川はいかにも穏やかな表情を浮かべては、
「秋野さんには迷惑を掛けないですから、秋野さんの知ってることを遠慮なく話してくださいな」
と、いかにも穏やかな表情と口調で言った。
すると、沙織は渋面顔を浮かべては、
「私、海野さんから、長谷沼さんに関して聞かされていたのですよ」
と、淡々とした口調で言った。
「何を聞かされていたのですかね?」
と、田川はいかにも興味有りげに言った。
「長谷沼さんは会社のお金をねこばばしてるということですよ」
と、いかにも決まり悪そうに言った。
その情報は既に入手していたが、田川は今、それを初めて知ったと言わんばかりの表情を浮かべては、
「会社のお金をねこばばしていた?」
と、いかにも興味有りげに言った。
「そうです。経費を過大に計上するという手口を用いて、会社のお金をポケットマネーにしていたそうです。そう海野さんは言ってましたね」
と、いかにも言いにくそうに言った。
「なるほど。で、そのことが、犬飼さんの事件、また、海野さんの事件にどう関係してるのですかね?」
と、田川はいかにも興味有りげに言った。
「犬飼さんの事件にどう関係してるかは分かりませんが、私の推測では、長谷沼さんと海野さんの二人が犬飼さんを殺したのではないかと思っています」
と、再び言いにくそうに言った。
「つまり、犬飼さんはそのことをねたに長谷沼さんをゆすり、そんな犬飼さんの口封じの為に、犬飼さんを殺したというわけですか」
「そうです。海野さんは日頃、犬飼さんのことを憎く思っていましたからね。ですから、長谷沼さんからお金を受け取れば、犬飼さん殺しに協力したのではないかというわけですよ」
「なるほど。で、その後、海野さんは口封じの為に、長谷沼さんに殺されたというわけですか」
「その可能性は十分にありますね」
と、言っては、沙織は田川から眼を逸らした。
そんな沙織に、田川は、
「何かそれに関して証拠はありませんかね?」
と、いかにも真剣な表情を浮かべては言った。
すると、沙織は意外にも、
「証拠ならありますよ」
と、あっさりと言ったのだった。
すると、田川は眼を大きく見開き、
「それは、どういったものですかね?」
と、いかにも真剣な表情を浮かべては言った。
「もし、僕が死んだとすれば、長谷沼に殺されたと思ってくれという海野さんの言葉がIC レコーダーに録音されてますからね。更に、海野さんは、『もし僕が死ねば、犬飼さんの事件の詳細を記された証拠を警察に渡してくれ』とも入ってました」
と、沙織はいかにも真剣な表情を浮かべては言った。
そう沙織に言われると、田川は再びいかにも真剣な表情を浮かべた。しかし、それも当然だろう。その証拠なるもので、今回の事件は終結するかもしれないのだから。
それで、田川は、
「その証拠とは?」
と、いかにも真剣な表情を浮かべては言った。
「その証拠は私が持っています」
と沙織は言い、また、その証拠なるものは、沙織宅に保管してあるとのことなので、田川は早速沙織と共に、沙織宅に行くことになった。そして、その証拠とは、A4判の角形封筒の中に入っていた。また、その角形封筒は厳重に封がされていて、今まで一度も開封されたことのないことは、明らかであった。
それで、早速封を開けてみた。
すると、そこには、A4判のコピー用紙に手書きの文字で、犬飼の事件の真相が記されていた。
そして、それを要約すると、やはり、犬飼を殺したのは、長谷沼と海野であった。犬飼は長谷沼が『山海魚』のお金を経費を過大に計上するという手口を用いて、今までに既に千万程のお金を横領していた事実を犬飼に突き止められてしまった。それで、犬飼を殺そうと思っていたところ、海野も犬飼を殺してやりたいということを知るに至った。海野は犬飼に貸したお金を返してもらえないだけでなく、恋人を犬飼にレイプされたことにより、犬飼に強い怒りを感じていたというわけだ。
そして、二人でいかにして犬飼の死を誤魔化すかと知恵を出し合った結果、クッチャロ湖畔のサイクリングロードでヒグマに襲われ殺されたで事を済まそうということになったのだ。海野は旭川の出身だった為に、クッチャロ湖畔のサイクリングロードの件が考え出されたというわけだ。そして、都内の人気の無い場所で、長谷沼が犬飼の後頭部を鈍器で強打しては殺し、長谷沼と海野が奥多摩の山中にまで運び、山中に埋めたものの、埋め方が浅かった為に、早々と露見してしまったというわけだ。また、クッチャロ湖畔のサイクリングロードの件も早々とばれてしまったのは、正に失策だったとも海野は述懐していた。というのも、稚内のホテルで手書き文字で宿泊カードに文字を書かなければならなかったことに、海野は気付かなかったというわけだ。その為に、犯行が早々と露見してしまったというわけだ。
更に、海野は自らが死ねば、それは長谷沼に殺されたと思ってくれという文章も残していた。しかし、それ以上のことは記されていなかった。海野とて、まさかこんなに早く殺されるとは、思ってなかったのかもしれない。
田川はこの証拠を入手したものの、これが、長谷沼が海野を殺したという証拠となり得ないのは無論、犬飼殺しに関しても、証拠となり得ないのは確実だった。というのも、この文章を出鱈目だと否定されてしまえば、それまでだからだ。
それで、田川はその思いを沙織に話し、何か長谷沼と海野が犬飼を殺したという確実な証拠はないものかと訊いてみた。
すると、沙織は、
「それはありますよ」
と、意外にもそう言った。
それで、田川は眼を大きく見開き、
「それは、どんものですかね?」
と、沙織をまじまじと見やっては言った。
「それは、ICレコーダーです。長谷沼さんと海野さんとが犬飼さん殺しの打ち合わせていた時の会話を、海野さんは密かに録音していたのですよ。そして、そのICレコーダーも私は海野さんから預かっているのですよ」
と、沙織はいかにも真剣な表情を浮かべては言った。そして、田川は直ちにそのICレコーダーを聞いてみた。そして、それは間違いなく、長谷沼と海野の声であった。
そして、これによって、長谷沼は犬飼殺しの疑いで逮捕されたのだ。
しかし、長谷沼は頑なに犬飼殺しは無論、海野殺しも否定した。
しかし、長谷沼宅の家宅捜索が行なわれた結果、長谷沼の犬飼殺し、海野殺しの関与が決定的となった。というのも、長谷沼は長谷沼宅のもの入れの引き出しの中に、犬飼の指紋が付いていた財布と海野の指紋が付いていた財布を保管していたのだ。つまり、二人を殺してから、長谷沼は二人のズボンから財布を抜き取り、その中に入っていたお金をねこばばしたのだ。
しかし、その二人の財布を遺棄するといったミスを犯してしまった。それが、長谷沼の致命傷となってしまったのだ。
〈終わり〉
この作品はフィクションです。実在する人物、団体等とは一切関係ありません。また、風景や建造物等が実際とは少し異なってることをご了承ください。