第十四章 思い掛けない電話

 富子が鬼頭のマンションを追われるようにして後にしてから、二週間が過ぎた。そして、その日に、富子は突如、鬼頭から電話を受けた。
 そして、その時に、鬼頭は富子にこのように言ったのである。
―スキーに行かないか。
 そう鬼頭に言われ、富子は戸惑いの表情を浮かべた。
 というのは、この二週間、富子はいかにして鬼頭に復讐を行なうか、そればかりに思いを巡らせていたのだ。だが、その思いはまだ固まってはいなかった。
 そんな折に、鬼頭から電話を受けてしまったのである。
 そして、それは富子にとって意外であった。何故なら、富子は鬼頭の方から富子にコンタクトを取って来ないと読んでいたからだ。
 それ故、富子は戸惑った表情を浮かべてしまったのだ。
 それはともかく、富子は既に鬼頭の裏切りを知っていた。だが、鬼頭はそれを富子が知ってると気付いていないに違いない。
 それ故、富子は鬼頭の出方を見てやろうと思った。
 それで、富子はとにかく、
「スキー?」
 と、甲高い声で言った。
―ああ。そうだ。最近、俺と富ちゃんは旅行に行ってないじゃないか。以前はよく行ったのに。
 それで、久し振りに富ちゃんとスキーに行っては、温泉にでも浸かってみようかと思ってるんだよ。
 という鬼頭の弾んだ声が聞こえた。
 そう鬼頭に言われ、富子は一層戸惑いの表情を浮かべた。何故なら、富子は鬼頭の裏切りを知っていたからだ。それ故、鬼頭が富子をスキーに誘うなんてことは、有り得ない事であったからだ。
 それなのに、何故……。
 そう疑問を抱いた富子が、鬼頭は何か魂胆があると思ったのは、自然の成り行きであった。
 そんな富子の思いなど、鬼頭はつゆ知らないのか、更に弾むような口調で話を続けた。
―富ちゃんは以前、蔵王に行ってみたいと言ってたじゃないか。
 その蔵王さ! 蔵王はスキーのメッカさ!
 富ちゃんとペアリフトに乗り、思い切りスキーを愉しんでみたいと思ってるんだ!
 鬼頭の裏切りを富子がもし知っていなかったのなら、今の鬼頭の話には、大いに飛び付いたことであろう。しかし、今の富子は以前の富子ではないのだ。
 それ故、鬼頭のその誘いにはあっさりと応じるわけにはいかなかった。何故なら、鬼頭にとって今や邪魔者と成り下がった富子を、スキーに誘う筈はなかったからだ。
 即ち、その裏には何か魂胆があるに違いないのだ! そして、その魂胆に基づいて鬼頭は富子をスキーに誘ったに違いないのだ!
 そう察知した富子は、とにかくその手には乗るまいと思った。
 それで、富子は、
「行きたくないわ」
 と、冷やかな口調で言った。
―そう言わずに、行こうよ。以前、富ちゃんはスキーに行きたいと言ってたじゃないか! きっと愉しいことがあるに違いないよ!
 と、鬼頭はまるで富子の機嫌を取るかのように言った。
「以前は以前よ。今は行きたくないの」
 富子は鬼頭の誘いをきっぱりと断った。
―そう言わずにさ。だったら、何処か行ってみたい所はないのかい? 村木爺さんから手にした金を少しばかり使ってもいいからさ。だから、何処かに行こうよ。富ちゃんが行きたい所はないのかい?
 と、鬼頭は眼をギラギラと輝かせては言った。その鬼頭の表情は、その甘い声とは裏腹、甚だ厳しいものであった。まるで、眼前にいる獲物に飛び掛かろうとしてる野獣のようであった。
 そう鬼頭に言われ、富子の言葉は詰まった。
 そして、少しの間、何やら考え込むような仕草を見せていたが、やがて、
「網走なら、行ってもいいわ」
―網走か……。
 鬼頭は、呟くように言った。というのは、鬼頭は網走方面には今まで行ったことがなかった。それで、網走という所がどのような所なのか、思い浮かべることが出来なかったのだ。
 とはいうものの、北海道の北の外れの街とか、刑務所のある街という位のことは、知っていた。だが、その程度のことしか、鬼頭は知らなかったのだ。
 一方、富子の口から網走という言葉が発せられたのは、必ずしも偶然ではなかった。というのは、実のところ、富子は鬼頭に対して復讐を実行する場所として、既に網走のことを思い起こしていたからだ。正に、網走という所は、鬼頭に対して復讐を行なう場所として、ぴったりだと富子は密かに思っていたのだ。
 それ故、富子の口から網走という言葉が発せられたのは、必然的であったのかもしれない。
「そうよ! 網走よ! 冬の網走には流氷が押し寄せて来るのよ。私、一度、流氷を見てみたいのよ」
 と、富子は声を弾ませては言った。
 その富子の言葉には、偽りはなかった。確かに富子は元々流氷を見てみたいと思っていたのだ。
 だが、その流氷が押し寄せて来る網走という土地が、鬼頭に対する復讐の場所として選ばれたということは、正に皮肉なことであったと言えるかもしれない。
 そう富子に言われ、鬼頭は十秒程言葉を詰まらせたが、やがて、
―よし! 分かった! それで、決まりだ!
 と、決意を新たにした表情で言った。
「つまり、私たち、網走に行くのね」
 富子も、決意を新たにした表情で言った。
 そして、その時の富子の表情を鬼頭が実際に眼にしたのなら、鬼頭は富子に対して不審感を抱いたかもしれない。しかし、鬼頭は電話で富子と話をしていたのだから、富子に対して不審感を抱くことはなかった。
―ああ。そうさ! 網走で決まりさ!
 鬼頭は力強い口調で言った。
 もし、富子が鬼頭の裏切りのことを知らなかったら、今の鬼頭の声を聞けば、きっと富子は満面に笑みを浮かべたことであろう。だが、今の富子の表情には無論、笑みは見られず、甚だ険しい表情を浮かべていたのであった。
 そして、その後、二人は網走行きに関する打ち合わせを何だかんだと行なった。
 そして、結局、二月十六日から二泊三日の予定で、富子と鬼頭は網走に行くことが決まったのであった。

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