第十七章 悦楽の時

 富子がオホーツク海の藻屑となってしまってから、一週間が経った。
 そして、鬼頭は今、台東区内にある鬼頭のマンションにいた。
 鬼頭は富子のことを警察に話はしなかった。鬼頭はもし、富子のことを警察に訊かれれば、知床で富子と喧嘩をしてしまい、富子と別れて別々に帰ったで事を済ますつもりであったのだ。
 鬼頭と富子が流氷の上を歩き、そして、鬼頭が富子を流氷下の海へと突き落とした場面を眼にした者は誰もいないと、鬼頭は確信していた。何しろ、鬼頭と富子が流氷の上に乗り出した場所は、堤防によって道路から見えなかったし、また、鬼頭が富子を流氷下の海に突き落とした時は粉雪が降り始め、視界をとても悪くしていたのだ。更に、辺りには鬼頭と富子以外は誰もいなかった。
 それ故、鬼頭の行為を目撃した者は誰もいないと、鬼頭は確信していたのだ。
 それで、万一、警察に富子のことを問われても、富子と知床で喧嘩をし、別れたで押し通すつもりであったのだ。
 だが、鬼頭の心配は無用であるかのように、警察は鬼頭の前に姿を現わしはしなかったのだ。
 とはいうものの、いずれ富子の家族の者が、警察に富子の捜索願いを出すであろう。
 それを受けて、警察が鬼頭に富子のことを問い合わせて来れば、前述したように、知床で富子と喧嘩をしては別れ、その後の富子のことは知らないと言う。
 その鬼頭の言葉を受けて、警察とか世間には、富子が鬼頭との恋に破れたことを悲観し、自殺したのではないかと思わすことは可能であろう。
 鬼頭はそう看做していたのだが、富子が死んで三週間経ったにもかかわらず、警察は鬼頭に富子のことを問い合わせて来ることはまるでなかったのである。
 それ故、鬼頭は富子が死んだ当初は、警察から富子に関する問い合わせが入ることを恐れていたのだが、最近では鬼頭の心もかなり和らいで来たのだ。
 そして、富子が死んで二ヵ月が過ぎようとしていた。
 季節は桜の季節を過ぎ、めっきりと春らしさを感じるようになった此の頃であった。
 鬼頭は最近ではもう富子のことを思わなくなっていた。何しろ、富子が死んでもう二ヵ月にもなるのに、警察が鬼頭に対して富子のことを何も言って来ないとなれば、もはや富子の死に鬼頭が無関係であるということは決まったみたいなものであった。
 そう実感すると、鬼頭の表情には、自ずから笑みが浮かんで来るというものだ。
 そんな鬼頭は、最近になって頻繁に由加のマンションを訪れるようになっていた。富子を流氷下の海に突き落とした当初は、富子のこととか、警察のことが頭に引っ掛かり、由加のマンションを訪れることに気乗りしなかった為に、控えていたのだ。
 しかし、富子が死んで一ヵ月、二ヵ月と経っても、警察が依然として鬼頭の前に姿を現わさないとなると、鬼頭が自ずから胸を撫で下ろし、由加のマンションを頻繁に訪れるようになったのも、自然の成り行きであるかのようであったのだ。
 そして、今日も鬼頭は由加のマンションを訪れ、由加との情事を愉しんでいた。そして、その時に由加は、
「最近、例の富子の話が出ないけど、富子との関係、どうなったの?」
 と、いかにも興味有りげに訊いた。
 鬼頭は無論、由加にも富子を流氷下の海に突き落として殺したと、話したりはしてなかった。
 それで、鬼頭は、
「富子とは、別れたよ」
 と、素っ気なく言った。
「別れた? 信じられないわ。富子って女は、あんたと別れたら、あんたを道連れにして死ぬような女だと、あんたは言ったじゃないの。それなのに、富子はどうしてあんたとあっさりと別れたの?」
 と、由加はベッドに寝転がりながら、いかにも信じられないと言わんばかりに言った。
「だから、俺ははっきりとお前にはもう気がないから、どうにもならないと言ってやったんだ。すると、それ以来、音沙汰が無くなったよ。つまり、富子は俺のことを諦めたというわけさ」
 と、鬼頭は些か自信有りげな表情と口調で言った。
 すると、由加は眉を顰めては、少しの間、何も言おうとはしなかったが、やがて、
「だったら、私たち、北海道や九州なんかに行かなくていいのね。もう富子のことを気にする必要がなくなったから」
 と、鬼頭の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、鬼頭は眼を大きく見開き、
「そう言われてみれば、確かにそうだな。アッハッハッ!」
 と、いかにも愉快そうに笑った。
 その鬼頭の笑いに釣られて、由加も破顔し、そして、ベッドの傍らに置いてあった煙草を一本取り出しては、一吹かしした。そして、
「だったら、私たち、もう誰にも憚ることなく、この東京で自由に愛せるのね。私、嬉しいよ」
 と言っては、素っ裸の身体で鬼頭に抱きついた。
 すると、由加と同じく素っ裸の鬼頭は満面に笑みを浮かべては、
「正にその通りさ!」
 と言っては、いかにも満足そうに肯いた。
 鬼頭とて、やはり東京を離れるのは嫌だったのだ。東北の片田舎で生まれ育った鬼頭は、いかに東京が刺激に満ちた面白い街であるかを痛感していた。幾ら風光明媚で空気が綺麗でも、鬼頭はやはり東京の方が気に入ってしまったのである。
 だが、富子が生きていれば、東京から離れざるを得なかったかもしれない。だが、富子が死んだとなれば、それはもはや絵空事となってしまったというわけだ。
 そして、二人はその後、しばらくの間、再び愛を確かめ合ったのだが、行為が終わると、由加は鬼頭に由加の乳房を揉ませながら、
「ねぇ。そろそろ話してくれたっていいじゃないの」
 と、鬼頭に甘えるように言った。
 だが、鬼頭はその由加の言葉の意味が分からなかったので、
「それ、どういうことだい?」
 と、笑いながら言った。
「だから、あのことよ。億を超えるお金を何処に隠してあるのかということよ」
 と、由加はにこにこしながら言った。
「そのことか……。でも、何故そのことをそんなに知りたいんだい?」
 鬼頭もにこにこしながら言った。
「だから、以前も言ったじゃないの。億を超えるお金を銀行に預けてないのなら、どうやって保管してあるのか、私、とても興味があるのよ。ねぇ……。いいでしょ。話してよ」 
 と、由加は鬼頭の機嫌を取るかのように言った。
 すると、鬼頭はお気に入りのウィスキーを飲み、また、由加の身体を十分満足した為か、本来なら決して話しはしない秘密を、つい話してしまったのだ。
「実はな。レンタルボックスに保管してあるんだよ」
「レンタルボックス?」
「ああ。そうだ。知らないかい? レンタルボックスって?」
「うーん。聞いたことはあるんだけど」
 由加は渋面顔で言った。由加はレンタルボックスという名前は聞いたことはあったのだが、今一つ、それがどのようなものなのか、ピンと来なかったのだ。
「列車の貨車のようなボックスを、賃貸住宅のように金を出しては借りるんだよ。そのレンタルボックスの中に、家の中で収納出来ないようなものを保管するのさ。
 もっとも、レンタルボックスの大きさは大したものではないんだが、自転車一台位は十分に入るんだ。俺の住んでる地域には、所々にそのレンタルボックスがあるんだよ」
 と、鬼頭はいかにも機嫌良さそうにそう説明した。
「ふーん。で、辰ちゃんのお金を保管してあるレンタルボックスは何処にあるの?」
 と、由加はにこにこしながら言った。
「だから、俺のマンションの近くにあるレンタルボックスさ」
「それだけじゃ分からないわ。もう少し詳しく話してよ」
 と、由加は鬼頭に甘えるように言った。
 だが、鬼頭は、
「もうこれ位でいいじゃないか」
 と言っては、由加の乳房を吸い始めた。そして、乳房を皮切りに、由加の全身を舐めまわした。
 すると、由加はいかにも気持ち良さそうに、
「ああ……」
 と、喘いだ。
 そんな由加を見て、鬼頭は卑猥な笑みを浮かべては、まだしばらく由加への愛撫を続けたのであった。

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