第十九章 不審な男

 世良はその世良の推理に基づき、早速、岡野富子に男がいなかったか、捜査してみた。
 すると、その捜査は早々と成果を得ることが出来た。というのは、富子の部屋にあったアドレス帳に記してあった富子の友人と思われる者に聞き込みを行なってみたところ、すぐに富子に男がいたという証言を入手出来たからだ。
 その証言を行なったのは、沢野正美という富子と高校時代からの友人であったという女性であった。
 正美は世良に、
―岡野さんには専門学校時代から付き合っていた彼氏がいましたよ。
 富子が今、行方不明になってるということを世良は最初に正美に話した為か、正美は幾分か沈んだ声で言った。
「専門学校時代から付き合っていた彼氏ですか……。それ、どういった男性ですかね?」
 世良は、興味有りげに言った。
―水商売の仕事をしてるみたいです。岡野さんはその彼氏と結婚するつもりみたいですが、その彼氏の収入が安定してないので困ってるとかいうようなことを言っていましたね。
 それを聞いて、世良の眼は俄然輝いた。何故なら、今の正美の話から、富子とその彼氏が金を必要としていたという事実を入手したからだ。
 そして、その彼氏が村木の金に眼をつけ、富子に村木を事故に見せかけては殺し、村木の金を奪うように言った為に、富子はそれを実行したのかもしれない。その可能性は十分に有り得るだろう。
 それ故、世良は富子の彼氏だという男に俄然興味を抱いた。
 それで、世良は、
「その彼氏の名前なんかは分かりますかね?」
―分かりますよ。鬼頭という姓でしたね。もっとも、名前は分かりませんが。
「鬼頭さんですか。で、鬼頭さんは水商売の仕事に携わってるそうですが、具体的にどういった店で、どういった仕事をしてるのでしょうかね?」
―クラブのバーテンダーをやってたみたいですよ。
「クラブのバーテンダーですか。で、最近では、岡野さんと鬼頭さんとの関係はうまくいってたのでしょうかね?」
 と、世良が興味有りげに言うと、正美は、
―最近ですか……。
 と、言葉を濁した。
「どんな些細なことでも構いませんから、何か気付いたことがあれば、遠慮なく話してくださいな」
 世良はいかにも穏やかな口調で言った。
 すると、正美は少しの間、言葉を詰まらせたが、やがて、
―岡野さんが直に私に言ったわけではないのですが、最近は二人の関係はうまく行ってなかったのではないかと私は思いますね。
 と、神妙な表情で言った。もっとも、その正美の表情を正美と電話で話をしてる世良が眼にしたわけではなかったのだが。
「どうしてそう思われたのですかね?」 
 正美にそう言われ、世良は眼を輝かせては言った。
―二、三年前なら、岡野さんは鬼頭さんと旅行に行ったことなんかをいかにも嬉しそうに私に話したものなんですよ。ところが、最近、といっても、ここ半年位のことですが、岡野さんは鬼頭さんのことをまるで話題にしようとはしないのですよ。
 それで、私は岡野さんに、
『鬼頭さんといつ結婚するの?』
 と、三ヵ月程前にさりげなく訊いてみたのですよ。
 すると、岡野さんの表情は急に暗くなってしまい、それに関して何も話そうとはせずに、話題を別なものへと変えてしまったのですよ。そんな岡野さんを見て、私は最近、岡野さんと鬼頭さんの関係はうまく行ってないなとピンと来たというわけですよ。
 と、正美は渋面顔で言った。
 そう正美に言われ、世良は正美の思ったことは図星だと思った。即ち、最近の富子と鬼頭との関係はうまく行ってなかったというわけである。
 しかし、そのようなことを、世良たち警察がどうのこうのと言う筋合いはないであろう。
 しかし、富子の失踪が事件によるものなら、その容疑者として、鬼頭は可能性がありそうだから、富子と鬼頭との関係は大いに気になるところだ。
「で、沢野さんは、岡野さんの失踪に関して、何か心当りありませんかね?」
 そう世良が訊くと、正美は少しの間、言葉を詰まらせたが、やがて、
―特にありませんね。
 と、申し訳なさそうに言った。
「最近は、岡野さんと鬼頭さんとの関係はうまく行ってなかったようなのですが、そのことが岡野さんの失踪に関係してると、沢野さんは思いませんかね?」
―岡野さんが失踪したということは、今、初めて刑事さんから聞いて知ったのです。それ故、信じられないという状態なので、その理由はまるで分からないのです。
 と、再び申し訳なさそうに言った。
「では、昨年の六月に、岡野さんは村木藤次郎さんという高齢の男性と共に阿寒湖に行き、その時に村木さんが水死したことを、沢野さんは知ってますかね?」
―知ってますよ。
「どうして知ってるのですかね?」
―どうしてって、そういったことは、風の噂なんかで自然に耳に入って来ますからね。
 正美は、淡々とした口調で言った。
「では、そのことで沢野さんは岡野さんに何か言ったことはありますかね?」
―そりゃ、あります。
「どんなことを言ったのですかね?」
―そりゃ、村木さんって、どんな人とか、阿寒湖で水死したって、本当なのかとかいう具合です。
「そう沢野さんに言われ、岡野さんはどのように言いましたかね?」
―村木さんは岡野さんの仕事の関係で知り合ったお金持ちの老人で、気前よく岡野さんが勧めた高価な宝石を買ってくれるので、個人的に親しく付き合っていたと言ってましたね。
 そう言われれば、岡野さんと村木さんの関係がどのようなものとなっていたのかは、凡そ察知出来るので、私はそれ以上、二人の関係のことを岡野さんに訊こうとはしませんでした。
 で、阿寒湖の事故のことに関しては、村木さんは岡野さんが眼を離していた時に誤って桟橋から落ちてしまったので、岡野さんは村木さんの後を追って阿寒湖に飛び込んだのだが、うまく助けることが出来なかったと言ってましたね。
 と、正美は淡々とした口調で言った。
「そう言った岡野さんの表情とか口調に、何か引っ掛かるものを感じませんでしたかね?」
―引っ掛かるものとは?
「例えば、岡野さんはその説明に嘘をついてるように沢野さんは感じなかったかということです。つまり、そう説明した岡野さんの様に何となくぎこちなさなんかを感じなかったのかということですよ」
 と言っては、世良は小さく肯いた。
 すると、正美は、
―特にそのようなことは感じなかったですね。岡野さんのその説明は嘘だったのですかね?
「いや。そうだと決まったわけではないのですが……」
 と、世良は言うに留まった。
 そして、世良はこの辺で沢野正美に対する聞き込みを終えることにした。
 沢野正美に対して聞き込みを行なって成果があった。富子に彼氏がいたことが分かったからだ。
 それは、鬼頭辰五郎という男であった。正美は鬼頭という姓しか知らなかったが、富子のアドレス帳に鬼頭辰五郎という名前が記されていたので、鬼頭のフルネームが分かったのだ。
 そして、最近では、富子と鬼頭との関係は、うまく行ってなかったようだ。
 そのことからも、世良は富子の失踪に犯罪の臭いを嗅ぎ取った。即ち、富子は村木を殺し、一億を超える金を手にした。そして、その金を巡って、富子と鬼頭との間で亀裂が生じ、それが富子の失踪に繋がったのだ。このパターンは、犯罪事件でよく見られるのだ。
 それ故、鬼頭辰五郎という男のことは、捜査しなければならないであろう。
 だが、その時に世良に予期せぬ仕事が入ってしまった為に、鬼頭の捜査は後回しになってしまった。富子の失踪はまだ事件と確定したわけではなかったので、後回しにしろという指示が上司から出たのである。
 それで、世良が鬼頭に対する捜査に取り掛かったのは、富子の捜索願いが出されてから一ヵ月以上経ってからのことであった。

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