第五章 強かな女
富子の眼が覚めた時は、ベッドの上であった。それ故、富子はここは何処なのかと、怪訝そうな表情を浮かべた。
そんな富子に看護婦が、
「気が付きましたか」
と、いかにもほっとしたような表情を浮かべては言った。
そんな看護婦に富子は、
「ここは何処ですか?」
と、些か不安そうな表情を浮かべては言った。
「釧路市内の旭病院という病院ですよ」
そう看護婦に言われ、富子は思い出した。富子は村木を殺す為に、村木を桟橋から阿寒湖に突き落とし、そして、そんな村木の後を追うかのように富子も阿寒湖に飛び込んだ。そして、村木の息の根を止めようとしたのだが、そんな富子は何もする必要がなかった。何故なら、村木は阿寒湖に落ちてしまったことのショックの為か、あっさりと湖底に沈んでしまい、呆気なく死んでしまったかのようだったからだ。
そして、少なくとも五分位は村木が湖底に沈んだままの状態になっていたのは、確実であった。となると、村木は死んだに違いない!
富子はそう思うと、幾分か安堵したが、まだ村木の死を確認したわけではない。
それで、
「村木さんはどうなりましたかね?」
と、恐る恐る訊いた。
すると、看護婦は、
「村木さんとは、高齢の男性の方ですか?」
「ええ。そうです」
富子は眼を大きく見開き、肯いた。そんな富子の表情は真剣そのものであった。
そんな富子に看護婦は、
「お亡くなりになりました」
と、いかにも神妙な表情を浮かべては言った。
そう看護婦に言われ、富子は大いに胸を撫で下ろした。富子は富子の目的を無事に成し遂げることが出来たのだ。そう思うと、思わず表情を綻ばせるところだったが、それは何とか堪えた。
とはいうものの、別室に安置されている村木の遺体を眼にした時は、富子は号泣した。富子は本当に村木の遺体を眼にして、哀しくなったのだ。そんな富子は、村木の死には何ら関係がないかのようであった。
今や、何ら物言わぬ還らぬ人となり、ベッドに横たわってる村木を眼にして、富子は村木が横たわってるベッドに頭を押し付けては号泣した。そして、その富子の号泣はしばらくの間、続いた。
そんな富子を見て、北海道警釧路署の長沼警部補(40)は、富子が号泣してる間は言葉を発そうとはしなかった。
だが、やがて富子は落ち着いて来たようなので、長沼は富子に話し掛けた。
「一体、どうなされたというのですかね?」
と、些か険しい表情を浮かべては言った。
「村木さんが桟橋から阿寒湖に足を踏み外して落ちてしまったのです。それで、私は村木さんを助けようと思い、阿寒湖に飛び込んだのですが、うまく助けることが出来なかったのです。何しろ、その辺りは私の足が届かなかったので、危うく私も溺れそうになったのです」
と、富子は正にその時の恐怖を思い出すかのように、引き攣った表情と口調で言った。
その富子の説明に納得したのか、長沼は、
「そういうわけだったのですか」
と、いかにも災難に見舞われて気の毒であったと言わんばかりに言った。そして、
「この方は、岡野さんの祖父ですか?」
と、いかにも神妙な表情を浮かべては言った。
すると、富子は長沼から眼を逸らしながら、頭を振った。
すると、長沼は眉を顰めた。何故なら、その老人はてっきり富子の祖父だと思っていたからだ。
となると、父親か?
しかし、父親とすれば、年齢的に隔たりが有り過ぎるのではないのか? それに父親のことを「村木さん」とは呼ばないであろう。それで、
「では、どういった関係なのですかね?」
と、眉を顰めては訊いた。
そのように長沼に言われると、富子は十秒程言葉を詰まらせたが、やがて言葉を発した。
「知人なんです」
「知人ですか……」
と、長沼は呟くように言った。
とはいうものの、そのように言われたからには、それ以上の関係を詮索するのは野暮というものであろう。
そう思った長沼は、その点に関して富子にそれ以上問おうとはしなかった。そのようなことは、長沼たち警察にとってみれば、どうでもよいと思われたからだ。
そして、村木の死は早々と水死であることが明らかとなり、また、長沼たち警察は富子の説明を何ら疑うことなく、村木の死は事故死であるということがあっさりと確定したのであった。