4 思わぬ悲劇
その結果、真美の部屋の家宅捜索の令状が出たので、直ちに鳴海は鑑識の長沼(52)を連れて翌日、再び真美の部屋を訪れた。
そして、真美に真美の部屋の家宅捜索の令状が出てるという旨を話した。
すると、真美は呆気に取られたような表情を浮かべた。そんな真美は、正に今の鳴海の言葉は、寝耳に水であったと言わんばかりであった。
だが、真美がいくら文句を言っても、どうにもならなかった。そして、鳴海は長沼と共に真美宅に入っては、早速長沼が真美の部屋の捜査に取り掛かった。
真美の部屋といっても、六畳の洋室と四畳半の和室に、四畳半程のキッチンの2DKだったので、そんな真美の部屋の捜査にはさ程時間は掛からないと思われた。
また、隣室の田中から、真美の悲鳴が聞こえたのは、六畳の洋室であるという証言を事前に得てるので、捜査は一層長くは掛からないと思われた。
それはともかく、長沼はそのフローリングの床に這いつくばってはルーペを手に、入念に何か異常はないかと、調べていた。真美は、そんな長沼の様をいかにも不安そうな表情を浮かべながら、見入っていた。
そんな長沼は程なく何やら異常を眼に留めたらしく、すかさずその場所にルミノール液を垂らした。
すると、程なくルミノール反応が出た。即ち、その部分に血液反応がみられたというわけだ。
また、そのルミノール反応が見られたのは、その部分だけではなかった。その辺りのあちこちで見られたのである。それは、正に辺りに血が飛び散ったということを示していた。
それで、長沼はその旨を真美に説明した。
すると、真美は些か顔を赤らめては、少しの間、言葉を詰まらせたが、やがて、
「ですから、以前、私は包丁で手を切ってしまったのですよ。それで絆創膏を出そうとしたんですよ。絆創膏はクロゼットの中に仕舞ってありますからね」
すると、長沼は、
「では、手を切った時の血が、この辺りに飛び散ったということですかね?」
と、真美の顔をまじまじと見やっては、いかにも納得が出来ないように言った。
「ですから、その時、足を挫いてしまったのですよ。それで、四つん這いになって、この床の上を動いたのですよ。ですから、色んな所に血が付いてしまったのですよ」
と、真美は些か顔を赤らめては言った。
そう言われ、長沼も鳴海も言葉を詰まらせた。その真美の言葉が真実である可能性が全くないとは思えなかったからだ。
それで、その血液が本当に真美のものなのか、あるいは、岩本のものなのか、調べてみることにした。
そして、その結果が出るのは一週間後であったのだが、その前に思ってもみなかった異変が起こってしまった。そして、それは、正に鳴海たちの油断であった。何故なら、真美が真美の部屋の中でガス自殺してしまったからだ。そんな真美の部屋の異変に気付いたのは、隣室の田中であった、田中は真美の部屋からガスの臭いが洩れて来てるのに気付き、管理人に素早く知らせた。
それを受けて、管理人の佐藤五郎(70)は直ちに真美の部屋の鍵を開け、中に入ったのだが、すると、部屋の中は、ガスの臭いで充満していた。
それで、佐藤は素早く窓を開けたが、キッチンには、真美が大の字になって横たわっていた。
それで、佐藤は素早く真美を抱き抱えたが、その時、佐藤は事の次第を理解した。何故なら、真美の身体には硬直が見られ、また、既に冷たくなっていたからだ。
そして、程なく鳴海が部屋の中に姿を見せた。田中が鳴海に連絡をしたのだ。
また、真美の傍らには、白い封筒が置かれていた。
それは、どうやら遺書のようであった。
それで、鳴海は直ちにその中に入っていた便箋に書かれていた文を読んでみることにした。
〈警察の方へ
やはり、私は嘘をついていました。私は度々刑事さんから岩本という男が私の部屋に侵入し、私に乱暴しようとしたので、私が抵抗し、岩本を殺したのではないかと指摘されたのですが、実のところ、それは事実なのです。つまり、私は嘘をついていたというわけですよ。
もっとも、私は岩本とは何ら知人関係にはなかったので、私の犯行は隠し通せると思っていました。それ故、何故警察が私の犯行だと見抜いたのか、私は正に警察の捜査力に舌を巻いてしまったのですが、まあ、私の部屋に岩本の血が残っていたこと証明されてしまえば、私はもう誤魔化せないでしょう。つまり、私は刑事さんの察し通り、岩本をナイフで刺し、その結果、岩本は死んでしまったのです。
この私が予想もしてなかった災難を受けて、私の遺された手段は、もはや、自殺しかないのです。いくら正当防衛といえども、人殺しの汚名を背負って生きて行くのは、私には堪えられないのです。
で、私は息絶えた岩本の顔をまじまじと見やったのですが、やはり、岩本が何処の誰なのかは、てんで分かりませんでした。つまり、私の知らない人だったのですよ。
ところが、刑事さんの説明を聞いて、それが誰なのか分かったというわけですよ。
しかし、私は、岩本のことが今、憎くて仕方ありません。岩本さえ、私の部屋にやって来なければ、こんな悲惨な出来事は発生しなくて済んだ訳ですからね。
で、岩本の死体は、旭岳ロープウェイ乗場近くの雑木林の中に埋めました。埋めた場所を示す地図も遺しておきますから、後で岩本を見付け出し、私の証言が嘘でないことを証明してください。
また、岩本が乗っていたカローラを旭岳ロープウェイ乗場近くの駐車場に遺棄したのは、私です。何故そのようなことをしたかは、岩本が旭岳周辺の山で遭難したと思わせる為ですよ。
しかし、その私の偽装工作は見事に見破られてしまったみたいですね。
外山真美 〉
「やはり、我々の油断だったな」
と、鳴海はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
「と言われると?」
と、萩原刑事。
「だから、外山さんを自殺させてしまったことだよ」
と言っては、鳴海は項垂れた。
「確かに警部の言われる通りかもしれませんね」
と、萩原刑事も項垂れた。
そういった遣り取りを交わしていたが、岩本の事件がまだ解決したわけではない。岩本の遺体はまだ見付かっていないからだ。
それで、真美の遺した遺書に基づいて、岩本の遺体が埋められてるという旭岳ロープウェイ近くの雑木林に向かうことにした。
とはいうものの、地図に単に記しが付けてあっただけでは、果して詳細な場所が分かる筈はなかった。案の定、その辺りを警察犬を使って調べてみたのだが、三日掛かっても、岩本の遺体を見付け出すことは出来なかった。
岩本の遺体捜しに携わってる捜査員たちの中には、次第に不満の声を上げる者も続出して来た。
そんな状況に、鳴海の表情は一層険しいものへと、変貌してしまった。何しろ、岩本の遺体を見付け出さない限り、事件は解決には至らないのだ。
それ故、鳴海自身も、不満を述べる有様であった。地図に記しが付けてあるだけでは、範囲が広すぎ、それは正に何キロも続く砂浜からパチンコ玉を見付け出すみたいなものだという具合に。
そんな状況に直面して、萩原刑事は、
「僕には、どうも引っ掛かることがあるのですがね」
と、眉を顰めては言った。
「引っ掛かること? それ、どういうことかい?」
鳴海は眉を顰めては言った。
「僕は外山さんの友人たちに聞き込みをしたのですがね。
それによると、外山さんは綺麗な割には気が強い性格でして、もし、正当防衛で人を殺したとしても、自殺はしないのではないかと言うのですよ。こういった意見がかなりあったのですよ」
と、萩原刑事は眼をキラリと光らせては言った。そして、
「それに、僕は外山さんの遺書に記されていた筆跡と外山さんの部屋で見付けた外山さんが書いた筆跡とを比べてみたのですがね。
すると、何となく違うような気がするのですよ」
と、渋面顔で言った。
そう萩原刑事に言われると、鳴海も渋面顔を浮かべては、
「それ、本当かい?」
「そりゃ、僕は専門家ではないですから、絶対にそうだとは断言は出来ません。でも、そのような印象を受けましたね」
と言っては、萩原刑事は小さく肯いた。
その萩原刑事の言葉を受けて、鳴海もノートに書かれていた真美の筆跡と遺書の筆跡とを比べてみた。
すると、鳴海も何となく違うような気がした。
それで、直ちに筆跡鑑定の専門家である田村耕平に鑑定してもらうことにした。
そして、その間は、岩本の遺体捜しは中断することになった。
そして、やがて、筆跡鑑定の結果が出た。
そして、その結果はやはり、予想通りであった。
即ち、真美の遺書は真美ではなく、別人の手によって記されたと断定出来るという結論が出たのである!
その結果を受けて、鳴海の脳裏には〈これはえらいことになったぞ!〉という思いが駆け巡った。真美が岩本を正当防衛の結果、死に至らしめて真美が自殺してしまったで、岩本の事件は解決したと思っていたのに、事件の真相はどうやら別方向にあるということになって来そうな雲行きとなって来たからだ。
それで、鳴海は渋面顔を浮かべては、言葉を詰まらせてしまったのだが、そんな鳴海に田村は、
「恐らく、その人物は、筆跡を真似るのが、とても得意だったみたいですね。とてもよく似てましたからね。でも、完璧に真似ることは出来ませんよ」
と、力強い口調で言った。