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襟裳岬は、日高山脈の南端に位置し、岩礁が沖合い七キロまで連なっている。また、沖合いで暖流と還流がぶつかり、濃霧が発生し易く、また、風が強いことでも知られている。また、森進一が唄った「襟裳岬」が昭和48年、第十六回日本レコード大賞を受賞し、「襟裳岬」は一躍有名となった。
それはともかく、長田和義(52)が訪れたその日は、濃霧は全くの無縁の快晴であり、周辺が濃霧に覆われる日が多いなんて、初めて襟裳岬を訪れた長田にとってみれば、信じられない位であった。
しかし、襟裳岬の駐車場に車を停め、一歩車外に踏み出すと、確かに風が強いことを実感させられた。
そして、風の館を横目に更に岬に近付こうとすると、風の強さを一層実感させられた。正に、風が唸るという表現がぴったりのようであった。
そんな状況ではあったが、岬の先端にまで行くには、階段をかなり降りて、百メートル位は歩かなければならないようであった。
しかし、折角襟裳岬にまで来たからには、岬の先端まで行かないと後悔すると思った長田は、とにかく岬先端に続く階段を降り、一歩一歩歩みを進めることにした。
そして、程なく襟裳岬の先端に着いた。
そこには、岩礁を写真撮影してる人や、ただ何もせず風に身を任せては佇んでいる人たちの姿が見られた。その数は、総勢七人であった。
長田としては、岬先端に佇み、辺りを見回してみたが、さ程感動といったものは感じなかった。襟裳岬の景観は格別に素晴らしいという程のものではなかったからだ。その有名さに比例して、強烈なインパクトを与えるのではないかと、事前に予想はしていたものの、そうではなかったというわけだ。
ただ、風の強さは評判通りであり、長田が今まで訪れた観光スポットの中では、最も強いと思った。
そのように思いながら、長田は元来た道を戻り始めたのだが、ふと海から屹立してる断崖下を眼にしたところ、忽ち強張った表情を浮かべた。というのは、正にとんでもないものを眼に留めてしまったからだ。
それは、人間だ。高齢の女性と思われる人間が、浜の岩礁の傍らに不自然な恰好で横たわっているのを眼に留めてしまったのだ。一見人形のように見えないこともないのだが、視力が両眼とも1・2の長田は、あれは人間の可能性が極めて高いと看做した。
それで、この異変を風の館の係員に知らせた。
それを受けて、係員は長田と共に、長田が眼にした場所にまで早足で行き、そして、係員は双眼鏡で確認してみたところ、係員も人間である可能性が高いと看做した。そして、これによって、110番通報がなされた。
それを受けて、浦河署の警官が三名、現場に駆けつけた。
そして、係員と同じく、双眼鏡で確認してみたところ、確かに人間である可能性が高いと看做した。
だが、その場所まで断崖を降りて行くのは不可能であった。
それで、浦河署の依頼を受け、浦河海上保安署の巡視艇で海上から現場に近付き、浦河海上保安署員がそれを陸揚げすることにした。
そして、その作業は、長田がそれを発見してから二時間後に完了したのだが、それは確かに人間であった。七十から八十位の老婆の遺体が、何故か襟裳岬の断崖下で見付かったのである。
老婆の遺体は解剖されることが決まった。というのは、そのような場所で発見されたからには、事件性があったからだ。
そして、程なく解剖結果が出た。
死因は、脳挫傷であった。
また、死亡推定時刻も明らかになった。
それは、昨日、即ち、十月二十五日の午後二時から三時頃の間であった。ということは、老婆は昨日の午後二時から三時頃、襟裳岬の遊歩道から足を踏み外し、断崖下にまで落下し死亡したというのか?
昨日は今日と同様、快晴であった。
それ故、もし、老婆がそのような事故に見舞われたのなら、その事故に関する情報が警察に寄せられてよい筈なのに、今のところ、そのような情報は何ら寄せられていなかった。また、もしそうなら、老婆の連れは何故老婆の事故を警察に報告しなかったのだろうか? それとも、老婆は一人で襟裳岬に来たとでもいうのだろうか? もしそうなら、どういった手段で襟裳岬にまで来たというのだろうか?
正に、謎だらけなのだが、その謎も老婆の身元が分かれば、明らかになるであろう。
浦河署の竹之内正敏警部補(45)はそう思っていたのだが、程なく老婆の身元が明らかになった。というのは、老婆と思われる人物の問い合わせが警察に入り、その人物の年齢とか人相風体などが、襟裳岬断崖下で見付かった老婆に似ていたので、その老婆の息子である倉吉正成が浦河町内の病院にやって来ては、老婆の遺体と対面し、その結果、老婆の身元が明らかになったのだ。
老婆は、浦河町内に住んでいた倉吉豊子(77)であったのだ。
それで、竹之内警部補は早速正成に豊子の遺体が見付かった状況を改めて話し、
「どうして、豊子さんは襟裳岬の断崖下で見付かったのでしょうかね?」
と、いかにも納得が出来ないように言った。
すると、正成もいかにも納得が出来ないような表情を浮かべては、
「全く分かりませんね」
と言っては、首を傾げた。
「つまり、豊子さんは一人で襟裳岬にやって来たということではないのですかね?」
と、竹之内は眉を顰めては言った。
「それは絶対にありません。母さんは車の運転は出来ませんからね」
と、正成は吐き捨てるかのように言った。
そう正成に言われ、竹之内は唇を歪めた。
というのは、豊子が一人で襟裳岬にやって来たのではないとなると、豊子事故説は誤った推理となるからだ。
今までは、豊子は一人で襟裳岬にやって来ては足を踏み外したりして断崖下に落下し、死亡したという可能性があると推理していたのだが、その推理はどうやら誤った推理であったということになるのだ。
それで、竹之内は、
「誰かと共に、襟裳岬に来たのでしょかね?」
と、その可能性も否定出来ないので、そのように訊いた。
すると、正成は、
「それもないと思いますね。母さんはそのようなことを言ってなかったですからね」
と言っては、唇を噛み締めた。
すると、竹之内は言葉を詰まらせた。
今までの正成の証言から、どうやら豊子は、一人では無論、誰かと共に襟裳岬にまでやって来たという可能性はなさそうだ。
となると、考えられるのは、豊子は襟裳岬以外の場所で死に、そして、その遺体を襟裳岬で断崖下に投げ捨てられたということだ。その可能性がどうやら最も高そうだ。
そう思った竹之内は、その思いを正成に話した。
すると、正成は、
「その可能性が高そうですね」
と言っては、小さく肯いた。
そんな正成は、
「母さんの死因をもう一度説明してもらえないですかね?」
と言っては、眉を顰めた。
「ですから、脳挫傷なんですよ。頭を鈍器のようなもので殴打された為に死んだというわけですよ。
もっとも、肋骨や右足も骨折していました。更に、身体の至る所に打撲痕があったことから、豊子さんは襟裳岬から断崖下に落下した可能性は間違いないと思われます。しかし、落下した時に生きていたのか、死んでいたのかはまだ明らかになっていませんでした。
しかし、倉吉さんの証言から、どうやら豊子さんは死亡してから、その遺体を断崖下に投げ捨てられたみたいですね」
と、竹之内は険しい表情で言っては、小さく肯いた。
そう竹之内に言われると、正成は、
「僕もそう思いますよ」
と、竹之内に相槌を打つかのように言った。
すると、竹之内は小さく肯き、
「もしそうなら、豊子さんは何者かに殺されたか、あるいは、事故死ということが考えられますが、豊子さんを恨んでるような人物に心当たりありますかね?」
と、正成の顔をまじまじと見やっては言った。
すると、正成は、
「とんでもない!」
と、竹之内の言葉を即座に否定した。
「つまり、殺されてから、襟裳岬に遺棄された可能性は、全く考えられないというわけですかね?」
「勿論そうですよ! 大体、頭が少しボケかけてた母さんを誰が恨むというのですか! そのような人物は、この世に誰もいませんよ! それ故、母さんが何者かに殺されたという可能性は絶対にないと思います!」
と言っては、正成は大きく肯いた。
「となると、事故死、ですか」
と、竹之内は呟くように言った。
「僕もその可能性が高いと思いますが、事故死だとしたら、どういった事故死が有り得るのですかね?」
と、正成は、眼を爛々と輝かせては言った。
「そりゃ、轢き逃げが最も可能性が高いと思いますね」
と、竹之内は言っては小さく肯いた。
すると、正成は、
「それですよ! それ!」
と、甲高い声で言った。そして、
「先程も言ったように、母さんは頭が少しボケかけていたのですよ。それ故、軽率にも道路に飛び出してしまったのかもしれません。そして、車に撥ねられてしまったのかもしれません。
で、その場所が人気の無い場所なら、母さんを撥ねた車の運転手は、母さんを撥ねたことを闇に葬ろうとしたのかもしれません!」
と、正成はいかにも力強い口調で言った。そんな正成は、正に豊子の死の真相はそうに違いないと言わんばかりであった。
そんな正成に、竹之内は、
「確かにその可能性はありそうですね」
ということになり、再び豊子が身に付けていた衣服を更に鑑定してみることにした。
すると、成果があった。
豊子が身に付けていたカーディガンに、車の塗膜片と思われるものが、僅かではあるが、付着していたことが明らかになったからだ。
それで、その塗膜片から、車種の特定が行なわれることになった。
すると、程なくそれが明らかになった。
それは、日産のマーチだったのだ!
即ち、豊子は日産のシルバーのマーチによって撥ねられ死亡したことが、この時点で明らかになったのだ!
そして、その犯人は、豊子の死の真相を闇に葬る為に、襟裳岬の断崖下に遺棄したのだ!
だが、警察はその犯人の思いを粉砕したのである!