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野生の猿を餌付けしては見世物にし、観光資源にしてる観光地は少なからずある。例えば、信州の地獄谷野苑、日光の猿軍団、阿蘇の猿回し劇場という具合だ。
そして、伊豆西海岸にある波勝崎にも、猿を見世物にした施設はある。
即ち、その辺りに生息していた猿を餌付けしては、お金を取り観光客に見世物にしたというわけだ。
さて、西条悟(56)、真由美(52)夫妻はこの度、悟が予定外の休暇を取れたということもあり、伊豆半島巡りをすることにした。西条夫妻は東京に住んでることから、これまでも度々伊豆半島に行ってるのだから、折角取れた予定外の休暇はもっと別の観光地に行った方が良いのではないかと思う人もいるかもしれないが、西条夫妻に言わせればそうではなかった。
というのは、西条夫妻の出身は札幌であり、昨年、札幌から東京に転勤して来たばかりだ。そして、そんな西条夫妻の関東での暮らしは、まだ一年経った位に過ぎなかったのである。
そんな具合であったから、西条夫妻は、今までに伊豆半島に一度も行ったことはなかったのである。
それ故、西条夫妻はかねがね伊豆半島に行ってみたいと思っていたのだ。
といっても、東京から車で向かったわけではなかった。西条夫妻がもしマイカーを持っていれば、東京からマイカーで伊豆半島に向かったであろうが、西条夫妻はマイカーを持っていなかったので、踊り子号で伊豆高原駅まで行き、伊豆高原駅でレンタカーを借りて、伊豆半島巡りを行なうことになったのだ。
そんな西条夫妻に今夜の宿泊先のホテルは、堂ヶ島温泉のGホテルであった。
そして、午後六時半頃までにはGホテルに着く予定であった。というのは、六月という季節柄、陽が暮れるのは七時頃だった。それ故、六時半頃まで、ホテルに着こうと思ってたのだ。
また、今日中に伊豆高原のレンタカー営業所にレンタカーを返車しなくてよいので、余裕を持って旅をすることが出来るというものだ。
それ故、まず今井浜海岸から、伊豆白浜、弓ヶ浜、石廊崎と、伊豆東海岸の主だった観光地を巡り、そして、今日最後のスポットは波勝崎となった。
波勝崎へは、石廊崎から車で三十分程とのことだが、石廊崎から波勝崎へ向かう道は、なかなかの景色であったので、西条夫妻は車をゆっくりとした速度で走らせ、そして、波勝崎へと向かう細い道に折れたのは、午後四時頃であった。
今日はウィークディで、また、既に四時を少し過ぎたということから、波勝崎へ向かう道は全くといっていい位、擦れ違う車、西条夫妻の前を走ってる車は見られなかった。それ故、今、西条夫妻が走ってる道が伊豆西海岸の主だった観光地の一つである波勝崎に向かう道なのかと思う位であった。
とはいうものの、きちんと標識を確認して左に折れたということと、また、道が下りになってることから、海岸に向かってることは間違いないと思われ、波勝崎に向かう道を走ってることは間違いないと悟は思った。
そして、西条夫妻は他愛のない会話を交わしていたのだが、後少しで波勝崎に着くと確信した。というのは、道路沿いに猿が二匹、三匹と見られるようになったからだ。何しろ、波勝崎の呼び物は猿だ。猿が見られなければ、波勝崎に観光客はあまり訪れないというものだろう。
そして、道路を進むに連れて、猿の数はますます増えてきた。道路で寝そべってる大柄な猿も見られれば、親子連れの猿など、正にこの辺りは猿の生息地であることを一層目の当りにしてしまうという感じであった。
それで、この辺で一旦車を停め、猿の写真でも撮ってみようかということになった。
悟は車を路肩に停め、真由美と共にガードレール沿いに屯してる猿に近付いて行った。そして、西条夫妻が近付いて行った猿は、親子連れの猿であった。
とはいうものの、猿とはなるべく眼を合わせないようにした。猿は眼を合わせられるのを嫌うということを悟は聞いたことがあったので、そうしようと思ったのだ。そして、無論、そのことを悟は真由美に説明した。
それはともかく、何気ない素振りで西条夫妻は猿に近付いて行った為か、また、人間慣れしてる為か、その親子連れの猿は、まるで西条夫妻から逃げようとはしなかった。
とはいうものの、ある程度距離を置いて悟は猿にカメラを向け、五枚程その親子連れの猿の写真を撮った。すると、今度はその親子連れの猿から少し離れたところにいるガードレール近くで寝転がってる猿の写真を撮ろうと思い、西条夫妻はガードレールに沿って、その猿にゆっくりと近付いて行ったのだが、すると、真由美は、
「あなた!」
と、まるで引き攣ったような声で言った。
その只ならぬ真由美の声を耳にし、悟の表情は忽ち真剣なものへと変貌し、そして、
「どうしたんだ?」
と、真由美を見やっては言った。
すると、真由美は、
「あれを見て!」
と、引き攣った表情で、ガードレールの向こう側を指差した。
それで、悟は真由美が指差した方に眼をやった。
すると、悟は忽ち眉を顰めた。
というのは、ガードレールから五メートル程離れた山裾に人間が横たわっていたからだ。そして、その様は尋常ではなかった。何故なら不自然な恰好で横たわっていたからだ。正に、その様からすると、その人間はとても生きてるようには見えなかった。その様を目の当りにして、西条夫妻は正に強張った表情を浮かべざるを得なかった。
とはいうものの、この尋常ならぬ事態に直面して、このままその人間を置き去りには出来ないというものだ。
それで、悟はとにかく、ガードレールを跨ぎ、その人物、即ち、五十位の男性に近付いて行った。そして、その男性を抱え上げて、声を掛けようとしたのだが、忽ち、悟は抱え上げようとした男性を放してしまった。というのは、胸の辺りが血で赤黒く染まっていたからだ。その様からして、男性はこの胸から流れ出た血で息絶えたに違いない!
そう理解した悟は、とにかく、男性をそのままにしては、真由美の許に戻り、事の次第を話した。
すると、真由美は、
「それは大変ね」
と、正に強張った表情で言った。そして、
「でも、どうして、こんな場所で死んだのかしら」
そう真由美に言われても、悟は返す言葉はなかった。悟はその真由美の問いに対する返答が出来なかったからだ。
だが、警察に知らせなければならないので、とにかく波勝崎に行くことにした。波勝崎には公衆電話はあるだろうし、また、波勝崎には観光施設の係員がいるに違いないからだ。
それで、西条夫妻はとにかく、波勝崎にまで車を走らせた。そして、僅かの時間で波勝崎に着くことが出来た。
そして、駐車場に着き、車から降りると、係員が近付いて来た。
それで、悟はとにかく事の次第を話した。
すると、その五十の半ば位の係員は、
「それ、本当ですかね?」
と、半信半疑の表情で言った。
「本当です! 僕は実際にもその男性を抱き抱えたのですから!」
と、悟は強張った表情で、そして、甲高い声で言った。
そんな悟の様を見て、どうやら係員は悟の言い分を信じたようだった。
それで、とにかく、その猿苑の車で、係員が運転し、悟と真由美もその車に同乗し、その男性の許に戻ることになったのだ。
とはいうものの、その場所を正確に悟も真由美も覚えていたわけではなかった。何しろ、二人共、波勝崎に来るのは初めての経験であったのだから。
そして、これが推理小説なら、西条夫妻が眼にした死体が何処かに消えてしまい、西条夫妻の話が出鱈目と看做され、係員から苦情を言われるという場面も描かれてることだろう。
そういったこともその係員、即ち、前田五郎(55)は念頭に入れていた為に、110番通報するのは、その死体を前田が確認してからという旨を西条夫妻に話した。
そんな前田の言い分に、西条夫妻は何ら異議を申し立てずに、とにかく、男性の許に戻ろうということになった。
そして、悟も真由美もまるで眼をさらのようにしては、ガードレール越しの光景に眼を光らせていた為か、やがて、その男性を見付けることが出来た。そして、前田も確かにその男性を眼に留めた。
それで、前田は車をガードレール際に停めては、車外に出た。
そして、ガードレールを跨いでは、その男性に近付いて行った。そして、悟のように、その男性を抱き抱えようとしたのだが、すると、前田の表情は忽ち強張った。前田は悟のように、その男性の胸から流れ出た血を眼に留めたからだ。
また、その男性が体温は感じられず、また、その顔は死顔そのものであった。
それらのことから、その男性の死を前田は確認した。
それで、とにかく猿苑にまで戻っては、前田が110番通報したのであった。
前田からの110番通報を受け、静岡県警下田署の警官が直ちに現場に急行することとなった。
といっても、男性の死体が見付かった場所は、かなり辺鄙な場所であった為に、現場に警官が着くには少し時間が掛かるという説明があった。
とはいうものの、西条夫妻も警官に立ち会ってくれと言われたので、西条夫妻も現場に待機することとなった。
そして、前田が電話をして三十分程でパトカーが現場に着いた。
それで、西条夫妻は男性を発見した時の経緯を逐一、その制服姿の警官、即ち、青山昇警部補(40)に話した。
青山はそんな悟の説明を逐一メモした。
そして、やがて、救急車が現場に到着した。そして、その頃、西条夫妻はもうこの場を後にして構わないと青山に言われたので、この時点で西条夫妻はこの場を後にすることにした。
とはいうものの、波勝崎の猿見物はもう今の時間からでは無理であった。猿苑の営業時間は後僅かしかなかったからだ。
それで、西条夫妻はやむを得ず、西条夫妻の宿泊先である堂ヶ島温泉に向かったのであった。