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さて、困った。
片山の事件は、長崎の自供と状況証拠などから、長崎で決まりで問題はないであろう。
だが、森幹夫の事件は、長崎が犯人であることを頑なに認めないのである。
そりゃ、過失致死と、殺人では罪の重さが違う。
それ故、長崎は森の死に無関係を主張するのかもしれない。それ故、そんな長崎の主張を崩すには、有力な証拠が必要となろう。
だが、そのような証拠は今のところ、入手出来てはいない。
とはいうものの、森の部屋に長崎の車のナンバーのメモ書きがあったことから、森の事件は十中八、九、長崎の仕業であろう。
しかし、森はいかにしてナンバープレートから長崎の存在を突き止めたのだろうか? その点はまだ明らかになっていなかった。
そこで、まず、森が長崎にコンタクトを取ったという証拠を摑もうとした。
森は片山の事件をねたに長崎をゆすったのに違いない。それ故、森は長崎に電話をしたか、あるいは、長崎宅を訪れたかしたに違いないのだ。
それ故、長崎宅の卓上電話や携帯電話、更に、玄関扉なんかに、森の痕跡が残っていないかの捜査が行なわれた。
だが、成果は得られなかった。
その結果を受けて、高橋は、
「困ったな……」
と、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
その高橋の言葉を聞いて、高橋と共に捜査に携わってる前川刑事(28)は、
「森さんは土肥の瀬名さんから二十万借りた翌日に、その二十万を返せるということを瀬名さんに仄めかしたのです。それ故、森さんが摑んだ金蔓は伊豆での出来事、即ち、片山さんの事件に違いないのです!」
「確かにそうだ」
「にもかかわらず、森さんの事件では、長崎さんは頑なに関わりを否定してます。それは、正に往生際が悪いというものですよ」
「だから、過失致死と殺人では罪の重さがが違うから、森さんの事件では頑なに否定してるのさ」
と、高橋はそうに違いないと言わんばかりに言った。
「でも、証拠がなければ、どうにもなりませんからね。ですから、別の線で捜査してみてはどうですかね」
「別の線か」
「そうです。つまり、長崎さん以外の人物が森さんを殺したということですよ」
「でも、そのようなことが有り得るかな」
と、森の事件も長崎の犯行に違いないと確信してる高橋は、そのような捜査は無駄だと言わんばかりに言った。
とはいうものの、思ってもみなかった人物が犯人であったという事件は、これまでに枚挙に暇がないので、とにかく、一旦、長崎以外が犯人であったことを想定して、捜査を進めてみることにした。
そして、まず六月十日の森の足取りを捜査してみることにした。瀬名によると、森は六月十日に三島でレンタカーを借りたとのことだ。その点からまず確認してみることにした。
すると、それはすぐに確認出来た。森は三島駅近くにあるNレンタカーでマーチを借りたことが分かったのだ。そして、その時の森の走行距離は三百キロ程であった。ということは、森は石廊崎辺りにまで行った可能性は十分にある。また、その時に波勝崎をも訪れた可能性も十分に有り得るだろう。
となると、やはり、森が長崎の事件を偶然に目撃した可能性は十分に有り得るだろう。何しろ、森の部屋の物入れの引出しには、長崎のデミオのナンバーのメモ書きがあったのだから。にもかかわらず、長崎以外の人物が森を殺したという可能性は有り得るだろうか?
その問いに対する返答を見出すのは、正にポアロのような思考を用いなければならないであろう。
そして、程無く次の捜査方針が見付かった。
それは、瀬名の証言を確認してみることだ。瀬名によると、瀬名と森は高校時代の同級生で、瀬名は森に恩があるとのことだ。そして、その証言が正しいのか、まず確認してみることにした。そして、その捜査はさ程むずかしいものではなかった。森の父親から森が卒業した高校名を聞き出し、森の同級生だった者に聞き込みを行なえばよいのだから。
そして、高橋は電話ではあるが、その捜査を行なってみた。
すると、その裏は確かに取れた。
即ち、その点に関しては、瀬名は嘘をついてなかったというわけだ。
次に瀬名に森がお金を頻繁に無心していたかの裏を取ろうとした。その証言は瀬名が行なっただけで、瀬名以外の者からの裏付けがあったわけではないのだ。
それ故、森と親しかったものを見付け出し、聞き込みを行なってみなければならないだろう。
そして、その捜査を森の同級生だった者に聞き込みを行なってみた。
だが、森と今も親しくしていたという人物は見付からなかった。森は社会人になってからも、一匹狼的人物であったみたいだ。
だが、瀬名と親しくしていた人物が見付かった。その人物は田中と名乗ったが、田中は意外な証言を行なったのである。
―瀬名さんは随分森君のことを迷惑がっていましたね。
「それは、どういうことですかね?」
高橋は興味有りげに言った。
―いくら高校時代に恩があったからといって、社会人になってからも金を無心に来るなんて、そんなのおかしいですよ。それに、もう今までに森君に三百万程渡したらしいですよ。勿論、その三百万は返してはもらえませんよ。それ故、瀬名君は森君のことを疫病神とか言ってましたよ。
「疫病神ですか……」
―そうです。厄病神です。
そう田中に言われ、高橋は眉を顰めた。何故なら、瀬名は森に対して、そのような反感を持っていたことはまるで高橋は仄めかさなかったからだ。
そして、その点に関しては、高橋は大いに気になった。
そして、この辺で田中への聞き込みを終えることにした。
田中に聞き込みを行なって、かなり成果があったと高橋は思った。というのは、瀬名が森のことを疎んじていたらしいからだ。となると……。
その事実を目の当りにして、何だか、森の事件は当初推理していたのとはかなり違った結末を迎えそうな雲行きとなって来た。
即ち、森を殺した犯人として、この時点で瀬名が浮上したのだ。
そして、その動機は森の存在が鬱陶しくなった為だ。森は高校時代の恩に突け込んで何かと瀬名に金を無心に来る。瀬名としてもあっさりと断れない。
それで、遂にかっとして、事に及んだというわけだ。
では、そんな瀬名が何故森の事件で敢えて森に関する情報を警察に提供したのか?
その点は些か納得が出来ないものが存在しているが、しかし、いずれ、警察は瀬名に疑いを持つということも有り得る。それ故、先手を打って、森の事件に対する疑いを払拭してやろうという思いが働いても不思議ではない。
その可能性は否定出来ないであろう。
そして、森の死亡推定時刻、即ち、六月十七日の瀬名のアリバイを確認してみることにした。
そして、その点を瀬名が働いてる土肥のホテルで問合せてみたところ、その日、瀬名は休暇であったことがあっさりと確認されたのである!
この時点で、森殺しの容疑者として、一気に瀬名博之が浮上するに至った。
瀬名は学生時代の恩を口実に、瀬名に金を無心する森に常々不満を抱いていた。だが、森の無心は一向に止みそうもない。
そんな折に、瀬名は森が金蔓を摑んだという情報を入手した。
それ故、この時がチャンスとばかりに、その金蔓が森を殺したと世間を欺き、森殺しを実行したのである。森とて、まさか瀬名が森を殺そうとしていたなんて、夢にも思っていなかったであろう。それ故、瀬名のことを無警戒であったであろう。それ故、瀬名とて、森を殺り易かったというものだ。
そして、森の事件の真相は、正にこれに違いない!
高橋はそう確信したものの、今の時点ではその裏付けはまるで出来ていない。まだ、推理と状況証拠しかない段階なのだ。
これでは、瀬名を森殺しの容疑で逮捕することは出来ないであろう。
それで、もう一度、瀬名に会って話を聴いてみることにした。