9

 長崎四郎宅の二軒隣の橋本喬の証言により、どうやら森の事件は解決に至りそうだ。また、森の事件だけでなく、六月十日に起こった片山正臣の事件も解決しそうな塩梅となって来た。 
 下田で自転車販売業を営んでいる片山正臣は、六月十日に波勝崎で変死体で発見された。そんな片山は、胸を弓かボーガンのようなもので射たれた結果の死であった。
 そして、その死は猟奇的で、また、犯人に関して推測すら出来ない状態であった。
 しかし、その動機は正に思ってもみなかった偶然の事故と思われる結果、もたらされたのだ。
 そして、今や片山の死は事故によるものではなく、事件によるものと、変容を遂げたのだが、その事件は正に起こるべくして起こったと言わざるを得ないであろう。何しろ、人間を獲物と間違え、人間によって撃たれ死亡するという狩猟における誤射の事故は、跡を絶たないのである。そして、片山の事故もその種の事故だったというわけだ。何しろ、長崎が片山を故意に死に至らしめたという可能性は殆んど零と思われるのだから。
 そして、その場面を偶然、眼にした森は、長崎の車のナンバーを元に、長崎のことを突き止め、口止め料をせしめようとしたのだ。だが、長崎はそんな、森に屈せずに、森を殺したのだ。
 これが、波勝崎の長崎の誤射に端を発した事件の全容であったのだ!
 この正に冴える高橋の推理に、もはや長崎はどんな言い訳も通用しないであろう。
 そう自信を持った高橋は、その日の夜の八時に長崎宅を訪れた。その日、長崎は午後八時にならないと、帰宅しないと長崎から聞いていたからだ。
 高橋の前に姿を見せた長崎は、特に表情の変化は見られなかった。
 そんな長崎に高橋は、
「長崎さんは弓やボーガンを射ったりする趣味があるのですかね?」
 と、些か穏やかな表情と口調で言った。だが、そんな高橋の眼は、かなり冷ややかなものであった。
 そう高橋に言われると、長崎は言葉を詰まらせた。
 そんな長崎の表情には些か険しさが見られたが、長崎は程なく表情を平静に戻しては、
「まあ、少し位はね」
 と、あっさりそれを認めた。
 それで、高橋は小さく肯き、
「では、その弓やボーガンを使って、長崎さんは山で猿を射ったりしたことはありますかね?」
 と、長崎の顔をまじまじと見やっては言った。そんな高橋の表情は、穏やかなものであったが、眼は依然として冷ややかなものであった。
 そう高橋に言われると、長崎は、
「猿ですか……。そのようなことはやりませんよ」
 そう言った長崎の表情には、些か笑みが見られた。そんな高橋は、何故そのようなことを訊くのかと言わんばかりであった。
 すると、高橋は、
「そのような話を聞いたことがあるのですがね」
 と、怪訝そうな表情で言った。 
 すると、長崎の表情は見る見るうちに険しくなり、
「一体、誰がそのようなことを言っていたのですかね?」
 と、いかにも不快そうな表情を浮かべては言った。
 そう長崎に言われたが、橋本の名前を出すわけにはいかないので、
「誰からとは言えないのですが、そのような噂を耳にしましてね」
 と、眉を顰めた。
「噂ですか……。じゃ、その噂は出鱈目ですよ。僕はそのようなことはやりませんよ」
 と、長崎も眉を顰めては言った。
「では、長崎さんの自宅の庭で弓矢とかボーガンを射ったりしてるのですね?」
「まあ、そうです」
「どちらも、使用してるのですかね?」
「まあ、そうです」
「では、その弓とかボーガンがもし誤って人間に当たれば、その人間は死んだりしますかね?」 
 そう言っては、高橋は長崎の顔をまじまじと見やった。
 すると、長崎は高橋から眼を逸らせては言葉を詰まらせた。そして、なかなか言葉を発そうとはしなかった。
 それで、高橋は、
「どうなんですかね?」 
 と、まるで詰め寄るように言った。
 それで、長崎は、
「死にはしないと思いますがね」 
 と、呟くように言った。だが、そんな長崎の表情と口調は、些か自信無げであった。
 そんな長崎に高橋は、
「では、六月十日の午後三時から四時頃にかけて、長崎さんは何処で何をしてましたかね?」
 と、長崎の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、長崎は、
「その頃は、僕のホテルで仕事中でしたがね」
 と、毅然とした表情で言った。
「そのことを誰かに証明してもらえますかね?」
「小倉さんが証明してくれますよ」
「小倉さんですか。それはどういった人物ですかね?」
「うちのアルバイトですよ」
「じゃ、小倉さんのフルネームと連絡先を話してもらえますかね」
 そう高橋に言われ、長崎は渋々それを話した。
 それで、高橋は長崎に対する捜査を終えると、その小倉花子という五十五歳の女性から話を聴いてみることにした。
 花子は夫と子供二人の四人家族で、アルバイトとして、長崎が営んでるラブホテルで働いてるとのことだ。
 そんな花子の前に姿を見せた高橋に、花子は些か緊張してるかのようであった。 そんな花子に高橋は単刀直入に、長崎の証言が正しいか確認してみた。
 すると、花子は、
「その通りですよ」
 と、確かにそう証言した。だが、そんな花子の様は些か自信無げであった。 
 そんな花子の様から、花子は嘘をついたと高橋は察知した。何しろ、長崎は長年、警察官という仕事に携わって来た。そのキャリアは、三十年に及んでいる。 
 それ故、証言者が真相を述べてるのか、偽証してるのかは、その者を見れば分かるというものだ。それは、正に、理屈ではなく、勘であった。その勘が、花子は偽証してると、確信したのである。
 それで、高橋は、
「小倉さん。それは、間違いないですかね? 後で偽証したということがバレれば、小倉さんは逮捕されてしまいますよ。何しろ、僕は今、殺人事件の捜査を行なってるのですからね。で、逮捕されれば、新聞に載ってしまいますよ。そうなれば、家族に辛い思いをさせますよ。お子さんはまだ小学校ではないのですかね?
 子供の将来にも悪影響を及ぼしますよ。それに対して、アルバイトは幾らでもありますからね」
 そう高橋が言うと、花子はあっさりと偽証したことを認めた。
 即ち、六月十日は、長崎はホテルには姿を見せず、また、その日は伊豆方面にドライブに行くと、花子は長崎に聞かされていたというのだ。
 この花子の証言を受け、高橋は署で事情を聴かれることとなった。 
 更に、長崎宅の家宅捜索が行なわれることになった。
 すると、人間を死に至らしめることが可能なボーガンが押収されたのだ。
 これらのことから、片山正臣に対する過失致死の疑いで逮捕が可能だと高橋たちから説き伏せられると、遂に長崎は真相を話したのであった。
 そして、その内容は、凡そ高橋たちの推理通りであった。
 即ち、波勝崎で猿を射止めてやろうと、波勝崎に出向いた長崎は、誤って片山をボーガンで射てしまったのだ。何しろ、片山は草むらから急に姿を現したので、どうにもならなかったと自供したのだ。 
 だが、長崎はとにかく片山を抱き上げ、その様態を見たのだが、とても助かりそうもなかった。
 それで、気が動転してしまい、慌ててその場を後にしたということだ。
 だが、長崎は森殺しに関しては、頑なに否定した。片山を過失によって死に至らしめたことは、認めたものの、森の死に関しては、無関係を主張したのである。

目次   次に進む