1 死体発見
八丈島は、見所が多い。八丈富士、ふれあい牧場、南原千畳敷、登龍峠展望台、八丈植物公園という具合だ。これらの光景は、正に富士箱根伊豆国立公園に指定されて当然だ。
また、羽田空港から飛行機で五十分程で行くことが出来る。昔は、罪人の流刑地として恐れられた島だが、今は身近にアクセス出来る観光地となった。
しかし、空路は少し風が吹けば欠航となる。となれば、十時間以上掛けて、船で戻らなければならなくなる。それが、八丈島観光の難点だろう。
そう理解していた松山正明(38)は、抱えていた仕事を何とか終えることが出来、久し振りに三連休の休暇を取れた。それで、久し振りに八丈島に行ってみることにした。
八丈島いえば、十年前に一度訪れたことがあるのだが、その時の印象はまずまずだった。また、その時は、定期観光バスでの観光だったので、今回はレンタカーを利用することにした。
そんな松山たちを乗せたプロペラ機は、八丈島に近付くにつれ、徐々に高度を下げた。すると、やがて、八丈島近くにある八丈小島が窓から眼に出来るようになった。そんな八丈小島に眼をやってると、程なく、八丈島が窓から見えた。また、今日は快晴であったことから、八丈富士の山容も、手に取るように眼に出来た。
以前、定期観光バスで八丈島観光を行なっていた時の八丈植物公園での出来事だ。
ガイドの案内の下に、観光を行なっていたのだが、その時に、上空で飛行機が何度も旋回するような音が聞こえた。そんな飛行機は、なかなか八丈島空港に着陸しようとはしない。上空には雲がかかり、視界が悪い為に、飛行機は着陸出来ないようだ。
そして、やがて、飛行機は羽田に引き返して行ったのだ。
それ故、八丈島に飛行機で行けるかどうかは、正に天候に左右されるだろう。しかし、今日の天候は申し分なかったというわけだ。
それはともかく、八丈島空港に着くと、レンタカーの係員が松山たちを待っていてくれて、他の三名の観光客と共に、マイクロバスで空港から少し離れた所にあるレンタカー営業所に移動し、そこで手続きを済ませると、早速松山は八丈島観光に乗り出した。因みに、松山が借りたレンタカーは、ワゴンRであった。
そんな松山の今日の予定は、まずふれあい牧場に行ってみることであった。
ふれあい牧場は、八丈富士の七合目辺りにあり、八丈島の見所の一つだが、定期観光バスでは訪れないスポットだ。それ故、松山はまだふれあい牧場に行ったことはない。ふれあい牧場は、観光ガイドとかTVで見たことはあるのだが、まだ行ったことはないので、まず最初に行こうと思ったのだ。
空港前の道を少し走り、左折すると、八丈富士に向かう道に入る。
そして、道をしばらく走り続けると、やがて、八丈富士の周囲を走る鉢巻道路に入った。その鉢巻道路をぐるっと回っていくと、やがて、ふれあい牧場に着くというわけだ。
時計回りとは逆方向に鉢巻道路を走り始めると、程なく八丈富士への登山道入口に来た。その辺りに、数台車が停められていたことから、今、誰かが八丈富士頂上目指して、歩みを進めていることであろう。
しかし、八丈富士頂上までは、ここから一時間程掛かるので、松山は最初から、八丈富士登山を行なう予定はなかった。
そんな松山は、正にすれ違う車は滅多に見られない鉢巻道路を軽快な速度でぐるっと周り、やがて、ふれあい牧場に着いた。
ふれあい牧場は、正にのどかな牧場で、牛たちが気持ちよさそうに草を食んでいた。また、ふれあい牧場の展望台からの光景も風情があり、八丈空港から大賀郷集落、更に太平洋が一望出来る。この辺りからの光景が、八丈島で一番だというのが、八丈島二度目の松山が思った感想だった。
それで、まだしばらくの間、ふれあい牧場で時間を過ごし、やがて、ふれあい牧場を後にした。そんな松山が次に向かったのは、登龍峠展望台だった。ここからの光景は、正に八丈島を代表する光景であり、八丈島観光ガイドの表紙を飾る光景だ。
松山が登龍峠展望台に着いた時は、団体の観光客がいた。総勢十人位の老人の団体客だ。
それで、松山はその十人の団体の観光客たちの男性ガイドの話にしばらく耳を傾けていたが、写真も撮り終えたこともあり、この辺で登龍峠展望台を後にし、次の訪問先である名古の展望台というスポットに向かって車を走らせた。
だが、何故かそれを通り過ごしてしまい、次に向かったのは、大坂トンネルだった。大坂トンネル入口辺りからの景色も、八丈島を代表する光景であり、観光ガイドでよく眼にする。それ故、早速大坂トンネルに向かって車を走らせたのだが、その前に人捨穴というスポットを訪れてみることにした。
人捨穴とは、その昔、八丈島では、老人を洞穴に捨てたという伝説がある。その穴が、人捨穴というわけだ。
松山はその人捨穴が、八丈島の見所の一つであるとのことなので、一度訪れてみることしたのだ。その人捨穴へは、大坂トンネルの手前を右折し、すぐだ。もっとも、事前に観光案内所で人捨穴のことを問い合わせていた松山は、それはごく普通の洞穴だと聞いていたので、然程期待はしてなかったのだが……。
人捨穴という看板がやがて見えたので、手頃な所に車を停め、松山は早速人捨穴に向かって歩みを進めた。そして、それは、車を停めてからすぐであった。
人捨穴は、八丈島の見所の一つには挙げられてはいるものの、辺りは正に殺風景な風景で、観光地とは程遠いものであった。そして、やがて、人捨穴の前に来たのだが……。
それは、正にごく普通の洞穴であった。人捨穴という名前がなければ、通り過ぎてしまうのが、当り前であろう。そんなごく普通の洞穴であったのだが、しかし、今日はその普通の洞穴が普通ではなくなっていた。何故なら、何とその洞穴に、人が倒れていたからだ。それは、かなりの年寄りだった。
その光景を眼にして、松山は、
「ぎょ!」
という小さな叫び声を発した。
それは、正に予想だにしない光景だったからだ。
その不自然にねじれた恰好を眼にして、その老人に一大事が起こってるのは間違いなかった。
しかし、その老人の生死を確かめるのには、松山は気が退けた。
そうかといって、このままこの場を後にするのにも、後ろめたさを感じた。
それで、松山はとにかく携帯電話で110番通報したのだった。
それを受けて、八丈島署の野々村警部たちが、直ちに現場に急行した。
そして、程なく人捨穴に着いた。それは、松山が110番通報して、十分後のことであった。
野々村たち総勢三名の制服姿の警官が人捨穴にやって来ると、松山はその老人を指差した。
そんな七十半ば位の男性は、松山が発見してからも、微動だにしなかった。
そのことから、老人は既に息絶えてると思われた。
しかし、まだ断定は出来ない。
それで、野々村は男性の傍らに屈み込んでは、男性の脈を確認し、続いて、瞳孔を確認した。
そんな野々村は、この時点で男性の死を確認した。すると、丁度その頃、救急隊員も現場に駆けつけ、そして、男性の遺体を担架に載せては、S病院に運んで行ったのだった。