2 身元が明らかになる

 松山が人捨穴で偶然に発見した男性の姓名は、まだ明らかにはなってなかった。男性は、身元を証明するものは、何も所持してなかったからだ。
 しかし、男性は既に魂切れていて、死亡推定時刻は明らかになっていた。 
 それは、五月二十日の午前八時から九時頃であった。
 また、死因も明らかになった。
 それは、後頭部を強打されたことによる脳挫傷であった。
 これらのことから、男性の死は、殺しによってもたらされたと八丈島署は看做し、八丈島署に捜査本部が設けられ、野々村正治警部(55)が捜査を担当することになった。
 すると、男性の身元は、その翌日の五月二十一日の午前九時頃、明らかとなった。
 というのは、丸三レンタカーの係員の柳沢正康(45)が警察に問い合わせをして来たのだ。昨日、人捨穴で死体で発見された老人のことを。
 それで、野々村は柳沢にその男性の特徴を詳細に説明した。
 すると、柳沢は、
「それ、小笠原さんかもしれないですね」
 と、いかにも神妙な表情を浮かべては言った。
「小笠原さん? それ、どういった人なんですかね?」
 野々村は、いかにも興味有りげに言った。
「うちの店で、一昨日レンタカーを借りた東京の方です。そして、昨日の午後三時頃までに返却される予定だったのですが、まだうちの店に返却されてないのですよ」
 と、柳沢はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべては言った。そんな柳沢は、人捨穴で発見された男性が、その小笠原ではなかったかと、大いに心配してるかのようであった。
 そう柳沢に言われたので、野々村は、
「では、今からS病院に来ていただけますかね」
 そう野々村に言われたので、柳沢はとにかく、S病院に向かった。因みに、S病院は八丈島で最も大きな病院であり、丸三レンタカーの近くにあった。
 既に司法解剖を終え、霊安室に安置されているその男性の遺体を眼にして、柳沢は、
「間違いありません」
 と言っては、項垂れた。そんな柳沢の表情は、いかにも沈痛なものであった。
 すると、野々村も険しい表情を浮かべたものの、小さく肯いた。そんな野々村は、これによって、捜査が一歩前進したと実感したからだ。
 しかし、小笠原が何故殺されたのかは、まだてんで明らかになっていない。
 それで、野々村はその思いを柳沢に述べた。
 すると、柳沢は、
「それに関しては、僕は何も分かりません。僕と小笠原さんとの関係は、単なるレンタカー屋とお客さんという関係に過ぎないので」
 と、いかにも決まり悪そうに言った。
 そんな野々村に、
「で、小笠原さんが乗っていた車はどうなりましたかね?」
 と、柳沢は恐る恐る訊いた。というのも、まだ小笠原に貸したアルトがまだどうなったのか言及されてないからだ。
 そう柳沢に言われると、野々村は、
「そう言われてみれば、どうなってるのかな」
 と言っては、首を傾げた。確かに、その点は引っ掛かるといえるだろう。
 もし、小笠原が人捨穴周辺で殺されたのなら、小笠原が借りたアルトが、その近くに停められている筈だ。 
 しかし、それは、辺りには見当たらなかったのだ。
しかし、八丈島は、島である。小笠原が借りたアルトは、八丈島の何処かにあるに違いないのだ。そして、それは然程時間を経ずに見付かるに違いない。 
 そう野々村は思ったが、その思いはやはり正しかった。というのは、その日の正午頃、見付かったのだ。小笠原が借りたアルトは、八重根港の駐車場に停められていることが、明らかになったのだ。
 八丈島には、二つ港がある。底土港と八重根港だ。伊豆大島でいえば、元町港と岡田港みたいなものだろう。
 それはともかく、これによって、捜査がまた一歩前進した。
つまり、小笠原は二十日の午前七時から八時頃、宿を後にし、八重根港に来たが、その時、何かトラブルが発生し、そして、死んでから人捨穴に運ばれたというわけだ。
 もっとも、人捨穴辺りで殺され、車だけが、八重根港に運ばれたという可能性も有り得るだろう。
 それはともかく、人捨穴で他殺体で発見された小笠原正孝(75)の連絡先が分かったので、小笠原の死を伝えるために、野々村は東京荒川区に住んでいる小笠原宅に電話し、小笠原の死を伝えた。
 すると、小笠原の長男であるという小笠原正明(40)は、
―それ、本当ですか!
 と、いかにも驚いたかのように言った。
「間違いありません。免許証も見付かりましたので」
 と、野々村は神妙な表情を浮かべては言った。
 その後の捜査で、人捨穴近くで小笠原の免許証が落ちているのが、発見されたのだ。
 そう野々村に言われて、正明は言葉を詰まらせた。そんな正明の沈黙から、正明のショックを十分に察することが出来た。
 それはともかく、親父の死の知らせを聞かされた正明は、その日の最終便の八丈島行きの飛行機の切符が取れたので、その日の夜、八丈島に着くことが出来た。そして、タクシーでS病院に向かった。霊安室に横たわっているその年老いた男性は、正明の父親の正孝に間違いなかった。
 それで、その旨を正明は野々村に言った。
 すると、野々村は無言で小さく肯いた。その野々村の表情は、とても険しいものであった。
 そんな野々村は、
「言いにくいことですが、小笠原さんは何者かに殺されたのですよ」 
 と、司法解剖の結果を、いかにも険しい表情を浮かべては言った。
すると、正明は、
「それ、本当ですか?」
と、眼を大きく見開き、いかにも信じられないと言わんばかりに言った。
「ええ。本当です」
 野々村は、決まり悪そうに言った。
 すると、正明はいかにも強張った表情を浮かべては、言葉を詰まらせた。そんな正明の表情から、正明はそれに関して何か思うことがあるかどうかは、察することは出来なった。
 それで、野々村は、
「それに関して、何か思うことはおありですかね?」
 と、正明の顔をまじまじと見やっては言った。
 そう野々村に言われても、正明は険しい表情を浮かべては、言葉を発そうとはしなかった。そんな正明は、今の野々村の言葉に何か思うことがあるかのようであった。
 そう察知した野々村は、今度は表情を和らげては、
「何か思うことがおありでしたら、遠慮なく話してくださいな」
 そう野々村が表情を和らげて言うと、正明は野々村をちらちらと見やっては、
「実は、親父には、この八丈島に息子がいたのですよ」
 と、いかにも神妙な表情を浮かべては言った。
 すると、野々村は眉を顰め、
「そうでしたか……」
 と、呟くように言った。そして、
「ということは、あなたの弟さんですかね」
 そう野々村が言うと、正明は、
「それが、そうとも言えないのですよ」
 と、野々村から眼を逸らせては、決まり悪そうに言った。
 すると、野々村は、眉を顰めては、
「それ、どういうことですかね?」
 と、些か興味有りげに言った。
 すると、正明は野々村から眼を逸らせ、二十秒程言葉を詰まらせたのだが、やがて、
「実は、その息子は正式の息子ではないのですよ」
 と、いかにも決まり悪そうに言った。
 そう正明に言われ、野々村は正明の言葉の意味を理解したのか、
「つまり、二号さんの子供ということですかね?」
「まあ、そんな感じですね」
 と、正明は野々村から眼を逸らせては、決まり悪そうに言った。
 すると、野々村は小さく肯いたが、しかし、
「で、その件が、今回の事件に関係してると、小笠原さんは推理されてるのですかね?」
 と、眉を顰め、正明の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、正明は再び二十秒程言葉を詰まらせたが、
「何とも言えないですね」
 と、いかにも決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
「何とも言えないとは?」
 と、野々村は正明の顔をまじまじと見やっては言った。
「ですから、何とも言えないのですよ」
 と、正明は野々村から眼を逸らせては、いかにも決まり悪そうに言った。
「ということは、関係してるかもしれないとも思われてるのですね」
 そう野々村が言うと、正明は、
「だから、よく分からないのですよ」
 と、眉を顰めた。
「では、小笠原さんが八丈島に来られた目的は、何だと思われてるのですかね?」
「そりゃ、その息子、つまり畑中登に会う為だと思っています。親父には、釣りという趣味はありませんからね」
 と言っては、正明は小さく肯いた。
 すると、野々村も小さく肯いた。その考えに賛成だったからだ。
 となると、小笠原正孝は、その正式の息子ではない畑中登という男性と何かトラブルが発生し、死に至ったのか? その可能性が、高そうだ。
 そう思った野々村は、その思いに言及してみた。
 すると、正明は、
「何とも言えないですね」
 と、決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
 そんな正明に、
「では、小笠原さんの愛人、あるいは、二号さんだったと思われる女性は、今、この八丈島にいるのですかね?」 
 と言っては、野々村は眼をキラリと光らせた。畑中登とのトラブルだけではなく、その愛人とのトラブルによって死に至ったという可能性も、無論有り得ると思ったからだ。
 だが、正明は、
「その愛人は、五年前に亡くなったと聞いています」
 と言っては、小さく肯いた。
「なるほど」
 そう正明に言われ、野々村も小さく肯いた。
 その愛人が既に他界したとなると、この八丈島でのトラブルは、その息子である畑中登との間で発生したと見るべきであろう。つまり、遺産相続、あるいは、畑中登のことを放ったらかした恨みなどが高じて、畑中登が小笠原を殺した可能性が、高そうだ。
 そう思うと、野々村は些か納得したように肯いた。どうやら、今回の事件は早々と解決出来そうな予感がしたからだ。
しかし、念の為に、他の線も想定しておく必要はあるだろう。
 そう思った野々村は、
「では、その畑中登さんの件以外で、何か気になることは、ありませんかね?」
 と、正明の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、正明は、
「そのこと以外に特に思うことはないですね」
「小笠原さんは、八丈島に行く目的を何か言及してなかったのですかね?」
「何も言ってなかったですね。もっとも、僕は薄々畑中登と会う為ではないかと思ってはいたのですがね」
「今まで度々八丈島に行っては、畑中登と会っていたのですかね?」
「いや。そうではないと思っています。親父はここ十年程は八丈島に行ってないですし、また、畑中登から電話が掛かって来たというようなことも、聞いていませんですからね」
 と、正明は言っては、小さく肯いた。
 そう正明に言われ、野々村は言葉を詰まらせたが、そんな野々村に、正明は、
「親父はもう歳ですから、親父の遺産に関して、畑中登に何か言うことがあったのかもしれませんね。親父はかねがね畑中にも親父の遺産を相続させるかどうか悩んでいましたからね」
 と、決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
「では、畑中登さんの連絡先は分かりますかね?」
「分かりますよ。親父のアドレス帳に記してありましたからね」
 これによって、畑中登の連絡先は分かった。
 そして、この時点で、野々村は畑中登という男性から、話を聴いてみることにした。

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