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聡子の前に姿を見せた角田に対して、聡子は言葉を発そうとはしなかった。そんな聡子は、まるで角田の出方を窺ってるかのようであった。
そんな聡子に、角田は、
「以前、訊いたことなんですが、つまり、奥さんはご主人が八丈島に行くということを誰かに話さなかったのですかね? 以前、奥さんはそれを誰にも話さなかったと言われましたが、それはやはり、間違いないですかね?」
 と、聡子の顔をまじまじと見やっては言った。そんな角田は、嘘はつかないでくださいよと、聡子を諌めてるかのようであった。
 すると、聡子は、
「以前、言った通りですよ。つまり、私は誰にも話していません。もっとも、主人が話しているかもしれませんが、それは私には分からないというわけですよ」
 と言っては、小さく肯いた。そんな聡子は、その言葉は、何ら嘘偽りはないと言わんばかりであった。
「そうですか。では、奥さんには、弟さんがいますよね。牛田治朗さんという。で、牛田治朗さんはどういったお仕事をされてるのですかね?」
 と、聡子の顔をまじまじと見やって、いかにも興味有りげに言った。
 すると、聡子の言葉は詰まった。そんな聡子は、まるで思ってもみなかった問いを発せられた為に、何と答えればよいか、分からないかのようであった。
 それで、角田は同じ問いを繰り返した。
 すると、聡子は、
「何故弟の仕事のことを説明しなければならないのですかね?」
 と、些か納得が出来ないように言った。
 すると、そんな聡子に、角田は、
「実はですね。弟さん、つまり、牛田治朗さんは今、お金に困ってるというような話を聞きましてね。つまり、アパート経営に失敗して、多額の借金を抱えてるというわけですよ」
 と言っては、小さく肯いた。
 すると、聡子は角田から眼を逸らせては、何も言おうとはしなかった。そんな聡子の様は、正に今の角田の言葉を肯定してるかのようであった。
 そんな聡子に、角田は、
「そうなんですよね?」
 と、確認した。
 すると、聡子は角田を見やっては、
「詳しいことは知らないのですよ」
 と、角田の問いをはぐらかすかのように言った。
「では、知ってる範囲で構わないですから、説明してくださいよ」
 と、角田は言っては、小さく肯いた。
 すると、聡子は渋面顔を浮かべては、
「弟はアパート経営をして暮らしてるのですが、うまく行っていないとかいうような話は聞いたことはあります」
 すると、角田は小さく肯いた。今の聡子の言葉で、角田の推理が現実味のある推理だということを裏付けられたと思ったからだ。
「では、一体治朗さんは、どれ程の借金を抱えておられるのですかね?」
 と、聡子の顔をまじまじと見やっては、いかにも興味有りげに言った。
「それは、分からないですわ。治朗は、それに関して特に話さないですから」
 と、聡子は淡々とした口調で言った。
「でも、奥さんにお金をせがんで来なかったのですかね? 何とかしてくれと言わんばかりに」
 と、角田は、その可能性は十分にあると言わんばかりに言った。
 すると、聡子は眼を大きく見開いては、
「そういうことは、まるでありませんよ」
 と、いかにも真剣な表情を浮かべては言った。
 そして、後少し、角田は聡子に対して、何だかんだと訊いたが、特に捜査に役立ちそうな情報を入手出来なかったので、この辺で聡子への聞き込みを終えることにした。
 聡子宅を後にすると、大沢刑事は、
「僕は聡子さんは、嘘をついてると思いますね」 
 と、渋面顔で言った。
「僕もそう思うよ。恐らく、聡子さんは治朗さんに、前川さんが十月十五日に八丈島に行くということを話したんだよ。しかし、そのことを話すと、治朗さんが警察に疑われてしまう。それ故、それに言及しなかったのだよ」
 と、角田はそうに違いないと言わんばかりに言った。
「でも、それを証明することは出来ないですね」
 と、大沢刑事は悔しそうに言った。
「ああ。その通りだ。しかし、牛田治朗から話を聴けば、捜査は前進するかもしれないよ」
 ということになり、次に牛田治朗から、話を聴くことになった。因みに、牛田の住所とか電話番号とかいった情報は、聡子から既に入手していた。 
 それ故、治朗は聡子から、角田たち警察から訊問を受けるという情報が伝わってることだろう。
 それはともかく、その日の午後七時頃、角田は大沢刑事と共に、荒川区内に住んでいる牛田治朗宅を訪れることになった。牛田治朗に連絡を取り、その頃、在宅してるということを確認したからだ。
 牛田治朗の家は「玉川ハイツ」という2DK位の間取りのマンションで、そのマンションに一人で居住してるらしかった。
 それはともかく、玄関扉のブザーを押すと、少しして扉が開き、牛田治朗と思われる男が姿を見せた。
 その男は年齢は四十位で、髪の毛がかなり薄く、神経質そうな中肉中背の男であった。 
 そんな男に、角田は警察手帳を見せては、
「牛田治朗さんですかね?」
 と、男の顔をまじまじと見やっては言った。 
 すると、牛田は、
「そうだけど」
 と、素っ気ない口調で言った。
 すると、角田は小さく肯き、
「牛田さんに少し訊きたいことがあるのですがね」 
 と言っては、眉を顰めた。
「僕に訊きたいこと? それ、どんなことですかね?」
 と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。そんな牛田は、警察から話を訊かれるようなことは、何ら存在しないと言わんばかりであった。
 そんな牛田に、角田は、
「牛田さんのお姉さんの前川聡子さんのご主人である前川貫太郎さんが、十月十五日に、八丈島で死亡したことをご存知ですよね?」
 と、牛田の顔をまじまじと見やっては言った。
「そりゃ、知ってますよ」 
 と、牛田は淡々とした口調で言った。
「で、前川さんの死は、まだ謎なんですよ。つまり、事故なのか、自殺なのか、それとも、事件性があるのか、まだ分かってないのですよ」
 と、角田は渋面顔で言った。
 すると、牛田は、
「そうですか……」 
 と、特に感心がなさそうに、呟くように言った。 
 そんな牛田に、角田は、
「それに関して、牛田さんは、どのように思っておられますかね?」
 と、牛田の顔をまじまじと見やっては言った。
「特に思うことはないですね。何しろ、僕は前川さんと共に八丈島にいたわけではないのですから、そう言われても、事の真相は分からないですよ」
 と、渋面顔を浮かべては言った。
「ということは、十月十五日は、牛田さんは八丈島にはおられなかったのですかね?」
 と言っては、角田は眉を顰めた。
 すると、牛田は、
「当然ですよ。どうして僕がその日に八丈島にいなければならないのですか」
 と些か笑みを浮かべては言った。そんな牛田は、角田のことを面白いことを言う人だなと言わんばかりであった。
「では、牛田さんは、十月十五日の午前八時頃、何処で何をしてましたかね?」
 と、角田はこの時点で前川の死亡推定時刻の牛田のアリバイを確認してみた。
 すると、牛田は、
「その頃は、この家でTVを見てましたよ」
 と言って、にやっとした。
「では、十月十四日の夜から十五日の午前七時頃までは、何処で何をしてましたかね?」
もし、牛田が十月十五日の午前八時頃に、八丈島の千畳敷で前川を殺したのなら、当然、その時に、牛田も八丈島にいなければならない。
 八丈島に行く手段は飛行機か船だが、飛行機にしても船にしても、十四日の夜までに八丈島に来てなければならない。それで、その点を確認してみたのだ。
 すると、牛田は、
「その頃も家にいましたよ」
 と、憮然とした表情で言った。そんな牛田は、前川の事件に、牛田が関係してると角田が疑ってることを察した為に、そのような表情を浮かべたかのようであった。
「それを誰かに証明してもらえますかね?」
 と、角田はとにかくそう訊いた。
「それは無理ですよ。僕は一人で住んでますのでね。でも、十五日の午前八時頃、どんなTV番組を見ていたか、説明しましょうかね」 
 そう言っては、牛田はにやっとした。そんな牛田は、いかにも余裕綽々であった。
「いいえ。結構ですよ」 
 と、角田は言うしかなかった。というのも、どんなTV番組を見ていたかは、録画しておけば、それを確認出来るのは当り前だし、また、十五日に牛田が八丈島で移動するにはレンタカーが必要だ。それ故、後で八丈島でそれを確認すればいいと思ったのだ。
 それで、今度は話題を変えてみることにした。
「牛田さんは、アパート経営でかなりの借金を抱えてるそうで」
 すると、牛田は、
「いやぁ、大したことはありませんよ。五年前からアパート経営を始めたんですがね。二十年程で借金を返済する計画を立てていますので、まあ、予定通りだといえますよ」
 と、いかにも平然とした表情を浮かべては言った。
「では、具体的にどれ位の借金があるのですかね?」 
「それはプライベートのことなので、勘弁してくださいな」
「では、何処の金融機関からお金を借りてるのですかね?」
「それも勘弁してくださいな」
 と、治朗は笑いながら言ったものの、その治朗の眼がとても険しくなったのを角田は見逃しはしなかった。
 牛田治朗から話を聴いた後、角田は早速八丈島のレンタカー会社に電話をして、十月十五日に、牛田治朗が八丈島でレンタカーを借りていなかったか、確認してみた。
 しかし、成果は得られなかった。その日、治朗は八丈島の何処のレンタカー会社でも、レンタカーを借りていなかったことが明らかになったのである。
 その事実は、角田に失望をもたらした。何故なら、八丈島へはフェリーはないので、本土から車を持って来るわけにはいかないのだ。それ故、八丈島で思うように移動するとなれば、八丈島でレンタカーを借りるしかなかったのだ。
 それ故、十月十五日に牛田治朗が八丈島でレンタカーを借りてなかったとなると、角田たちの推理は誤った推理となってしまう。
 そう思うと、角田の表情は冴えないものへと変貌せざるを得なかった。 
 そんな角田に大沢刑事は、
「牛田さんは、八丈島に知人がいたのではないのですかね? そして、その知人から車を借りたのではないですかね?」
 と、その可能性があると言わんばかりに言った。 
 すると、角田は、
「その可能性は小さいな」
 と、言っては、唇を歪めた。
「何故ですかね?」
 大沢刑事は些か納得が出来ないように言った。
「足がつくじゃないか。牛田さんが八丈島に来た時に、牛田さんが知人の車を借り、そして、その日に義兄が死んだとなれば、知人は牛田さんのことを怪しむかもしれないじゃないか。そんな偶然は起こり得ないという具合にな。それ故、そのようなことをやれば、牛田さんは自らが犯人であるということを世に示すみたいなものだよ。それ故、そんな馬鹿なことはやらないというわけさ」
 と言っては、角田は唇を歪めた。そんな角田は、正にその通りだと言わんばかりであった。
「なるほど。でも、そうなら、牛田さんは前川さん殺しの犯人ではなくなってしまいますね」
 と、大沢刑事は渋面顔を浮かべては言った。
 そう大沢刑事に言われると、角田も渋面顔を浮かべては、少しの間、言葉を詰まらせていたが、やがて、
「とにかく、十月十五日に八丈島でレンタカーを借りた人物を全て確認してみることにしよう」
 ということになり、早速その捜査が行なわれることになった。
 角田と大沢刑事は、八丈島のレンタカー会社から十月十五日にレンタカーを借りた者の免許証のコピーを見せてもらった。
 すると、自ずから、一人の男のものが眼に留まった。
 その男は、山田慎一という男であったが、十月十四日から十五日にかけて、カローラを借りたのだが、その山田が、牛田治朗とかなり似ていたからだ。
 それで、角田はとにかく、その山田慎一という人物に電話をかけてみた。 
 しかし、電話は繋がらなかった。また、その免許証は、偽造免許証ということが、早々と明らかになったのだ。
 これを受けて、牛田治朗への容疑が一気に高まった。 
 即ち、牛田治朗は何らかの手段で偽造免許証を入手し、その免許証を使って八丈島でレンタカーを借り、前川を千畳敷で殺したのだ。そして、その動機は、聡子が受取る保険金であろう。
 この推理に自信を持った角田は、早速再び牛田治朗から話を聴く為に、牛田治朗宅に向かった。
 だが、その日は牛田治朗と会うことは出来ず、また、電話で話をすることも出来なかったのだ。
 では、牛田治朗はその日、何処で何をしていたのだろうか?

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