2 男の死体が発見される

 T川は、街の郊外に開けている高級住宅街から少し離れた所を流れている。そして、T川の堤防沿いには公園が設けられたりしていて、辺りに住んでいる住民たちに憩の場所を提供している。
 そのT川の堤防から一メートル程離れた所で、その男の死体は発見された。その男の死体を発見したのは、近くに住んでいる岡田秀樹(65)という無職の男であった。岡田は定年退職した後、毎朝、T川の堤防に沿ってジョギングするのを日課としていたのだ。
 そんな岡田が、その男の死体を発見したのは、午前七時頃のことであった。
 男は直ちに救急車で病院に運ばれたが、男が息を吹き返さないのは、明らかであった。
 男の死は、首をロープのようなもので絞められたことによる窒息死であったが、その索条痕から、他殺の可能性が高かった。また、男が発見された場所に男に死をもたらしたロープ等が見付からなかったことから、男は殺されてから、死体発見場所に運ばれたと思われた。
 そのことから、殺人事件と看做され、T署に捜査本部が設けられ、新村治男警部(48)が、捜査を担当することになった。
男は身元を証明するものは何ら所持してなかったが、男の指紋が警察に保管されていないかの捜査がまず行なわれることになった。
 すると、あっさりと男の指紋が警察に保管されていたことが分かった。
 男の姓名は、田中五郎という二十二歳で、東京都内にある「小川荘」104号室に住んでいることが分かった。田中の指紋が何故警察に保管されていたかというと、田中は一年前に居酒屋で喧嘩をし、その時、逮捕はされなかったものの、警察から散々と油を絞られた。その時に、田中は指紋を採取されたのであった。
 それはともかく、田中の死を受けて、早速、静岡県に住んでいる田中の母親から話を聞くことになった。
 だが、母親は田中の死に何ら心当りないと証言した。田中はF大四年生で「小川荘」に一人で住んでいるということ位しか、田中の母親は新村に情報提供出来なかったのである。
 それを受けて、新村はF大に捜査に出向き、田中五郎と親しくしていた者を見付け出し、聞き込み捜査を行なってみることにした。
 すると、田中のことを知っていたという学生が早くも見付かった。その学生は、須藤肇(22)という田中と同じクラスの学生だった。須藤は新村に、
「田中君は、随分性質の悪い学生でしたからね」
 と、眉を顰めては言った。
「性質の悪い学生ですか……」
 新村は興味有りげに言った。
「そうです」
 須藤は眉を顰めては言った。
「どうしてそう言えるのですかね?」 
 新村は再び興味有りげに言った。
「試験の時に、田中君はカンニングをさせることを要求するのですよ。つまり、僕たちの解答用紙を盗み見させるようにと、僕たちに要求するわけですよ。
 そんな田中君のことをあっさりと断ることは出来ない為に、僕たちは僕たちの答案を田中君に見せたりするわけですよ。ところがですね……」
 そう言っては、須藤は大きく息をつき、そして、話し始めた。
「僕たちだって自信はないわけですよ。つまり、僕たちだって、その試験に合格しないことも有り得るわけですよ。
 それなのに、僕たちが密かに田中君に見せてやった答案で、単位をとれなかったりすれば、田中君は『わざと出鱈目な答案を見せやがって!』とか言って、難癖をつけて来るんですよ。だから、僕たちの間では、田中君の評判は悪かったですね」
 と、須藤は田中のことを正に疫病神だったと言わんばかりに言った。
 そんな須藤に、
「しかし、そうだったら、田中君に答案を見せるのを拒否すればいいじゃないですかね」
 と、新村は些か納得が出来ないように言った。
「そりゃ、勿論そうしてますよ。でも、田中君は勝手に僕たちの隣の席に座っては、僕たちの答案を盗み見するわけですよ。僕たちもまさか田中君から盗み見されてるとは思っていないのですよ。試験が終わった後、僕たちにそう難癖をつけて来るのですよ。こういった田中君の被害に遭った生徒は今までに五人もいるのですよ」 
 と、須藤はいかにも渋面顔を浮かべては言った。
 そう須藤に言われると、新村は、
「ふむ」
 と言っては、眉を顰めた。そんな新村は、今の須藤の話を耳にし、確かに田中は殺されてもおかしくないような男だと思ったのだ。
 そんな新村は、
「で、それ以外に何か気付いたことはありませんかね?」
 と、興味有りげに言った。
「それ以外としては、馬場君と喧嘩をしたことがあるるらしいですね」
「馬場君と喧嘩ですか……」
 新村は呟くように言った。
「そうです。馬場君は馬場君の友達と雑談を交わしていたのですよ。そして、その近くに田中君がいたのですが、馬場君は田中君の方をちらちらと見やっては、雑談を交していたらしいです。
 すると、そんな馬場君の許に田中君がやって来ては、馬場君に難癖を付けたのですよ。『俺の悪口を言ってたのか』という具合に。 
 そして、結局、殴り合いの喧嘩となったのですよ。まあ、その時は教授が仲裁に入ってくれたので、大きなトラブルにはならなかったのですが、要するに、田中君とは、常に誰かとトラブルを抱えていたような人間だったのですよ」
 と、須藤はまるで新村に言い聞かせるかのように言った。そんな須藤は、正に田中が殺されてもおかしくないと言わんばかりであった。
「なる程。で、それ以外に何か気付いたことはありますかね?」
「もう、これ位ですかね」
 そう須藤に言われたので、新村は引き続き、F大で田中のことを知ってる人物を見付け出しては聞き込みを行なってみたのだが、須藤から得たのと同じような証言は入手出来たものの、それ以上の情報は入手出来なかった。
 新村たちは、田中の死体はT川で発見されたが、辺りに田中の死をもたらしたロープなどが見付からなかったことから、田中は他の場所で殺され、現場に遺棄されたと看做していた。となると、田中を殺した人物は、車を所持していなければならないというわけだ。
 その推理に基づいて捜査を進めようとしたのだが、その新村たちの方針に異議を唱えた刑事がいた。若手の小宮山正敏刑事(29)だ。小宮山刑事は、
「そう考えるのは早計ですよ。犯人は田中君が死体で見付かった場所で田中君を殺し、田中君に死をもたらしたロープを持って帰ったのかもしれませんからね」
 と、その可能性は十分にあると言わんばかりに言った。
 そう小宮山刑事に言われ、新村は眉を顰めた。確かにその可能性は十分にあると思ったからだ。
 それはともかく、田中と喧嘩をしたという馬場浩二からも話を聞いてみたのだが、馬場は田中との喧嘩を認めたが、しかし、そうだからといって、田中を殺した犯人はてんで心当りないと証言したし、また、自らは田中の死には全く関係ないと証言したのだ。
 捜査の振り出しは、このような具合であった。
 即ち、田中という男は他人の恨みを買うような人物で、殺されても不思議ではないのだが、そうかといって、犯人はまだ闇の中という具合というわけだ。


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