第六章 困惑

     1

 国松邸がある辺りは、都内屈指の高級住宅地であった。
 そして、その辺りに並ぶ豪邸を眼にした宗方は改めて溜息をついた。宗方がいくら頑張っても、このような豪邸に住めないことは、歴然たる事実であったからだ。
 正に、庶民には高嶺の花である豪邸が辺りには建ち並び、それは、まるで日本らしくない光景に宗方には見えた。
それはともかく、宗方と高野刑事を乗せたパトカーは、やがて、国松邸の前に着いた。国松邸も、この辺りに建ち並ぶ豪邸の一つで、そこに住んでいる者の富を象徴していた。
 宗方は国松邸を訪れるのは、今回で二回目であった。
 以前は重秀の身元が明らかになったすぐに、その父親の徳三やお手伝いの藤山花子たちに聞き込みを行なう為に訪れたのだが、その時は特に成果を挙げることが出来なかった。それで、冴えない表情を浮かべては、国松邸を後にしたものであった。
 しかし、今回は以前とは少し様相が違っていた。何故なら、今回は事件解決に至るかもしれない手掛かりを持っているからだ。
 それはともかく、宗方は高野刑事と共に、国松邸の中へと入った。
 二人が花子に連れて行かれたのは、庭の中にある東屋であった。
 東屋では、年齢よりも若そうな感じの徳三が、籐椅子に深々と腰を下ろしていた。
 そんな徳三は、宗方と高野刑事の姿を眼に留めると、上体を起こそうとした。
 そんな徳三に、宗方は、
「楽にしていてください」
 と、徳三を気遣うように言った。それで、徳三は再び籐椅子に腰を沈めた。
 そんな徳三を見て、宗方は早速本題に入ることにした。
「実はですね。重秀さんの事件に関係してそうな人物が浮かび上がったのですよ」
 と、宗方はいかにも真剣な表情を浮かべては言った。
「それは、どういった人物ですかね?」
 徳三は険しい表情を浮かべては言った。
「それは、浮浪者なんですよ」
 宗方は渋面顔で言った。
「浮浪者?」
 徳三は思わず甲高い声で言った。そんな徳三は、その容疑者が浮浪者だとは意外であったと言わんばかりであった。
「そうです。重秀さんの遺体が見付かった辺りに、少し前から浮浪者が住みついていたらしいのですよ。そして、その浮浪者は、重秀さんの事件があってから、その辺りから姿を消してしまったのですよ。
 それ故、我々はその浮浪者が重秀さんの事件に関係してるのではないかと、推理してるのですよ」
 と、宗方は力強い口調で言った。そして、
「で、その浮浪者は、重秀さんを刺殺した後、重秀さんの衣服を奪っては逃走したと思われるのですが、重秀さんはその浮浪者に元々面識があったかもしれないのですよ」
 と宗方は言っては、小さく肯いた。
「何故そう思うのですかね?」
 徳三は、その宗方の説明に些か納得が出来ないように言った。
「それはですね。重秀さんが殺されたのは、午前二時から三時の間だからですよ。
 重秀さんが銀座のクラブを後にしたのは、午後十時過ぎ頃だということは、分かっています。そして、その後は、辺りのクラブで飲んだりしなかっということも、分かっています。
 そして、重秀さんが見付かった場所は、重秀さんが飲んだクラブから僅か徒歩で十分も掛からない位の場所なんですよ。つまり、重秀さんは顔見知りの浮浪者と偶然に出会ってしまい、長々と話込んでしまったのではないかということですよ。
 そして、午前二時頃、トラブルになり、重秀さんはその浮浪者に刺殺されてしまったということですよ」
 と、宗方はその可能性は充分にあると言わんばかりに言った。
「重秀が午後十時半頃にそのクラブを後にした後、別のクラブで飲まなかったというのは、間違いないのかい?」
 徳三は些か納得が出来ないように言った。
「辺りのクラブは、全てといっていい位、聞き込みを行ないました。しかし、重秀さんが午後十時半以降に何処かのクラブで飲んだという確認は行なわれなかったのですよ。
 それに、重秀さんの胃の中からもその形跡は見られなかったし、また、重秀さんの遺体が見付かった場所からも、重秀さんが遠方のクラブで飲んだという可能性は極めて小さいと思われるのですよ」
 と、宗方は徳三に言い聞かせるかのように言った。
 すると、徳三はその説明に納得したのか、
「ふむ」
 と言っては、小さく肯いた。
 そして、少しの間、言葉を発そうとはしなかったのだが、やがて、
「しかし、重秀に浮浪者の知人がいたとは思えないな。それに、重秀が浮浪者とトラブルを引き起こすとも思えないな」
 と、徳三は気難しげな表情を浮かべては、小さく頭を振った。
「そりゃ、人間社会には、予想もしてなかった出来事が発生する可能性がありますからね。ですから、お父さんはそう思われてるのかもしれませんが、重秀さんには浮浪者の知人がいたのかもしれませんよ。で、重秀さんが銀座のクラブを後にしたのが、午後十時半頃で、死亡推定時刻が午前二時から三時の間ですから、時間が空き過ぎているのですよ。
 それ故、その浮浪者は重秀さんの知人であった可能性があるというわけですよ。知人となら、何かと話すことはあるでしょうからね」
 と、宗方は眼をキラリと光らせては言った。そんな宗方は、その可能性は十分にあると言わんばかりであった。
 すると、徳三は、
「僕はその推理にはあまり賛成は出来ないな」
 と、宗方から眼を逸らせては、重苦しい口調で言った。
 そんな徳三に構わずに、宗方は更に話を続けた。
「で、その浮浪者に関しては、既に情報があるのですよ。年齢は四十から五十位で、痩せてはいるが身体付きは平均的なもので、生まれは九州なんですよ。そして、三十になる頃までは、九州で職を転々としながら九州で暮らし、その後、東京に出て来ては、飲食店なんかで皿洗いとかコックなんかをやってたらしいのですよ。そして、飲食店で働いていた時に、同僚に貸したお金を返してもらえずに、その同僚がとんずらし、また、金も無くなってしまい、人生が嫌になり、浮浪者になったそうです。
 また、浮浪者の母親はバーのホステスをやっていて、学者であった資産家の男が、バーのホステスを手込めにした結果、その浮浪者が生まれてしまったそうです。その浮浪者には、そういった出生の経緯があるそうです。 
 で、そういった人物に、国松さんは心当りありませんかね?」 
 と、宗方は徳三の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、徳三の表情は、見る見るうちに青褪めた。そして、身体を小刻みに震わせた。その様を見れば、徳三は今の宗方の言葉に大いに動揺したかのようであった。
 しかし、徳三はすぐに平静を取り戻した。
 そんな徳三は、
「そのような人物に、心当りないな」
 と、宗方から眼を逸らせては、素っ気なく言った。
 そう徳三に言われると、宗方は、
「それは残念ですね。僕はその様な人物に国松さんは何か心当りあるのではないかと思っていたのですがね」
 と、いかにも残念だと言わんばかりに言った。
 そして、今度はいつの間にか、姿を見せていた早苗に対して、
「奥さんはそういった人物に心当りありませんかね?」
 宗方にそう言われると、早苗は十秒程言葉を詰まらせたが、やがて、
「特にないですね」 
 と、宗方から眼を逸らせては小さな声で言った。
「そうですか。それは残念ですね」
 と、宗方も小さな声で言った。そして、
「では、以前も訊いたのですが、重秀さんを恨んでいたような人物はいませんかね? どんな些細なことでも構わないのですが、気付いたことがあれば、話していただけませんかね?」
 と、宗方が言っても、徳三も早苗も気難しげな表情を浮かべては、何も言おうとはしなかった。 
 それで、宗方はこの辺で高野刑事と共に、国松邸を後にすることにした。
 国松邸の前に停めてあったパトカー二人が乗り込むと、パトカーは出発した。
 国松邸が見えなくなった頃、高野刑事は、
「僕は国松さんの返答は、どうも妙に思えますね」
 と、眉を顰めた。
「妙とは?」
「つまり、警部の話に何か心当りあるんじゃないかということですよ」
 と、渋面顔で言った。
「そうか。僕もそう思ったよ。つまり、国松さんは何かを知っているのに、それを隠したのではないかということだよ」
 と、宗方も渋面顔で言った。
「警部もそう思いましたか」
 高野刑事は眼を大きく見開き、輝かせては言った。
 そして、二人の間に少しの間、沈黙の時間が流れたが、やがて、宗方は、
「それに、僕は閃いたことがあるんだよ」
 と、眉を顰めては言った。
「閃いたこと? それ、どういうことですかね?」
 徳三は好奇心を露にしては言った。
「つまり、浮浪者はてて無し子で、その父親は学者で、また、資産家であり、バーのホステスを手込めにした為にその浮浪者は生まれたと言ったらしいが、その父親とは、即ち、国松徳三さんではなかったのかと、閃いたというわけだよ」
 そう言い終えた宗方の表情は、とても厳しいものであった。そんな宗方の表情は、決して公にしてはいけない秘め事を暴露してしまったと言わんばかりであった。
 高野刑事はその宗方の推理が衝撃的であったのか、
「えっ!」
 と、驚きの声を上げた。
 そんな高野刑事に、
「絶対にそうだと断言はしないさ。しかし、可能性としては、有り得ると思うんだよ。
 つまり、重秀さんはその浮浪者、即ち落ちぶれていた異母弟に夜の銀座で偶然に出会う。そして、その異母弟と長々と話し込んでしまったんだよ。異母弟なら、長々と話し込んでも不思議ではないからな。
 そして、二人の話はやがてトラブルとなり、異母弟はカッとして重秀さんをナイフなんかで刺し殺してしまったというわけさ。
 だが、そのことを察知した徳三さんは、その浮浪者が自らの子供だというわけにはいかず、心当りないと言ったんだよ。何故なら、自らの子供が重秀さん刺し殺したなんて、言いたくないからな。
 だから、徳三さんは我々に嘘をついたんだよ」
 と、宗方はその可能性は充分にあると言わんばかりに言った。
 その宗方の推理に、高野刑事は、
「僕もその推理に賛成です!」
 と、声高に言った。そんな高野刑事の表情は、正にその通りだと言わんばかりであった。
 そんな高野刑事を見て、宗方は力強く肯き、
「とにかく、重秀さんに異母兄弟がいたのか、重秀さんの友人たちに聞き込みを行なってみよう」
 ということになり、宗方と徳三は、重秀のアドレス帳なんかを元に、重秀の友人だった者たちに電話をして、重秀に異母兄弟がいなかったか、聞き込みを行ってみた。
 だが、その誰もかれもが、重秀からそのような異母兄弟がいたというような話を耳にしたことはないと証言したのだ。
 しかし、宗方は、
「それは、当然のことかもしれないよ。誰だって、自らの父親がバーのホステスを手込めにした結果生まれた異母兄弟がいるなんてことを言いたくないさ。それは、正に恥だからな」
「じゃ、どうやって、その事実を突き止めるのですかね?」
 高野刑事は冴えない表情で言った。
 すると、宗方の言葉は詰まった。国松家の者は、その事実を決して宗方たち警察には話さないと思ったからだ。
 それで、
「国松家の親戚の者に当ってみよう。親戚なら、話すかもしれないよ」
 と宗方は言い、その捜査を行なってみることにした。
 
     2

 だが、その翌日の朝の九時に、署に一人の女性が宗方を訪ねて来た。
 それで、宗方はとにかくその女性の許に行った。 
 すると、その女性は、昨日国松邸で眼にした重秀の妻だった国松早苗であった。
 その国松早苗が、わざわざ朝早く、築地署にまで来たということは、何か重要な話があるのかもしれない。
 そう察知した宗方は、真剣な表情を浮かべては、早苗を取調室に連れて行った。そして、テ―ブルを挟んで、早苗と向い合った。
 すると、早苗は、
「宗方さんに話したいことがあるのですよ」
 と、宗方から眼を逸らせては、何となく決まり悪そうに言った。そんな早苗は、かなり緊張してるかのようであった。 
 そんな早苗に宗方は、
「まあ、気を楽にしてくださいな」
 と、早苗の緊張を解きほぐすかのように言った。
 すると、早苗は、
「はぁ……」
 と、畏まった様を見せた。
 そんな早苗に、
「で、それはどういったことですかね?」
 と、穏やかな表情と口調で言った。
 すると、早苗は眼を大きく見開き、宗方を見やっては、
「昨日は、義父が傍らにいた為に話しにくく、宗方さんに話すことが出来なかったことがあるのですよ」
 そう早苗に言われ、宗方は眼を大きく見開いた。今の早苗の話が、宗方たちが必要としてる情報ではないかと思ったのだ。
「実はですね。私は昨日、宗方さんが言ったような浮浪者に心当りあるのですよ」
「それ、どういった人物なんですかね?」
 宗方は眼を大きく見開いては言った。
「それは、主人の弟なんですよ」
 早苗は宗方に眼を向けていたのだが、そんな早苗は、いかにも決まり悪そうであった。
「ご主人に弟さんはおられたのですかね?」
 宗方は、それはやはり宗方の推理通りだと思ったが、そのような思いは無論述べず、些か驚いたように言った。
「ええ。いました。でも、異母弟なんですよ。でも、義父はその異母弟を認知していないのですよ。そのような異母弟がいるということを主人は半年程前に私に打ち明けたのですよ。
 私と主人の話が、たまたま遺産相続に及んだ時に、主人は決まり悪そうな表情を浮かべながら、その異母弟のことを打ち開けたのですよ。
 でも、その異母弟の出生の経緯に関して不純なものがある為に、義父はその異母弟のことを認知出来ないのだと、主人は言っていますね。そして、主人はその異母弟と一度だけ会ったことがあると言っていました。でも、私は一度も会ったことはありません。
 でも、宗方さんが言ったその出生の経緯や、九州で生まれ、三十の時まで九州で職を転々としながら暮らしていて、三十になってから東京に出て来てへ、飲食店で皿洗いとかコックをやっていたというのは、私が主人から聞いた主人の異母弟の話と全く同じなのですよ。
 もっとも、その異母弟が、銀座で浮浪者をやってたという話は、私は主人から聞いたことはなかったのですが、でも、やはり、その浮浪者は主人の異母弟ではなかったかと思ったのですよ。
 また、義父も宗方さんからそう言われ、義父が認知していない義父の子供だと思ったと思います。
 しかし、そのことは、やはり、口に出し辛かったのだと思いますよ」
 と、早苗はこのようなことは、あまり言いたくないと言わんばかりに言った。
 そんな早苗に、宗方は、
「よくぞ、話してくれました」
 と、早苗に改めて礼を述べた。そして、
「我々が探している浮浪者とは、やはり、重秀さんの異母弟だと思いますね」 
 と、力強い口調で言った。
 すると、早苗はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべた。早苗の表情には、やはりこのような事は話さなければよかったという悔恨の念が垣間見えていなかったといえば、それは嘘になるだろう。
 それはともかく、早苗は、
「じゃ、主人の異母弟が、主人を殺したのですか?」 
 と、いかにも強張った表情を浮かべては言った。
「その可能性はあると思うのですが、まだ状況証拠だけですからね。ですから、断言は出来ないですよ」
 と、宗方は眉を顰めては言った。
「そうですか。でも、主人によると、その異母弟は、随分と主人のことを羨ましがってたそうなんですよ。豪邸に住んで、お金も一杯持っていて、どうして兄弟なのに、こんなに違うのかと言わんばかりに。
 そして、浮浪者となってしまった異母弟と主人が、銀座で偶然に出会ってしまえば、何だかんだと話し込んでしまっても不思議ではありません。また、主人の異母弟が銀座で浮浪者をしているということは、私に言い辛かったので、仕事で帰れないと言って来たのかもしれませんね。
 そして、主人と異母弟との話は、やがてトラブルとなってしまい、主人は異母弟に刺されてしまったのですよ。これが、事件の真相ではないかと思うのですよ」
 と、早苗はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべては、重大な告白を終えたと言わんばかりに、大きく溜息をついた。
 早苗にそう言われ、宗方は大きく肯いては唇を噛み締めた。宗方もその可能性が、最も高いと思ったからだ。
 とはいうものの、確証はない。それ故、確証を摑まないと、重秀の異母弟を重秀殺しで逮捕出来ないだろう。それに、その異母弟が何処にいるのか、それを突き止めなければならないだろう。
 しかし、その異母弟が何処にいるのか、その情報は早苗も持ってないと早苗は言った。
「では、その異母弟の姓名は分かりますかね?」
「それも、分からないのですよ」
 と、早苗は申し訳なさそうに言った。
 しかし、それに関しては、徳三が知っているに違いない。
 それで、宗方はそう早苗に言うと、早苗は、
「私もそう思いますが、私が異母弟のことを刑事さんに話したことは、義父には黙っていてくださいね」
 と、まるで宗方に訴えるかのように言った。
「そりゃ、分かってますよ」
 と、宗方は早苗を安心させるかのように言った。
 そして、この辺で、早苗は築地署を後にした。

     3

 そして、少し時間が経った頃、宗方は高野刑事と共に国松邸に向かった。
 国松邸に付くと、インターホンで宗方は徳三に来意を告げた。
 すると、徳三は、
「その浮浪者のことで、どういった話があるのかな」
 と、素っ気なく言った。
「インターホンでは話にくいのですが」
 と、宗方が言うと、宗方と高野刑事は、昨日と同様、お手伝いの花子によって、昨日の東屋へと連れて来られた。昨日と同様、徳三は今、そこにいたからだ。
 そして、徳三と同様、宗方と高野刑事は籐椅子に座ると、徳三は、
「重秀を殺した犯人にもう目星がついたのですかね?」
 と、いかにも神妙な表情を浮かべては言った。そんな徳三は、犯人に目星がついても、重秀は戻って来ないと言わんばかりであった。
「いや、まだ目星はついていません」
 宗方は些か申し訳なさそうに言った。
 すると、徳三は気難しげな表情を浮かべては、何も言おうとはしなかった。
 そんな徳三に、
「僕は昨日、重秀さんの事件には、浮浪者が関係してるということを話しましたね。また、その浮浪者の特徴を話したのですが、そのことを覚えておられますね」
 宗方は徳三をまじまじと見やっては言った。
 すると、徳三は宗方から眼を逸らせては、
「覚えているよ」
 と、何ら表情を変えずに言った。
「そうですよね。で、その浮浪者のことに、本当に心当りありませんかね?」
 と、宗方は再び徳三の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、徳三は宗方に視線を合わせようとはせずに、
「ないな」
 と、素っ気なく言った。
「そうですかね。その浮浪者は、インテリの資産家が、バーのホステスを手込めにした結果、生まれてしまい、三十になる頃までは、九州で職を転々としては暮らし、四十になった頃、東京に出て来ては、飲食店なんかで皿洗いとかコックなんかをやっていては暮らしていたという経歴の持ち主なんですよ。
 国松さんは、そういった人物に心当りありませんかね?」
 と、宗方は徳三をまじまじと見やっては言った。
 すると、徳三は眼を大きく見開き、宗方を見やっては、
「何度言ったら、分かるんだ! わしはそのような人物を知らないと言ったじゃないか!」
 と、宗方を怒鳴り付けるかのように言った。
 そんな徳三に宗方は怯むことなく、
「では、重秀さんは一人息子だったのですかね?」
 と、表情を改めては言った。
「そうだが」
 徳三は宗方から視線を逸らせては言った。
「そうですかね? 重秀さんには弟がいたという情報を摑んだのですよ。
 でも、その弟は戸籍上では、重秀さんの弟ではありません。その弟とは、重秀さんの異母弟で、母親の籍に入っていて、国松さんはその弟を認知していないのですよ」
 宗方がそう言うと、徳三の表情は一気に青褪め、そして、身体を小刻みに震わせた。その徳三の様からしても、今の宗方の言葉の正しさを証明してるかのようであった。
 宗方の言葉に、徳三は宗方から視線を逸らせては、言葉を発そうとはしなかった。
 そんな徳三に、宗方がこれから話すことは、正に年老いた身体に鞭打つかのようで、気が退けないこともなかったが、重秀を殺した人物はたとえ身内でも逮捕しなければならないので、宗方は表情を引き締め、
「僕が今、言ったことは、事実なんですよね」 
と、徳三に詰め寄るかのように言った。
 だが、徳三は引き攣ったような表情を浮かべては、何も言おうとはしなかった。
 しかし、その徳三の沈黙は、宗方の言葉の正しさを物語ってると思われた。
 それで、宗方は更に話を続けることにした。
「つまり、国松さんは最初から僕が話した浮浪者のことを誰なのか、分かっていたのですよ。
 即ち、その浮浪者とは、重秀さんの異母弟なんですよね? その浮浪者とは、国松さんがバーのホステスを手込めにした結果、生まれてしまった国松さんの実子なんですよね?」
 宗方はいかにも真剣な表情を浮かべては、徳三に詰め寄るかのように言った。
 だが、徳三は依然として、言葉を発そうとはしなかった。そんな徳三は、大金持ちの主というよりも、いつ死んでもおかしくないような、よれよれの老人といったように見えた。
 そんな徳三に、宗方は、
「その重秀さんの異母弟が、重秀さんを殺したとは言ってませんよ。
 しかし、重秀さんの死に何らかの関わりがある可能性はあるのですよ。
 それ故、その人物の居場所を知っておられるのなら、話していただけませんかね?」
 と、徳三に訴えるかのように言った。
 だが、徳三は、宗方から眼を逸らせたまま、
「知らん」
 と、宗方を突き放すかのように言った。
「知らん、ですか。でも、その人物が、国松さんの息子だということは、認めていただけるのですよね?」
 と、宗方は徳三の顔をまじまじと見やっては言った。
 だが、徳三は渋面顔を浮かべては、宗方から眼を逸らせ、何も言おうとはしなかった。
 しかし、その徳三の様を見れば、今の宗方の言葉の正しさを証明してるといえよう。
 それで、宗方は、
「是非、我々の捜査に協力してくださいな。我々は何としてでも、重秀さんの異母弟に会って、話を聴きたいのですよ。
 そうすれば、事の次第が明らかになり、重秀さんの異母弟の無実が証明されるかもしれないじゃないですか。そうなった方が、国松さんも枕を高くして眠れるというものではないですかね?」
 と、まるで徳三に訴えるかのように言った。
 すると徳三は宗方を見やっては、眼を大きく見開き、
「だから、知らんのだ! そいつが、今、何処で何をしてるのか、わしは何も知らんのだ!」
 と、まるで宗方の不快な質問を払い退けるかのように言った。
「そうですか。それは、残念ですね。
 では、その人物は、何という名前なのですかね?」
 宗方は興味有りげに言った。
「確か、菊川秀明といったな」
 徳三は宗方から眼を逸らせて、呟くように言った。
「菊川秀明さんですか。で、菊川秀明さんは、いつ頃から国松さんの前に現われるようになったのですかね?」
「今から、五年位前だったかな」
「五年前から、秀明さんと国松さんたちの間では、何かトラブルが発生していたのですかね?」
「トラブルというようなものは、特に発生していなかったな。ただ、秀明は金が欲しかったんだ。そして、秀明の出生の秘密を近所に触れ回られたくなければ、金をくれと、わしを脅したんだ。
 それで、わしは仕方なく、秀明に五百万やったんだよ」
 と、徳三はいかに誰にも話したくないような身内の揉め事を話すかのように言った。
「そうでしたか。で、その後、秀明さんは再び国松さんたちの前に姿を見せては、また同じような要求をして来たのですかね?」
「わしの前には姿を見せなかったが、三年前に、重秀の前に姿を見せたそうだ。この家の近くでな。秀明はわしたちがこの家から出て来るのを待ち伏せしていたみたいだ。で、その時も、秀明は、秀明の出生の秘密を楯に、重秀を脅し、金を要求したらしいんだ。それで、重秀は秀明に五十万くれてやったそうだ」
 と、徳三は重苦しい口調で言った。
「成程。となると、重秀さんが死んだ時は、偶然に重秀さんと秀明さんが銀座で再会されたのでしょうね」
 と、宗方が言っても、徳三は何も言おうとはしなかった。
 とはいうものの、国松家の者と、重秀の異母弟の菊川秀明の関係は、凡そ分かった。
 また、宗方は徳三に、秀明は重秀殺しの犯人であるとは限らないと言ったが、宗方は徳三の話を耳にして、秀明は重秀殺しの犯人であるという思いを一層強めた。とはいうものの、その事を徳三に話すと、徳三は宗方たちの捜査に一層非協力的になるかもしれない。
 それ故、宗方は秀明の母が菊川豊子という名前で、九州の博多方面の出身だという情報を入手すると、この辺で国松邸を後にすることにした。
 国松邸を後にすると、宗方は、
「やはり、菊川秀明が怪しいな」 
 と、眉を顰めては言った。
「僕もそう思いますよ。秀明は正に人生の失敗者として、銀座で路上生活者となってしまいました。それ故、さぞ面白くないと思いを抱いていたことでしょう。
 そして、そんな秀明の前に、銀座のクラブで思う存分飲み、千鳥足で歩いて来た重秀さんと鉢合わせしてしまったとします。すると、秀明さんはさぞ面白くない思いを抱いたことでしょう。
 それ故、そんな秀明さんの思いが爆発し、それが重秀さんの死に繋がったのでしょう。
 もっとも、殺すつもりはなかったのですが、アクシデントなんかも災いし、重秀さんは死に至ってしまったのでしょう」
 と、高野刑事はまるで宗方に相槌を打つかのように言った。
 高野刑事にそう言われ、宗方は小さく肯いた。正に、高野刑事が言った通りだと思ったからだ。正に、状況証拠などからして、菊川秀明なる男が、国松重秀を殺したということは、ほぼ確実であろう。
 とはいうものの、菊川秀明が今、何処で何をしてるのかは、まるで分からないという状況だ。顔写真があれば、役立つのだが、それもないという有様だ。
 また、秀明の交友関係が分かれば、その線から捜査を進めるのだが、それも出来ない。
 さて、困った!
 今後、どのようにして、捜査を進めて行けばよいのだろうか? 宗方たちは、分からなくなってしまった。何かよい手段はないものか?
 そう思ってみても、まるでよい手段というものが、浮かんで来なかったのだ。

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