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 正行の今のアルバイトは引越しの手伝いであった。即ち、引越し先の荷物をトラックまで運び、転居先に送り届けるというものであった。
 そのアルバイトはまずまずの時給を貰えはしたが、正行と同じアルバイトの若者が引越し物を破損させてしまったりして、随分揉めたりするトラブルを正行は目の当りにした。それ故、改めて働くということは大変だと、正行は実感していた。
 それはともかく、今日は休暇日であったので、正行は上野に行っては、以前から見たいと思っていた某映画を見た。
 そして、その後、浅草に行っては仲見世辺りをぶらぶらしては、正行のアパートに戻ったのは、午後八時であった。
 正行のアパートは、無論、正行が窃盗を行なっていた時に住んでいたアパートとは別のアパートであった。とはいうものの、以前のアパートから引越す時は、正行は随分気を使ったものであった。というのは、正行が仕出かした事件が新聞の記事になった直ぐに引越してしまうと、万一正行に不審な眼が向けられるかもしれない。それ故、正行はその記事が新聞に載った後、さらに三ヶ月程、そのアパートに住み続けたのであった。だが、その三ヶ月は正に正行にとって、心苦しい日々であった。いつ、警察が正行の許に現われては、正行を署に連行しては訊問を行なうかもしれないと思ったからだ。
 だが、幸運にも正行の前に警察が姿を見せることはなかった。そして、正に満を持して正行は引越したのだ。そして、その新たなアパートで正行は全うな暮らしを始め、そして、二年が経過したのである。
 それはともかく、その築二十五年目の木造アパートに正行が戻って来たのは、午後八時だった。そして、いつも通り、玄関扉の鍵を開け、室の中に入った。
 正行の室は2Kであった。即ち、六畳と四畳半の畳部屋と小さな炊事場がある安アパートであった。そんな正行のアパートの鍵は正に昔に建てられた安アパートである為にピッキングし易いものであった。この程度の鍵であれば、正行なら四、五十秒あれば開けられることであろう。それ故、正行の部屋もピッキング強盗に狙われ易い部屋であった。
 そのことを正行は十分に認識した上でこの部屋を正行は借りた。というのは、まさかピッキング強盗が、ピッキングされ易い室に住んでるとは思わないだろうから、正行は世間の眼を欺く為にも、このようなアパートを借りることにしたのだ。また、家賃が安いというのも、正行がこのアパートを借りた要因であったことは言うまでもないが。
 とはいうものの、ピッキング犯がピッキング犯の被害に遭ったとしたら、それは笑い話であろう。だが、前述の理由から、正行はこのようなアパートに入居しなければならなかった。それ故、もし被害に遭っても、その被害を最小限に食い止めるようにすればよいのだ。その信念に基づいて正行は部屋に現金は置かないことにしていた。また、通帳は洗剤の中に隠し、印鑑はトイレットペーパーの芯の中に隠すといった慎重さであった。何しろ、安アパート住まいといえども、正行は三百五十万程の銀行預金があった。そして、その預金の殆んどは正行がピッキング強盗で手にしたものであった。それ故、その三百五十万あっさりと盗まれてしまっては、今までの正行の労働の成果が水泡に帰してしまう。それ故、盗まれないように十分に配慮しなければならないのである。
 それはともかく、正行はいつも通り玄関扉の鍵を開けた。すると、正行はほっとした。何故なら、きちんと鍵が掛かっていたからだ。これが、鍵が開いていたとなれば、正行の表情は氷りついてしまうことであろう。鍵が開いていたとなれば、ピッキング強盗の被害に遭ったということだから。
 それはともかく、玄関扉を開けて中に入った正行の表情はすぐに怪訝そうなものへと変貌した。何故なら、玄関扉の新聞受けから、少し大きめの茶色の封筒が投げ込まれていたからだ。
 それで、正行は怪訝そうな表情を浮かべたのだ。一体、何の封筒なのかと正行は思ったからだ。
 正行はとにかく、その茶色の封筒に何が入っているのか、見てみることにした。何だか、かなり何かが入ってるような感触であったので、正行の表情は一層怪訝そうなものへと変貌したのである。
 その茶色の封筒には、宛名も差出人の名前も住所も書いてなかった。それ故、正行の室の新聞受けに、直接に投函されたものと思われた。
 だが、封がしてあったので、正行は慎重な手付きで封を破った。そして、中に入っていたものを手にしたのだが、すると、正行は突如、驚愕の表情を浮かべた。何故なら、その封筒には何と一万円札がたっぷりと入っていたからだ。そう! 正に百万を越す位の一万円札が入っていたのだ!
 この不可解な事実を目の当りにして、正行が驚愕の表情を浮かべるのは、当然といえるだろう。
 それで、正行はひょっとして夢の中にいるのではないかと、頬っぺたを右指でつねってみた。
 すると、確かに痛さを感じた。確かに、正行は今、夢を見てるのではないのだ!
 この不可解な事実に直面してしまった正行は、とにかくその一万円札が果して何枚あるのか、チェックしてみた。
 すると、百五十万あった。即ち、百五十万入った茶封筒が何故か正行の玄関扉の新聞受けに放り込まれていたのだ。しかし、こんな馬鹿なことが有り得るだろうか……。
 正行はそう思うと、些か険しい表情を浮かべざるを得なかった。というのは、何か間違いが発生したのではないかと、思ったからだ。
 即ち、茶封筒には宛名が書いてない。ということは、百五十万を正行の玄関扉の新聞受けに入れた人物は、それを入れる相手を間違えてしまったということである。即ち、正行の隣室に入れるか、あるいは、正行の階下の室に入れなければならないのに、誤って正行の室に入れてしまったというわけだ。これが、正解であろう。
 そう察知すると、正行は些か納得したように肯いた。即ち、それが正解だと、正行は認識したからだ。何しろ、正行は百五十万を受取るような当てがないことは、百パーセント間違いないからだ。
 それで、どうしようかと、正行は迷ったが、しかし、その迷いは直ぐに吹き飛んだ。何故なら、正行がわざわざ、「正行の隣室に誤って正行の室に百五十万放り込まれてましたが、この百五十万の受取人はあなたではないですかね?」という具合に話を持ち掛ける必要などないからだ。そんな馬鹿馬鹿しいことを、正行が行なう必要など、微塵もないのだ! 正行はそう認識したのだ!
 だが、ここで正行の脳裡には再び迷いが生じた。その迷いとは、もし、隣室、あるいは、階下の者が「誤って正行の室に百五十万が入った茶封筒が放り込まれてませんでしたか?」と訊きに来れば、正行はどうすればよいのかということだ。正に、これには正行は迷ってしまうというものだ。
 というのは、何しろ正行は今、金に困っている。そうでなければ、このような安アパートに住まなくてもよいし、また、もっと贅沢な暮らしが出来るというものだ。それ故、正行が偶然に受取ったこの百五十万は正に正行にとっては、貴重なお金なのだ。それ故、一度受取ったものをあっさりと返すというのも如何なものか。
 そう思うと、正行はもし、隣室の者、あるいは、階下の者がこの茶封筒のことを問合せて来ても、知らぬ存ぜぬで押し通してやることにした。正に、誤って百五十万もの金が入った茶封筒を入れた者の方が悪いというものなのだ。
 そう思うと、正行はいかにも決意を新たにしたような表情を浮かべたのであった。
 そして、三日が経過した。
 だが、事態に変化は見られなかった、。即ち、その茶封筒のことを問合せて来たものは、三日経っても正行の前に現われなかったのだ! 正にこれは一体どういったことなのだろうか?
 正行は、正に怪訝そうな表情を浮かべざるを得なかった。茶封筒を正行の室に入れた入れ主は入れる室を間違えたに違いないのだ。だが、入れ主はそれに気付いていない。それで、本来の茶封筒の受取人から入れ主に問い合わせが入り、その結果、手違いが明らかとなる。それを受けて、正行に問い合わせが入る。この経緯が進行する筈であった。しかし、そのようにはならなかったのだ!
 それで、正行はどうもしっくりしない気持ちに捕らわれたのが、しかし、正行の表情は徐々に穏やかなものへと変貌して行った。即ち、正行が受取った茶封筒の問い合わせが入らない方が正行にとって都合がよいことは当然だからだ。正行はこのことを無論警察に届け出るつもりはない。貧乏人の正行が偶然にしろ、手にした百五十万ものお金をあっさりと手放すわけがないじゃないか!
 そう思うと、正行は改めて決意を新たにした表情を浮かべた。そして、茶封筒のことを正行に問合せて来る人物は、正行が茶封筒を受取って六日経っても、現われはしなかったのである!

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