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与那覇前浜の近くに住んでいる安里邦生に又吉が会ったのは、その日の午後七時頃のことであった。安里邦生は、某観光ホテルで調理人をやっているとのことだ。
邦生は制服姿の又吉の姿を見ると、表情を強張らせた。そんな邦生は、何故警官が姿を見せたのか、その理由が分からないと言わんばかりであった。
そんな邦生に、又吉は、
「何故僕が安里さんに話を聴く為に、こうしてやって来たのか、その理由が分かりますかね?」
と、邦生の顔をまじまじと見やっては言った。
すると、邦生は怪訝そうな表情を浮べては、
「分からないですね」
「そうですか。では、その理由を説明しますね。
安里さんは、玉垣八朗君のことを知ってますよね」
そう言っては、又吉は邦生の顔をまじまじと見やった。
だが、邦生はすぐには言葉を発そうとはしなかった。
だが、邦生の沈黙は二十秒程で終わり、
「太郎を殺した奴のことですかね?」
と、重苦しい声で言った。
「殺したとは限りませんが、その玉垣八朗君のことです」
と言っては、又吉は小さく肯いた。
「……」
「で、その玉垣君が、一昨日、フナウサギバナタ展望台際の海で他殺体で発見されたのをご存知ですかね?」
と、又吉は邦生の顔をまじまじと見やっては言った。
すると、邦生は黙って肯いた。
すると、又吉も小さく肯き、そして、
「で、八朗君の死は、太郎君の場合とは違って、他殺だと確定してるのですよ。つまり、何者かに首を絞められて殺されたのですよ」
「……」
「それ故、我々は今、八朗君を殺したのは誰なのか、捜査してるのですよ。万一、八朗君が太郎君を海に突き落として殺したのだとしても、その犯人を見付け出さなければなりませんからね」
と、又吉は邦生に言い聞かせるかのように言った。
すると、邦生は又吉から眼を逸らせては、何も言おうとはしなかった。
そんな邦生に、又吉は、
「安里さんは、八朗君を殺した人物に心当りありませんかね?」
と、邦生の顔をまじまじと見やっては言った。
すると、邦生は、
「ないですね」
と、素っ気なく言った。そんな邦生は、八朗が死んだことなど、特に興味がないと言わんばかりであった。
「安里さんは、フナウサギバナタ展望台で太郎君は八朗君たちに海に突き落とされて殺されたと思われてるのですよね?」
「勿論、そうです。太郎はその当時、十七歳だったのですから、あのような場所で誤って足を踏み外し、死亡するなんてことは有り得ませんよ」
そう言っては、邦生は甚だ厳しい表情を浮かべた。
「しかし、警察はそれを証明出来なった」
「そうですよ。正に税金泥棒ですよ! 何故、警察は玉垣八朗のことを逮捕してくれなかったのですか! 太郎は日頃から、八朗たちに虐められてたのですよ。玉垣たちの虐めが嫌で、学校を休んだこともあるのですよ。そのような状況だから、太郎は八朗たちに海に突き落とされたのに違いありません! あるいは、海に飛び込むように強要されたのかもしれません!
しかし、いずれにしても、玉垣たちが太郎を殺したということには、変わりありませんよ! そのようなこと位、何故警察は分からないのですか!」
と、邦生は怒りの眼を又吉に向けた。
そう邦生に言われ、又吉はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべた。確かに、邦生の言ったことはもっともなことと思えたからだ。
即ち、太郎の死は、やはり、八朗たちにもたらされたということだ。
しかし、今になって、それを証明することは不可能だろう。
また、そうだからといって、邦生が八朗を殺してよいということではないだろう。
そう思った又吉は、八朗の死亡推定時刻。即ち、十月二十五日の午後八時から十時の邦生のアリバイを確認してみた。
すると、邦生は、渋面顔を浮べては、言葉を詰まらせた。
そんな邦生を見て、又吉は手応えを感じた。何故なら、邦生はその頃、八朗を殺したのだ。それ故、今の又吉の問いにあっさりと返答出来ないのだ。
そう思うと、又吉は薄らと笑みを浮かべたのだが、そんな又吉に、邦生は、
「刑事さんは、何故そのようなことを訊くのですかね?」
と、些か納得が出来ないように言った。
「どうしてって、その時間帯が玉垣八朗君の死亡推定時刻だからですよ」
「ということは、僕が疑われてるということですかね?」
邦生は再び些か納得が出来ないように言った。
「安里さんは容疑者の一人でしてね。何しろ、安里さんが玉垣君に強い恨みを持ってることは確実ですからね。
その恨みが高じて、殺しに繋がったという可能性は、否定出来ませんからね」
と又吉は言っては、大きく肯いた。そんな又吉は、その可能性は十分にあると言わんばかりであった。
すると、邦生は又吉から眼を逸らせては、決まり悪そうな表情を浮べては、言葉を詰まらせた。
だが、程なく又吉を見やっては、
「僕は玉垣君を殺してはいませんよ」
「じゃ、その頃、何処で何をしてましたかね?」
「家にいましたよ」
そう邦生に言われると、又吉は薄らと笑みを浮べては、
「それだけでは、疑いは晴れませんよ。玉垣君の死亡推定時刻は、十月二十五日の午後八時から十時の間なんですが、その頃、家にいたじゃねえ。アリバイは曖昧といわざるを得ませんよ。
その時間帯に玉垣君と偶然に顔を合わせたりしては、口論となり、ついかっとして、首を絞め、殺したんじゃないですかね。そして、八朗君の死体を翌朝、伊良部島にまで行っては、フナウサギバナタ展望台際の海に遺棄したのではないですかね。それが、玉垣君の事件の真相なんじゃないですかね」
と言っては、唇を歪めた。そんな又吉は、それが事件の真相だと言わんばかりであった。
だが、邦生は、そんな又吉の推理は話にならないと一蹴した。
それ故、又吉はそれ以上強く出ることは出来なかった。何故なら、アリバイが曖昧だという以外に、何ら証拠がないからだ。これでは、話にならないというものだ。
しかし、その二日後に、捜査を一気に前進させるに違いない有力な情報を入手することが出来たのだ。その情報を警察に提供したのは、パイナガマビーチの近くに住む具志堅治という以前、伊良島でカツオ漁を営んでいた漁師だった。具志堅は七十歳になった昨年、漁師を引退したのだ。
宮古島署に姿を見せた具志堅は、又吉に対して、
「俺は、とんでもない場面を眼にしたのかもしれないのですよ」
と、興奮の為か、些か声を上擦らせては言った。
「とんでもない場面? それ、どういうことですかね?」
又吉は具志堅とは対照的に、落ち着いた表情と口調で言った。
「ですから、人殺しの場面ですよ」
具志堅は再び声を上擦らせては言った。
そう具志堅に言われ、又吉は眼を大きく見開き、輝かせた。有力な情報を入手出来るのではないかと思ったからだ。
それで、眼を輝かせては、
「それ、どういったものですかね?」
「十月二十五日に、俺はいつも通り、パイナガマビーチに行ったんだ。俺は毎日といっていい位、午後八時頃に犬の散歩に行くんだよ。
そして、浜の近くまで行っては、戻って来たんだが、その時、とんでもない場面を見てしまったんだよ」
と、声を上擦らせては言った。
「そのとんでもない場面とは、どういったものですかね?」
又吉は好奇心を露にしては言った。
「だから、八朗君と八朗君のお父さん位の中年の男が言い争ってる場面だよ」
と、早口で捲くし立てた。
「どうして、具志堅さんは八朗君のことを知っているのですかね?」
「どうしてって、八朗君は俺の遠縁にあたるんだよ。つまり、八朗君は俺の従姉妹の孫なんだよ」
そう具志堅に言われ、又吉は眼をキラリと光らせた。八朗と言い争ってた男性というのが、安里邦生ではないかと思ったからだ。
それで、又吉は、
「その男性は、具志堅さんの知らない男性だったのですかね?」
「ああ。そうだ。しかし、島の者だと思うな。観光客ではなかったと思うな」
「どうして、そう言えるのですかね?」
又吉は興味有りげに言った。
「どうしてって、観光客があんな時間にパイナガマビーチで八朗君と言い争うわけがないじゃないか。あの様を見てると、予め、待ち合わせをして話をしていたのが、やがて、口論になったという感じだな」
と、具志堅はそうに違いないと言わんばかりに言った。
「では、その男性の身体付きなんかは、分かりますかね?」
「そうだな。中肉中背ではなかったかな」
「では、その男性の写真を見れば、その男性だと証言出来ますかね?」
「そりゃ、無理だな。でも、似てるか似てないかは分かるな。俺は眼がいいからな」
具志堅はそう言ったので、早速、安里邦生の写真を邦生の勤務先の観光ホテルから取り寄せ、具志堅に見てもらった。
具志堅は、その安里邦生の写真をしげしげと見やったが、
「何ともいえないな。何しろ、辺りはかなり暗かったからな」
と、決まり悪そうに言った。
具志堅の証言からは、玉垣八朗の死亡推定時刻に、安里邦生が玉垣八朗とパイナガマビーチで会ってたかどうかは、何とも言えなかった。
しかし、邦生のアリバイが曖昧なことから、具志堅が眼にしたという八朗とパイナガマビーチで言い争っていた男性が、安里邦生である可能性はあるだろう。
それ故、その男性が、邦生なのかどうかは、確認しなければならない。
そこで、まず安里邦生宅の近所の住人たちに聞き込みを行なってみることにした。というのは、もし邦生がその頃、玉垣八朗とパイナガマビーチで会っていたとしたら、邦生のマイカーを使ったと思ったからだ。何しろ、邦生宅からパイナガマビーチまでは、歩けば三十分は掛かるからだ。
すると、早々と成果を得ることが出来た。というのは、邦生宅から二件隣住んでいる宮里豊という会社員が、その日は午後八時半頃帰宅したのだが、邦生宅のガレージには、邦生のマイカー、即ち日産のマーチが停まっていなかったと証言したからだ。
それを受けて、再び又吉は邦生から話を聴くことになった。
再び、邦生の前に姿を見せた又吉に対して、邦生はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべた。そんな邦生は、正に疫病神がやって来たと言わんばかりであった。
そんな邦生に、又吉は渋面顔を浮べては、
「実は、妙なことが分かったのですよ」
と言っては、眉を顰めた。
「妙なこと? それ、どんなことですかね?」
「十月二十五日の午後八時半頃、安里さん宅のガレージに安里さんの車が停められていなかったということですよ」
と、又吉は邦生に言い聞かせるかのように言った。
すると、邦生の表情が歪んだ。そんな邦生は、訊かれたくないことに言及されてしまったと言わんばかりであった。
それで、又吉は同じ問いを繰り返した。
すると、邦生は、
「喉が渇きましてね。清流飲料水を飲みたくなったので、近くの自動販売機まで車で行ったのですよ」
と、眼を大きく見開いては言った。そんな邦生は、何となく決まり悪そうであった。
「何時頃、この家を後にされたのですかね?」
「午後八時十分頃でしたかね」
「帰宅されたのは、何時頃でしたかね?」
「午後九時頃でしたかね」
「午後九時? では、清涼飲料水を買う為に、一時間も掛かったのですかね?」
と、又吉は些か納得が出来ないように言った。
「ですから、清涼飲料水を買った後、前浜まで行ったのですよ。夜の前浜で少し寛ごうと思いましてね」
と邦生は言った。だが、そんな邦生の表情は、決まり悪そうであった。
「それは、間違いないですかね?」
又吉は、邦生の顔をまじまじと見やっては言った。そんな又吉は、嘘はつかないでくださいよと、邦生を諌めてるようであった。
そんな又吉に、邦生は、
「間違いないですよ」
と、きっぱりと言った。
「では、何故最初からそう言ってくれなかったのですかね?」
と、又吉は些か納得が出来ないように言った。
「重要なことではないと思いましてね」
と、邦生は正にその通りだと言わんばかりに言った。
「とんでもない! その時間帯は玉垣君が死んだ時間帯ですからね。ですから、とても重要なことなんですよ」
と、又吉はいかにも真剣な表情で言った。
「ということは、依然として僕が疑われているというわけですか」
と、邦生はいかにも不満そうに言った。
「そりゃ、やむを得ないですよ。安里さんは、玉垣君のことを恨んでましたからね。
それに、新たに安里さんが不利になるような情報を入手してるのですよ」
と、又吉は邦生の顔をまじまじと見やっては言った。
「僕が不利になるような情報? それ、どういったものですかね?」
一朗は、挑むような眼差しを又吉に向けた。
それで、又吉は具志堅の証言を邦生に話した。
邦生はその又吉の話に、些か表情を険しくさせてはじっと耳を傾けていたが、又吉の話が一通り終わると、
「馬鹿馬鹿しい!」
と、吐き捨てるかのように言った。
「では、パイナガマビーチで玉垣君と言い争っていた中年の男性は、安里さんではなかったということですかね?」
又吉は邦生の顔をまじまじと見やっては言った。
「勿論、そうですよ!」
と、邦生は甲高い声で言った。そんな邦生は、今の又吉の話は馬鹿馬鹿しくて話にならないと言わんばかりであった。
「でも、その場面を眼にした人物は、玉垣君と言い争っていた男性は、安里さんに似ていたと証言してるのですがね」
と、多少嘘を交えて言った。
「その人物は、僕のことを知ってるのですかね?」
「いいえ」
「じゃ、どうして、僕と似てると証言出来たのですかね?」
邦生は些か納得が出来ないというように言った。
「ですから、安里さんの写真を見てもらったのですよ」
と、又吉は決まり悪そうに言った.
すると、邦生は些か笑顔を見せ、
「写真じゃ、話になりませんよ。それに、夜ですから、僕と似た別人と見間違えただけですよ」
と、その話は話にならないと言わんばかりに言った。
「でも、その頃の安里さんのアリバイは曖昧ですからね」
と、又吉は言っては、唇を歪めた。
すると、邦生は眼を大きく見開き、
「ですから、それが事実なんですから、仕方ないじゃないですか!」
と、邦生は吐き捨てるかのように言った。
邦生の言い分はこのような具合だったが、又吉は邦生の主張を信じはしなかった。