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 ところが、その又吉の読みに反して、邦生を逮捕に至るような証拠を入手することは出来なかった。いわば、壁にぶつかってしまったような状態になってしまったのだ。
 とはいうものの、宮古島フェリーの比嘉正輝が眼にした黒いサングラスを掛けた不審な男が、安里邦生ではないかという捜査が行なわれていた。比嘉が眼にした不審な男の車は、シルバーのマーチだったが、邦生の車もシルバーのマーチだったからだ。即ち、邦生は自らの車のトランクに八朗の死体を入れ、伊良部島にまで行っては、フナウサギバナタ展望台で八朗の死体を遺棄したというわけだ。
 その推理に基づいて、邦生の写真を持ち、佐良浜港発、平良港行きのフェリーの係員に邦生と思われる男性を眼にしなかったかという聞き込みを行なってみることにした。というのも、佐良浜港発平良港行きのフェリーには、黒いサングラスを掛けた不審な男性が眼にされたという証言は、今のところ、入手出来てなかったのだ。となると、邦生は素顔で佐良浜港発平良港行きのフェリーに乗船したという可能性があったからだ。
 しかし、邦生と思われる男性が乗船したという証言は得られなかったのだ。
 その結果を受けて、又吉は渋面顔を浮かべた。六月二十六日のいずれかのフェリーで安里邦夫が佐良浜港から平良港に戻ったという証拠を入手出来れば、それは有力な証拠となるからだ。しかし、そのような証拠は得られなかったのだ。
 その結果を受けて、又吉は、
「困ったな」
 と、苦虫を噛み潰したような表情で、呟くように言った。もっと有力な証拠を摑まなければ、邦生を逮捕出来ないのだ。二十六日の朝、妙な男に呼び出され、パイナガマビーチに行ったというのは、邦生の嘘に違いないのだ。また、二十五日も、八朗と口論の末に別れたと主張したが、その主張も嘘で、その時に邦生は八朗を殺し、積年の恨みを晴らしたのが、事実である可能性が極めて高いのだ。
 しかし、捜査はまるで壁にぶつかってしまったような状況なので、違う線、即ち、邦生犯人説以外のケースで今度は捜査してみようということになった。そうすることによって、新たな闇に埋もれていた事実が明るみになるかもしれなかったからだ。
 それで、八朗の同級生だった者たちに、安里邦生以外で、誰か猛烈に八朗のことを恨んでいそうな人物に心当りないかという聞き込みが行なわれた。
 すると、妙なことが浮かび上がった。というのは、八朗と仲が良かった城島正男(21)というガソリンスタンドに勤務してる男性が、
「玉垣君は安里太郎君以外にも、殺しをやったのではないかと、僕たちの間では噂になってるのですよ」
 と、いかにも言いにくそうに言った。そんな城島は、今や八朗が死んだからには、隠していても仕方ないと言わんばかりであった。
「ほう、それは、どういったことかな」
 と、又吉は好奇心を露にしては言った。
「以前、砂山ビーチで僕たち同級生五人で、泳いでいたのですよ。それは、僕たちが中学三年の時でした。季節は十月の半ば位だったですかね。
 で、その時にも、一人死んでいるのですよ」
 と、城島はいかにも神妙な表情を浮べては言った。
「死んでいる?」
 又吉はいかにも興味有りげに言った。
「そうです。野本明夫君という少年でしたがね。
 で、野本君の死因は溺死でした。つまり、深みにはまり溺死してしまったというわけですよ」
「ほう。そういった事故があったのか」
 と、又吉は眼を大きく眼を見開いては言った。何しろ、その当時は、又吉は沖縄本島での勤務であった為に、その事故のことを知らなかったのだ。
 そんな又吉は、
「で、それがどうして玉垣君が殺したと思うのかな」
 と、城島の顔をまじまじと見やっては言った。
「その事故は表向きは事故になってるのですが、僕たちの間では、玉垣君が野本君を殺したのではないかと噂してるのですよ。
 というのは、僕たちは泳いでいたというより、スノーケルをしていたのですよ。そして、野本君と玉垣君の二人が少し深い所まで行ってはスノーケルをしてたのですが、玉垣君が意図的に野本君のスノーケルを外し、そして顔を意図的に海の中に押し付けたのを見たという仲間がいるのですよ」
 と、城島はいかにも神妙な表情を浮べては言った。そんな城島は、そのことに言及することに対して、大いなる躊躇いを感じてるかのようであった。
「つまり、玉垣君が意図的に野本君のスノーケルを外した為に、野本君は溺死してしまったというわけですね?」
「そういうわけなんですよ。もっとも、野本君は安里君の場合とは違って、玉垣君とは結構親しかったし、また、野本君が玉垣君たちから虐められていたわけではないですから、誰も野本君が玉垣君の悪ふざけによって死んでしまったとは思わなかったのですよ。ただ、その時に僕たちと一緒にスノーケルをやっていた仲間だけが知ってることなんですよ。また、僕たちは、無論、玉垣君以外の三人ですが、このことは決して他人に話さないでおこうと誓ったものですから、誰もそのことを知らないのですよ。部外者としては、刑事さんが今、初めて知ったのではないですかね」 
と、城島はいかにも深刻な表情を浮べては言った。
「なる程。で、そのことが今回の玉垣君の死に関係してるのではないかと、城島君は推理してるのかな?」 
 と、又吉は城島の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、城島は、
「いや。関係してるとまでは言いませんよ。しかし、玉垣君が関係してそうな事件は安里君の件だけではないということを僕は言いたかったのですよ」 
 と、正に又吉に言い聞かせるかのように言った。
「なる程。で、野本君のお父さんは、野本君を玉垣君が死に至らしめたと疑っているのかな?」
 と、又吉は興味ありげに言った。
「さあ、どうでしょうかね?」
 と、城島はそのようなことまでは知らないと言わんばかりに言った。
 それで、八朗が野本を死に至らしめた現場を見たという新垣康志(21)から今度は話を聞いてみることにした。
 新垣康志は、突如、新垣の前に姿を見せた又吉に対して、怖気づいてるかのようであった。そんな新垣に、又吉は城島から入手した話を話した。
 新垣はといえば、そんな又吉の話に何ら言葉を挟まずに、黙って耳を傾けていたが、又吉の話が一通り終わっても、言葉を発そうとはしなかった。そんな新垣は、そのことに言及されるのは、堪らないと言わんばかりであった。
 そんな新垣に、又吉は、
「我々は玉垣君の死の真相を明らかにしなければならないんだよ。新垣君には決して迷惑は掛けないから、新垣君が眼にしたことを正直に話してくれないかな」 
 と、いかにも穏やかな表情と口調で言った。
 すると、新垣は眼を大きく見開き、
「僕が眼にしたことが玉垣君の事件に関係してると言うのですかね?」
 と、いかにもおどおどした表情で言った。
「いや。それは何とも言えないよ。しかし、我々は玉垣君のことをもっと多く知っておきたいんだよ。だから、玉垣君のことで気になることがあれば、我々に話して欲しいんだよ」
 と、又吉は新垣に協力を訴えた。 
 すると、新垣は、
「絶対にそうだとは言わないのですが、僕はやはり、野本君は玉垣君の悪ふざけによって溺死したのだと思いますね。もっとも、玉垣君が今、生きていれば、たとえ刑事さんでもこのようなことは言いませんがね」
 と、決まり悪そうな表情で言った。
「どうして玉垣君が生きていれば、言えないのかな?」
 と、又吉は興味有りげに言った。
「どうしてって、そりゃ、僕がこのようなことを言ったということが玉垣君の耳に入ってしまえば、何をされるか分かりませんからね」
 と、新垣はいかにも決まり悪そうに言った。
「つまり、玉垣君の仕返しが恐いというわけですか」
「その通りですよ」 
 と、新垣は渋面顔で言った。
「では、新垣君が見たことを詳細に話してくれるかな」
 と、又吉は穏やかな表情と口調で言った。
「だから、玉垣君と野本君が一緒になって足が届かない位のところでスノーケルをやってたんだ。二人共泳ぎに自信があったから、深みにまで行ったんだと思う。
 で、僕がたまたま玉垣君たちの方を見てたんですよ。玉垣君たちは随分と深い所まで行くんだなと思ってたんですがね。
 で、その時、突如、異変が起きたのですよ。
 というのは、二人の姿が海面下に沈んだ思うと、すぐに玉垣君が浮上したのですよ。そして、その十秒後位でしたか、野本君も浮上したのですが、玉垣君はそんな野本君のスノーケルを外しては野本君の頭を押え付けるかのようにして、水面下に沈めたのですよ。そして、その時間が二分程続いたと思いますね。
 僕は一体何をしてるのだろうと、不審に思っていたのですが、でも、僕はやがて、その現場を見るのを止め、スノーケルを再開したのです。そして、更に十五分程時間が経過した頃、浜に上がり、やがて玉垣君も上がったのですが、いつまで経っても野本君の姿が見えません。それで、僕たちは野本君を捜したのですが、やはり、見付かりません。
 それで、警察に知らせ、消防団員たちも野本君探しに加わり、そして、夕方になって、水深二メートルの海底で死体で沈んでいる野本君の変わり果てた姿が発見されたというわけですよ」
 と、新垣はいかにも決まり悪そうに言った。そんな新垣は、このようなことは決して言及したくなかったと言わんばかりに、蒼白の表情を浮べていた。
「新垣君が思うには、野本君が死んだのは玉垣君の所為だということですね?」
「正にそうなんですよ。でも、確証はありませんよ。僕が実際に玉垣君が野本君を死に至らしめた場面を見たわけではないですからね。でも、玉垣君が野本君のスノーケルを外し、野本君の頭を二分程海に沈めていた場面は眼にしているのですよ。で、その時に野本君は溺死してしまったのではないかと、僕はピンと来たというわけですよ」 
 と、新垣はいかにも言いにくそうに言った。
「なる程。でも、そのことはその場に居合わせていた仲間以外は、誰も知らないというわけですかね?」
「そういうわけですよ」
 と、新垣は小さく肯いた。
「野本君の両親は知らないのかな?」
「知らないと思いますよ」
 そう新垣は言ったものの、その点に関して、野本の父親に確認してみることにした。

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