2 奇妙な手紙

その一年後のことだ。八重山署に奇妙な手紙が届いた。その手紙の差出人は東京都の松田みどりとなっていた。
 それで、とにかく八重山署の村上警部はその手紙を読んでみることにした。
 そんな村上は、その手紙を読み進めるにつれて、その表情は険しいものへと変貌していった。
そんな村上に、高橋警部は、
「どうしたんだい?」
 と、眉を顰めた。
 そんな高橋に、村上は、
「この手紙を読んでみろよ」 
そう言われたので、高橋は早速読んでみたのだが、そんな高橋の表情も、村上と同じように険しいものへと変貌していった。二人の刑事の表情をそのように変貌させたその手紙には、どのような内容が記されていたのだろうか?
 その手紙には、正に二人の刑事が思ってもみなかった内容が書かれていたのだ。
 即ち、その手紙には一年前に西表島の船浮で死亡した女性は、事故死ではなく、殺しによってもたらされたと記されていたのだ。更に、殺した人物の名前も記されていた。
その人物は、その女性と同じく、船浮の赤嶺荘に宿泊していた浅野恵一という男だと指摘され、更に浅野恵一なる男性の住所と電話までが記されていたのだ。
 村上と高橋は、正直言って、一年前に船浮で死亡した女性というものに、記憶がなかった。
 しかし、それも当然だろう。村上も高橋も、その女性の事故時には八重山署の刑事ではなかったのだから。
しかし、程なく、その女性の事件を調べたという刑事が見付かった。それは、八重山署の野島警部(45)だった。野島は、
「その女性の事件は覚えていますよ」
 と、神妙な表情を浮かべては言った。そんな野島は、今になってそのような手紙を受け取るなんて、夢にも思ってなかったと言わんばかりであった。
 そんな野島に、村上は、
「その女性は、事故死で処理したのか?」 
 と、訊いた。
「そうです。夜になって港に行き、うっかりと足を踏み外してしまい、港に転落し、陸に上がることが出来ずに溺死したで処理したのですよ」
 と、野島は正に神妙な表情で言った。そんな野島は、今になってその女性が殺しによってもたらされたなんていう情報が入って来るなんて、夢にも思ってなかったと言わんばかりであった。
「殺しという線は、まるで考えなかったのかい?」
「そうです。両親にも話を聞いてみたのですが、自殺とも事件とも思えないと言いました。それで、事故で処理したというわけですよ」
 と、野島は淡々とした口調で言った。
 そう野島に言われ、村上は渋面顔を浮かべた。その女性のことを捜査してみる必要があるかどうか、よく分からなかったからだ。
 しかし、件の手紙が悪戯という可能性もある。また、差出人も実在してない人物かもしれない。そんな手紙を信用して捜査をするのもいかがなものかと思った。それで、その手紙のことを無視することにしたのだが、その二週間後、またしても、以前と同じく松田みどりから八重山署に手紙が来た。その手紙には、このように記されていた。
「いつになったら浅野恵一を捜査するのですか? そいつが相川莉子さんを殺した詳細を教えてやろうか。浅野は昨年の五月二十日の午後十一時に赤嶺荘を抜け出し、港に佇んでいた莉子さんに乱暴しようとしたところ、莉子さんは抵抗した。それで、浅野は莉子さんを海に突き落としたのよ!」
 そう手紙には書かれていた。
それで、村上たちは、その手紙の主張通り、浅野恵一なる人物のことを捜査してみることになった。そして、その捜査は警視庁の刑事に協力を依頼して、行なってもらうことになった。
 東京都大田区内のとある2DK位のマンションに住んでいる浅野の前に現れた制服姿の警官を見て、浅野は怪訝そうな表情を浮かべた。そんな浅野は、警察が一体何の用があるのかと言わんばかりであった。
 そんな浅野に、警視庁の田川刑事(35)は、
「浅野さんに少し聴きたいことがあるのですがね」
 と、眉を顰めた。
「僕に聴きたいこと? それ、どういったものですかね?」
 浅野は怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「浅野さんは、昨年の五月二十日に西表島に行かれてましたよね?」
 そう田川が言うと、浅野の表情はさっと青褪め、言葉を詰まらせた。 
 田川の問いに、浅野は渋面顔を浮かべては、言葉を返そうとしないので、田川は同じ問いを繰り返した。 
 すると、浅野は、
「何故そのようなことを訊くのですかね?」
と、些か納得が出来ないように言った。
「それに関して、何故なのか、分かりませんかね?」
「分からないですね」
 と言っては、浅野は首を傾げた。
「実はですね。昨年の五月二十日の夜、西表島の船浮の赤嶺荘という民宿に泊まっていた女性が、翌朝、船浮港で水死体として発見されたのですよ。しかし、特に事件性はなかったので、事故死として我々は処理したのですよ。
 しかし、その後、警察に情報が寄せられましてね。で、その情報とは、昨年の五月二十日に、その女性と同じく、船浮の民宿に宿泊していた浅野さんが、その女性に乱暴しようとしたところ、抵抗されたので、海に突き落とし、その女性は死亡したというものですよ」
 と、田川は浅野の顔をまじまじと見やっては、浅野に言い聞かせるかのように言った。そんな田川は、正にそれは事実なのかと言わんばかりであった。 
 すると、浅野は突如、破顔し、
「一体誰がそんなことを言ってたのですかね?」
 と、その話は馬鹿馬鹿しくて話にならないと言わんばかりに言った。
「それは言えません」
 田川はそう言っては、眉を顰めた。
「じゃ、何者かが出鱈目な情報を警察にもたらしたのですよ」
 と、吐き捨てるかのように言っては、浅野は眉を顰めた。
「でも、昨年の五月二十日に浅野さんは、西表島の船浮にいたことは事実なんですよね」
 と、田川は言った。
 すると、浅野は、
「まあ、そうですが」
 と、些か決まり悪そうに言った。
 すると、田川は小さく肯いた。捜査が一歩前進したからだ。
「では、何故最初からそれを認めてもらえなかったのですかね?」
 と、田川は些か納得が出来ないように言った。
「ですから、何故そのような僕のプライベートのことまで聴かれなければならないのかと思ったのですよ。まるで、何かの事件の容疑者であるかのような扱いはされたくなかったというわけですよ」
 そう言っては、浅野は冷ややかな眼差しを田川に投げた。
 そんな浅野に、田川は、
「ですから、先程も言ったように、浅野さんが、その女性を船浮で死に至らしめたという情報が寄せられましてね。ですから、浅野さんから話を聴いてるのですよ」
 と、浅野から話を聴くのは、もっともなことだと言わんばかりに言った。
「ですから、何処の誰だか分からないような者からもたらされた情報を真に受けないでくださいよ」
 と、正に浅野は田川のことを非難するかのように言った。
「では、何故昨年の五月二十日に、浅野さんは西表島に行ったのですかね?」
「何故って、そりゃ、観光ですよ」
 と、浅野は憮然とした表情で言った。そんな浅野は、何故そんな質問をするのかと言わんばかりであった。
「では、誰と行ったのですかね?」
 そう田川が言うと、浅野は言葉を詰まらせた。そんな浅野は、今の田川の問いに対して、答えたくないかのようであった。
 田川のその問いに、浅野がなかなか答えようとはしなかったので、田川は、
「何故、僕の質問に答えてもらえないのですかね?」
 と言っては、眉を顰めた。
「何故って、そんなことまで、何故答えなければならないのですかね?」
 と、いかにも不満そうに言った。
「ですから、今尚、浅野さんへの疑いは、晴れてないからです。浅野さんが、相川さんを殺してないのなら、正直に答えてくれればいいじゃないですか」 
 と、今度は田川が不満そうに言った。
「ですから、友人と、ですよ」 
 と、浅野は田川から眼を逸らせては、決まり悪そうに言った。
「友人と、ですか。では、その友人名を言ってもらえないですかね?」
 と、田川は浅野をまじまじと見やっては言った。
 すると、浅野は、
「もういい加減にしてくださいよ。僕が疑われてるのなら、もっと確実な証拠を持ってからにしてくださいよ。訳の分からない人からの出鱈目な情報を真に受けるなんて、警察らしくないと思いますがね」
 そう浅野に言われると、田川は、確かに浅野の主張を無視するわけにもいかないので、
「では、最後に聞かせてくださいよ。浅野さんは、西表島の何という民宿に宿泊していたのですかね?」
「ですから、赤嶺荘ですよ」
 そして、この辺で田川は浅野への捜査を一旦終えることになった。
しかし、その翌日、再び浅野から話を聴かなければならなくなった。というのも、昨年の五月二十日に船浮の赤嶺荘に宿泊した者の中で、浅野という男性は、宿泊名簿に記載されてなかったことが明らかになったからだ。 
 再び浅野の前に現れた田川が、その事実を浅野に話すと、浅野は渋面顔を浮かべては、言葉を詰まらせた。そんな浅野は、正に訊かれたくない質問をされてしまったと言わんばかりであった。
 浅野が田川の問いになかなか答えようとはしないので、田川は同じ問いを繰り返した。
 すると、浅野は、
「実は、偽名を赤嶺荘の宿泊名簿に書いたのですよ」 
 と、いかにも決まり悪そうに言った。
「偽名を書いた? 何故、偽名を書いたのですかね?」
 と、田川はいかにも納得が出来ないように言った。
「何故って、別に本名を書かなくたっていいではないですか。それが、罪になるとでもいうのですかね?」
 と、浅野はいかにも不満そうに言った。
「そうですかね? 偽名を書くということは、何か疚しいことがあるからではないですかね?」
 と言っては、田川はにやっとした。そして、この場で赤嶺荘に電話をしては、今、浅野が言ったことが事実なのかどうか、確認してみた。 
 すると、それは、事実であることが分かった。昨年の五月二十日に浅野が言った小山義春という男性が宿泊していたことは、事実となったからだ。更に、小山は前田美雪という女性と宿泊していたことも分かった。
 それで、田川は、
「では、前田美雪という女性は、どういった女性なんですかね?」
 と、いかにも興味有りげに言った。というのも、この女性から話を聴けば、浅野が白なのか黒なのか、凡そ明らかになると思ったからだ。
「ですから、僕の友人ですよ」
「では、連絡先を話してもらえますかね」
 そう田川に言われたので、浅野は渋面顔を浮かべながらも、その女性の連絡先を田川に言った。 
 それを受けて、この辺で田川は浅野への捜査を一旦終えることにした。
 その一方、浅野と相川莉子との間に接点がなかったかの捜査も行なわれていた。というのも、相川莉子と浅野は知人関係にあり、浅野は莉子が西表島の船浮に行ったのを追いかけ、密かに莉子を殺したというわけだ。
 だが、そちらの捜査は、成果を得えることは出来なかった。莉子と浅野との間に接点があったという事実は確認されなかったのだ。

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