2 殺し
渡辺芳子からの連絡を受け、石垣署員が三名、直ちに現場に向かった。
しかし、今、辺りをパトロールしてる警官がいなかったので、その三名の警官が伊原間サビチ洞に着いたのは、芳子から通報を受けてから三十分程経ってからのことであった。
その三名の警官は、伊原間サビチ洞に着くと、直ちに現場に向かい、程なく、その男性の傍らに着いた。
そして、早々と、男性の死を確認した。
それで、男性の死体を担架に載せ、伊原間サビチ洞の入口まで運んで行った。
そして、その頃には、救急車が現場に到着していた。
それで、男性の死体は直ちに救急車に乗せられ、石垣市内の病院にまで運ばれて行った。
しかし、そうだからといって、男性が生き返らないのは、当然のことであった。
伊原間サビチ洞で、変死体で見付かった男性の身元は、すぐに明らかになりそうであった。何故なら、伊原間サビチ洞の駐車場に一台しか車が停められず、その車によって、男性は伊原間サビチ洞にやって来たと思われるからだ。因みに、その車はワゴンRであり、また、レンタカーであった。
そのレンタカーの中にあった免許証から、男性の身元は分かった。
その男性は、波照間島に居住している仲本正次(55)だということが分かったのだ。
それで、石垣署の末吉正吉警部(50)は、波照間島の仲本宅に電話をしては、仲本の妻だという仲本明美に正次の死を伝えた。
すると、明美は声を詰まらせた。そんな明美は、末吉の言葉を信じられないようであった。
それで、末吉は再び同じ言葉を発した。
すると、明美は、
「それ、冗談ではないのですかね?」
と、いかにも重苦しい口調で言った。
それで、末吉は、今の末吉の言葉が、出鱈目ではないという旨を改めて説明した。
しかし、明美は、その男性の遺体を眼にしないと、何ともいえないと言うので、とにかく、今から明美に、正次のものと思われる遺体が安置されている石垣市内のM病院にまで来てもらうことにした。
それで、明美は直ちにその日の最終便しか間に合わなかったので、最終便に乗り、石垣島に向かった。
波照間島から石垣島までは、高速船で凡そ一時間であったが、その日は、明美が今まで滅多に経験しないくらい、穏やかな波であった。
それはともかく、石垣島に着くと、明美は直ちにM病院に向かった。
そして、M病院に着くと、直ちに、その男性の遺体に対面したが、やはり、それは、明美の夫の正次に間違いなかった。
それで、明美は号泣した。
だが、そんな明美の気が落ち着いてくると、末吉は早速明美から話を聞くことになった。というのも、既に正次の死は頭部を鈍器によって殴られたものによる死、即ち、殺しによってもたらされたということが、既に明らかなっていたからだ。
それで、末吉は、まずいかにも言いにくそうな表情と口調で、その旨を説明した。
すると、明美は、
「信じられません」
と、いかにも信じられないと言わんばかりの表情と口調で言った。
そして、その明美の思いは、末吉と同じであった。明美だけではなく、正次も、正に純朴そうなごく平凡な感じの男性で、このような男性が何故殺人という被害に遭ったのか、その理由がてんで推測出来なかったからだ。
だが、
「でも、このことは、司法解剖の結果、明らかになったので、間違いではないのですよ」
と、末吉は、明美に言い聞かせるかのように言った。
だが、その末吉の言葉に、明美は何ら言葉を発そうとはしなかった。
そんな明美に、末吉は、
「で、ご主人は離島ターミナル近くでレンタカーを借り、そのレンタカーで伊原間サビチ洞にまで行って、伊原間サビチ洞を見物していた時に、賊に襲われたと思われるのですがね」
「……」
「つまり、犯人は正次さんの後を尾行して来たのかもしれないということですよ。そして、伊原間サビチ洞に入ったのをチャンスとばかりに、犯行に及んだのかもしれません」
と、末吉は再び明美に言い聞かせるかのように言った。
すると、明美は、
「信じられません」
と、正に蚊の鳴くような声で言った。
そんな明美に、末吉は、
「状況は、今、僕が説明したようなものと思われるのですが、では、奥さんはご主人を殺した犯人に何か心当たりありませんかね」
と、明美の顔をまじまじと見やっては言った。そんな末吉は、何か明美から有力な情報を入手したいと言わんばかりであった。
だが、明美は末吉の問いに、
「まるでありません」
と、即座に言っては、頭を振った。
「では、正次さんは、どういったお仕事をやっておられたのですかね?」
と、末吉は興味ありげに言った。
「サトウキビを作って生計を立てていました」
と、明美はいかにも神妙な表情を浮かべては言った。
すると、末吉も神妙な表情を浮かべた。正に、波照間島でサトウキビを作って生計を立てている仲本正次という素朴な感じの男性が、何故賊によって頭を殴打され、命を奪われなければならなかったのか、その理由はてんで推測が出来なかったからだ。
それで、末吉はいかにも神妙な表情を浮かべては、言葉を詰まらせた。
しかし、いかにもごく普通の感じ者が、他人の恨みを買い、殺人事件が発生したという事例は、これまで何度もある。それ故、正次のことは捜査してみなければならないだろう。
そう思った末吉は、
「では、昨日は何故、ご主人は石垣島でレンタカーを借り、伊原間サビチ洞にまで行ったのでしょうかね?」
と、いかにも興味有りげに言った。
「昨日は主人は休みでしてね。もっとも、うちはサラリーマンではないですから、仕事が一区切りついた日を休暇としてるのですが、昨日はその休暇だったのですよ。
で、主人は休暇になると、よく石垣島に遊びに行くのですが、昨日もそうだったのですよ。
もっとも、石垣島に行った時に、必ずレンタカーを借りるとは限らないのですが、まあ、石垣島をドライブしたくなったのだと思います。それだけのことだと思うのですがね」
と、明美は眉を顰めては言った。そんな明美は、正次が石垣島でレンタカーを借りたことは、特に意味があるわけではないと言わんばかりであった。
「では、ご主人が昨日、石垣島に行くということを、奥さん以外に誰か知っていた人物がいるでしょうかね?」
と言っては、末吉は眼をきらりと光らせた。そんな末吉は、そのような人物がいれば、その人物が犯人である可能性は、十分にあると言わんばかりであった。
だが、明美は、その末吉の問いに、
「そのようなことを訊かれても、私では分かりません。主人は言ったかもしれませんが」
「では、ご主人が石垣島に行くということは、いつ頃から決めたのですかね?」
「四日前ですね。四日前にレンタカーを予約したと言いましたから」
「ということは、この四日間の間で誰が、ご主人が石垣島に行くということを知ったかですよ。その知った人物から話を聴かなければならないですね」
と、末吉は些か表情を険しくさせては言った。
そして、末吉は正次の友人たちを記したアドレス帳を受け取ると、早速その者たちに電話を掛けて、聞き込みを行なってみた。
だが、誰もかれもが、正次を殺した人物に心当たりないと証言した。また、正次は温厚な人柄で、誰かに恨みを持たれるような人物ではないと、誰もかれもが証言した。
また、昨日、正次が石垣島に行くということを唯一知っていたのは、仕事仲間の金城春樹(55)いう男性であったが、金城と正次の仲はとてもよく、とても正次を殺しそうもなかった。
正次の事件に対する捜査はこんな具合で、とても捜査は進展しそうもなかった。