1

 伊豆大島は周囲50キロの伊豆七島最大の島で、東京から120キロ離れている。そんな大島へは、以前は船で行くとなれば、七時間半も掛かった。それ故、伊豆半島からは随分近く見える大島なのに、船で行くとなれば、東京からは随分遠い島であった。
 だが、近年、高速船ジェットフォィルが運行されたのに伴い、大島へは一時間半で行けるようになった。正に、大島は東京近辺に住む者のみならず、一層身近な島となったのである。
 そんな大島は夏は涼しく、冬は暖かい。ことに夏の最高気温の平均は32度であり、東京のそれを下回る。
 本来なら、大島は東京よりも南に位置してるわけだから、東京より夏は暑い筈だ。にもかかわらず、大島の方が暑くない。このことは何を意味してるのだろうか? 
 それは深く考えるまでもない。正に温暖化なのだ。エアコンから吐き出される熱風。車の排気ガス。アスファルトからの輻射熱。正に大都市の病ともいえる温暖化の直撃を受け、東京より遥かに南にある大島の方が、東京より夏は涼しいという妙な現象が発生してるのである。また、冬、大島が暖かいというのは、黒潮の影響であろう。
 そんな大島は、富士箱根伊豆国立公園に指定されていることから分かるように、風光明媚な島だ。その大島の観光の魅力は十分に知られてる為に、敢えて記す必要もないだろが、ダイビングスポットの多い島でもある。
 その数多い大島のダイビングスポットの一つである野田浜は、大島空港の近くにあった。野田浜からは、紺青の海を隔てて富士山を眼に出来、また、透明度もよく、正に絶好のダイビングスポットであるかのようだ。そんな野田浜からは元町の方に向かってサイクリングロードが延びていて、ダイビングを行なわない者でもそのサイクリングロードを自転車で走れば、気分爽快になること請け合いだ。無論、サイクリングロードに沿って、車でドライブするのもよい。
 野田浜はダイビングスポットになってる為かどうか分からないが、公衆トイレが設けられていた。その公衆トイレは、海に向かって野田浜の右端にあり、その先は行き止まりとなっている。つまり、道路もサイクリングロードもその先で行き止まりになってるというわけだ。
 月野友美(27)は、東京にある某商社のOLだが、友人の山際峰子(27)と共に昨日大島旅行にやって来た。そして、昨日はレンタカーで大島を一通り回り、そして、大島空港近くのペンションで昨夜は泊まった。そして、今朝は午前九時頃そのペンションを後にし、そして、まずは昨日訪れてなかった野田浜にやって来た。それは、六月十五日の午前九時十四分頃のことであった。
 友美と峰子は海が好きであった。そんな友美と峰子であるから、いずれダイビングもしようと思っていた。そんな友美と峰子はダイビングスポットの下調べという意味も兼ねて、今回大島にやって来たというわけだ。
 友美は野田浜の駐車場に友美と峰子を乗せたレンタカーを停めると、早速浜へと足を向けた。
 そして、道路と浜を隔てている柵に手を置いては、海を見やった。海は紺青、あるいはコバルトブルーでとても綺麗であった。また、野田浜といっても、海岸線は黒っぽい溶岩ばかりで、砂浜はなかった。そんな様を眼にすると、大島は火山島であるということが、自ずから実感させられた。
 友美が手を置いている柵がある遊歩道から海岸までは階段で少し降りなければならず、ダイバーたちはその階段を使って下に降りるのだろう。友美はそう思ったりしていたが、まだ朝早いということもあってか、辺りにはダイバーの姿は見られなかった。
 友美と峰子はとにかくその階段を使って下まで降りてみた。すると、一層波音が耳に轟き、また、潮の香が鼻をついた。
 友美は峰子に、
「私、この場所、気に入ったわ」
 とか言ったりして、しばらくの間、その場に佇んでいた。
 だが、やがて、階段を上がっては遊歩道に降り立ち、そして、二人は近くにあった公衆トイレに向かった。
 そして、用を足そうとした。そして、友美はトイレの扉を開けたのだが、その時、友美は突如、
「キャー」
 と、悲鳴を上げた。
 その友美の只ならぬ悲鳴を耳にし、峰子はいかにも真剣な表情を浮べては、
「一体、どうしたっていうの?」
 と、言っては、友美の方に眼をやった。だが、特に異変を眼にはしなかった。
 それで、友美に更に近寄った。
 すると、その時、峰子も、
「わっ!」
 と、先程の友美のように、悲鳴を上げては、後退りした。何故なら、そのトイレの中には、何と男性が倒れていたからだ。そして、その男性の様はとても尋常なものとは思えなかった。
 その男性は五十位の中年の男性であったが、便器の上にまるで崩れ落ちるように倒れていて、その男性の辺りには血が流れてる形跡はさっと眼にしたところ、見受けられなかったが、とても生きているようには見えなかったからだ。
 それで、峰子は、
「死んでるの?」
 と、正に強張った表情を浮べては言った。
「そんな感じね」
 友美も正に強張った表情を浮べては言った。
 そんな二人はその男性が果して生きてるのか死んでるのか、確認することは出来なかった。もし、二人の内、どちらかが男性なら、その男性に触れたりして、その生死を確認したことであろう。しかし、二人は女であった為に、それが出来なかったのだ。
 それで、二人はとにかく携帯電話で直ちに110番通報しては、事の次第を話した。
 すると、程無くパトカーがサイレンを辺りに轟かせてはやって来た。
 パトカーからは、制服姿の警官が三名姿を現した。
 それで、友美は、
「お巡りさん。こっちです」
 そう友美に言われ、三人の警官は直ちに友美と峰子と共に、その女子トイレに向かった。
 そして、確かにその男性を眼に留めた。
 その男性を眼にして、大島署の銀縁の眼鏡を掛けた鵜飼警部補(43)は、正に渋面を浮べた。そんな男性の様を眼にして、確かにその男性は死んでるに違いないと思ったからだ。
 だが、とにかく脈を見てみた。
 すると、やはり脈は打ってなかった。やはり、男性は死んでいたのだ!
 男性は直ちに大島町内にあるK病院に運ばれ、司法解剖されることになった。男性の首の周りには紐のようなもので絞められた痕があったからだ。正に外見からでは、男性は首を絞められたことによる死であると推測出来たからだ。
 案の定、男性の死は首を紐のようなもので絞められたことのよる窒息死であることが早々と判明した。
 即ち、絞殺である。
 また、死亡推定時刻も明らかとなった。
 それは昨日、即ち、六月十四日の午後九時から十時の間であった。
 男性の死を受けて、大島署内に捜査本部が設けられ、大島署の夏木警部(50)が捜査を担当することになった。男性の死は明らかに殺しによるものと判明したからだ。
 男性は身元を示すものは何ら所持してはいなかった。それで、まず、男性の身元を明らかにする捜査から始められることになったのだが、夏木たちは、男性の身元は早々と判明するのではないかと予測していた。というのは、男性の服装からして、男性は島の人間のような印象を受けたからだ。即ち、男性が身に付けていた衣服は普段着と思われたからだ。観光客が身に付けるような衣服とは思われなかったのだ。
 それ故、男性の死が報道されたことを受けて、今日にも有力な情報が入るのではないかと、夏木たちは思ってたのだ。
 案の定、男性の遺体が見付かったその日の午後八時頃には、有力な情報が入った。大島空港近くでペンションを営んでいる橘今日子という女性が、今朝野田浜まで見付かった男性は、夫の伊佐夫ではないかと言ってきたのだ。
 それを受けて、今日子に直ちにK病院に来てもらって、その男性の遺体を眼にしてもらうことにした。
 すると、今日子はその男性は確かに夫の伊佐夫に間違いないことを認めた。
 それによって、早々と野田浜の女子トイレで絞殺体で見付かった男性の身元は判明したのである。

目次   次に進む