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 男性の姓名は橘伊佐夫で、大島空港近くでペンションを経営していた。そして、年齢は五十二歳であった。
 夏木は今日子に伊佐夫の遺体が見付かった時の状況を改めて話しては、
「ご主人は何者かに殺されたことは間違いありません」
 と、神妙な表情で言っては、伊佐夫の首に付いていた鬱血痕のことを話した。
 そんな夏木の話を渋面顔を浮かべては黙って耳を傾けていた今日子は、夏木の話が一通り終わっても、すぐには言葉を発しようとはしなかった。
 そんな今日子に、夏木は、
「で、ご主人を殺した犯人に奥さんは心当りありますかね?」
 と、神妙な表情を浮べては言った。
 だが、今日子は渋面顔を浮かべたまま言葉を発そうとはしなかった。
 それで、夏木は、
「ご主人は、昨日の午後九時から十時にかけて殺されたことは間違いないのですよ。
 で、ご主人はそれまで何処で何をしてたのでしょうかね?」
 と、いかにも興味有りげに言った。
 すると、今日子は、
「その頃は、主人はうちで酒を飲んでましたね」
 と、神妙な表情を浮べては言った。
「うちとは、橘さんのペンションですかね?」
「そうです。うちはうちが経営してるペンションで暮らしてますから」
「なる程。で、昨夜はご主人は、何時から何時頃まで酒を飲んでいたのですかね?」
 夏木は、今日子の顔をまじまじと見やっては言った。
「七時頃から飲み始め、外出するまで飲んでいたと思いますね」
「ということは、午後九時頃まで飲んでいたということですかね?」
「午後八時四十四分頃までではなかったですかね」
 と、今日子は神妙な表情を浮べては言った。
「で、ご主人は何処かに行くと言って、外出されたのですかね?」
「いいえ。何処に行くとも言わずに外出しました」
 と、今日子は神妙な表情で言った。
「ということは、その時ご主人が外出されたのは、偶然ですかね?」
 夏木は、眉を顰めては言った。
「そんな具合だったと思います」
 今日子は神妙な表情を浮べては言った。
 そう今日子に言われ、夏木は、
「なる程」
と、呟くように言っては小さく肯いた。というのは、偶然に伊佐夫が外出したのなら、偶然に何かのトラブルに巻き込まれ、殺されたのかもしれないというわけだ。
 だが、その犯人は、伊佐夫の知人である可能性もある。偶然、伊佐夫は野田浜で伊佐夫と日頃仲の良くない知人と偶然に出くわし、トラブルとなり、殺されたのかもしれない。偶然に外出したからといって、伊佐夫の全く見知らぬ者が犯人であるとは、限らないのだ。
 そう思った夏木は、
「ご主人は最近、何かトラブルを抱えていなかったですかね? あるいは、ご主人と仲の良くない人物が、ご主人に嫌がらせなんかをしてなかったですかね? そういったことに、ご主人は何か言及してなかったですかね?」
 と、今日子の顔をまじまじと見やっては、いかにも興味有りげに言った。
 すると、今日子は夏木から眼を逸らせては、渋面顔を浮かべては何やら考え込む様な仕草を見せては言葉を詰まらせていたが、やがて、
「主人のことを嫌ってる人が、近所にいましたね」
 と、いかにも決まり悪そうな表情を浮べては言った。
 すると、夏木はいかにも興味有りげな表情を浮べては、
「それ、どのような人ですかね?」
 と、今日子の顔をまじまじと見やっては言った。
「それは、高柳さんという人です」
 今日子は、眉を顰めては言った。
「高柳さん、ですか……。それ、どういった人ですかね?」
 夏木は、いかにも興味有りげな表情を浮かべては言った。
「ペンションの経営者です。うちのようなペンションを経営してる人です」
 今日子は、再び眉を顰めては言った。
「なる程。でも、何故高柳さんは、ご主人のことを嫌っていたのですかね?」
 夏木は、いかにも興味有りげな表情を浮べては言った。
「ですから、商売敵だからですよ。元々、うちの近くに高柳さんは、『曙』というペンションを営んでいたのですが、その『曙』の近くに主人が新たにペンションを始めたのですよ。
 で、主人はこの大島出身の人間ではなく、東京出身の人間なのです。で、私もそうです。
 そんな私たちが、高柳さんのペンションの近くで同じ商売を始めたわけですから、それが高柳さんの商売にいい影響を与えるわけはありません。何しろ、限られたお客を奪い合うことになるわけですからね。高柳さんは大島で生まれ育った人間ですから、いわば私たちは高柳さんにとって余所者というわけですよ。そんな余所者が同業を始めたわけですから、そんな私たちのことを高柳さんがよく思うわけはありませんよ」
 と、今日子は正に渋面顔を浮かべては言った。
 そう今日子に言われて、夏木は、
「なる程」
 と、小さく肯いては言った。今日子の話の内容は、十分理解出来るからだ。
 しかし、そうだからといって、今の話だけでは、事件解決には至らないというものであろう。
 それで、夏木は、
「で、ご主人は高柳さんと、しょっちゅう喧嘩をなされていたのですかね?」
 と、興味有りげに言った。
「喧嘩というより、高柳さんの方が一方的に主人に難癖をつけていたみたいですね。この疫病神めと言ったり、また、うちのペンションの敷地内に、ゴミを投げ捨てたりしてましたよ。もっとも、その場面を眼にしたわけではないのですが、あんなことをやるのは、高柳さん位ですよ」
 と、今日子は正に高柳を非難するかのように言った。
 そう今日子に言われ、夏木は、
「なる程」
 と、些か納得したように肯いた。
 即ち、伊佐夫を殺したのは高柳である可能性は十分にあると夏木は理解したのである。夏木と同様、高柳もその頃酒を飲み、さして用はないが、ふらりと外出した。そして、そんな高柳は偶然、野田浜で伊佐夫と鉢合わせしてしまう。
 そんな二人はやがて口論となり、かっとした高柳は自らのズボンのベルトで伊佐夫を絞殺したというわけだ。
 もっとも、高柳の身体つきは確認しておく必要はあるだろう。伊佐夫は身長167センチ、体重60キロであったが、高柳の身体つきがそれよりも遥かに劣れば、夏木のその推理は現実味のないものとなってしまうかもしれないからだ。
 それで、夏木は今日子に高柳の身体つきを確認してみたところ、高柳は身長175センチ、体重七十キロ程の巨漢だとのことだ。
 それを聞いて、夏木は些か満足そうに肯いた。夏木の推理は十分に現実味のあるものと看做したからだ。
 それはともかく、夏木は高柳以外で伊佐夫のことを嫌っていたような人物はいなかったか、確認してみた。
 すると、今日子は、
「それ以外では、心当たりないですね」
 と、神妙な表情を浮かべては言った。

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