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 今日子に対する聞き込みを終えた後、夏木は早速、「曙」に行って、「曙」の経営者である高柳から話を聞いてみることにした。
「曙」を訪れる前に事前に電話連絡してあったので、高柳は今、「曙」に在宅してる筈であった。
「曙」は橘夫妻が営んでいた「黒潮」というペンションと同じようなウッディなペンションではあったが、「黒潮」よりはかなり古めかしい感じは拭えず、もしお客が「曙」と「黒潮」のどちらかを選ぶとすれば、新しい「黒潮」の方を選ぶと思われた。
 それはともかく、夏木が「曙」を訪れると、すかさず高柳が姿を見せた。高柳は確かに今日子が言ったように巨漢で、高柳なら十分に伊佐夫を絞殺出来そうな具合であった。
 そんな高柳に夏木は改めて自己紹介してから、
「一昨日、この近くでペンションを営んでいる橘さんが、野田浜の女子トイレで絞殺体で見付かったことを高柳さんはご存知ですね?」
 と、高柳の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、白のポロシャツとジーパン姿の高柳は、
「そりゃ、知ってますよ」
 と、素っ気無く言った。
「どうやって、そのことを知りましたかね?」
 夏木は、興味有りげに訊いた。
「どうやってて、そりゃ、近所の人から聞きましたよ」
 高柳は再び素っ気無く言った。
「そうでしたか。で、高柳さんは一昨日の午後九時から十時頃にかけて、何処で何をしてましたかね?」
 と、夏木は早速伊佐夫の死亡推定時刻の高柳のアリバイを確認してみた。
 すると、高柳は、
「その頃は、この家で酒を飲んでましたよ」
 と、素っ気無く言った。
「それを誰かに証明してもらえますかね?」
 夏木は、眉を顰めては言った。
「そりゃ、家内が証明してくれますよ」
 高柳は、憮然とした表情を浮べては言った。そんな高柳は、早々と夏木が高柳のことを疑ってることを察知し、そんな夏木のことを非難してるかのようであった。
「奥さんじゃねぇ……。奥さん以外にそのことを証明出来る人はいませんかね?」
 夏木は、決まり悪そうな表情を浮べては言った。
「そりゃ、無理ですよ。何故なら、昨日は一人もお客がいませんでしたからね」
 と、高柳はその大柄な身体を少し震わせては些か腹立たしげに言った。
「一人もいなかったのですか」
 夏木は、目を白黒させては言った。
「ええ。そうです。今の時期は観光のシーズンではありませんからね。それに、商売敵も増えていますからね」
 高柳は、不快そうに言った。
「商売敵とは、高柳さんと同じ商売をしてる人ですかね?」
「ええ。そうです。大島の人間でない者が次から次へと大島にやって来ましてね。そして、僕らと同じ商売を始めるのですよ。これ程、僕たちにとって腹立たしいことはないですよ。何しろ、大島への観光客はここしばらくの間、減少して来てるのに、我々の商売に進出されては、堪ったものではないですよ。正に、余所者は飽くまで余所者であって欲しいものですよ」
 と、高柳は改めて不快そうに言った。
「つまり、橘さんは高柳さんにとってみれば、厄病神であったわけですか」
「正に、その通りですよ。大島の自然を気に入ってくれるのは嬉しいですが、そうだからといって、大島に住みついては島の者と同じ商売を始められたんじゃ、我々としては迷惑というものですよ。正に多くない観光客の奪い合いとなってしまいますからね」
 と、高柳はまるで夏木に言い聞かせるかのように言った。
「それで、高柳さんは橘さんに嫌がらせをしたりしてたのですか?」
「嫌がらせという程ではないですがね。でも、夏木さんだって僕の気持ちを分かってくれると思うのですがね」
 高柳は、夏木に言い聞かせるかのように言った。
「そりゃ、僕は大島で生まれ育ってるわけではありませんが、高柳さんの気持ちは十分に分かりますよ」
 と、大島署に赴任して四年になる夏木は、高柳の気持ちは十分に分かると言わんばかりに言った。
 だが、そうだからといって、高柳が伊佐夫を殺したとすれば、それを見逃すわけにはいかないであろう。
 それで、夏木はこの時点で夏木の推理、即ち、酒を飲んでいた高柳と伊佐夫が偶然に野田浜で鉢合わせをし、トラブルが発生し、高柳が伊佐夫を殺したという推理を話した。
 すると、高柳は、
「滅相もない!」
 と、あからさまに夏木の推理を否定した。
 すると、夏木は、
「高柳さんは、動機もありますし、また、アリバイも曖昧ですからね」
 と、渋面顔で言った。
 すると、高柳は、
「そんなの、滅茶苦茶な推理ですよ。そりゃ、僕は橘さんを嫌ってましたが、そうだからといって殺しはしませんよ!」
 と、いかにも不快そうに言った。そんな高柳は、高柳に疑いの眼を向けた夏木のことを強く非難してるかのようであった。
 そう高柳に言われては、夏木は強く出ることは出来なかった。何故なら、高柳が伊佐夫を殺したという有力な証拠はなかったからだ。
 それで、夏木は、
「では、高柳さんは、橘さんを殺した犯人に心当りありませんかね?」
 と、訊いてみた。
 すると、高柳は、
「そのような人物は、心当りないですよ」
 と、素っ気無く言った。
 それで、夏木は、この辺で高柳に対す捜査を一旦終えることにした。
 高柳から話を聴いて、特に成果を上げることは出来なかった。今日子が言ったように、確かに「曙」の経営者である高柳肇は、「黒潮」の経営者である橘伊佐夫を嫌ってはいたようだが、そうだからといって、殺したとは限らないであろう。また、アリバイが曖昧だからといって、安易に高柳が犯人だと、決め付けるわけにはいかないだろう。
 それ故、捜査は正に振り出しに戻ったかのようであった。
 そして、大島署内で捜査会議が開かれることになった。
 その席上で夏木は、
「犯人は、橘さんの知人であったか、そうでなかったかだ」
 と、渋面顔で言った。
 すると、若手の田沼刑事(27)が、
「僕は、橘さんの知人ではない者だと思いますね」
 と、眉を顰めては言った。
「どうしてそう思うんだ?」
 と、夏木。
「橘さんの奥さんに聞き込みを行なっても、橘さんを強く恨んでそうな人物は浮かばなかったですからね。
 そりゃ、高柳さんのことが浮かびはしましたが、殺すだけの強い恨みがあるとは思いませんね」
 と言っては、田沼刑事は小さく肯いた。
 すると、田沼刑事と同じく若手の皆川刑事(27)が、
「僕はそうは思わないな」
 と言っては唇を歪めた。
「何故、そう思うのかい?」
 と、田沼刑事。
「だから、警部も言ってたように、その時、高柳さんは酒を飲んでいたんだよ。そして、橘さんも酒を飲んでいたんだよ。
 つまり、日頃仲の悪い者同士が偶然酒に酔ってた時に鉢合わせしてしまったんだ。そうなりゃ、些細な言い争いが高じて、深刻な喧嘩となり、殺人事件が発生してもおかしくないというわけだよ」
 と皆川刑事は自信有りげに言っては、大きく肯いた。
 すると、夏木は、
「僕もそう思うんだよ。しかし、それをどうやって証明するかだよ」
 と、渋面顔で言った。
「高柳さんの髪の毛なんかが、橘さんの遺体が身に付けていた衣服から見付からなかったのですかね?」
 皆川刑事は殺気立った表情を浮べては言った。
「そのようなものは、まだ見付かってないんだよ」
 夏木は、決まり悪そうに言った。
 そう夏木が言った後、一同の間に沈黙の時間が流れたが、やがて田沼刑事が、
「もっと、橘さんの友人、知人に聞き込みを行なってみましょうよ。何か情報を入手出来るかもしれませんから」
「無論、その捜査は行なわなければならないであろう。
 それと共に、犯人が橘さんの知人でなかったケースも想定しなければならないであろう」
 と、夏木は言っては眉を顰めた。
「つまり、行きずりの者が犯人というケースですかね?」
 と、皆川刑事。
「ああ。そうだ。酒を飲んでいた橘さんと、橘さんと何ら面識のなかった行きずりの者が偶然夜の野田浜でトラブルが発生し、その結果、橘さんが殺されたというケースも有り得ると思うんだよ」
 と、夏木はその可能性は十分に有り得ると言わんばかりに言った。
「なる程。確かにその可能性は有り得るでしょうね」
 と、皆川刑事は夏木に相槌を打つかのように言った。
 そう皆川刑事が言うと、田沼刑事が、
「しかし、行きずりの者が犯人なら、どうやってそれを証明するんだい?」
 と、渋面顔を浮かべては言った。
 その田沼刑事の言葉を受けて、一同の間に再び沈黙の時間が訪れたが、その時間は長くは続かなかった。夏木が、
「その犯人を捕らえる手段はないこともないよ」
 と言っては、眉を顰めた。
「それは、どんな手段ですかね?」
 田沼刑事は、好奇心を露にしては言った。
「その行きずりの者は、観光客である可能性があるじゃないか」 
 と、田沼刑事たちを見やっては、田沼刑事たちに言い聞かせるかのように言った。
「なる程。その可能性は、ありますね」
 田沼刑事は、些か納得したように言った。
「そうだよな。となると、大島内のホテル、ペンションなんかに問合せれば、その宿泊者名は明らかとなるよ。その宿泊者は、まさか橘さんを殺そうとして、大島にやって来たわけでもないだろうからな」
 と、夏木は言っては、小さく肯いた。
「確かに、警部の言われる通りです」
 田沼刑事は、些か納得したかのように言った。
「だから、その線から、その行きずりの者が明らかになる可能性もあるよ」
 と、夏木は言っては小さく肯いた。だが、その夏木の表情は、些か自信無げであった。そんな夏木は、果して、そのように事がうまく運ぶか、自信が無いと言わんばかりであった。
「なる程。確かに警部の言われる通りだと思います。
 しかし、その行きずりの者が大島の者であったのなら、どうしますかね?」
 と、皆川刑事は、眉を顰めては言った。
「うーん。そのケースは正に苦しいというものだよ」
 と、夏木は正にそのケースはどうにもならないと言わんばかりに、いかにも決まり悪そうな表情を浮べては言った。
 そして、まだしばらく会議は続いたが、結局、橘伊佐夫が被害に遭った日、即ち、六月十四日の大島の宿泊客のことが捜査されることになったのだ。

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