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すると、思ってもみなかった興味ある情報を入手するに至った。
その思ってもみなかった情報とは六月十四日から十五日にかけて、不審な行動を取った観光客が三組見付かったのだ。
では、その三組のことを順次説明する。
まず、熊沢紀行(29)、すみれ(27)夫妻。
東京都在住の熊沢夫妻は、十四日と十五日にOホテルに宿泊する予定であったにもかかわらず、十五日の宿泊をキャンセルし(レンタカーも十五日の契約をキャンセルした)、急遽、東京に戻った。
次にPホテルの宿泊者の高遠道夫(52)、春樹(21)父子。
高遠父子は、十四日の午後八時頃Pホテルを後にし、午後十時頃Pホテルに戻ったものの、高遠父子の表情はその時、尋常なものとは思えなかったと、Pホテルのフロントマンが証言した。
次に、Sホテルの宿泊者の中森美香(26)、星野晴美(26)。この若い女の二人組も、熊沢夫妻と同様、十四日と十五日にSホテルに宿泊する予定であったが、十四日にSホテルに宿泊したものの、十五日の宿泊を急遽キャンセルし、東京に戻ったとのことだ。
夏木たちは、十四日から十五日の大島のホテルやペンションの宿泊者たちのことを捜査した結果、この三組のことが眼に留まったのだ。正に、この三組の行動は不審であったのだ。
もっとも、当事者に言わせれば、それ相応の理由があったのかもしれない。しかし、この三組の中に、夏木たちが捜してる者がいる可能性もある。
それ故、夏木はまず電話ではあるが、この三組に対して、順次、聞き込みを行なってみることにした。
そして、まず、世田谷区内在住という熊沢宅に電話してみることにした。
呼び出し音が七回鳴った後、電話は繋がった。
「大島署の夏木と申しますが」
―……。
「熊沢さんは、六月十四日に、大島のOホテルに宿泊されましたね」
夏木は、まずそう訊いた。
すると、
―ええ。
と、紀行は答えた。
すると、夏木は小さく肯き、そして、
「で、熊沢さんは十五日もOホテルに宿泊されることになってたそうですが、十五日の宿泊をキャンセルし、急遽、東京に戻られたそうですが、どうしてなのかと思いましてね」
と、いかにも興味有りげな表情を浮べては言った。もっとも、その夏木の表情を紀行が眼にしたわけではないが。
夏木がそのように訊くと、紀行は、
「妻が急に体調を崩しましてね。だから、やむを得ず、十五日の予定をキャンセルし、東京に戻ったのですよ」
と、いかにも残念だと言わんばかりに言った。
そう紀行に言われ、夏木は思わず言葉を詰まらせてしまった。
だが、程無く、
「何処が悪くなってしまったのですかね?」
―腹痛ですよ。椿油で揚げたてんぷらとかいった日頃滅多に口にしないような美味しい料理が次から次へと出ましてね。それで、つい羽目を外して食べ過ぎてしまい、お腹を壊してしまったのですよ。それで、もう観光どころではなくなってしまいましてね。それで、急遽、飛行機で帰京したのですよ。本来ならジェットホイルで戻ることになってたのですがね。でも、それもキャンセルしたというわけですよ。
と、紀行は再びいかにも残念だと言わんばかりに言った。
そう言われてしまえば、夏木としては、もう返す言葉はなかった。
それで、思わず言葉を詰まらせていると、そんな夏木に、紀行は,
―で、刑事さんはどうしてそのようなことを訊くのですかね?
と、些か納得が出来ないように言った。
それで、とにかく夏木は橘の事件のことを説明した。
すると、紀行は、
―ということは、刑事さんは僕たちのことを疑っているのですかね?
と、眉を顰めて言った。
それで、夏木は、
「いや、そうじゃないのですが……」
と、いかにも決まり悪そうな表情を浮べては言った。
―じゃ、どうして僕に電話して来たのですかね?
紀行は、いかにも納得が出来ないように言った。
「ですから、我々は情報が欲しいのですよ。ですから、十四日の大島に泊まった宿泊客に橘さんの事件のことで何か気付いたことはないか、訊いているのですよ」
と、夏木は再び決まり悪そうに言った。
―そういうわけですか……。でも、その事件のことで、僕たちは何も情報を持ってませんね。
と、紀行は素っ気無く言った。
それで、夏木はこの辺で紀行との電話を終えることにした。
そして、次に十四日にPホテルに泊まった高遠に電話してみることにした。Pホテルのフロントマンによると、高遠とその息子は、十四日の午後八時頃外出し、午後十時頃戻って来たのだが、その時の様が尋常のものとは思えなかったとのことだ。そして、その証言は正に気になるというものだ。何故なら、野田浜で伊佐夫が死亡したのは、十四日の午後九時から十時の間であり、また、Pホテルから野田浜までは、車で十四分位であったからだ。
それで、夏木は早速、高遠宅に電話してみることにした。因みに、Pホテルの宿泊カードによると、高遠は神奈川県横浜市在住となっていた。
呼出音が六回鳴った後、電話は繋がった。
「僕は、大島署の夏木と申します」
―……。
「で、高遠さんは、六月十四日に伊豆大島のPホテルに宿泊されましたね」
―ええ。そうですが。
と、高遠道夫は、軽快な口調で言った。
「で、Pホテルに泊まったのは、十四日だけだったのですかね?」
夏木は、そのことをPホテルのフロントマンから既に確認しているが、とにかくそう訊いた。
―ええ。そうですが。
道夫は、再び軽快な口調で言った。
すると、夏木は小さく肯き、そして、
「高遠さんは、息子さんと二人でPホテルに泊まったのですかね?」
―ええ。そうです。
「高遠さんは、その時、レンタカーを借りていたのですよね?」
―そうですが。
道夫はさりげなくそう答えたが、そんな道夫の表情は何故そのようなことを訊くのかと言わんばかりであった。
すると、夏木は小さく肯き、そして、
「で、十四日の夜、高遠さんは外出されましたかね?」
そう夏木が訊くと、道夫の言葉は詰まった。そんな道夫はまるで訊かれたくないことを訊かれたと言わんばかりであった。
道夫がなかなか言葉を発そうとはしないので、夏木は、
「高遠さんは、午後八時頃、外出されましたよね。息子さんと共に。Pホテルのフロントマンからそう聞いているので、それは事実だと思うのですがね」
と、まるで道夫に言い聞かせるかのように言った。
すると、道夫は、
―そうでしたね。
と、些か小さな声で言った。
すると、夏木は小さく肯き、
「で、高遠さんは、午後八時頃に外出されて、午後十時頃にPホテルに戻って来たそうですが、一体何処に行かれてたのですかね?」
と、興味有りげに言った。
すると、道夫は、
―少し、海岸をドライブしてたのですよ。
「高遠さんが借りていたレンタカーでですよね?」
―ええ。そうです。
「で、どの辺りをドライブしてたのですかね? 具体的に話してもらえないですかね?」
―そうですね……。元町の方の海岸でしたかね。
「元町の方から野田浜に続く海岸沿いの道をドライブしたのですかね?」
―いや。野田浜の方までは行きませんでしたよ。
「でも、Pホテルは岡田港の方にありますから、元町の方まで行けば、野田浜の近くまでドライブする方が自然だと思うのですがね」
夏木は些か納得が出来ないように言った。
すると、道夫は、
―昼間ならそうでしょうが、何しろその時は夜でしたからね。ですから、海岸沿いの道は少し走っただけなんですよ。車を停めて海を見てた時間の方が長かったと思いますよ。
と、淡々とした口調で言った。
そう言われてしまえば、夏木としては、反論のしようがなかった。
それで、夏木は、
「で、高遠さんは、そのドライブ時に何かアクシデントに見舞われませんでしたかね?」
と、些か険しい表情を浮べては言った。
―アクシデントですか……。そのようなものには、見舞われませんでしたがね。
道夫は怪訝そうな表情を浮べては言った。
すると、夏木は、
「そうですかね?」
と、些か納得が出来ないと言わんばかりに言った。
すると、道夫は一層怪訝そうな表情を浮べては、
―そうですかねとは、どういうことですかね?
「実はですね。Pホテルのフロントマンから聞いたのですが、高遠さんと息子さんが午後十時頃、Pホテルに戻って来た時にとても取り乱していたという話を耳にしましてね。それで、何故高遠さんはそのように取り乱していたのか、疑問に思いましてね。それで、その理由を確認する為に、こうやって高遠さんに電話したという次第なんですよ」
と、夏木は説明した。
―ということは、その頃何か事件でも発生したというのですかね?
道夫は些か納得が出来ないように言った。
「ええ。発生しましたよ」
―どのような事件が発生したのですかね?
と、道夫が訊いたので、夏木はとにかく橘伊佐夫の事件を手短に話した。
道夫は、そんな夏木の話に何ら言葉を挟むことなく、耳を傾けていたのだが、夏木の話が一通り終わると、
―ということは、僕たちがその橘さんを殺したと刑事さんは疑ってるというわけですかね?
と、些か不満そうな表情を浮べては言った。
すると、夏木はその道夫の問いには適切に答えずに、
「ですから、午後十時頃、高遠さんたちがPホテルに戻って来た時の様が尋常ではなかったという話を聞きましてね。それで、その理由を確かめる必要があると思いましてね。それで、高遠さんに電話したという次第なんですよ」
と、些か険しい表情を浮べては、道夫に言い聞かせるかのように言った。
すると、道夫は、
―ですから、Pホテルのフロントマンは何か勘違いしてただけなんですよ。Pホテルのフロントマンは日頃の僕たちの様を知ってるわけではありませんからね。僕と息子は元々せっかちな性質で、慌しい雰囲気を漂わせているんですよ。僕たちのような親子は少ないのではないですかね。だから、そのフロントマンの話は特に気にする必要はないですよ。
と、夏木を説得するように言った。
そう言われてしまえば、夏木としては反論のしようがなかった。
それで、この辺で道夫に対する聞き込みを終え、もう一度Pホテルに電話して、高遠親子のことを証言したフロントマンともう一度話をしてみた。
すると、そのフロントマン、即ち、森本という三十四歳のフロントマンは、その証言を取り消そうとはしなかった。即ち、高遠親子は甚だ取り乱していたことは間違いない。フロントマンという職業柄、多くの人を眼にして来た自らの眼に間違いはないと、森本は断言したのである。
次に夏木は中森美香に電話をしてみることにした。中森美香は友人と思われる星野晴美と共に十四日に元町にあるSホテルに泊まったのだが、十五日も泊まる予定になっていたにもかかわらず、十五日の宿泊をキャンセルしたとのことだ。その行動は熊沢夫妻と同様、何となく不審である。そんな中森美香は熊沢夫妻や高遠親子と同様にレンタカーを借りていたという。
そんな中森美香に夏木は早速電話してみることにした。因みに、美香は東京都中野区在住だとのことだ。
呼出音が八回鳴った後、電話は繋がった。
「僕は、大島署の夏木と申します」
―……。
「で、中森さんは六月十四日に伊豆大島のSホテルに星野晴美さんと共に宿泊されましたね?」
―ええ。
「で、中森さんは、Sホテルには十五日も宿泊されることになってたとか」
―ええ。
「にもかかわらず、十五日の宿泊をキャンセルし、東京に戻ったとか」
―そうです。
「どうして、十五日の宿泊をキャンセルされたのですかね?」
夏木は、興味有りげに訊いた。
―お金が無くなってしまったからです。
美香は、夏木の問いに間髪を入れずに答えた。
「お金が無くなってしまった? それ、どういうことですかね?」
美香の言葉の意味が今ひとつ理解出来なかった夏木は、怪訝そうな表情を浮べては言った。
―大島公園の近くに海のふるさと村というキャンプ場や公園がある所がありますよね。
「ありますね」
―で、私たちはその海のふるさと村に行っては、車を駐車場に停め、その辺りを散策してたのですよ。キャンプ場の中とか、海岸にまで行ったりして。で、一時間程、散策してたのですかね。
そして、駐車場に戻ったら、車の中に入れてあった私と星野さんのバッグが盗まれていたのですよ。
と、美香は些か腹立たしそうに言った。
「車の鍵を掛け忘れたのですかね?」
―ええ。そういうことです。
と、美香は顔を赤らめては言った。もっとも、その美香の表情を夏木が眼にしたわけではないが。
「バッグそのものが全部盗まれていたのですかね?」
―そうです。手提げの少し大きめのバッグでしたがね。背中に背負うリックサックのようなバッグではなかった為に、車の中に置いてったのですよ。でも、それが裏目に出てしまって……。そして、そのバッグの中に私も星野さんも殆んどのお金を入れてあったのですよ。それで、十五日の行動の目処が立たなくなってしまったのですよ。それで、やむを得ず、急遽、東京に戻る羽目に陥ってしまったのですよ。
と、美香は早口で捲くし立てた。
「ということは、被害届を警察に出したのですかね?」
―勿論、出しましたよ。
美香は、何ら躊躇わずに言った。
そう美香に言われ、夏木の言葉は詰まった。今の美香の話が事実なら、美香とその連れの星野晴美は、橘の事件には何ら関係がないことは歴然としてるからだ。
それで、思わず言葉を詰まらせてしまったのだが、そんな夏木に美香は、
―刑事さんは一体どういった要件で私に電話して来たのですかね?
と、些か怪訝そうな表情を浮べては言った。
それで、夏木はとにかく橘の事件のことを話してみた。
美香はそんな夏木の話にじっと耳を傾けていたが、夏木の話が一通り終わると、
―つまり、刑事さんは私たちのことを疑っていたのですね?
「まあ、そうです」
夏木は、決まり悪そうな表情を浮べては言った。
すると、美香は些かむっとした表情を浮べては、
ー私たちは、その橘さんの事件には全く無関係ですよ。その事件のことは新聞で見て知ってましたが、まさか私たちがその容疑者だと疑われてたなんて夢にも思ってませんでしたよ。
と、まるでいかにも不満そうな口調で言った。