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 大島空港近くでペンションを経営してる橘伊佐夫を殺した疑いがある者として、熊沢夫妻、高遠親子、中森美香、星野晴美という三組の観光客が捜査の結果、浮かび上がり、聞き込みを行なったのだが、いずれも橘殺しを頑なに否定した。熊沢夫妻は妻のすみれが腹痛の為に、急遽東京に戻ったと証言し、高遠道夫は宿泊先のホテルマンの証言に対して、気の回し過ぎと明言し、また、中森美香は十五日に急遽、東京に戻ったのは、海のふるさと村でバッグを盗まれた為に旅行資金が尽きた為だと証言した。
 その三人の証言は確かに説得力はあったことはあったのだが、しかし、その証言を鵜呑みにするとすれば、それは刑事としては、失格だといえるだろう。その三人の中で、嘘を付いている者がいるかもしれないのだ。十四日の夜、野田浜で偶然、橘伊佐夫とトラブルになり、そして、橘伊佐夫を殺してしまい、その結果、大島観光どころではなくなり、急遽、大島から去ったという可能性がないとは限らないのである。
 それ故、この三組に対しては、更に慎重な捜査を行なう必要があるだろう。
 否! この三組に対しては、強制的にも捜査を行なわなければならない事態となってしまったのである。
 というのは、伊佐夫のズボンのベルトに、伊佐夫のものではない指紋が付いていたことが明らかとなったのである。そして、その指紋は正に伊佐夫を絞殺した時に伊佐夫のズボンのベルトに付いたものに違いないと、夏木たち捜査陣は看做したのである。
 それを受けて、まず「曙」の経営者の高柳の指紋かどうか、捜査が行なわれた。
 そして、その結果は一致しなかった。
 即ち、伊佐夫のズボンのベルトに付いていた指紋は、高柳のものではなかったのである!
 その結果を受けて、夏木たち捜査陣は熊沢たちのことを捜査せざるを得なくなってしまったのだ。
 というのは、今までの捜査から、伊佐夫を恨んでそうな者としては、「曙」の高柳しか浮かび上がらなかったのである。だが、鑑定の結果から、高柳はシロと決まったのである。
 となると、伊佐夫を殺した犯人は、行きずりの者である可能性が高まった。伊佐夫と何ら面識のなかった者が、偶然に伊佐夫と野田浜でトラブルとなり、その結果、伊佐夫が殺されたというわけである。
 そして、今までの捜査の結果、その行きずり犯として、熊沢夫妻、高遠親子、中森美香、星野晴美が浮かび上がったのである。
 もっとも、この三組以外に犯人はいるのかもしれない。犯人は慎重な性質の者で、伊佐夫を殺したとしても、何ら予定外の行動を取らなかった。その為に、夏木たちの捜査にまだ、浮かんでないのかもしれないのだ。
 無論、その可能性は十分にある。
 また、先述したように、その行きずりの者が大島の居住者である可能性も、無論あるのだ。だが、そのケースなら今のところ、捜査のしようがないのだ。
 それで、捜査手順としては、捜査線上に浮かび上がっている三組、計六人に捜査協力を依頼し、捜査してみる必要が生じたのだ。
 そして、その夏木たちの判断に基づき、夏木たちは早速その六人に捜査協力を依頼した。
 すると、熊沢紀行と高遠親子は捜査協力に応じようとはしなかった。
 だが、捜査協力に応じてくれないのなら、公務執行妨害で逮捕も有り得ると脅され、その三人も渋々指紋提供に応じた。
 そして、その入手した六人の指紋は、直ちに伊佐夫のズボンのベルトに付いていた指紋と一致するか、捜査が行なわれた。
 夏木としては、正直言って、その結果には期待してなかった。何故なら、その六人と直に顔を合わせて話をしてみた結果、嘘をつくような者には見えなかったからだ。伊佐夫を過失にしろ殺してしまったとしたら、正直にそれを警察に話すような者に見えたのだ。
 とはいうものの、熊沢紀行と高遠親子が指紋を提供するのを頑なに拒んだというのは、見逃すことは出来ないだろう。何ら疾しいところがなければ、すんなりと指紋を提出する筈だからだ。
 それ故、この捜査に少しは期待してもよいのかもしれない。
 そう思いながら、夏木はその鑑定結果を待っていたのだが、その結果はやがて出た。そして、その結果は夏木たち捜査陣を喜ばすものとなった。何故なら、伊佐夫のズボンのベルトに付いていた指紋は、何と熊沢紀行の指紋と一致したからだ。

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