第四章 犯罪発覚

    1

 家に帰ると、亜沙子が、
「パパ、今日もケーキ買ってきてくれた?」
 と、いかにも弾むような口調で言った。
 森口は昨日、思ってもみなかった金が入った為に、少し奮発して、亜沙子にケーキを買ってきてやったのだ。
 しかし、今日は収入がなかったということもあり、勿論、買って来なかった。
 それで、森口は眉を顰めては、
「今日は買ってこなかったよ」
 と、さりげなく言った。
「じゃ、今度買ってきてくれるのは、ボーナス日なの? 待ち遠しいなあ」
 そう言った亜沙子は、何となく不満そうだ。
 すると、道子が、
「亜沙子、ケーキ位、自分で買って来ればいいじゃないの。パパは、お仕事で忙しいんだから。そうよね。あなた」
 そう道子に言われたので、森口は、
「ああ」
 と、慌てて笑顔を繕っては言った。
 森口は会社を辞めたことを、まだ道子にも亜沙子にも話してないのだ。それ故、道子も亜沙子も森口がまだ今までの会社で仕事をしてると思っているのだ。
 
 やがて、夕食が終わり、森口はTVを見始めたのだが、そんな森口に道子が、
「あなた、夕刊読んだ?」
「まだだよ。何か面白い記事でも載っていたのかい?」
「ええ。そうなの。何処かのお金持ちがダイヤモンドのネックレスを盗まれたのよ。現場に変なメモが遺されていたのよ」
「変なメモ?」
「ええ。『ダイヤモンドのネックレスを確かにいただきました。田中一郎』というメモが遺されていたらしいのよ。
 変なメモよね。警察は田中一郎とは何者なのか、捜査してるらしいよ」
 そう道子に言われ、森口は思わずむせてしまった。
 そんな森口を見て、道子は、
「どうしたの? 大丈夫?」
 しかし、森口がむせてしまったのは、当然といえるだろう。何故なら、森口は田中宝石店という場所で、あの妙な男から言われ、それを田中一郎に渡したのだから! そして、何処かの金持ち宅に入った強盗は、森口が書いたのと同じ文句が書かれたメモを遺していたというじゃないか! これは、正に森口を驚かすのに充分といえるだろう。
 それで、森口は森口の部屋に行くと、早速、あの田中一郎から貰った名刺に記されていた電話番号に電話をしてみたのだが、やはり、「この電話は現在使われていません」というメッセージが流れるばかりであった。ということは、田中一郎は最初から出鱈目な電話番号が書かれてる名刺を森口に渡したということか。
 それはともかく、翌日になって、森口は今日もあの田中宝石店に出向いてみた。
 しかし、田中宝石店という看板は下ろされ、ドアには鍵が掛かっていた。要するに、昨日と同じ状態だ。
 田中一郎という男の話だと、アルバイト期間は一ヶ月程だと言っていたから、契約違反だと言いたいところだが、契約書などは、無論交してはいない。また、田中一郎自体が行方不明といった状態になっているのだ。
 それ故、森口は何としても田中一郎に会いたかったのだが、それは今後のアルバイトに関する話というよりも、昨日の夕刊の記事に関して話を聞きたかったからだ。何しろ、被害に遭った金持ち宅に落ちていたという紙には、森口が田中の指示によって書いたの同じ文句、即ち「ダイヤモンドのネックレスを確かにいただきました。田中一郎」と書かれていたというではないか!
 その紙は、まさか森口が書いたものとは思えないが、それにしても、こんな奇妙な偶然があるだろうか? それ故、森口は何となく気になったのだ。
 それ故、田中に会って、奇妙な偶然が起きましたねと言ってやりたかったのだが、ドアは鍵が掛かり、中に人がいる気配はまるでなかった。

     2

 その夜、サラリーマン風の中年の男が一人訪ねて来た。その男は森口が見たところ、実用性のない商品を進めて来たのだが、森口は勿論断った。森口はその男に見せられたカタログを手に取って見てみたのだが、やはり、森口が買う気になれない商品であった。
 それで、森口は丁寧に断った。
 すると、男はうやうやしく頭を下げては、帰って行った。
 
 その翌日は土曜日であった。 
 それで、森口は午前八時半頃まで床についていた。もっとも、森口は既に会社を辞めているのだから、毎日遅くまで眠っていても問題ないのだが、家族にはまだ会社を辞めたことを話してなかった。
 それで、会社時代と同じような生活パターンを装っていただけのことだ。
 それはともかく、午前十一時頃、来客があった。
 それで道子が応対したのだが、そんな道子はいかにも冴えない表情を浮かべては、森口の許に来ては、
「あなた、刑事さんが見えてるのよ」
「刑事?」
 森口はいかにも納得が出来ないような表情を浮かべては言った。森口は刑事の来訪の目的がよく分からなかったのだ。
 とはいうものの、刑事は森口に会いたいとのことなので、森口はとにかく玄関に行った。
 すると、刑事は私服姿ではあったが、警察手帳を見せては、
「M署の戸田と申すものです」
 と、その頭がかなり禿げ上がった五十の前半位のその警官は、そう名乗った。
 そんな戸田に、森口は、
「一体、何の用ですかね?」
 と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。やはり、森口は刑事が訪ねて来た目的が分からなかったのだ。
 すると、戸田は畏まった表情を浮かべては、
「森口さんは、三日前、つまり、四月十五日の午後二時頃、どちらにいらっしゃいましたかね?」
 と、森口の顔をまじまじと見やっては言った。
「十五日の午後二時、ですか……」
 と、森口は呟くように言っては、その日に記憶を巡らせたが、しかし、特に深く考えるまでもなかった。何故なら、その日は忘れることも出来ないあの奇妙な体験をした日であったからだ。つまり、田中宝石店なる場所で、じっと鳴りもしないを電話を待っていた日であったからだ。
 しかし、そのようなことを言うのも、何だか妙な気がした。
 森口がそう思ってると、道子が、
「刑事さん。そんなこと、決まってますよ。その頃は会社で仕事をしていましたよ。そうよね、あなた」
 と、森口を見やっては言った。
 すると、森口は笑顔を繕い、
「ああ」
 と言ったものの、そんな森口の表情はぎこちないものであった。何しろ、それは正に苦しい弁解であったからだ。道子はまだ森口が会社を辞めたことを知らないのだから。
 すると、戸田は、
「そうですか。それは、間違いないですかね?」
 と、念を押すように言った。
 それで、森口は小さな声ではあるが、
「ええ」
 すると、戸田は小さく肯き、そして、
「森口さん。十五日に発生したネックレスの強盗事件のことを知ってますかね?」
「ネックレス強盗の事件?」
「そうです。一億円相当のダイヤモンドのネックレスが盗まれたという事件が発生しましてね」
「あなた。あの事件のことよ。一昨日の夕刊に出ていたじゃない」
「ああ。あの事件のことか」
 と、森口は他人事のように言った。しかし、それは当然であろう。森口はその事件には何ら関係はないのだから。
 そんな森口のことを、戸田は訝しげな表情で見やっては、
「実はですね。その事件のことなんですが、奇妙な事実が浮かび上がりましてね」
「どういう事実ですかね?」
 森口は些か興味有りげに言った。
「その事件現場に落ちていた紙にある言葉が書かれていましてね」
「そうでしたね。確か、妙な言葉が書かれていましたね。ほら! あなた! 思い出して頂戴よ!」
「あっ! そうでしたね。確か、妙な言葉が書いてありましたね」
 と、森口は戯けたような表情を浮かべては言ったものの、その言葉のことを正確に覚えていた。何故なら、森口が田中宝石店で書いたのと同じ文句が書かれていたからだ。
 すると、戸田はいかにも真剣な表情を浮かべては、
「その紙には『ダイヤモンドのネックレスを確かにいただきました。田中一郎』と書かれていたのですよ」
 と、森口の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、森口は渋面顔を浮かべては、
「確か、そのような言葉が書いてあったようですね」
 すると、戸田は眼を大きく見開き、
「失礼ですが、森口さんはその妙な言葉のことを、その夕刊で見る前に知っていたのではないですかね?」
 すると、森口の表情はさっと蒼褪めた。
 そんな森口を眼にして、戸田は薄らと笑みを浮かべた。そして、同じ問いを繰り返した。
 すると、森口は、
「いや。知らないですよ」
 と、平然とした表情を浮かべては言った。
「それは、間違いないですかね?」
 戸田は念を押した。
「間違いないですよ」
 森口は何故このようなことで嘘をつかなければならないのかと言わんばかりに行った。 
 すると、戸田は渋面顔を浮かべては、
「実は、奇妙なことが分かりましてね」
 と、いかにも困ったと言わんばかりに言った。
「奇妙なこと? それ、どういったことですかね?」
 森口はそう言った戸田の言葉の意味はてんで分からないと言わんばかりに言った。
 すると、戸田は渋面顔を浮かべたまま、
「実はですね。その現場に遺されていたその奇妙な言葉が書かれていた紙に付いていた指紋と森口さんの指紋が一致したのですよ」
 そう戸田に言われると、森口は?然とした表情を浮かべては、思わず言葉を詰まらせてしまった。その戸田の言葉は、正に思ってもみなかった言葉だったからだ。
 しかし、森口の嫌な予感が当ってしまったというものだ。その言葉を夕刊で眼にした時は、もしやという思いが、森口の脳裏に過ぎらなかったと言えば、嘘になるだろう。しかし、森口はダイヤモンドのネックレス強盗でないことは、歴然としているのだ。
 とはいうものの、田中宝石店で森口が書いたものが、その事件の現場に遺されていたとは……。これは、一体、どういうことなんだ?
 そう思うと、何故、このような事態になってしまったのか、その謎を森口は解明しなければならなかった。
 それで、それに対して、頭を振り絞ろうとしたのだが、そんな森口の口からはなかなか言葉が発せられようとはしなかった。
 そんな森口に戸田は業を煮やしたのか、
「これは、一体どういうことなんですかね?」
 と、戸田は些か苛立ったような表情と口調で言った。
 しかし、それもそうだろう。一億円ものネックレスが盗まれた現場に、森口が書いたメモが遺されていたとなれば、森口がその事件に何らかの関わりがあると看做すのが常識というものだろう。
 そう森口は思ったものの、そんな森口の口から出た言葉は、
「何故、その紙に僕の指紋が付いてることが分かったのですかね?」
 と、いかにも納得が出来ないように言った。
 すると、戸田は畏まった様を浮かべては、
「昨日、セールスマンが森口さんの家にやって来ましたね?」
 そう言われ、昨日やって来たセールスマンのことを森口は思い出した。森口がさして興味のない壺とか陶器を売りに来た。しかし、森口は関心が無かったので、カタログを手にとってみたものの、当然のことではあるが、購入はしなかった。
 そう森口が思ってると、戸田は、
「実はですね。森口さんを騙して申し訳なかったのですが、あのセールスマンは刑事だったのですよ」
「……」
「そして、その時に、森口さんの指紋を採らせてもらったのですよ」
「何故、そんなことをしたのですか!」
 森口は些か怒ったように言った。
「実はですね。その事件現場に遺されていた紙は、森口さんが書いたものだという匿名の電話が寄せられましてね。それで、我々は密かに捜査してみたというわけですよ。その匿名の電話のことを我々も全面的に信じていたわけではないですからね。何かの間違いかもしれません。そうであれば、森口さんに迷惑が掛かってしまいますからね。それ故、密かに行なったのですよ。その点は、了承してくださいな」
 と、戸田は些か申し訳なさそうに言ったものの、すぐに冷ややかな表情を浮かべては、
「でも、何故、現場に遺されていた紙に森口さんの指紋が付いていたのですかね? 紙に書かれた文章は森口さんが書いたのですかね? それを森口さんが認めようが認めまいが、森口さんの筆跡を調べれば分かることですがね」
 そう言われると、森口は誤魔化すことは出来ないと思い、開き直ったような表情を浮かべては、
「確かに、僕が書いたのかもしれませんね」
「じゃ、十五日の午後二時頃のアリバイがありますかね?」
 と、戸田は横柄な口調で言った。
 すると、道子は、
「刑事さん。失礼じゃないですか! その頃、主人は会社にいたのですよ! あなた、そうなんでしょ?」
 と、森口を見やった。
 すると、森口は、
「ああ。その通りだ」
 と、些か自信無げに言った。
 すると、戸田はそんな森口を眼にして、にやっとした。そして、
「森口さん。そのネックレスを盗まれた被害者の名前をご存知ですかね?」
「さあ、知りませんね」
 夕刊には、その被害者の姓名までは記されてはいなかったのだ。
「その被害者は、溝口俊介さんなんですよ」
〈溝口俊介? 何処かで聞いた名前だったな〉
 森口はそう思ったものの、すぐにはそれが誰なのか、思い出せなかった。
 すると、道子が、
「それ、あなたの会社の社長さんじゃないの?」
 と、素っ頓狂な声を上げた。
「あっ! そうだ! そうなんだ!」
 と、森口も素っ頓狂な声を上げた。
 すると、戸田はにやっとし、
「被害者が森口さんの会社の社長で、その被害現場に森口さんが書いたと思われるメモが遺されている? これ、どういうことなんですかね?」
 と、いかにも納得が出来ないような表情と口調で言った。
 すると、森口は、
「そんなことを言われても、僕では分からないのですよ」
「分からない筈がないじゃないですか! じゃ、分かる範囲でいいから、説明してくださいな」
 それで、森口はとにかく、喫茶店であの奇妙な男と会い、そして、その翌日、田中宝石店であの奇妙な文句を書いたという事実を話した。
 もっとも、道子に気を配り、その日はたまたま休暇を取ったと誤魔化しておいた。それ以外は、全て森口は事実を話したのだ。
 そんな森口の説明に戸田は黙って耳を傾けていたが、森口の説明が終わると、
「それは間違いないですかね?」
「ええ。間違いないですよ」
 と、森口はいかにも真剣な表情と口調で言った。
 それで、戸田は、
「じゃ、何か思うことがあれば、すぐに僕に連絡してくださいね」 と言っては、森口に戸田の名刺を渡し、戸田は帰って行った。
 森口の脳裏には、驚きと怒りの感情で渦巻いていた。
〈あの田中一郎という男の所為だ。あの田中一郎という男が、溝口社長のダイヤモンドのネックレスを盗んだのに違いない。それを、俺に罪を着せようとしたのだ! あの日、外出しないようにと言ったのは、俺のアリバイを曖昧にする為だ! ちくしょう! 嵌めやがって!
 だが、俺は何の罪もない! だから、警察を恐れることはあるものか!
 しかし、あの田中一郎とは、一体何者か? それに、何故俺に罪を着せようとしたのか? 分からないことだらけだ。〉
 そう思うと、森口は日頃、余り使わない頭を駆使しなければならなかった……。

  

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