1 異変
摩周湖、阿寒湖、サロマ湖、屈斜路湖の名前は誰でも知ってるだろうが、かなやま湖の名前を知らない人は多いだろう。かなやま湖は国立公園に指定されてるわけでもないし、北海道の観光ガイドにはかなやま湖に関する記述がないものも多い。また、かなやま湖を巡る観光コースも設定されてはいないからだ。
しかし、北海道有数の貯水量を誇り、またダムによって出来た人造湖ではあるが、周囲をエゾマツ、トドマツといった原生林に覆われ、さながら自然の湖の様相を見せ、また、広大なキャンプ場もあり、何度も北海道を訪れてる人には、次はかなやま湖を訪れてみてはどうかと、推薦出来るスポットではないかと思われる。
そして、今回の事件は、そのかなやま湖の畔にあるかなやま湖キャンプ場で発生したのである。
かなやま湖キャンプ場は、広大なキャンプ場といっても、敷地の大部分が傾斜地である為に、シーズンは、平らな部分にキャンパーが集中する。その為に、シーズンオフとか平日でないと、快適なキャンプは望めないと言われている。
それはともかく、今回の事件は七月三日の土曜に発生した。
今回の事件の被害者は、秋草春雄という三十二歳の中学校教員であった。クラスの担任は受け持っていなかったのだが、社会科の教員であり、また、歴史サークルの顧問でもあった。そんな秋草春雄が事件の被害者となったのだ。
秋草の死体が発見されたのは、翌日の日曜日の午前八時頃のことであった。
秋草は妻の冬子と共に、帯広からキャンプにやって来たのだが、冬子によると、土曜日は午後九時頃、テントの中に入り、就寝についたのだが、冬子は翌朝まで目覚めなかった。
冬子が目覚めたのは、午前六時頃であったが、その時は既に春雄の姿は見られなかった。
しかし、朝早く起きて、散歩をしてるのだと思い、特に気にしてなかった。
だが、午前七時半頃になっても姿を見せないのを目の当たりにして、少しは気になり、冬子もテントの外に出ては、春雄の姿を探そうとしたのだが、そんな冬子の表情は、芳しいもではなかった。
というのは、今日は日曜日といえども、子供がまだ夏休みに入ってないということもあり、今、テントは十張り位しか見られず、それ故、春雄が何故これ程長時間テントを留守にしてるのか、その理由を推測することが出来なかったからだ。
それで、冬子は渋面顔を浮かべては、とにかく、野外ステージの方に向かって歩みを進めていたのだが、すると、冬子の表情は、徐々に険しいものへと変貌して行った。というのは、野外ステージの向こうにある湖岸に三人程の男性が集まり、何となく物々しい感じがしたからだ。その三人は何か異変に遭遇したのかもしれない。
そう察知した冬子は、とにかく、その三人に近付いて行った。
だが、三人は、冬子が近付いて来るのに気付いていないようであった。
そして、冬子は、その三人の許に来たのだが、すると、その三人は単に湖岸に佇んでるのではなかった。
というのは、既に一人の男性が湖の中に入り、湖でぐったりしてる男性を抱え込んでは、その男性の身体を抱え込んでは、その男性を湖岸に引き上げようとしてる最中であったのだ。そして、冬子は、その男性を一瞥しては、愕然とした表情を浮かべた。何故なら、それは、夫の秋草春雄であったからだ!
そう理解すると、冬子は、
「あなた!」
と、金切り声を上げた。
その冬子の声と共に、その場に居合わせていた三人の男性の眼は、冬子に据えられた。冬子の今の声を聞くまでは、三人の男性にとって、冬子の存在はまるで眼に入らないかのようであったのだが、今の冬子の声によって、冬子の存在は三人の男性にとって、甚だ重要なものになったのだ!
即ち、三人の男性は、今、湖から湖岸に引き上げられようとしてる男性の妻が、三人の眼前にいる女性であるということを理解した。
だが、そうだからといって、事態が好転するわけではなかった。無論、冬子が現れたからといって、秋草春雄が息を吹き返すわけではなかったからだ。
それはともかく、春雄の死体はやがて、湖岸に引き上げられた。
それと同時に、冬子は春雄の死体に跪いては、
「あなた!」
と、泣き叫んだものの、どうにもならなかった。そんな冬子の様を、その四人の男性は、何も言わず、見守るばかりであった。