1 事件発生
久米島はイーフビーチには、近代的なホテルが見られるが、島全体がさして観光化されてるわけでもなく、沖縄本島から飛行機で30分の距離にあるとはいえども、まだまだ素朴な自然が残ってる島である。
そんな久米島には、見所が色々ある。イーフビーチ、畳石などはその代表で、それ以外としても、比屋定バンタからの眺めもよい。また、久米島の山間部には、自衛隊の基地もある。
津波に備えてか、山の中腹辺りにも集落が見られ、車がなければ、生活に困ることであろう。
久米島から辺りの景色を俯瞰するには、観光ガイドには、比屋定バンタが挙げられるが、比屋定バンタよりも高所にある宇江城跡の方が眺めがよい。
宇江城跡まで車で行くには、島を一周する道路から少し登り道を上らなければならない。
浅沼朝雄は、東京からの旅行者で、一昨日は名護市内のホテルに泊まり、昨日は那覇市内のホテルに泊まった。そして、沖縄本島旅行を愉しんだのだが、今日は久米島観光という具合だ。
そして、朝一番の久米島行き飛行機で久米島にまでやって来ては、まず比屋定バンタに行き、そして、その次に宇江城跡見物という具合だ。
そして、浅沼が宇江城跡の駐車場に着いた時は、浅沼の車以外は一台も停められていなかった。そんな浅沼は、早速車外に出ては、宇江城跡に向かった。宇江城跡に行くには、駐車場から階段を少し上がらなければならない。
といっても、駐車場からは既に東シナ海を一望出来、ここからでもかなり眺望がよいのだが、折角ここまで来たからには、宇江城跡にまで行かない者は、誰もいないだろう。
それはともかく、宇江城跡といっても、城壁が残存してるだけで、頂上は平坦な小さな広場になってるだけだ。
しかし、浅沼はその広場に向かって階段を上がり、早々とやって来た。そして、辺りの景色を俯瞰し、辺りの景色を見て、「来てよかった」と思う筈であったのだが、その浅沼の予想は早々と崩れてしまった。というのは、その頂上の広場に人が倒れていたからだ。
その様は、尋常ではない。それ故、浅沼の表情が強張ったのは、至極当り前のことであろう。
しかし、この男の状態を確認することなく、この場を後にするのも気が退けるというものであろう。
それ故、浅沼は恐る恐るその男の傍らにまでやって来ては、屈み込んだ。しかし、それだけでは、男の状態を確認は出来ない。
それで、浅沼はとにかく、男の耳元で、
「もしもし」
と、声を掛けてみた。しかし、何の反応もない。
それで、男の肩を揺り動かしてみたが、すると、浅沼は、「わっ!」と、小さな悲鳴を上げて後退りした。何故なら、男の身体が硬直し、とても生きてるようには思えなかったからだ。
〈死んでいる!〉
浅沼はそう思った。それで、直ちに携帯電話で110番通報したのであった。
浅沼からの通報を受け、久米島駐在所の前田正嗣警部補(44)が、直ちに現場に向かった。そして、前田が現場に到着したのは、浅沼が110番通報して10分後のことであった。
そして、前田は早々と男性の死を確認した。
そして、前田に遅れて10分後に救急車が到着し、男性の死体をK病院に運んで行ったのであった。
男性の死は、鈍器に裂傷があったことから、他殺の疑いがあった。
それで、那覇市内のT病院に運ばれ、直ちに司法解剖が行なわれた。
すると、死因と死亡推定時刻が明らかになった。
死亡推定時刻は、昨日、即ち、三月十二日の午後六時から八時の間で、死因は後頭部を鈍器で殴打されたことによる脳挫傷であった。
男性は身元を証明するものは、何ら所持してなかったが、身元は早々と明らかになると思われた。というのは、男性はその服装などからして、地元の者と思われたからだ。
そして、その予想通り、男性の身元は、男性の死体が発見された翌日に明らかになった。というのは、男性の妻が警察に男性のことを問い合わせて来たからだ。
それを受けて、その男性の妻、即ち、末吉佐知代がK病院に行き、その男性の遺体と対面した結果、男性の身元が明らかになったのだ。
男性は末吉博敏(35)で、久米島でダイビングショップを営む男性だった。
そんな末吉が、何故殺されたのか? 末吉の事件を担当することになった沖縄県警の糸数和則警部(55)は、まずその点を佐知代に訊いてみた。
すると、佐知代は、
「分からないです」
と、いかにも悲愴な表情を浮かべては、頭を振った。そんな佐知代は、正に末吉が何故殺されたのか、てんで分からないと言わんばかりであった。
そんな佐知代に、糸数は、
「ご主人は、一昨日の午後六時から八時の間に死亡したことが、司法解剖の結果、明らかになってるのですが、その頃、誰かと会うというようなことは、おっしゃってなかったのですかね?」
と言っては、眼を光らせた。もし、その頃、誰かと会うことが明らかになっていれば、その相手が犯人に違いないと思ったからだ。
しかし、佐知代は、
「分からないです」
と、いかにも渋面顔を浮かべては言った。
「でも、ご主人は、その頃、何処かに行くというようなことをおっしゃっていなかったのですかね?」
「何も言ってなかったですね。それどころか、主人はいつの間にかいなくなったという感じでした」
「その日はご主人は、お仕事ではなかったのですかね?」
「仕事でしたよ。うちの店は、イーフビーチの近くにあるのですが、主人は一昨日は、午後五時頃に帰宅しました。その日は仕事を終えたらしく、いつもは午後六時頃帰宅するのですが、一昨日は午後五時頃に戻って来たというわけです。
でも、そのようなことは、特に珍しいことではなかったのです。
そして、主人は家で寛いでいたようなのですが、いつの間にか何処かに行ってしまい、そして、その翌朝、宇江城跡で死体で発見されたというわけです」
と、佐知代はいかにも悲愴な表情を浮かべては言った。そんな佐知代は、まだ末吉の死を信じられないと言わんばかりであった。
そんな佐知代に、糸数は、
「末吉さんは何者かに殺されたに違いないのですよ。鈍器で後頭部を強打された為にお亡くなりになられたのです。そして、そのことは、末吉さんに対して強い恨みがあったと思われるのですよ。そうでなければ、後頭部を鈍器で殴りはしないでしょうからね。
それ故、ご主人を強く恨んでそうな人物がいた筈なんですがね。そのような人物に心当りはないのですかね?」
と、佐知代の顔をまじまじと見やっては言った。そんな糸数は、何とかして佐知代から有力な情報を入手しようと言わんばかりであった。
すると、佐知代は少しの間、何やら考えを巡らすかのような表情を浮かべていたが、やがて、
「そういえば、そのような人物に心当たりないわけではありません」
と眉を顰めては、呟くように言った。
「それは、どういった人物ですかね?」
糸数は、眼を大きく見開いては言った。
「うちの店を利用したお客さんの中で、自殺した方がおられるのですよ」
と、佐知代は糸数から眼を逸らせ、いかにも言いにくそうに言った。そんな佐知代は、そのことにはあまり言及したくないと言わんばかりであった。
そんな佐知代に、糸数は、
「それは、どういった人物ですかね?」
と、いかにも興味有りげに言った。
「確か福岡の方でしたが。中村さんという人でした」
「中村さんは、どうして自殺されたのですかね?」
糸数は眉を顰めては訊いた。
「中村さんとは、女性でしてね。確か27歳の方でした。
で、主人のガイドではての浜の方でダイビングをしたのですが、トラブルが発生し、下半身に後遺症が残ってしまいましてね。そのことを苦に自殺されたそうですよ。何でも、自宅で首吊り自殺をされたそうで」
と、佐知代はいかにも神妙な表情を浮かべては言った。
「なるほど。で、中村さんが自殺されたのは、ご主人の所為というわけですか」
「いいえ。主人は、過失はなかったと主張してました。
しかし、中村さんの遺族は、主人のガイドが不十分だといって、裁判になったのですよ。しかし、主人の過失は認められませんでした。でも遺族はそれが納得出来なかったのですよ。
それで、度々久米島に来ては、主人と言い争いになってましたね」
と、佐知代はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべては言った。そんな佐知代は、そのことは思い出したくないと言わんばかりであった。
そう佐知代に言われ、糸数は、
「なるほど」
と言っては、小さく肯いた。そんな糸数は、その中村の遺族が末吉博敏を殺した可能性は十分に有り得ると言わんばかりであった。
それで、糸数は、
「ご主人と言い争いをしたのは、中村さんの遺族とのことですが、具体的には、誰ですかね?」
と、佐知代の顔をまじまじと見やっては言った。
「父親です」
「その父親が、久米島にまで度々やって来ては、ご主人と言い争いになったわけですかね?」
「そうです。うちの店にやって来ては、主人に強い罵声を浴びせていました。お客さんがいた時にも、主人のことを詰っていました。
でも、主人はそんな中村さんにただ謝るだけでした」
「そういったことが、何度位あったのですかね?」
「十回位はあったと聞いています」
と、佐知代はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
「しかし、ご主人はそれほど何度も罵声を浴びせられれば、ご主人の方が中村さんに対して殺意を抱いてしまうのではないですかね?」
「そこまでは分からないですね。主人はそのようなことを私に言ったことはありませんでしたから。もっとも、心の中では、どのように思っていたのかは分からないですが……」
と、佐知代は決まり悪そうに言った。
そして、まだしばらくの間、佐知代から話を聞いたが、末吉博敏に対して強い恨みを持っていたのは、末吉のダイビング客であり、自殺したという福岡に住んでいた中村沙織の父親である中村正志である可能性が高まった。
しかし、末吉の死亡推定時刻に、正志が久米島にいなければ、話にならない。
その点を踏まえて、まず中村正志から話を聴いてみることにした。