6 どうやって青酸を入手したか

 山際は再び川村建設の峰岸に会って、話をしてみることになった。
 川村建設は浦上駅から徒歩五分位の所にある五階建ての雑居ビルの二階と三階と四階に事務所を構えていた。そして、その四階に経理部はあったので、山際は四階に行き、峰岸と話をすることになった。
 そして、小さな会議室で山際は峰岸と話をすることになったのだが、山際は早速恩田の死は自殺でない可能性が高いと話した。
 そんな山際の話に峰岸は眉を顰めては何ら言葉を挟むことなく耳を傾けていたのだが、山際の話が一通り終わると、
「僕はその考えには納得は出来ないですね」
 と、渋面顔を浮かべては言った。
 すると、山際は、
「何故納得が出来ないのですかね?」
 と、峰岸の顔をまじまじと見やっては言った。
「ですから、以前も説明しましたが、恩田さんは密かに会社のお金を横領してたのです。四千万も五千万もです。そして、その事実が我々に明らかになったのです。そんな恩田さんのこの先に待っているのは、懲戒免職と逮捕です。正に恩田さんは地獄に突き落とされてしまうのです。
 それ故、恩田さんはそのような目に遭う位なら死んだ方がましだと思い、自殺したのですよ。僕はそう思いますね」
 と、峰岸は山際を見据えては、毅然とした表情を浮かべては言った。
 そう峰岸に自信を持って言われると、山際の言葉は詰まった。何故なら、峰岸の主張はもっともなこととも思えるからだ。
 とはいうものの、恩田の妻の早苗は、恩田は自殺したのではないと主張していたということを峰岸に話すと、峰岸は、
「何しろ恩田さんは会社のお金を横領するといった犯罪に手を染めていたわけですからね。ですから、そのようなことをたとえ妻でも話せませんよ。それ故、家の中では努めて平静を装っていたのではないですかね?
 それ故、奥さんは恩田さんの胸の内が分からなかったのですよ」
 と、恩田の自殺を認めようとはしない山際を諭すかのように言った。
 そんな峰岸と話をしてると、正に峰岸には恩田は自殺した以外のケースは存在してないかのようであった。
 それで、山際は決まり悪そうな表情を浮かべては言葉を詰まらせてると、そんな山際に峰岸は、
「刑事さんは恩田さんが自殺に使った青酸の入手先が分からないのですよね? それが分かれば恩田さんの死は自殺によるものと看做すのではないですかね?」
 と、眼を大きく見開いては、真剣な表情を浮かべては言った。
 そう峰岸に言われると、
「そりゃ、断言は出来ませんが、可能性は高まるでしょうね」
 と、山際は渋面顔を浮かべては言った。
 すると、峰岸は小さく肯き、そして、
「実はですね。以前刑事さんと話をした時には思い出せなかったのですが、僕はそれに関して心当たりないこともないのですよ」
 と言っては、眉を顰めた。
 すると、山際は、
「ほう……。それは、どういったものですかね?
 と、峰岸の顔をまじまじと見やっては、いかにも興味有りげに言った。
「うちと取り引きのある鍍金工場で最近になって、青酸が盗まれたというような話を聞いたことがあるのですよ。そして、その犯人はひょっとして、恩田さんであったのかもしれないということですよ」
 と、峰岸は神妙な表情を浮かべては言った。
「何故そう思うのですかね?」
 山際は興味有りげに訊いた。
「その鍍金工場の社員と僕と恩田さんが居酒屋で飲んだことがありましてね。その時にその社員が青酸が保管してある場所のことに言及しては、『あんな所に保管してあれば盗むことは簡単だよ』と、笑いながら言ったのですよ。で、その話に耳を傾けていた時の恩田さんの表情がとても厳しかったのを僕は覚えているのですよ」
 と、峰岸は再び神妙な表情を浮かべては言った。そして、
「その頃から恩田さんは横領に手を染めてたみたいですからね。ですから、もし横領が発覚すれば青酸を飲んで死んでやろうと恩田さんは思ってたのではないですかね。青酸を飲めばすぐに死ねますからね。ビルから飛び降りたり、首を吊ったりする時に経験しなければならない恐怖を味わわなくてもよいですからね」
 と、厳しい表情を浮かべては言った。
「その鍍金工場は何というのですかね? また、その社員は何というのですかね?」
 山際は、眉を顰めて訊いた。
「その会社は高岡金属という会社で、その社員は林原幹雄という名前です」
 山際は峰岸から高岡金属の連絡先を聞くと、次に川村建設社長の川村利春社長に会って話を聞くことになった。
 川村は五十の半ば位の年齢で、かなり大柄な男であった。
 そんな川村に、山際は改めて恩田の死を捜査してることを話し、そして、恩田の死は自殺によるものか、殺しによるものか、川村はどう思っているのか、訊いてみた。
 すると、川村は少しの間、気難しげな表情を浮かべては言葉を詰まらせていたが、やがて、
「分からないですね」
 と、決まり悪そうに言った。
 だが、その川村の言葉は山際には意外であった。というのは、経理部長の峰岸はあれだけ恩田の死は自殺だと主張してたからだ。
 それ故、山際は峰岸の主張を川村に話した。
 すると、川村は少しの間言葉を詰まらせたが、やがて、
「やはり、僕では何とも言うことは出来ないですね」
 と、再び決まり悪そうに言った。
「では、川村さんは恩田さんが会社のお金を横領してたことをご存知ですよね?」
「そりゃ、無論知ってますよ」
「ということは、恩田さんは懲戒免職になることになってたのですかね?」
「勿論そうですよ。来週の月曜日付けで恩田君は懲戒免職になることになっていたのですが、ひょっとしてもう少し後に伸びたかもしれなかったのですよ。というのは、恩田君が横領した金額がまだ正確には明らかになってませんでしてね。それを明らかにしてから、恩田君を懲戒免職にしようと僕は思ってたのですよ。ところが、その前に恩田君は死んでしまったというわけですよ」
 と、川村は渋面顔を浮かべては言った。
「でも、恩田君が横領したお金は四、五千万だと峰岸さんは言ってましたがね」
「いや。まだ、正確には分かってません」
 と、川村は険しい表情で頭を振った。
 そんな川村に、
「では、もし恩田さんが殺されたとしたら、その犯人に川村さんは心当たりありますかね?」
 と、山際は川村の顔をまじまじと見やっては訊いた。
 すると、川村は山際から眼を逸らせては、
「分からないですね」
 と、小さく頭を振った。
「そうですか……。では、最後に訊きたいのですが、恩田さんは自殺しそうな人でしたかね?」
「さあ……。それも何とも言えませんね。まさかあの人がというような人が自殺したのを僕は知ってますからね」
 と、川村はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
 山際はこの辺で川村に対する聞き込みを終え、その足で川村建設から車で十分位の所にある高岡金属に向かった。そして、林原に会って話を聞いてみることにした。
 林原は繋ぎの作業服を着ては工場内で作業をしていたが、山際が訊きたいことがあると言うと、作業を中断し、速やかに山際の許に姿を見せた。林原は五十に近い位の年齢で黒縁の眼鏡を掛けていた。
 そんな林原に山際は林原に確認したいこと、即ち、林原と峰岸と恩田が居酒屋で飲んでいた時のことを訊いてみた。
 すると、林原は、
「そのようなことを話したことがありましたね」
 と、何ら表情を変えずに淡々とした口調で言った。
 すると、山際は小さく肯き、そして、
「で、おたくの青酸は何処に保管してあるのですかね?」
「倉庫の中でよ。工場の隣に倉庫があるのですよ。作業に使う材料なんかを保管してある倉庫がね。その倉庫の棚に保管してあるのですが、その倉庫に番人が居るわけではないのですよ。ですから、誰でも入ろうと思えば入れるのですよ。もっとも、倉庫の鍵は午後六時には閉められますから、それまでの話ですけどね。
 で、そういった状況なので、峰岸さんと恩田さんと飲んでる時にその話をしてしまったことを僕は覚えてますね。酒を飲んでましたから、つい余計なことを僕は話してしまったのですよ」
 と、林原は些か顔を赤らめては、決まり悪そうに言った。
 そう林原に言われると、山際は些か納得したように肯いた。即ち、峰岸が指摘したように、恩田は高岡金属の倉庫から青酸を盗んだ可能性は有り得ると思ったのだ。
 となると、恩田の死は峰岸が主張したように自殺だったのだろうか?
 長崎県警としては、恩田の死は自殺ではないと推理していただけに、山際は決まり悪そうな表情を浮かべては言葉を詰まらせていると、林原は、
「でも、恩田さんがうちの会社に来たのを僕は見たことはないですね」
 と、眉を顰めた。
 すると、山際は林原の顔をまじまじと見やっては、
「それ、どういうことですかね?」
 と、些か興味有りげに言った。
「ですから、僕は恩田さんがうちの会社に来たのを眼にしたことがないということですよ。でも、峰岸さんは見たことはありますよ。峰岸さんは『川村建設』の経理部長ですからね。ですから、色々と用があったんじゃないですかね。それに対して恩田さんは課長でしたからね。課長では与えられてる権限は少ないでしょうからね。ですからうちの会社までやって来ることはなかったのではないでしょうかね」
 と、林原は淡々とした口調で言った。
「成程。でも、林原さんは何故峰岸さんや恩田さんのことを知っているのですかね?」
「僕は以前、『川村建設』の社員だったのですよ。それで、峰岸さんや恩田さんのことを知っているのですよ」
 と、林原はあっけらかんとした表情を浮かべては言った。
「成程。で、高岡金属の倉庫は休日は閉まってるのですよね?」
「勿論閉まってますよ」
「では、例えば恩田さんが休日に高岡金属の倉庫に忍び込み、青酸を盗むという行為は可能でしょうかね?」
「そりゃ、不可能でしょうね」
 林原は何ら躊躇うことなく言った。
 すると、山際は渋面顔を浮かべては言葉を詰まらせた。というのは、そもそも高岡金属に来ては林原に聞き込みを行なったのも、恩田に死をもたらした青酸の入手先を確認する為だ。恩田の死が自殺によるものなら、その入手先を突き止めなければならないからだ。
 だが、今の林原の説明からして、どうも恩田は高岡金属の倉庫から青酸を盗めないようなのだ。となると、恩田はどうやって青酸を手にしたのであろうか?
 そう思うと、山際は渋面顔を浮かべては言葉を詰まらせてしまったのだ。
 すると、林原は、
「このようなことは言いたくはないのですが、うちの倉庫から青酸を盗むのなら、恩田さんより峰岸さんの方が余程容易く出来るということですよ。何故なら、峰岸さんはうちの会社に度々来てますからね。だから、うちの従業員がどの作業場所で作業してるか、凡そ分かってますからね。だから、峰岸さんなら、うちの倉庫に忍び込み、青酸を盗むことは容易いと思いますね。
 でも、最近青酸が何者かに盗まれたと思われてるのですが、その犯人が峰岸さんだと僕は疑ってるわけではありませんよ。それに、僕がこのようなことを言ったと、峯岸さんに言わないでくださいね」
「そりゃ、勿論分かってますよ」
 そして、この辺で林原に対する聞き込みを終え、高岡金属を後にした。
 林原に聞き込みを行なった結果、山際の脳裏にはある疑惑が湧き上がった。
 それは、高岡金属の倉庫から青酸を盗んだのは、峰岸ではなかったということだ。林原が言ったように峰岸なら高岡金属の倉庫から青酸を容易く盗めるとのことだからだ。
 では、もし峰岸が青酸を盗んだのだとすると、峰岸は何故青酸を盗んだのであろうか?
 その答えはただ一つ。
 峰岸は恩田を殺す為に青酸を盗んだのだ。それしか、考えられないだろう。
 では、何故峰岸が恩田を殺す必要があったのだろうか?
 それは、山際には分からなかった。
 しかし、林原に聞き込みを行なった結果、今まで全く恩田殺しの容疑者として疑われてなかった峰岸豊の存在が大きく浮上したことは間違いなかった。

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