3
女性の死因は、高橋たちが思った通り、紐のようなもので首を絞められたことによる窒息死であった。
また、女性の遺体が見付かった時の状況から、女性は何者かに乱暴されてから絞殺されたと推定出来たのだが、女性の膣内からは、精液は見付からなかった。
そのことから、犯人と思われる男は、最後まで行為を行なわなかったようだ。
また、女性の身元は、早々と明らかになった。女性が借りたというレンタカーの中に免許証が入っていたからだ。
それによると、女性は沢井和美という札幌に住んでいる三十三歳の女性であった。
それで、直ちに和美の死を豊平区に住んでいる和美の両親に伝えられたが、両親は和美が何故そのような目に遭ったのか、てんで分からないと言った。また、和美は今、一人で豊平区内のアパートに住み、無職であったそうだ。
もっとも、和美は行き擦りの男に殺されたのなら、和美の両親がその犯人に心当りないのは当然のことである。しかし、意図的に和美を殺した犯人がいるという可能性も有り得るので、念の為に確認して見たという次第だ。
それはともかく、和美の死は、新聞等で報道され、また、和美の遺体が見付かった周辺に立て看板が立てられ、市民に情報提供が呼び掛けられた。
だが、その結果は思わしくなかった。
それは、その周辺は元々人気の少ない場所であった為だからだ。
しかし、犯人が見付からないでは、済まされないというものだ。
それで、沢井和美の事件を捜査することになった高橋警部補は、
「僕はどうもあの大坪さんの話は、妙に思えるんだよ」
と、いかにも渋面顔を浮かべては言った。
「妙に思う?」
事件の捜査の指揮をとる事になった北海道警捜査一課の弓場悟警部(53)は、興味有りげに言った。
「和美さんが借りていたレンタカーの中にあった和美さんの免許証を大坪さんに見せたところ、大坪さんは、
「やはりこの女性は、僕の連れ女性とは違うみたいです」
と、訳の分からないことを言うのですよ」
と、渋面顔で言った。
「つまり、大坪さんは自らの意見をころころと変えるということか」
「そうなんですよ。もっとも、最初は大坪さんの連れの女性ではないみたいだとは言ったのですがね。
でも、服装とか身体付きが同じだということを我々が言ったところ、大坪さんは大坪さんの勘違いかもしれないとも言ったのですよ」
と、高橋は眉を顰めた。
そう高橋に言われると、弓場は困惑したような表情を浮かべたが、やがて、
「大坪さんが言ったこと、つまり、その女性が万一、大坪さんの連れの女性ではなかったというようなことが有り得るだろうか」
と、眉を顰めた。
「そんなことは有り得ませんよ。大坪さんの連れの女性が行方不明になり、その結果、見知らぬ女性の遺体が見付かったなんて、それは、まるで映画や小説での世界の話ですよ」
と、高橋はまるでそのようなことは話にならないと言わんばかりに言った。
すると、弓場は、
「僕もその考えに賛成だな」
そう弓場に言われ、高橋は力強く肯いた。
すると、弓場は、
「すると、どうなるかだ」
と、腕組みをしては言った。
すると、高橋はその弓場の言葉を待ってましたと言わんばかりに、
「そりゃ、大坪さんが怪しいということですよ。
つまり、大坪さんは納沙布岬で沢井さんと出会い、沢井さんの借りたレンタカーで風蓮湖にまで行ったのですが、人気が無いのを幸いとばかりに、大坪さんは沢井さんに抱きついたりしたのではないですかね。
すると、沢井さんは激しく抵抗したので、大坪さんはかっとして大坪さんのズボンのベルトなんかで、絞殺したというわけですよ」
と、いかにも自信有りげな表情と口調で言った。そんな高橋は、正に真相はそうに違いないと言わんばかりであった。
すると、弓場は、
「成程」
と、険しい表情で肯いた。弓場は高橋のその推理は、十分に可能性があると言わんばかりであった。
そんな弓場を眼にして、高橋は小さく肯いたのだが、すぐに表情を曇らせては、
「でも、気になることがあるのですがね」
「それは、どんなことかな」
弓場は興味有りげに言った。
「実は沢井さんが借りたレンタカーの営業所の係員が妙なことを言ってましてね。
それは、沢井さんが係と契約を交した時に、色の付いたサングラスを掛けていたというのですよ」
と、高橋は些か決まり悪そうに言った。
「色の付いたサングラスか……」
弓場も怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「ええ。そうです。もっとも、その色の付いたサングラスは、沢井さんの遺体の傍らにあったバッグの中に入っていたので、特に深く考えるまでもないのかもしれませんが……」
と、高橋は些か決まり悪そうに言った。
すると、弓場は渋面顔を浮かべては、言葉を詰まらせた。弓場は今の高橋の言葉に何と言えばよいか、分からなかったからだ。
そして、二人の間に少しの間、沈黙の時間が流れたが、やがて、高橋は、
「やはり、大坪さんは我々に嘘をついてるのかもしれませんね。
つまり、風蓮湖のような人気のないところで、沢井さんと二人になってしまったのを幸とばかりに、悪戯をしようとしたのですよ。その結果、引き起こされたのが、今回の事件というわけですよ。
で、納沙布岬で大坪さんは沢井さんから声を掛けられたと言ってましたが、それは逆かもしれませんね。つまり、大坪さんの方から声を掛けたというわけですよ。
大坪さんには失礼な言い方になるかもしれませんが、大坪さんはあまりいい男とは言えないですからね。そんな大坪さんのような男に、沢井さんのような魅力的な女性が声を掛けるなんて、やはり、不自然ですよ。つまり、その逆だというわけですよ」
と、些か真剣な表情と口調で言った。高橋はその可能性が極めて高いと言わんばかりであった。
高橋はそういかにも自信有りげな表情と口調で言ったのだが、弓場はいかにも厳しい表情を浮かべては、言葉を発そうとはしなかった。そんな弓場は、今の高橋の推理を否定してるかのようであった。
すると、その時、橋本治(37)という鑑識が弓場と高橋の前に姿を見せては、
「やはり、付いてましたよ!」
と、いかにも嬉しそうに言った。
その橋本の言葉を聞いて、弓場は些か表情を綻ばせた。
橋本に和美のハイヒールなんかに、大坪の指紋が付いていないか、鑑定してもらっていたのだが、橋本の表情を見ると、どうやらその成果があったようだ。
橋本は、
「和美さんのハイヒールに、大坪さんの指紋が付いていたのですよ!」
と、再び嬉しそうに言ったのだ。
そう橋本に言われると、高橋はいかにも嬉しそうな表情を浮かべた。
即ち、和美のハイヒールに大坪の指紋が付いていたということは、高橋たちの推理を裏付けたということだ。即ち、大坪が和美に乱暴しようとしなければ、大坪の指紋が和美のハイヒールに付くということは有り得ないだろう。
そして、その結果を受けて、高橋は、
「大坪さんに任意出頭してもらいましょうよ。ホシはもう大坪さん以外には、考えられなくなりましたよ」
そう高橋が言うと、弓場は渋面顔を浮かべては、
「しかし、今の段階では、大坪さんの逮捕することは出来ないな」
そう弓場に言われると、高橋も渋面顔を浮かべた。確かに、指紋が付いていただけでは、大坪を和美殺しで逮捕出来ないというものだからだ。状況証拠だけでは、逮捕は無理なのだ。
そして、二人の間で沈黙の時間が流れたのだが、やがて、弓場は、
「やはり、気になるな」
と、呟くように言った。
「何が気になるのですかね?」
高橋は弓場の言葉の意味が分からなかったので、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「だから、沢井さんがレンタカーを借りた時に、色の付いたサングラスを掛けていたということさ」
その弓場の言葉を聞いて、高橋は眉を顰めた。高橋はそのことは、特に意味がないと思ったからだ。
「ですから、そのことは、特に深く考えるまでもないのではないですかね。沢井さんは元々、サングラスの愛用者だっただけなのではないのですかね」
と言っては、高橋は唇を歪めた。
「そうかな。僕はそのことが重要な意味があるかもしれないと思うのだよ」
「それは、どういう意味ですかね?」
高橋は些か納得が出来ないように言った。
「だから、レンタカーを借りたのが、沢井さんとは別人ではなかったのかということだよ」
と、弓場は些か険しい表情を浮かべては言った。
「そんな! いくら何でも、それは考え過ぎではないですかね」
と、高橋は素っ頓狂な声を上げた。高橋はいくら何でも、そのようなことは有り得ないと思ったからだ。
「しかし、いくら何でも、レンタカーを借りる時に、サングラスを掛けるだろうか? 普通はそのようなことは行なわないよ」
と言っては、弓場は唇を歪めた。
すると、高橋は渋面顔を浮かべては、
「でも、何故そのようなことをやったのですかね?」
「だから、沢井さんを亡き者にしたい者がいたんだよ。
その者が沢井さんを装っては、レンタカーを借り、納沙布岬で大坪さんの引っ掛けては風蓮湖にまで行き、大坪さんが沢井さんを殺したと思わせるような偽装工作を行なったというわけさ。
つまり、大坪さんが言ったことは、事実であったというわけさ。そして、風蓮湖の近くで遺体で見付かったのは、大坪さんが納沙布岬で知り合った女性とは違った人物、即ち、それが、沢井和美さんであったというわけさ」
と、弓場は些か自信有りげな表情と口調で言った。そんな弓場は、その可能性は十分にあると言わんばかりであった。
そう弓場に言われると、高橋の言葉は詰まった。この時、高橋はその弓場の推理は十分に現実味があると思ったからだ。
そんな高橋に弓場は、
「どう思う? 今の僕の推理は?」
と、高橋の胸の内を問うた。
「その可能性はないとは思いませんが、しかし、別人になりすますことは可能でしょうかね? 沢井さんの免許証のコピーがレンタカーの営業所に保存されてるわけですから、係員はその色の付いたサングラスを掛けていた人物を沢井さんと看做したというわけですよ。
もっとも免許証の顔写真と実物が似ていないことは往々にしてありますが、でも、全く似てないのなら、いくら何でも係員は不審に思うでしょうからね。でも、不審に思わなかったということは、その人物はかなり沢井さんに似ていたということですよ。でも、そのような人物が、実在してるのでしょうかね?」
と、高橋はいかにも怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「そりゃ、そのような人物がいないとは断言は出来ないさ。それ故、それを捜査してみよう」
ということになり、早速、和美が住んでいたマンションで入手したアドレス帳なんかを元に、和美の友人たちに電話をし、そのような人物がいないか、捜査してみた。
だが、成果はなかった。その誰もかれもが、和美を殺した人物や、和美と似てる人物に関して、心当りないと証言したからだ。
だが、前野由美という和美と中学時代から仲が良かったという女性が興味深い証言をした。
―最近になってからですが、和美は近い内に結婚するかもしれないと、私に言ったのですよ。
「結婚ですか……」
―そうです。結婚です。
和美は美人ですから、和美と結婚したいと思っていた男性は結構いたみたいですよ。
でも、和美は三高といったレベルの高い男性しか好まなかったのですよ。それで、まだ独身だったというわけですよ。
でも、和美がそう言ったからには、和美が気に入った男性が見付かったのかもしれませんね。
と、由美は淡々とした口調で言った。
「成程。で、その男性に関して、沢井さんは具体的に言及してましたかね?」
弓場は興味有りげに言った。
―それが、その男性に関しては、何ら言及はしなかったのですよ。
と、由美はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
そんな由美に弓場は、
「で、前野さんは、その男性のことが何か沢井さんの事件に関係してると思われてるのではないですかね?」
と、弓場は興味ありげに言った。
ーそりゃ、恋愛絡みで殺人事件が起こった事は、今までに何度もありますからね。だから、そのことを刑事さんに話してみたのですよ。
と、由美は淡々とした口調で言った。
弓場はそう由美に言われ、小さく肯いた。由美の言ったことはもっともだと思ったからだ。
それ故、由美が言ったことに関してもう少し捜査してみる必要があるだろう。
そう思った弓場は、
「では、和美さんが結婚するかもしれなかった男性に関して、情報を持ってそうな人物に関して、前野さんは心当りありませんかね?」
と、いかにも真剣な表情を浮かべて言ったのだが、由美の答えは、
―特にないですね。
であった。
それで、由美以外の和美の友人だった者に改めてそれに関して訊いてみたのだが、成果を得る事は出来なかった。
その結果を受けて、高橋は、
「沢井さんが、出任せを言っただけではないのですかね?」
と、冴えない表情で言った。
「出任せか……」
弓場は力無い声で言った。
「そうです。沢井さんは実際にはそのような男性はいなかったのですが、見栄を張ったというわけですよ」
と、高橋は眼を大きく見開き、その可能性は十分にあると言わんばかりに言った。
「成程」
弓場は高橋の推測にそう言ったが、弓場の本心としては、納得は出来なかった。
そんな弓場は、
「とにかく、事件解決の目処はまるで立っていないんだ。それ故、その情報にもう少し喰らいついてみようじゃないか。
で、沢井さんはその男性に関して、誰にも話してなかったといえども、何か物証を遺してるかもしれないよ」
ということになり、改めて和美の部屋が捜査されることになった。
すると、興味あるものを見付ける事が出来た。
それは、写真であった。弓場はその写真を物入れの中に入っていた本に挟んであったのを見付けたのだが、それは、三十の前半位の女性の写真であった。
もっとも、その写真がただ単に三十の前半位の女性の写真であったというのなら、弓場はその写真に興味を示さなかったであろう。
では、何故弓場がその写真の女性に興味を示したかというと、その女性の容貌とか身体付きが、和美にかなり似ていたからだ。
そのノースリーブのシャツを着てる女性は、和美のことをよく知ってる人物なら、見間違えるということはないだろうが、和美のことを知らない人物なら、見間違えるという可能性は十分に有り得るだろう。
それ故、その女性が弓場たちの関心を引いたというのは、十分に理解出来るだろう。何しろ、今回の事件では、和美に似た女性が関係してる可能性は十分にあるのだから。
弓場と同様、その女性の写真をしげしげと見やった高橋は、
「この女性は、一体誰なんでしょうかね?」
と、いかにも興味有りげに言った。
「分からんよ。しかし、これだけ似てるとなれば、沢井さんの身内であるかもしれないな」
と、弓場はその可能性が高いと言わんばかりに言った。
すると、高橋も、
「確かにその通りだと思います」
と、弓場に相槌を打つかのように言った。
「そうだな。となると、沢井さんの両親に見てもらうことにしよう」
ということになり、この写真を早速和美の両親に見てもらった。
すると、和美の母親であった和枝は、
「これは、和美の従姉妹の弘美ちゃんですよ」
と、弓場の問いに即座に応えた。
「従姉妹ですか……」
弓場は呟くように言った。
やはり、和美に似ていると思ったら、従姉妹であったのだ。
また、何故最初から、和美に似てる女性にのことを和美の両親に訊かなかったのかと、捜査の稚拙さを恥ずかしく思った。
それはともかく、弓場は、
「で、弘美さんは今、何をしてるのですかね?」
と、興味有りげに言った。
「専業主婦だと思いますよ」
「専業主婦ですか……」
弓場は呟くように言った。
そして、些か落胆したような表情を浮かべた。専業主婦なら、いかにして和美の事件に関与したのか、その推測がつかなかったのだ。
とはいうものの、弓場の口からは、
「弘美さんのご主人は、何をされてるのですかね?」
という言葉が自ずから発せられた。
すると、和枝は、
「外科医です」
と、小さな声で、また、呟くように言った。
そんな和枝は、外科医という良縁に恵まれた弘美のことを羨んでるかのようであった。
だが、弓場はそう和枝に言われ、俄然、生気を帯びた表情を見せた。外科医ともなれば、そんな弘美夫妻と和美との間で何か揉め事が発生した可能性は有り得るのではないかと思ったからだ。
そんな弓場は、
「外科医ですか……」
と、呟くように言っては、
「で、弘美さんと和美さんとの仲は、どんなものでしたかね?」
すると、和枝は、
「どんなものでしたとは?」
と、弓場が言ったことの意味が分からないと言わんばかりに言った。
「ですから、仲がよかったとか、悪かったとかいうようなことですよ」
と、弓場はさりげなく言った。
すると、和枝は些か表情を曇らせては、
「あまりよくなかったと思います」
「あまりよくなかった、ですか。それは、何故ですかね?」
弓場は眼を大きく見開き、いかにも興味有りげに言った。
「それは、和美が弘美ちゃんに嫉妬していたかですよ。つまり、和美は弘美ちゃんのご主人のように、地位もお金もあるような男性と結婚したかったのですが、そういった縁に恵まれなかったからです。私はそう思っています」
と、和枝はいかにも決まり悪そうに言った。
「和美さんは弘美さんの悪口を言ったりしてたのですかね?」
「言ってましたね」
「どういう風に言ってたのですかね」
「ですから、綺麗という以外に何の取柄のない弘美ちゃんに、外山さんの奥さんは務まらないわ、とか、あの教養のない弘美ちゃんでは、外科医の奥さんは無理ねとか言ってましたよ」
と、いかにも決まり悪そうに言った。
「弘美さんは、教養がないのですかね?」
「そうでもないと思うのですが、高卒ですからね。それに対して、和美は短大卒ですからね。だから、和美はそう言ったのではないですかね」
と、和枝は再び決まり悪そうに言った。
すると、弓場は、
「成程」
と、小さく肯いた。
和枝の話から、どうやら、和美は弘美を嫌っていたようだ。
しかし、それだけの理由で、弘美が和美の死に関係してるとでもいうのだろうか?
今の時点では、何とも言えないであろう。
それで、弓場は困惑したような表情を浮かべては、言葉を詰まらせたのだが、そんな弓場に和枝は、
「どうして刑事さんは、弘美ちゃんのことを訊かれるのですかね?」
と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
すると、弓場は、
「和美さんの死に和美さんとよく似た女性が関係してる可能性がありましてね。
で、和美さんの部屋から弘美さんの写真が見付かったことから、弘美さんと和美さんとの関係を訊いてみたというわけですよ」
と、状況を説明した。
すると、和枝は、
「どうして、和美と似た女性が、和美の事件に関係してるのですかね?」
と、興味有りげに言った。
すると、弓場は、
「その点に関しては、まだ捜査中なので、今は言えません」
「そうですか。でも、私はこれ以上、刑事さんの捜査に役立ちそうな情報を提供することが出来そうもありません」
と、和枝はいかにも申し訳なさそうに言った。
それで、弓場はこの辺で和枝に対する聞き込みを終え、和枝宅を後にした。
和枝宅を後にすると、弓場は、
「和美さんに似た女性というのは、弘美さんに間違いないよ。また、和美さんは弘美さんに嫉妬していたとなると、何らかのトラブルが発生した可能性は、十分にありそうだな」
と、眼をキラリと光らせた。
そんな弓場に高橋は、
「でも、弘美さんの単独の犯行でしょうかね? 犯行には車が必要でしょうから、共犯がいた可能性があると思うのですがね。もっとも、弘美さんが犯人であるならですが」
と、渋面顔で言った。
「確かにそうだ。弘美さん一人で和美さんを絞殺するのは、無理かもしれないし、また、納沙布岬から戻るのには、車が必要だ。
で、大坪さんによると、大坪さんたちが乗って来た車が停められていた辺りには、車は見当たらなかったそうだ。それ故、弘美さんたちが、予め、人目のつかない所に車を隠しておいたのかもしれないな」
と弓場は言っては、小さく肯いた。
「僕も同感ですね。で、そうなると、誰が弘美さんの共犯なのかということですよ」
そう高橋が言っても、弓場は何も言おうとはしなかった。弓場はそれが分からなかったからだ。
そして、二人の間に少しの間、沈黙の時間が流れたが、やがて、弓場が、
「しかし、何故和美さんは殺されたのだろうか? 動機が分からないな」
と、渋面顔で言った。
「正に同感ですね。でも、一度弘美さんと会って、話を聞いてみてはどうですかね」
「いや。今の時点で会うのはよくないな。もう少し情報を入手してからでないと、警戒されてしまい、今後の捜査がやりにくくなってしまうかもしれないからな」
と、弓場は渋面顔で言った。
「だったらどうするのですかね?」
高橋も渋面顔で言った。
すると、弓場は、
「もう一度、和美さんの部屋を捜査してみよう。今までは、弘美さんが容疑者として浮かんでなかったから、何か見落としたのかもしれないよ。それ故、その点を踏まえて、もう一度、和美さんの部屋を捜査してみよう」
ということになり、弓場たちはまたしても、和美の部屋の捜査に取り掛かった。何しろ、和美は色んなものを買うのが好きだったのか、やたらに色んな小物が多く、そういったものの中に捜査に役立ちそうなものを見落としたかもしれないというわけだ。
とはいうものの、最初の内は特に成果はなかったのだが、やがて、妙なものが見付かった。
それは、物入れの中に入っていた封筒の中に入っていた一枚の写真であった。
その写真には、男性と女性が写っていたのだが、その男性が誰なのかは、弓場はすぐに分かった。何故なら、和美のアルバムにあった外山浩と弘美の結婚式の写真の中に映っていたその外山浩そのものであったからだ。
だが、女性の方は、何と和美であったのだ。
その和美と外山浩が、何と肩を組んで笑ってたのである!
とはいうものの、外山は既に弘美の夫だ。その外山浩と和美が肩を組んで笑ってるとは、どういうことなのか? 外山は和美と不倫してるということなのか?
そう説明せざるを得ないというものだろう。
となると、弘美が外山が和美と不倫してることを知ったとしたら、そんな和美のことを弘美は許せるだろうか? そんな弘美が和美に対して殺意を抱いてもおかしくはないだろう。
そう思うと、弓場は納得したように、小さく肯いた。これによって、弘美の動機が説明出来たからだ。
それ故、その点を踏まえて、更に和美の部屋を捜査してみると、やがて、洋ダンスの中の和美の下着が入ってる引出しの中から〈重要〉というラベルが貼ってあるテープが見付かった。以前の捜査では、和美の下着が入った引出しは捜査しなかったのだが、このようなテープが入っていたのだ。
それで、和美の部屋にあったカセットレコーダーで、早速再生して見ると、思わぬ内容が録音されていたのである。
その内容を全て記すことは省略するが、その概要は、外山浩は里中尚美という七十歳の女性に対して手術ミスをしてしまい、死に至らしめてしまったのだが、その事実が闇に葬られ、尚美の死はやむを得なかったと表向きはなってるというものであった。
そして、その外山の手術ミスのことを知ってるのは、このテープの話し手である看護婦と、更に、その看護婦と共に手術に携わったもう一人の看護婦だけとのことであった。
そのテープを聞き終えた弓場たちは、甚だ険しい表情を浮かべていた。何故なら、何故外山浩、弘美夫妻が沢井和美を殺したのか、その動機が明らかになったと確信したからだ。
即ち、何故だか分からないが、和美はこのテープを入手し、これをねたに外山浩をゆすったのだ。そんな和美がゆすったのは、金ではなく、外山に弘美と離婚し、和美と結婚しろということであった可能性が高い!
何しろ、このテープが公になれば、外山の医者としての生命は、絶たれるかもしれない。看護婦たちの口は、同罪と言えることもあり、塞げたのかもしれないが、和美はそうはいくまい。
それで、外山夫妻はやむを得ず、和美を殺したというわけだ。そして、その手段として利用されたのが、大坪であったというわけだ。
そう推理すると、弓場は力強く肯いた。どうやら、事の真相がこれによって明らかになったと思ったからだ。また、高橋の思いも同感であった。
とはいうものの、高橋は、
「でも、このテープを外山さんに聞かせても、あっさりと手術ミスを認めるでしょうかね」
と、渋面顔で言った。
そう高橋に言われると、弓場の表情も曇った。確かにその通りであったからだ。
そして、弓場と高橋との間でしばらく沈黙の時間が流れたのだが、やがて、弓場は、
「とにかく、このテープの話し主が誰なのか、突き止めなければならないよ」
と、決意を新たにしたような表情で言った。