第十章 姿を見せた曲者

     1

 戸田は信州方面のペンションの経営者を調べてみたとこころ、信州の妙高高原のペンションの経営者に、大河内清の名前を早々と見付けたのである。そして、そのペンションの名称は「ライオン」であり、また、その「ライオン」を始めたのが、去年の六月であることから、その「ライオン」の経営者は、戸田たちが探し求めている大河内清である可能性は十分にある。
 それ故、戸田は直ちに「ライオン」に行って、大河内から話を聴いてみることにした。
 もっとも、最初は客として大河内から話を聴いてみることにした。その方が話し易いと思ったからだ。
「ライオン」は、妙高高原のイモリ池の近くの閑静な林の中にあった。また、その辺りは同じようなペンションが散在し、正にペンションのロケーションとしてはかなり良好と思われた。
 そして、「ライオン」は、正にまだ新築されて月日がさ程経っていない為に、辺りでは一際、眼を惹かれるといった塩梅であった。
 そんな「ライオン」を確認した戸田は、早速、佐々木刑事と共に「ライオン」を訪れることにした。
 因みに、予約は昨夜入れておいた。
 エントランスを開け、戸田は、
「こんにちは」
 と言った。
 すると、程なく姿を見せた人物を見て、戸田は顔には出さなかったが、心に中では意外に思った。というのは、誠実そうな女性が姿を見せたからだ。そして、その女性は、大河内の相棒にしては、誠実過ぎるという思いを戸田は抱いてしまったのだ。
 もっとも、戸田はそのような思いを顔に出すことは無論、なかったのだが。
 それはともかく、戸田は自らの名前を名乗ると、その女性、即ち、松山早百合は、
「お待ちしていましたわ」
 と、笑顔を見せては言った。
 それで、戸田と佐々木刑事は軽く会釈をした。
 そして、早百合はそんな二人を二階のゲストルームへと案内した。 
 二階のゲストルームに向かう傍ら、戸田は早百合に、
「このペンションはかなり新しいですね」
 と、それは分かっていたが、とにかくそう言った。
 すると、早百合はにこにこしながら、
「去年、出来たばかりなのですよ」
「そうですか。それで新しい筈だ。正に、木の香りが漂い、とても気持ちいいですね」
 と、戸田は実際にもそう思ったので、そう言った。
 そう戸田に言われると、早百合はにこにこしたが、言葉を発そうとはしなかった。
 そして、戸田と佐々木刑事は早百合に導かれて、やがて、ゲストルームに入った。
 それは、十畳位の洋室で、白い絨毯が敷かれ、ベッドが二つ置かれていた。また、窓際には、三点セットのソファが置かれていた。
 早百合は窓に近付いては、ベージュ色のカーテンを開けた。
 すると、そこからは林越しに妙高の山々を望見出来た。
 それで、戸田は思わず、
「いい景色ですね」
 と、思わず眼を細めた。
 すると、早百合は、
「皆様にそう言われますのよ」
 と、いかにも嬉しそうに言った。
 そして、テーブルにお茶を置いては、
「どうぞ」
 それで、戸田と佐々木はとにかくソフャに腰を降ろしては、お茶をいただくことになった。
 お茶を飲みながら、戸田は、
「このペンションは、奥さんがオーナーなんですかね?」
 と、さりげなく言った。
 すると、早百合は、
「いいえ。私はオーナーではありません。私はただの雇われ人ですわ」
 と、早百合はにこにこしながら言った。
 そう早百合に言われ、戸田もにこにこしながら、
「そうでしたか」
 そんな戸田がにこにこしたのは、早百合がにこにこしたのとは、勝手が違っていた。何故なら、戸田はこの女性が大河内の女房でないと分かったからだ。何しろ、戸田たちは大河内を追い詰める為に、ここにやって来たのだから。そして、大河内を追い詰めることは、この女性をも追い詰めることになる。しかし、この誠実そうな女性を追い詰めるのに、戸田は些か気が退けたのだ。だが、大河内と何の関係もないのなら、遠慮は要らないというものだ。
 それはともかく、戸田は、
「では、このペンションのオーナーは、どういった方なんですかね?」
 と、再びさりげなく言った。
 すると、早百合は、
「何でも脱サラしては、このペンションを始めたそうですよ」
「脱サラ、ですか。最近は脱サラしては、ペンション経営に乗り出す方も増えてるそうですね」
 と、戸田はにこにこしながら言った。そして、
「これ位のペンションだったら、開業費用はどれ位掛かるんでしょうかね?」 
 と、戸田は興味有りげに言った。
「そうですね。私が聞いたところによると、七、八千万程のお金が掛かったそうですよ」
「七、八千万ですか。じゃ、このペンションのオーナーは、よほど高収入だったのですね。我々じゃ、とても、七、八千万というお金を蓄えることは出来ないですよ」
 と、戸田は苦笑いした。また、それは戸田の本音でもあった。
 すると、早百合は微笑を浮かべたが、言葉を発そうとはしなかった。
 そんな早百合に、戸田は、
「で、今日はオーナーはいないのですかね?」
 と、戸田はさりげなく来た。
 戸田は、「ライオン」に来れば、必ず大河内に会えると思っていたのだが、今、この時、初めてそれは必ずしも正しくないという思いが過ぎったのである。
 だが、早百合は、
「今は外出してますが、夜には戻って来ますよ」
 そう言われたので、戸田は、
「そうですか」 
 と、些か安堵したように言ったのであった。
 それはともかく、「ライオン」は、正に戸田たちが追い求めていた大河内の経営とは思えない位、清楚で、感じのよいペンションであった。正に、犯罪人が営んでいるとは思えない位のペンションであったのだ。
 だが、犯罪人を見逃すわけにはいかなかった。このペンションを営む為に金が必要だったのだろうが、そうかといって、犯罪に手を染めたのを見逃すわけにはいかないのである。
 それはともかく、戸田と佐々木刑事は、大河内と話をするまで、風呂に浸かり、鋭気を養ったのであった。

     2

 今夜の宿泊客は、戸田と佐々木の二人だけのようであった。というのは、戸田と佐々木はディナーを食べる為に食堂にいたのだが、三十人は席に付けると思われる位の食堂が、戸田と佐々木の二人しか見当たらなかったからだ。
 それで、今夜の食事を運び終わったと思われる頃、戸田たちの傍らに姿を見せた早百合に、その旨を確認してみた。
 すると、早百合は、
「そうなんですよ」
 と、些か表情を曇らせては言った。そんな早百合はお客さんがこれ程少ないと、商売は上がったりだと言わんばかりであった。
 それはともかく、戸田はそろそろ大河内が姿を見せてよい頃だと、思っていた。早百合によると、夜には姿を見せるとのことだ。そして、今は午後七時なのだ。それ故、このペンションのオーナーである大河内が姿を見せては、戸田たちに応対してよい筈なのだ。
 また、戸田はケント警備保障で大河内の写真を見せてもらった為に、大河内を見れば、それが大河内であるかどうかは、一目瞭然に分かった。
 それで、戸田は食事を口に運びながら、その一方、辺りの様子にも気を配っていたのだが、その時、戸田の表情が突如、真剣なものに変貌した。何故なら、その時、食事室に姿を見せた三十代と思われる男性は、確かに大河内に違いないと、戸田は確信したからだ。
 何しろ、戸田は仕事柄、人の姿を見極めるのが得意である。たとえ、その写真からかなりの年月が経過したといえども、大河内であるかどうかを見抜くことは、戸田には容易いことなのだ。
 それはともかく、戸田は佐々木に、大河内が現われたという旨を小さな声で話した。
 すると、佐々木も戸田のように、表情を引き締めたのである。
 とはいうものの、戸田と佐々木が食事をとるという点に関しては、大河内が現われようが現われまいが、影響を受けなかった。戸田と佐々木は、決して美味しいとは思えないが、そうかといって不味いこともないフランス料理に舌鼓を打ったのである。
 それはともかく、ディナーを終え、ゲストルームに戻り、三十分程経った頃、戸田は室内電話で大河内と話がしたいという旨を早百合に言った。
 すると、早百合は少ししたら、戸田たちの部屋にお伺いしますと、返答した。
 そう早百合に言われて十分程した頃、扉がノックされた。
 それで、戸田は、
「はーい」と言っては、扉を開けた。
 すると、そこには確に大河内と思われる男が姿を見せた。 
 戸田は大河内のことを知っていたが、大河内は戸田と佐々木が刑事であるということを知らなかった。
 それで、大河内は愛想良い笑みを浮かべながら、
「僕と話をされたいとのことで」
「ええ。そうです。この部屋の中で話をしましょう」
 そう戸田に言われ、大河内は戸田と佐々木の室に入った。
 そんな大河内を戸田は窓際のソファに座るように言った。
 それで、大河内はとにかく、その窓際のソファに腰を降ろし、戸田と対面することになった。佐々木はといえば、ベッドの上に腰を降ろしていた。
 それはともかく、戸田は、大河内に、
「はじめまして」
 と、にこにこしながら言った。そして、
「千葉から来たのですよ」
 すると、大河内は、にこにこしながら、
「そうですか」
 そんな大河内に、戸田は、
「で、オーナーは脱サラされて、このペンションを始めたとか」
「そうですよ」
「そうですか。羨ましいですね。実は、僕もこういったペンションを始めたいと思ってるのですが、資金的に厳しい状況でしてね。
 で、このようなペンションを始められたわけですから、オーナーはお金持ちだったのですね」
 と、戸田はにこにこしながら言った。
「いや。お金持ちという程ではないですよ」
 と、大河内は照れ臭そうに言った。
「そうですか。で、失礼ですが、オーナーは以前はどういったお仕事をされていたのですかね?」
 そう戸田が言うと、大河内の顔色が変わった。そんな大河内を見れば、今の問いが大河内にとって好ましくない問いであったことが自ずから察せられた。
 それで、戸田は話題を変えることにした。
「僕は千葉県に住んでいるんですがね」
 そう戸田が言うと、大河内の表情に笑みが戻った。
 そんな大河内に戸田は、
「で、僕は東京デズニーランドの近くに住んでいるのですよ。東京デズニーランドに行かれたことはありますかね?」
 と、さりげなく言った。
 すると、大河内は、
「ないですね」
 と、にこにこしながら言った。
「そうですか。一度行かれたらと思いますね。大人でも愉しめますからね。
 で、それはそれとして、先月の初めに、東京デズニーランド沿いの川で若い男性の死体が発見されましてね。で、その男性はどうやら殺されてから、その川に遺棄されたのですよ。正に僕の身近な所で、物騒な事件が発生したのですよ。
 で、その男性の姓名は田中二郎さんというのですよ。田中二郎って、随分有り触れた名前だと思い、僕はその名前を覚えてるのですよ」
 と、戸田はにこにこしながら言った。
 戸田はそう言ったものの、大河内は、そんな戸田に何も言おうとせずに、まるで興味ある話を聞かせもらってると言わんばかりの様を見せていた。
 そんな大河内に戸田は、更に話を続けた。
「で、田中二郎さんを殺した犯人はまだ見付かっていないようですが、また、奇妙なことを僕は知ってましてね。
 というのは、僕の友人が江東区内のアパートに住んでいるのですが、そのアパートに、その田中二郎さんは住んでいたのですよ。まあ、世の中、奇妙なことが起こり得るものですな。
 で、奇妙なことはそれだけではありません。その田中二郎さんの隣室には、何と田中一郎という学生が住んでいたのですよ。正に、世の中、奇妙なことがあるものですな。オーナーはそう思いませんかね?」
 と、戸田は大河内をまじまじと見やっては言った。そんな戸田の表情は、正に穏やかなものであったが、戸田の眼を間近で見ると、戸田の眼は冷ややかなものであるということに気付くことであろう。
 それはともかく、戸田にそう言われ、大河内は、
「そうですな」
 と、正に当り障りのない言葉を発するかのように言った。
「で、奇妙な出来事は、それだけでは終わらなかったのですよ。
 で、オーナーは、それからどういった出来事が起こったと思いますかね?」
 と、戸田は大河内の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、大河内は、
「よく分からないですね」
 と言って、首を傾げた。
 そんな大河内に戸田は、
「実はですね。川で死体で浮かんだ田中二郎さんの隣室に住んでいた田中一郎さんが、友人たちと伊豆旅行に行ったのですが、その時に妙な経験をしてしまったのですよ。
 で、その奇妙な経験とは、その田中一郎さんは伊豆の熱川で何者かに薬を嗅がされてしまっては、意識を失ってしまったのですよ。
 で、田中さんが気が付いた時は、田中さんの見知らぬ熱川の林の中にいたのですが、その田中さんの隣に、何と田中さんの見知らぬ男の死体が横たわっていたのですよ。
 すると、その時にパトカーのサイレンが聞こえて来たかと思うと、田中さんは熱川交番に連れて行かれたのですよ」
 と、まるで大河内に言い聞かせるかのように言った。
 大河内はといえば、正にまるで神妙な表情を浮かべては、その戸田の話に言葉を挟まずに耳を傾けていた。そんな大河内の表情を具さに見ると、このような話を大河内に聞かせる戸田という男は、一体何者なのかと言わんばかりであった。だが、大河内はまだその思いは言葉には出そうとはしなかった。
 それはともかく、そんな大河内に、戸田は更に話を続けた。
「で、奇妙なことはそれだけでは終わりませんでした。というのは、田中一郎さんの隣で死んでいた男は、実のところ、田中さんの知った男であったのですよ。
 で、その男は田中さんに晴海埠頭で飼い犬を田中さんの車に轢かれたということを理由に田中さんに難癖をつけていた田中三郎という男であったのです。
 いいですか! 田中三郎ですよ! こんな奇妙なことが起こり得るでしょうかね?
 大学生の田中一郎さんの隣室に住んでいた田中二郎さんが、何者かに殺されては、東京デズニーランド沿いの川にその死体が遺棄されたかと思えば、今度は、田中一郎さんに難癖をつけていた田中三郎という男が、熱川の林の中で田中一郎さんの傍らで他殺体で何者かに殺されていた。
 正にマンガを見てるかのように思わないですかね?
 でも、これは漫画でもフィクションでもありません! こういった事実が発生してるのですよ!」
 と、戸田は正に力強い口調で言った。
 大河内はといえば、依然として、怪訝そうな眼差しを戸田に向けていた。そんな大河内は、正に戸田のことを、この男は一体何者なんだと言わんばかりであった。
 そんな大河内に戸田は更に話を続けた。
「で、警察はこの田中二郎さんと田中三郎さんの事件の捜査をしてるらしいですが、どうも田中二郎さんは二年程前に不正な手段を大金を入手し、その大金が絡んで殺されたのではないかという疑いが出て来ましてね。
 それで、捜査して行くと、どうも山岳サークルという山登りのサークルが関係してるのではないかということが分かって来たのですよ。つまり、田中二郎さんは、その山岳サークルで知り合った人物と共に、犯行を行なったのではないかということですよ。
 その線に沿って警察は捜査を進めて行くと、ある事件のことが浮かび上がって来ました。
 その事件とは、千葉市S町に住んでいた一人暮らしの金持ちの老人の自宅に保管してあったお金が盗まれたという事件です。その老人は自宅に数億といわれる位の現金を保管していたのですが、その数億が盗まれ、その犯人として、田中二郎さんたちが浮かび上がったのですよ。
 何故、田中二郎さんたちが犯人として浮かび上がったかの説明は省きますが、別の事件で逮捕された浮浪者から、思ってもみなかった情報を入手することが出来たのですよ。
 というのは、その浮浪者は、その金持ちの老人宅の現金強奪事件に関わったと証言したからです。
 で、その浮浪者によると、その浮浪者の友人であった浮浪者もその事件に関わっていたのですが、その老人宅の現金を強奪した犯人たちからどうにかされたのではないかと言うのですよ。
 というのは、その浮浪者は今になっても、行方が分からないからです。
 でも、その浮浪者は、その金持ちの老人宅を襲った犯人に関してヒントを持っていました。というのも、その行方不明となってる浮浪者から、その情報を入手していたからです。
 で、その実行犯は、浅草の警備会社で働いていたとのことです。それで、警察はその警備会社で話を聞いたところ、警察が捜している人物に行き着くことが出来たようです。
 その人物を仮に大河内としておくと、大河内は既にその警備会社を辞めたようですが、警察官はその大河内に疑いの眼を向け、大河内を探しているそうですが、その大河内の容疑は更に深まりました。というのも、大河内は青森県出身なんですが、大河内は中学時代に、何と熱川で先程話した田中一郎の傍らで死んでいた田中三郎と同級生であったというのですよ!
 このような事件が、最近、千葉県をはじめとする関東周辺で発生したのですよ!」
 と、戸田は声高らかに言った。そんな戸田はかなり興奮してるかのようであった。
 大河内はといえば、依然として、戸田に怪訝そうな眼差しを向けていた。そんな大河内は、戸田のことを一体何者なんだと、言わんばかりであった。
 そして、その大河内の思いは、遂に言葉として発せられた。大河内は、
「あんた、一体何者なんだ?」
 という言葉が、遂に大河内の口から発せられたからだ。
 すると、戸田はその時を待ってましたと言わんばかりに、
「警察ですよ」
 そう戸田に言われ、大河内の表情は、一気に蒼褪めた。
 そして、大河内は言葉を詰まらせては、何やら考え込んでるかのようであった。
 そんな大河内は、大河内の予想もしてなかった出来事に直面してしまい、いかにして、事態を乗り切るかと、懸命に頭を働かせてるかのようであった。
 そして、大河内の沈黙はまだしばらく続いたので、戸田は、
「警察がまさか、ここにやって来るとは思ってもみなかったでしょうね、大河内さん」
 そう言っては、戸田はにやっとした。そんな戸田は、警察のことを甘く見ては駄目だよと、大河内を諫めてるかのようであった。
 だが、大河内は依然として、言葉を発そうとはしなかった。
 それで、戸田は、
「あんたが大河内清だということは、分かってるんだよ。あんたの写真をケント警備保障で入手してるからな」
「……」
「あんたは、大河内清だということを認めるよね」
 そう言った戸田の表情には、笑みは見られなかった。
 すると、大河内は、
「確かに僕は大河内清ですが」
 そう大河内は、言ったものの、大河内の表情は、特に乱れてはいなかった。そんな大河内は、大河内には何ら疾しいものは存在してないと言わんばかりであった。
 そんな大河内に戸田は、
「大河内さんは山岳サークルに入っていたんだろ? しらばくれたって無駄だよ。その調べは既についてるんだから」
 そう言っては、戸田は大河内のことを睨めつけた。そんな戸田は、この時点で洗い晒い犯行を自供すれば、面倒な取調は行なわなくて済むぞと言わんばかりであった。
 すると、大河内は少しの間、険しい表情を浮かべては、言葉を発そうとはしなかったが、やがて、
「さすが、警察ですね。よくぞ、そこまで調べたものですね」
 と、あたかも、戸田たち警察の推理を称賛するかのように言った。
 そう大河内に言われ、戸田は意外に思った。というのは、大河内という男は、あっさりとは自らの犯行を自供しないような男だと予測していたからだ。だが、今の大河内の言葉からすると、戸田のその予測があっさりと外れそうな塩梅であったからだ。
 それはともかく、大河内にそう言われ、戸田は、
「じゃ、今までの僕の説明は正しいということを認めるのですね?」 
 と、些か真剣な表情を浮かべては言った。
 すると、大河内は、
「いや。そうではありません。戸田さんの説明は、当たってる部分もあれば、そうではない部分もあるのですよ」
 そんな大河内に、戸田は怪訝そうな表情を浮かべては、
「それ、どういう意味なんだ?」
「ですから、僕が田中三郎と中学時代の同級生であったということや、僕たちが金子一平さんのお金に眼をつけ、盗みを働いたということですよ」
 と、大河内は、この時点であっさりと、戸田たちの苦労の捜査結果、生まれた推理をあっさりと認めた。 
 それで、戸田は些か満足したように肯いた。
 そんな戸田を見て、大河内は一層表情を引き締め、そして、更に話を続けた。
「で、僕が関わった犯行は、それだけですよ。後は僕は無関係だということですよ」
 と、大河内は、田中二郎と三郎の死には、無関係だと言わんばかりに言った。
 それで、戸田は改めて、その旨を確認した。 
 すると、大河内は、
「そうです。戸田さんは僕たちが関わった金子一平さんの事件が絡んで、僕が田中二郎さんや三郎さんを殺したと疑ってるみたいですが、それは全くの出鱈目だということですよ」
 と、正に戸田に言い聞かせるかのように言った。
 そんな大河内に、戸田は、
「じゃ、田中二郎と三郎を殺したのは、誰なんだ?」
 と、いかにも納得が出来ないように言った。何しろ、戸田はその殺しを明らかにしなければならない職責を背負っているのだ。それ故、その事件の本命と目される大河内の言うことをあっさりと信じるわけにはいかないというものだ。
 そう戸田に言われると、大河内は少しの間、言葉を詰まらせたが、やがて、
「分からないですね」
 と、渋面顔を浮かべては言った。
「じゃ、何が分かってるんだ? とにかく、分かってることを話してくれないか」 
 戸田は大河内に急かすかのように言った。
「ですから、刑事さんも察しのように、僕は田中二郎たちと、金子一平さんのお金を盗むことにしたのですよ。
 もっとも、その説明は正確ではないです。僕たちは協力したに過ぎないのですよ」
 と、大河内は、まるで大河内が被害者であるかのように言った。
 そう大河内に言われ、戸田は、
「よく分からないな。僕に分かるように説明してくれないかな」
 と、大河内と同様、渋面顔を浮かべては言った。
「ですから、その事件は金子一平さんの息子さんの所為なんですよ」
 と、大河内はまるで戸田に言い聞かせるかのように言った。
 だが、戸田はやはり、その大河内の言葉の意味が分からなかった。
 それで、渋面顔を浮かべながら、その旨を話した。
 すると、大河内は、
「ですから、金子さんの息子は、相続税を払いたくなかったのですよ。ですから、大河内さん宅に泥棒が入ったと思わせ、金子一平さんのお金が盗まれたと思わすような細工をしただけなのですよ。その役割を僕たちは演じただけなのですよ。
 もっとも、そのようなことを金子一平さんに言えば、一平さんは反対するに決まってます。一平さんはとても律儀な性格ですからね。息子の三平さんはそのように言ってましたね。
それで、僕と田中さんたちは、一平さんをその時、とある倉庫に連れて行ったのですよ。
 それが、金子一平さん宅で発生したと思われる事件の全容なんですよ。
 でも、僕らから言わせれば、別に事件ではないですよ。ただ、三平さんから依頼を受け、仕事をしたに過ぎないだけなのですよ」
 と、大河内はいかにも力強い口調で言った。そんな大河内は、大河内には何ら疾しい所はないと言わんばかりであった。
 そう大河内に言われ、戸田は言葉を詰まらせてしまった。その大河内の説明が意外なものであったからだ。
 それはともかく、大河内の言葉に、戸田が啞然としたような表情を浮かべては、言葉を詰まらせてるので、大河内は、
「それが事の真相なんですよ」
 と、正に戸田に訴えるかのように言った。
 そんな大河内に戸田は、
「で、あんたは、三平さんから幾ら貰ったんだ?」
 という言葉が自ずから発せられた。
「四千万位ですね」
 と、大河内はいかにも決まり悪そうに言った。
「四千万? そんなにも貰ったのかい?」
 戸田は信じられないと言わんばかりに言った。
 すると、大河内は眼を戸田から逸らせては、
「ええ」
 と、小さな声で言った。
「じゃ、田中さんは?」
「田中さんも、それ位ですね」
 大河内は決まり悪そうに言った。
「で、金子一平さんを誘拐したのは、誰がいるんだ? あんたと田中さん以外にもいるんだろ?」
 戸田はそう言った。
 すると、大河内は戸田から眼を逸らせ、言葉を詰まらせた。そんな大河内は、戸田がどこまで真相を知ってるのか、窺ってるかのようであった。 
 そんな大河内に、
「横田さんも、いたんだろ? 横田幸男さんだよ。自宅の火災で一年前に焼死した長野市に住んでいた人物だよ」
 と言っては、大河内の顔をまじまじと見やった。
 すると、大河内は黙って肯いた。
 すると、戸田は些か満足そうに肯いた。やはり、戸田たちの推理は出鱈目な推理でなかったということを確認出来たからだ。
 だが、肝心な点、即ち、誰が田中二郎、三郎を殺したのか、その真相にはまだ近付けてはいない。
 それで、戸田は更に真相に近付こうとした。
「で、横田幸男さんで全てかい? もういないのかい?」
 と、眼をキラリと光らせては言った。
 すると、大河内は、
「戸田さんは僕の言ったことを信じてくれたのですかね?」
 と、戸田の問いに答えようとはせずに、そう言った。
 すると、戸田は少しの間、言葉を詰まらせたが、やがて、
「分からないことがあるんだよ」
 と、いかにも納得が出来ないように言った。
 すると、大河内は眼を大きく見開き、
「それはどんなことですかね?」
 と、些か興味有りげに言った。
「だから、三平さんは何故、あんたに四千万、田中さんにも四千万、それ以外にも、横田さんにもそれ位渡していたんだろ? となると、一億を超えるじゃないか! 何故、そんな大金をあんたたちに渡したのかということだよ。それが、信じられないんだよ」
 と、戸田はいかにも納得が出来ないと言わんばかりに言った。
「だから、金子一平さんは、自宅に五億ものお金を保管していたんですよ。というのは、株で資産を七、八倍にしたそうなんです。
 それを正直に申告すれば、半分は相続税として持っていかれるそうだ。だから、俺たちに一芝居やらせ、相続税逃れをやったんだよ。それが、金子一平宅で起こった窃盗事件の真相なんですよ」
 と、大河内は力強い口調で、また、戸田に言い聞かせるかのように言った。
 そう大河内に言われ、その大河内の説明をあっさりと信じていいものかどうか、戸田は何とも言えなかった。
 それで、戸田は少しの間、言葉を詰まらせていたのだが、すると、そんな戸田に大河内は、
「ですから、僕の犯罪は何もないというわけですよ。俺は一平爺さんを監禁してくれるように三平さんから言われた時に、何故そのようなことをするのか、その理由は分からなかったのですよ。ですから、僕は何ら刑事事件には関係してないというわけですよ。
 僕がやった悪いこととは、しいて言えば、三平さんから貰ったお金に関して税金を払わなかったということですよ。ひょっとして、贈与税というものを払わなければならないのかもしれませんからね。でも、その当時、僕はそのようなものを払わなければならないということを知らなかったのですよ。そのようなものを払わなければならないのですかね?」
 と、大河内は怪訝そうな表情を浮かべては言った。そんな大河内は、そのようなものは、払わなくて済むものなら、払いたくないと言わんばかりであった。
 その大河内の問いに、戸田は答えようとはせずに、
「じゃ、何故田中二郎さんは殺されたんだい?」
 と、いかにも納得が出来ないように言った。
 すると、大河内は、
「分からないんですよ。それは」
 と、いかにも決まり悪そうに言った。そんな大河内は、正にそれは本当に知らないんだと、言わんばかりであった。
「嘘をつけ! あんたは何故田中二郎さんが殺されたのか、また、犯人も知ってるんだ。また、横田さんの死に関しても、真相を知ってるんだ。それに、今回の一連の事件での、田中三郎さんの役割を話してもらいたいんだよ」
 と、戸田は大河内を睨み付けるように言った。そんな戸田は、捜査に協力しないのなら、別件逮捕して、署で話を聴かせてもらうよと、言わんばかりであった。
 すると、大河内は戸田から眼を逸らせては、言葉を詰まらせてしまった。そんな大河内は、今の戸田の問いには答えたくないと言わんばかりであった。
 そんな大河内に、戸田は田中三郎が今回の事件でどのように関わったか、逐一説明した。
 そして、田中三郎と大河内との間に知人関係があったことから、田中三郎に死に関して、大河内がその真相を知ってるに違いないと、力説した。
 そんな戸田の話に、大河内はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべては、黙って耳を傾けていたが、やがて、大河内は戸田に眼を向けては、
「だから、僕は何も知らないのですよ」
 と、不満げな口調で言った。
 そんな大河内に、
「何も知らないわけがないじゃないか! あんたは田中三郎と中学時代の同級生じゃないか! だから、田中三郎が田中二郎さんに妙な行動をしたのは、あんたが関わってるに違いないんんだ! だから、何故田中三郎にあんたはそのようなことをさせたのかと、訊いてるんだ!」
 と、戸田はこの時点で初めて怒りを露にした表情と口調で言った。そんな戸田はここまで大河内に口を割らしたのだから、後一押しだと言わんばかりであった。
 すると、大河内は、
「ですから、僕はただ頼まれただけなんですよ」
 と、いかにも決まり悪そうに言った。
「頼まれた?」
「誰に何を頼まれたんだ?」
 戸田はいかにも興味有りげに言った。
「ですから、金に困ってそうなチンピラ風の男を知らないか、とですよ」
 大河内は、戸田から眼を逸らせては、いかにも決まり悪そうに言った。
「だから、誰に頼まれたんだ?」
 戸田は力強い口調で言っては、大河内を睨み付けた。
「長谷川さんですよ」
 と、大河内は伏目がちに言った。
「長谷川さん? それ、一体誰なんだ?」
 戸田はそう言っては、首を傾げた。戸田は事件に関係してそうな人物で、長谷川という名前に心当りなかったからだ。
 すると、大河内は決まり悪そうな表情を浮かべたまま、
「だから、山岳サークルの会長の長谷川さんですよ」
 そう大河内に言われ、戸田は長谷川という名前を思い出した。確かに、山岳サークルの代表は、長谷川弘という名前で、戸田は事件に山岳サークルが関係してそうだという感触を得ると、直ちに、長谷川弘宅に行っては、長谷川から何だかんだと、話を聞いたのである。
 だが、今、大河内の口から長谷川の名前が出るとは、思ってもみなかった。
 それで、戸田の口からは、
「豊島区に住んでいる長谷川弘さんのことか」
 という言葉が、自ずから発せられた。
「そうです。その長谷川さんですよ」
 大河内は、依然として、決まり悪そうな表情を浮かべながら言った。
 そう大河内に言われ、戸田の表情は、一気に強張った。何故なら、今まで全く容疑者圏外に置かれていた長谷川が、今の大河内の証言から一気に怪しい人物として、浮上してしまったからだ。正に、長谷川に直に話を聞いたことのある戸田は、今までにそのように思ってみたことなどまるでなかったのである。そして、そのことは、戸田の表情をそのように変貌させるに十分なものであったのであったのだ。
 それで、戸田は思わず少しの間、言葉を詰まらせてしまったのだが、やがて、
「詳しく話してくれないか」
 と、大河内の顔をまじまじと見やっては言った。
「だから、さっきも言ったように、僕はただ金に困ってるチンピラ風の男を知らないかと、長谷川さんに言われたんですよ。それで、僕は田中三郎のことを思い出したのですよ。僕の中学時代の友人で田中三郎というのがいて、僕と同じく東京に出て来ていたのですよ。それで、その田中三郎のことを長谷川さんに紹介しただけなんですよ。これ、本当なんですよ」
 と、大河内は顔を赤らめては、正に戸田に訴えるかのように言った。そんな大河内は、今の大河内の言葉には、何ら嘘偽りはないと、言わんばかりであった。
 そんな大河内を眼にして、戸田はその大河内の言葉を信じてしまいそうな塩梅であった。
 だが、戸田は眉を顰めては、
「でも、何故その田中さんが、伊豆熱川の雑木林の中で、田中一郎という大学生の傍らで、遺体で発見されたんだい?」
 と、いかにも納得が出来ないように言った。そんな戸田は、その事実は正に奇奇怪怪としていて、戸田たち警察でもその真相を突き止めるのは困難だと、言わんばかりであった。
 そんな戸田に、大河内は、
「それに関しては、僕は本当に何も知らないんですよ」
 と、再び、大河内の言葉には、何ら嘘偽りはないと言わんばかりに言った。
 それで、戸田は、
「その言葉に間違いないんだな?」
 と、大河内の顔をまじまじと見やっては言った。
「ええ。間違いありません。天地神明に誓って、そう断言しますよ」
 と、何となく純朴そうな印象を受けないでもない大河内が、そう力説するので、戸田は、
「分かったよ。じゃ、そのことを信じることにするよ。でも、長谷川さんなら、今の僕の疑問に答えることが出来るんだな」
 と、戸田は再び大河内の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、大河内は、
「そう思いますね」
 そう大河内は言ったものの、その大河内の言葉は何となく自信無げであった。だが、とにかく、戸田と佐々木刑事は、この辺で大河内への訊問を終えることにした。
 そして、翌日、東京に戻り、長谷川から話を聴くことにしたのだ。

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