第二章 浮かんだ容疑者
1
長野市を訪れた戸田は、まず長野署に顔を出し、そして、山野警部に挨拶をした。そして、
「僕はやはり、横田幸男さんの死には、不審なものを感じるのですがね」
と、渋面顔で言った。
すると、山野は、
「そうですか……」
と言うに留まった。だが、そんな山野の顔には、既に終わった横田の死を今更蒸し返すようなことは止めてもらいたいと言わんばかりであった。
「つまり、失火による焼死なのか、放火による焼死なのか分からないということですかね?」
「分からないというより、既に我々は失火による焼死だとして、解決しました。とはいうものの、火元になった場所は火の気の無い場所であったので、放火の可能性が全く考えられないというわけではないとも思っているのです。また、横田さんの遺体は原形を留めることなく激しく燃え尽きていたので、万一他殺ということがあっても、その証明をすることは不可能であったということですよ」
と、山野は時折戸田から眼を逸らせながら、いかにも決まり悪そうに言った。だが、
「でも、やはり、殺しという可能性はないと思いますね。横田さんの知人たちに聞き込みを行なった結果、横田さんの恨んでるような人物は浮かばなかったですからね」
すると、戸田は、
「そうですか……」
と言っては、決まり悪そうな表情を浮かべた。そして、
「では、とにかく、浦安で起こった事件で横田さんのことを少し調べさせてください」
「構わないですが、その浦安の事件には関係ないと思いますがね」
と、山野は冷ややかな視線を戸田に向けた。
2
戸田はまず横田が経営していたという喫茶店に向かった。
だが、その喫茶店は既に閉店され、今はブテックが入店してるとのことだ。
それで、まずそのブテックの従業員から話を聞いてみることにした。
戸田はその三十位の女性経営者に警察手帳を見せては、
「以前、ここは喫茶店でしたね」
「そうです。『アップルジャム』という名前でしたね」
「では『アップルジャム』について訊きたいのですが、『アップルジャム』の経営者であった横田幸男さんが『アップルジャム』を止めた後、火災により焼死したのですが、そのことをご存知ですかね?」
「ええ。知ってますよ」
その女性経営者、即ち、田中里子は、淡々とした口調で言った。
「どうして、そのことを知っていたのですかね?」
「隣のカメラ店の人から聞いたのです」
「そうですか。では、横田さんの死に関して何か思うことはありますかね?」
「いいえ。全くありませんね。何しろ、私は横田さんとは全く面識のないただの他人であったので」
それで、次に隣のカメラ店に聞き込みを行なってみることにした。
そのカメラ店主の前田孝之に、戸田は田中里子に対して行なったのと、同じような具合に、横田幸男に関して訊いてみた。
すると、前田は、
「僕は横田さんの死に関して、特に思うことはないですよ」
と、戸田に対して、特に有意義な情報を提供することは出来ないと言わんばかりに言った。そんな前田に戸田は、
「横田さんは火災で亡くなる一年前に喫茶店を畳んだのですが、亡くなるまでの一年間、ずっと無職だったそうです。で、弟さんが言うには、横田さんの喫茶店はあまり儲かっていなかった為に、蓄えも十分になかったそうです。それなのに、どうして一年間、働かずに生活出来たのでしょうかね?」
すると、前田は、
「僕は横田さんが亡くなるまでの一年間、無職だったということは、今、初めて知りました。でも、戸田さんが言われたように、確かにそれは妙だと思いますね」
と、眉を顰めた。
すると、戸田は眼を大きく見開き、
「どうして妙だと思うのですかね?」
と、いかにも興味有りげに言った。
「どうしてって、横田さんはいつも金が無いと零していましたからね。何しろ、この辺は立地条件がいいわけではありませんからね。ですから、元々喫茶店を開いてもさして儲からないというのは、予め予測出来ていたというわけですよ。しかし、資金を十分に持ち合わせていなかった横田さんはこういった場所でしか、店を営むことが出来なかったのですよ。横田さん自身がそのように言っていましたからね。
ですから、喫茶店を止めた当時も、横田さんは十分に蓄えはなかったと思います。それなのに、一年間も無職でよくいられたなと、僕は思うのですよ」
と、前田は渋面顔で言った。
「では、横田さんは何故喫茶店を畳んだのでしょうかね? 別に赤字ではなかったのですよね?」
「さあ、何故でしょうかね。僕はそのことを横田さんに訊いてみたのですがね。すると、横田さんは『もう嫌になったよ』と、笑いながら言ったのですがね」
と、前田はその時を思い出すかのように言った。
そして、後少し前田に聞き込みを行なった後、戸田は次に横田徹志宅を訪れた。
そんな戸田は、徹志から応接室に招じ入れられると、早速質問を始めた。
「幸男さんは喫茶店を畳んだ後、働くことはなく、今までの蓄えで生活されてたそうですが、幸男さんはかなりお金を蓄えていたのですかね? 幸男さんの喫茶店はあまり儲かってはいなかったと聞いてるのですが」
と、戸田は話を切り出した。
すると、徹志は、
「そのことは電話でも話したように、僕は兄の懐具合を十分に把握してなかったのですよ」
と、渋面顔を浮かべた。
そんな徹志に戸田は、
「では、幸男さんは喫茶店を止めた後、何か変化が見られなかったですかね?」
「変化とは?」
と徹志は眉を顰めた。
「例えば、急に羽振りがよくなったとか、性格が明るくなったとか、暗くなったとかいうようなことですよ」
と、戸田は言っては小さく肯いた。
だが、徹志は、
「さあ……、特にそのようなことには気付きませんでしたね。とはいうものの、僕は兄が喫茶店を止めた後、何度も兄と会って話をしたわけではないので、喫茶店を止めた後の兄のことを詳細に分かってはいないのですよ」
と、渋面顔で言った。
「では、喫茶店を止めてからの幸男さんのことを詳しく知ってそうな人物に関して心当りないですかね?」
「坂野さんならよく知ってるんじゃないですかね。坂野さんは、兄と中学時代から一緒だったし、また、兄が亡くなる頃まで、兄と付き合いがあったようですから」
「では、坂野さんの連絡先は分かりますかね?」
「ええ」
戸田は坂野の連絡先を聞くと、その時点で徹志宅を後にした。
そして、坂野に連絡が取れると、戸田は早速、坂野宅に向かった。坂野宅は徹志宅の近くにあったので、戸田はすぐに坂野宅に着くことが出来た。
坂野は応接室に戸田を招じ入れると、
「千葉県警の警察の方が、横田さんのどういったことを知りたいのですかね?」
と、些か納得が出来ないように言った。
「横田さんはH八年十月に自宅の火災によって死亡したのですが、それに関してどのように思われますかね?」
「どのように思われてるかって、戸田さんのおっしゃってることの意味がよく分からないですね」
と、坂野は納得が出来ないように言った。
「例えば、横田さんは何者かに殺され、そのことを隠す為に放火されたというようなことは考えられないのですかね?」
「そのようなことはないと思うのですがね。長野県警の警察にもそのようなことを訊かれたことがあるのですが、今のように返答しましたよ」
と、坂野は言っては小さく肯いた。
「では、横田さんは亡くなる一年位前に喫茶店を畳んだのですが、どうしてですかね?」
「儲からなかったからではないですかね。横田さんはそのように言ってましたからね」
「横田さんは喫茶店を畳んだ後、ずっと無職だったのですが、働かずに遣り繰り出来るお金はあったのでしょうかね?」
「さあ、どうでしょうかね」
「親の遺産なんかがあったのでしょうかね?」
「いやあ。そうではないと思いますね。横田さんは喫茶店の開業費とか維持管理費なんかに、親の遺産を使っていたと零していましたからね。
で、横田さんが喫茶店を畳んだ理由の一つも、親の遺産が無くなったということにあるみたいですよ。つまり、横田さんが喫茶店の営業を続けられる資金であった親の遺産が枯渇してしまった。その結果、喫茶店を廃業せざるを得なくなったみたいですよ。横田さんはそのように言ってましたからね」
と、坂野は渋面顔で言った。
「では、横田さんは喫茶店を止めた後、どうして働こうとはしなかったのでしょうかね? 今までの話からすると、横田さんは金に困っていたような感じがするのですが」
と、戸田は眉を顰めた。
「確かに戸田さんの疑問は分かりますが、一つ訊きたいことがあるのですがね」
と、坂野は眉を顰めた。
「何ですかね、それは?」
「何故、千葉県警の警察が、横田さんのことに興味があるのかということですよ」
と、坂野は素朴な疑問を発した。
「実は今、東京デズニーランド近くの川で他殺体で発見された男性の事件を捜査してましてね。で、その被害者は田中二郎さんというのですが、田中さんは死の少し前に妙な手紙を受け取っていましてね。で、その手紙には〈 十日まで待ってやる。それまでに渡さなければ、さちと同じだ 〉と記されていたのですよ。で、田中さんは殺されたのですから、さちという名前、あるいは、愛称を持っていた人物も殺されたのではないかと思うのですよ。それで、さちという名前とか愛称を持ってそうな人物が殺されたか、あるいは、変死したような事件を調べていたのですがね。すると、横田さんのことに行き着いたのですよ。
そんな状況なので、必ずしも横田さんが田中さんの事件に関係あるとは限らないというわけですよ」
と、戸田は決まり悪そうな表情を浮かべながら、そう説明した。
「そういうわけですか」
と、坂野は戸田の説明に納得したように言った。そして、
「で、戸田さんの捜査に役立つかどうかは分からないのですが、今、思うと少し妙なことがありましたね」
「それは、どんなことですかね?」
戸田は興味有りげに言った。
「実のところ、横田さんは喫茶店を止めてから、羽振りがよくなったようにも思えるのですよ」
と、坂野は眉を顰めた。
「どうしてそう思うのですかね?」
戸田は再び興味有りげに言った。
「横田さんに愛人が出来たみたいなのですよ。それも、高級クラブのホステスと思えるような人物です。そのような人物を愛人にするのには、随分お金が掛かると思うのですよ」
「坂野さんはどうしてそのようなことを知ってるのですかね?」
そのような話を今まで耳にしたことのない戸田は、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「それが、このことを知ったのは、最近なんですよ。僕はそのことを僕の取引先の社長から最近耳にしたのですよ。というのも、その社長が以前横田さんの愛人だったその女性を愛人にした為に、そのことが分かったのですよ」
「ほう……。そういうわけですか。では、横田さんはその愛人に幾ら位貢いでいたのでしょうかね? また、その愛人との関係は、いつ頃から始まったのでしょうかね?」
「それは、分からないです」
「では、その社長の名前は何というのですかね?」
「溝口さんですよ。清掃会社の社長をやっています」
「連絡先は分かりますかね?」
「分かりますよ」
「では、その溝口さんに今度は話を聞いてみます。で、坂野さんにはまた捜査に協力してもらうことになるかもしれませんから」
と言っては、この辺で坂野に対する聞き込みを終え、今度は溝口という社長から話を聞いてみることにした。
だが、溝口は戸田が知りたいような情報に関して、情報を持っていなかった。
その代わり、今は溝口の愛人であるが、以前は横田の愛人であったというホステスのことが分かった。
そのホステスは長野市内の繁華街にある「クラブみちる」というクラブで働いていて、ホステス名は、淑子であった。
また、淑子の連絡先も溝口から分かったので、戸田は早速淑子に電話をし、淑子の都合を聞いてみたが、今日は都合が悪いとのことであった。
それで、戸田は今夜は長野市内のビジネスホテルに泊まることにした。
そして、明日の昼頃、淑子のマンションを訪れることになった。因みに淑子の本名は持田加代とのことだ。
3
善光寺に近い所にある小じんまりとしたマンションの303号室に住んでる持田加代の部屋を戸田が訪れたのは、その日の丁度正午頃のことであった。
戸田がブザーを押すと、程なく扉が開かれ、加代と思われる女性が姿を見せた。
そんな加代に、私服姿の戸田は警察手帳を見せた。
すると、加代は、
「横田さんのことで、どんなことを知りたいのですか」
と、怪訝そうな表情で言った。
そんな加代はすらりとした身体付きに、ショートカットのヘアを少し茶色に染めていて、とても垢抜けしていた。そして、一眼見て、月並みの女性ではなく、確かに高級クラブのホステスの値打ちはあると戸田は思った。
また、このような女性を愛人にするとなると、確かに金は掛かるだろうとも思った。
それはともかく、加代にそう言われたので、戸田は、
「持田さんは昨年の十月に、自宅の火災によって死亡した横田幸男さんと付き合っておられたとか」
すると、加代は少し戸田から視線を逸らせては、
「ええ」
と、小さな声で言った。
「いつ頃から、横田さんとそういった関係になったのですかね?」
「今から一年と少し位前のことだったと思います」
「そうですか。で、どういったことがきっかけで、あなたたちは知り合ったのですかね?」
「横田さんが私が働いていたお店にお客としてやって来たのです。それがきっかけです」
「じゃ、どうして持田さんは横田さんの愛人になったのですかね?」
「横田さんが気前よく私にお金をくれたものですから。つまり、横田さんはお金持ちだったのですよ。とても金払いがよくて……。それで、横田さんと付き合うようになったのですよ」
と、加代は些か顔を赤らめては、言いにくそうに言った。
それを聞いて、戸田は表情を些か険しくさせた。横田の喫茶店は儲かっていなかった。また、親の遺産ももう使い果たしてしまったのだ。
そんな横田が高級クラブで豪遊出来るだけの金が果たしてあったであろうか? 今までの聞き込みの結果からすると、そのような金を横田が持っていなかったのは、歴然としていた。
それはともかく、
「では、横田さんは持田さんに月にどれ位お金を渡していたのですかね?」
「月に五十万貰っていました」
「五十万ですか。で、それはどれ位の期間、続いたのですかね?」
「一年位でしたかね」
「では、横田さんとの関係はいつまで続いたのですかね?」
「横田さんが亡くなる二ヶ月程前まで続きました。その頃に私たちの関係は終わりました」
「どうしてそうなったのですかね?」
「横田さんの方からこの関係は終わりにしてくれと言って来たのです。
というのは、横田さんは妙な新興宗教に凝り始めましてね。その為だと思うのですが、愛人を持つのは、道義的によくないなんて言い始めたのですよ」
「それ、どういった新興宗教ですかね?」
「マリリン教という名前です」
「それ、結構大きいのですかね?」
「いいえ。とても小さいですよ。信者も数百人位だと聞いてます」
そう言われ、戸田は些か納得した。そのような名前の新興宗教は今まで耳にしたことはなかったからだ。
「で、それは何処にあるのですかね?」
「長野市内にあります。で、そこにしか、拠点はないのですよ」
「そうですか。
で、それはそれとして、今までの我々の捜査では、横田さんの懐具合はあまりよくなかったのですよ。
横田さんは持田さんと付き合っていた頃は、喫茶店の経営は思わしくなく、また、親の遺産も既に使い果たしていたみたいなのですよ。それなのに、何故持田さんにそれ程までのお金を貢ぐことが出来たのでしょうかね?」
と、戸田はいかにも納得が出来ないように言った。
すると、加代は、
「そのようなことを私に言われても、分からないですわ」
と、渋面顔を浮かべた。
「では、横田さんは横田さんの身分をどのように話していましたかね?」
「ですから、喫茶店のオーナーですよ」
「でも、喫茶店のオーナーだけでは、持田さんに月に五十万も貢ぐことは出来ないと、持田さんは思っていなかったのですかね?」
「ですから、横田さんは使い切れない位の親の遺産を相続したとか言っていましたよ」
「ふむ」
と言っては、戸田は険しい表情を浮かべた。
今までの捜査から、どうやら横田は加代に嘘をついていたようだ。また、横田が加代に月に五十万もの金を貢いでいたことから、横田はその当時かなりの金を手にしていた可能性がある。
そして、その金には何だか臭い臭いが漂って来る。そして、その金に絡んで横田は殺されてしまい、その事実を隠蔽する為に、横田宅は放火されたのではないだろうか。また、横田に絡む事件は横田の死で終結したのではなく、今度は田中二郎の事件へと、発展したのではないだろうか?
戸田はこの辺で加代に対する聞き込みを終え、加代のマンションを後にした。そして、再び坂野に会った。そして、加代の話を話すと、坂野は、
「横田さんが親から使い切れない位の遺産を相続したというのは、嘘ですね」
と、きっぱりと言った。
「それは、間違いないですかね?」
「間違いないですよ。何しろ、僕は横田さんとは、中学の時からの付き合いですからね。ですから、横田さんの家庭の状況はよく知ってるのですよ」
「そうですか。でも、横田さんが高級クラブのホステスを愛人にし、月に五十万貢いでいたのは確かだそうです。そのホステスがそのように証言しましたからね。となると、横田さんはその金をどのように工面したのかですよ」
と、戸田はいかにも納得が出来ないように言った。
「どうでしょうかね。それに関しては僕はまるで分からないですよ。生前に横田さんはそれに関して僕に何も言いませんでしたからね」
と、坂野は渋面顔を浮かべた。
それで、二人の間に少しの間、沈黙の時間が流れたが、やがて、
「サラ金から借りたのかもしれませんね。その程度のことしか、僕には思い浮かびませんよ。
で、横田さんはひょっとして自殺を覚悟していたのかしれませんね。つまり、自殺覚悟でサラ金から金を借り、豪遊し、その死をもって借金を帳消しにしようと目論見、その目論見を実行したというわけですよ」
と、坂野は言っては、眼を鋭く光らせた。そんな坂野はその可能性は十分にあるのではないかと言わんばかりであった。
すると、戸田は、
「その可能性はまずないですね。もしそういうことがあれば、横田さんの死後、横田さんの親族に請求が来ると思うのですが、そのようなことはなかったですからね」
と、眉を顰めた。
そして、二人の間に再び少しの間、沈黙の時間が流れたが、やがて、戸田は、
「横田さんはマリリン教に入っていたそうですが、そのことを坂野さんは知ってましたかね?」
「ええ。知ってましたよ」
すると、戸田は小さく肯き、
「となると、そのマリリン教の信者たちと何かトラブルが発生したのではないですかね」
そう言っては、戸田は眼をキラリと光らせた。というのも、近年、妙な新興宗教がはびこり、その中には信者同士の殺人事件に発展したのもあるのだ。それ故、横田もそのような事件に巻き込まれたのではないかと、戸田は思ったのだ。
だが、坂野の戸田の意見に対する返答はこのようなものであった。
「僕はそうは思わないですね」
と坂野は言っては、眉を顰めた。
「どうしてそう思うのですかね?」
戸田も眉を顰めた。
「マリリン教というのは、新興宗教なのですが、その流れは仏教など、昔からの思想を踏襲し、非常に硬派的な教団なのですよ。ですから、今までに世間の注目を浴びたカルト教団とは違って、この辺りでは誰もマリリン教のことを悪くは言いませんね。信者に対してお布施を強要したりはしませんし、信者を増やせと教祖から号令が飛ばされたりもしないのですよ。まあ、安全な新興宗教なのですよ。僕も身内にマリリン教の信者がいましてね。その身内からマリリン教の話を度々聞かされてるので、僕はマリリン教のことをよく知ってるのですよ。それ故、横田さんの死はマリリン教絡みではないと思いますね」
「成程。そういうわけですか……」
と、戸田は眉を顰めては呟くように言った。そして、
「では、それ以外で横田さんはどういう人物と付き合っていたのでしょうかね?」
「そうですね。横田さんはサラリーマンの経験をしてなかったみたいですよ。高校を卒業してからずっと喫茶店なんかのウエイターとか、会計係なんかをやってましたね。横田さんの交友関係といえば、学生時代の仲間とか、横田さんが働いていた喫茶店なんかの関係者でしょうね」
「ふむ」
「それ以外としては、山岳サークルの連中とも付き合っていたのではないですかね」
と言っては、坂野は小さく肯いた。
「その山岳サークルとは、どのようなものですかね?」
戸田は興味有りげに言った。
「山登りの同好会ですよ。横田さんは雑誌でその山岳サークルの存在を知り、入ったみたいですよ。本部は東京にあるみたいですがね」
「ということは、横田さんは結構、山登りをやっていたのですかね?」
「そうだと思いますよ。横田さんは山登りが好きでしたからね」
「横田さんはいつ頃から山岳サークルに入っていたのでしょうかね?」
「それは知りません」
この時、戸田はもし横田が田中二郎と知り合いであったとすれば、二人が知り合ったのは、この山岳サークルではないかと思った。何しろ、横田は長野の人間であり、田中は千葉の人間だ。また、年齢もかなり離れてることから、二人が学友でなかったことは明らかだ。それ故、二人がもし知り合いであったとしたら、そのきっかけが、この山岳サークルで生じたのではないかと、戸田は思ったのである。
4
戸田はこの辺で坂野に対する聞き込みを終え、早速田中二郎の母親の田中町子に電話をしてみた。
「千葉県警の戸田ですが、二郎さんのことで、確認したいことがあるのですよ」
―どういったことですか?
「二郎さんは山岳サークルという山登りのサークルに入っていなかったですかね?」
すると、町子は、
―入っていましたよ。
と、あっさり言った。
すると、忽ち戸田の表情に笑みが浮かんだ。戸田の推理がこうあっさりと当るとは思っていなかったからだ。
それはともかく、戸田は表情を引き締めては、
「で、二郎さんは、いつ頃から山岳サークルに入っていましたかね?」
―三年位前からではなかったですかね。
「そうですか。で、二郎さんは山登りが好きだったのですかね?」
―そうでしたね。学生時代から山登りが好きだったみたいですよ。
「そうでしたか……」
と、戸田が呟くように言うと、町子は、
―そのことが、二郎の事件に関係あるのですかね?
と、表情を曇らせては言った。
「その可能性はあるかもしれませんね」
―どうしてそう推理されてるのですかね?
「その山岳サークルのメンバーが一年程前に自宅の火災によって変死してましてね。それで、そう推理してるのですよ」
と、取り敢えず、戸田はそう説明した。
―そうでしたか……。
と、町子も呟くように言った。
そんな町子に、戸田は、
「で、今、思えば、その山岳サークルで何か不審に思ったことはありませんかね?」
と、いかにも興味有りげに言った。
だが、町子は、
―特にないですね。
「では、二郎さんはその山岳サークルのメンバーたちと、どういった山に上ったことがありましたかね?」
―蓼科山とか、谷川岳なんかに行ったことを覚えていますね。
「では、山岳サークルの代表者は誰ですかね? また、連絡先なんか、分かりますかね?」
―私では分からないですね。
「では、二郎さんはここ一、二年位の間で大金を入手されたりはしませんでしたかね?」
―そのようなことはなかったと思います。
それで、戸田はこの辺で町子との電話を終えることにした。
田中二郎が山岳サークルに入っていた事実を確認出来たことは大いなる収穫であった。即ち、横田と田中はこの山岳サークルで接点があったのだ。そして、そのメンバーたちの間で何か不正な手段によって大金を手にし、そのことが尾を引いて、横田が変死し、そして、今度は二郎が殺されたというわけだ。
それ故、今度はこの山岳サークルを捜査しなければならないであろう。
5
戸田は長野の横田徹志に電話をして、横田が入っていたという山岳サークルについて聞いてみることにした。
「お兄さんは山岳サークルという山登りのサークルに入っていたそうですが、そのことをご存知でしたかね?」
―確か、そのようなサークルに入っていたみたいですね。
「お兄さんはその山岳サークルに関して、何か気になることを話していませんでしたかね?」
―特にそういった話は聞いていませんね。でも、以前も言ったように、僕は兄さんの何もかもを知っていたわけではないので。
「では、その山岳サークルの連絡先なんかは分からないですかね?」
―分からないですね。何しろ、兄宅が燃えた時に、兄の私物なんかは全部燃えてしまったので。