10 泥を吐いた容疑者

 一方、田中が所持していた免許証が偽造免許証であったということが、早々と明らかになり、その罪で田中は逮捕された。そして、上野署の取調室で田中は皆川たちから訊問を受けることになったのだ。
 だが、田中はいかにして偽造免許証を手にしたか、なかなか口を割ろうとはせずに、また、小早川の死に関しては無関係であると、頑なに主張した。また、山村沙知とは、飲み屋で知り合い、付き合うようになったと説明した。
 また、小早川と共にピッキング強盗を行なっていたのではないかという疑いに関しても、田中は頑なに否定した。また、小早川のことを全く面識のない人物だとも証言した。
 とはいうものの、田中と話をするに連れ、滝川も皆川も妙に思うようになったことがあった。
 それは、田中の発音がどうも、日本人のものではないと思うようになったのである。
 もっとも、地方の人間の中には、日本人と思えないような発音をする者もいる。それ故、田中が日本人でないと決め付けるのは早計とも思われる。しかし、田中が偽造免許証を所持していたことや、その発音から、田中が中国人である可能性は充分にあるだろう。何しろ、外見では、日本人なのか、中国人なのか、区別がつかないのだから。
 それで、滝川と皆川は、更に田中を厳しく追及すると、遂に泥を吐いた。田中は自らのことを、陳長明という中国人であることを認めたのである!
 そんな陳は、六年前に密かに密入国によって日本に上陸を果たし、しばらくの間、北関東方面の工場で工員として働いていたのだが、やがて、小早川と知り合い、ピッキング強盗を行なうようになった。小早川と共にピッキング強盗によって手にした金がどれ位のものになるかは、正確には分からないが、かなりのものになるのではないかと、陳は供述した。
 また、山村沙知との関係は、当初供述した内容と、変わらなかった。即ち、田中と沙知は飲み屋で知り合い、親しくなったとのことだ。
 そして、沙知から小早川のことを紹介され、陳は小早川と付き合うようになったとのことだ。
 また、沙知は小早川と陳がピッキング強盗を行なっていたことは知らないと思うとも証言した。また、六月十日に沙知が何故小早川と共に伊勢に行ったのかは、まるで分からないと言った。
 ただ、六月十日に陳が沙知と共に浅草にいたと証言したことに関しては、沙知に警察にそのように話してくれと言われたからだとも証言した。
 それらの陳の供述は,凡そ真実を述べてると、皆川たちは思った。
 しかし、陳が小早川の死に関して何ら情報を持っていないのは、妙に思われた。そして、その思いを皆川は陳に話した。
 すると、陳は、
「僕は小早川さんにピッキングの技術を教えてもらい、とても小早川さんに感謝してますよ。いわば、小早川さんは僕にとって良き教師であったみたいなものですよ。そんな僕が、小早川さんの死に関係してると言うのですかね?」
 と、いかにも不満そうに言った。
 また、沙知を巡る小早川と陳との三角関係の縺れに関しては、
「僕は山村さんのことは好きではありません。ただ、山村さんは子供の時に中国で暮らしたことがあって、中国語をかなり話せるのですよ。その関係で僕と山村さんは付き合うようになったのですよ。
 そんな僕と山村さんですが、僕たちの間には恋愛感情はありません。だから、僕が山村さんと小早川さんとの間の三角関係の縺れで小早川さんを殺すなんてことは、有り得ないことですよ!」
 と、陳は興奮のあまりか、声を上擦らせては言った。
「成程。だったら、山村さんは何故陳さんのアパートを訪れていたのかい?」
 皆川は興味有りげに言った。
「だから、中国語のレッスンの為ですよ。山村さんは僕の家で中国語を習ってたのですよ。ただ、それだけのことなんですよ」
 と、陳は開き直ったように言った。
 また、日本にまだ六年しかいないのに、日本語が流暢なことに関しては、
「僕の親族に日本人がいるのですよ。その日本人に習ったのですよ。だからですよ」
 と、陳は淡々とした口調で言った。 
 また、小早川の部屋で見付かった件のテープ、即ち、小早川が変死すれば木島満男という男が関係してるという内容に関しては、
「僕は小早川さんがそのようなテープを遺していたなんて、信じられませんね」
 と、いかにも信じられないと言わんばかりに言った。
 そう陳に言われると、皆川は渋面顔を浮かべては、言葉を詰まらせてしまった。
 そんな皆川に陳は、
「そのテープは本当に小早川さんが録音したものなのですかね?」
 と、眉を顰めては言った。
 そう陳に言われ、皆川は言葉を詰まらせた。何故なら、皆川は小早川の声を知らなかったからだ。ただ、小早川の部屋にあったから、小早川が吹き込んだものと信じて疑わなかっただけなのだ。 
 そして、その陳の言葉を受けて、直ちにそのテープを小早川の父親である小早川俊之に聞いてもらうことにした。
 すると、俊之は、
「この声は、正明ではないですね」
 と、いかにも渋面顔を浮かべては言った。
 そう俊之に言われると、皆川と滝川は、いかにも決まり悪そうな表情を浮かべざるを得なかった。何故なら、このテープは、今まで小早川正明自身によって録音されたものと信じて疑わなかったからだ。
 だが、これによって、陳は小早川殺しには、無関係であった可能性が高まった。
 小早川の「清和マンション」の部屋で見付かったテープから陳の存在が浮かび上がり、また、小早川と陳がピッキング強盗仲間であったことは明らかとなったのだが、小早川の死の真相はまだ謎のままというわけだ。
 では、誰があのテープを録音し、小早川の部屋の引出しの中に入れたかというと、それが、小早川の殺害犯であったのだ! その可能性は極めて高いのだ!
 その点を踏まえて、陳に小早川殺しの犯人に心当りないかと訊いてみた。
 すると、陳は興味ある証言をした。
「小早川さんはピッキング以外にも悪いことをやっていたみたいですよ」
 と、いかにも決まり悪そうに言った。そんな陳は、いくら小早川が死んだといえども、小早川の闇の部分を警察に話すのは気が退けると言わんばかりであった。
 そんな陳に皆川は、
「それ、どういったものかな」
 と、いかにも興味有りげに言った。
「はっきりしたことは分からないのですが、何でも他人の弱みにつけ込んでは、金を手にしていたみたいですよ。まあ、ゆすりというものですかね」
 と、陳は渋面顔を浮かべては言った。
「成程。で、陳さんは小早川さんにゆすられていた相手に関して、何か心当りありませんかね?」
 皆川は陳の顔をまじまじと見やっては言った。
 だが、陳はその相手に心当りないのか、渋面顔を浮かべては、なかなか言葉を発そうとはしなかった。
 そんな陳に皆川は、
「小早川さんと声が似ていて、小早川さんにゆすられていたのが犯人だと思われるのですが、そういった人物に心当りありませんかね?」
 と、陳の顔をまじまじと見やっては言った。
 だが、陳は、
「そのような人物に心当りないですね」
 と、渋面顔を浮かべては言った。
 だが、その時、滝川の表情が突如、険しくなった。何故なら、小早川にゆすられていた相手は、小早川に声が似てる者と思われるのだが、その者に関して、滝川は突如、閃いたからだ。
 その者とは、おかげ横丁「甚兵衛」の店主である米倉孝だ。滝川は事件が発生後、急遽「甚兵衛」に駆けつけ、米倉から話を聞いた為に、米倉の声を覚えていた。
 だが、滝川は今まで小早川の声を聞いたことがなかった為に、小早川の声は知らなかった。
 しかし、今日、小早川と思われる者の声を録音したテープを聞いた。
 その声を聞いて、誰かの声に似ているなと思ったことには思ったのだが、その時はそれが誰なのか、思い出せなかった。
 だが、今、それを思い出したのだ。それが、「甚兵衛」の米倉だったのだ!
 そう思うと、滝川の表情は、みるみる内に、険しいものへと変貌した。
 そんな滝川を眼にして、皆川は、
「どうしたのですかね?」
 と、怪訝そうな表情を浮かべた。
 それで、滝川は滝川の思いを皆川に話した。
 すると、皆川の表情も、滝川のように険しいものへと変貌した。何故なら、この時点で新たな有力な容疑者が浮上したからだ。
 その容疑者とは、無論、「甚兵衛」の米倉だ! 米倉なら、小早川が食べた伊勢うどんに青酸を入れることは朝飯前だろう。
 だが、皆川は、
「信じられませんね」
 と、表情を険しくさせては言った。
 すると、滝川も、
「僕も同感ですよ」
 と、いかにも米倉が犯人だということは、信じられないと言わんばかりであった。そして、
「しかし、一体、どんな動機があるのでしょうかね?」
 と、滝川は眉を顰めた。
 すると、皆川は何やら考え込むような仕草を見せては言葉を詰まらせていたが、やがて、
「何か弱みを握られ、ゆすられていたのかもしれませんね」
 と、渋面顔で言った。
「ゆすりですか……」
「そうです。陳が言ってましたからね。小早川さんはゆすりのようなことをやっていたみたいだと。そのゆすられていた相手が、米倉さんだったというわけですよ」
 そう言っては、皆川は小さく肯いた。
「成程。その可能性は充分にありそうですね」
 と、滝川は皆川に相槌を打つかのように言った。
 だが、滝川はすぐに渋面顔を浮かべては、
「でも、伊勢の『甚兵衛』の米倉さんが、何故東京の小早川さんにゆすられていたのでしょうかね?」
 と言っては、首を傾げた。
「分からないですね」
 と、皆川も首を傾げた。
 そして二人の間で少しの間、沈黙の時間が流れたが、やがて、
「とにかく、小早川さんの部屋で見付かったテープと米倉さんの声を声紋鑑定にかけましょうよ。更に、小早川さんの部屋から米倉さんの指紋が見付からないかの捜査も行なってみましょうよ」
 ということになり、捜査の舞台は伊勢に戻ったのであった。

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