3 身元判明

 そういった状況だったのだが、男性の身元は意外な所から明らかとなった。
 男性は小早川正明という東京都台東区のマンションに住んでいた四十二歳だったのである。
 では、何故男性が小早川正明であったということが明らかになったかというと、小早川は浅草の浅草寺近く時ある「清和マンション」という十四階建ての家賃二十万もする高級マンションに住んでいたのだが、翌月の家賃が引き落とせなかったので、管理会社の係員が度々小早川に電話をし、また、小早川の室を訪れたりしたのだが、一向に小早川と連絡が取れなかった。
 それで、小早川が交通事故なんかに巻き込まれたのではないかと思い、警察に問い合わせてみた。
 すると、伊勢のおかげ横丁で、伊勢うどんを食べていた時に亡くなった男性のことが浮かび上がり、その男性の死顔の写真を係員に見てもらったところ、小早川正明に似てるようだという証言を受けた。
 それで、その死顔の写真を小早川の父親に見てもらったのだが、すると、父親は息子の正明であることを認めたのである。
 これによって、「甚兵衛」で死んだ男性は、東京都台東区に住んでいた小早川正明であることは明らかとなったのだが、小早川の死が自殺によってもたらされたのか、殺しによってもたらされたのかは、まだ、明らかになってなかった。
 それで、小早川の父親である小早川俊之に訊いてみた。
 新潟県で小さな会社の事務員をやっていたという俊之は、伊勢の滝川の許にまでやって来ては、
「分からないですね」
 と、その華奢な身体を一層縮こまらせては渋面顔で言った。
 すると、滝川も渋面顔を浮かべては、
「では、正明さんは、どういったお仕事をされてたのですかね?」
 と、興味有りげに言った。
 すると、俊之は、
「それも、よく分からないのですよ」
 と、些か決まり悪そうに言った。
「分からない? それ、どういうことですかね?」
 滝川は一層渋面顔を浮かべては言った。
「三、四年前までは、鍵を取り付けたり解錠したりする店の店員をやっていたみたいですが、その仕事を辞めた後は、宅配のアルバイトをやっていたみたいですよ。でも、詳しいことは分からないのですよ」
 と、俊之は決まり悪そうに言った。
 そう俊之に言われると、滝川は、
「成程」
 と、呟くように言ったのだが、そんな滝川の脳裏には、自ずからある疑問が沸き上がって来た。
 というのは、小早川に関する情報とにもたらした警視庁の警官によると、小早川は浅草の浅草寺の近くにある家賃二十万もする高級マンションに住んでいたとのことだ。
 だが、小早川の職業が宅配のアルバイトであったのだとすると、果して家賃二十万ものマンションに住めるのかというと、そうは思えなかったのである。
 それ故、滝川はその疑問を俊之に話してみた。
 すると、俊之は、
「家賃二十万ですか」
 と、眼を白黒させては、いかにも驚いたかのように言った。
 すると、滝川は怪訝そうな表情を浮かべた。何故なら、俊之の様を見ると、俊之はそのことを知らないように見受けられたからだ。
 それで、滝川はその思いを俊之に話した。
 すると、俊之は、
「そりゃ、僕は勿論、正明が家賃二十万もするマンションに住んでいたなんて、全く知らなかったのですよ。僕はてっきり大田区内の家賃四万の古いアパートに住んでいたものだと思ってましたよ」 
 と、いかにも驚いたように言った。
 そう俊之に言われ、滝川は眉を顰めた。何故なら、今の俊之の話を聞いて、何かあるとピンと来たからだ。
 更に、今の俊之の話を聞いて、小早川正明という男性は、何となく胡散臭い人物であったとも思った。
 そんな小早川であるから、妙な死に方をしても、それは妙ではないのかもしれないとも、滝川は思ったのであった。
 それはともかく、滝川は、
「それ、どういうことなんですかね?」
 と、些か納得が出来ないように言った。
「ですから、僕はてっきり正明は家賃四万のおんぼろアパートに住んでいたものだと思っていたのですよ。四年程前に、僕は一度そのアパートに行ったことがあるのですが、その時、僕は正明のことを気の毒に思ったものでしたよ。何しろ、学生が住むようなアパートでしたからね。
 でも、稼ぎが少ないからやむを得ないとも思ったのですがね」
 と、俊之は渋面顔を浮かべては、淡々とした口調で言った。
「ということは、小早川さんは今も正明さんが、その大田区内のアパートに住んでいたと思っていたのですかね?」
「そうです。確か、『秋元荘』とかいう名前のアパートでしたがね」
 と、俊之は眉を顰めては、呟くように言った。
「その『秋元荘』に、最近手紙なんか出したことはあったのですかね?」
「ありましたよ。半年位前でしたがね。それ故、僕はまさか今、正明が家賃二十万もするマンションに住んでいたと聞いて、びっくりしてるのですよ。それに、『秋元荘』から正明が引っ越したとしたら、その旨を正明は僕に話す筈なんですがね。でも、そういったことはありませんでしたね」
 と、俊之は些か怪訝そうな表情を浮かべては言った。
 そう俊之に言われ、滝川は改めて、〈これは何かある〉と思った。もっとも、その何かが小早川の死にどう繋がったのかは、分からないのだが。
 それはともかく、滝川はこの時点で小早川が死に至った経緯を改めて説明し、小早川の死がまだ自殺なのか、他殺なのか、分かっていないという旨を説明し、そして、それに関して俊之が何か心当りないかと訊いてみた。
 すると、俊之は、
「まるで心当りないですね」
 と、渋面顔で言った。
 それで、滝川はこの辺で俊之に対する聞き込みを終え、台東区内にあるという「清和マンション」の小早川の部屋の捜査を警視庁に依頼してみることにした。

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