4 不審な男
伊勢署からの捜査協力依頼を受けて、警視庁の皆川警部補(37)が、その捜査を行なうことになった。
皆川は伊勢のおかげ横丁で伊勢うどんを食べていた時に青酸死したという小早川正明が住んでいたという「清和マンション」の605号室の中に管理人から鍵を借り、部屋の中に入ってみることにした。
605号室の中に入ると、正にそこは金満家が住んでいた部屋を思わせた。
広々としたリビングに置かれてる家具類は高価そうで、また、52型の大型液晶TVが、小早川は何ら金には困ってなかったということを物語ってるかのようであった。
また、壁には有名画家が描いたような絵が掛けられていて、また、毎日の食事に使われていたであろう食器類も、とても高価そうであった。
正に、この室の主であった小早川正明という男は、金満家と思わせるに充分であった。
ところが、伊勢署の滝川によると、小早川は今、定職についてなく、宅配便のアルバイトなんかで生計を立てていたとのことだ。
宅配便のアルバイトでは、このような優雅な暮らしは出来ないのではないのか? そう皆川が思っても、それは至極当然のことであった。
となると、小早川は何か後暗いことをやっていたのではないのか? そして、そのことが小早川の死に繋がったのではないのか?
犯罪捜査に携わった経験のある皆川が、そう思ったのは、至極当然のことであるように思われた。
それはともかく、皆川は小早川の友人、知人名を記したアドレス帳なんかはないものかと、まず調べてみたのだが、そのようなものはまるで見当たらなかった。
滝川によると、小早川の死は、まだ自殺によるものなのか、他殺によるものなのかは、分かっていないという。
だが、皆川はこの部屋を見て、小早川の死は自殺ではないと思った。このような良い暮らしをしてる小早川は、自殺などする筈はないと思ったからだ。
もっとも、この小早川の暮らしが借金の上に成り立っていたのであれば、この暮らしは正に砂上の楼閣のようなものであったであろう。そして、もしそれが正しければ、小早川は借金返済の目処が立たなくなり、将来を悲観して自殺したという可能性も有り得るだろう。それ故、安易に他殺だと決めつけることも出来ないであろう。
だが、自殺なら、伊勢のおかげ横丁で伊勢うどんを食べてる時に行なうであろうか? その自殺手法はやはり、附に落ちないものを感じさせるだろう。
では、他殺とすれば、何者かが小早川の眼を盗んで、小早川が食べてる伊勢うどんに青酸を入れることが可能であろうか?
皆川の考えとしては、そのような可能性は極めて小さいと思った。
また、小早川が死んだ時に、小早川の連れはいなかったとのことだ。
となると、一体誰が小早川の伊勢うどんに青酸を入れたのだろうか?
滝川も指摘していたが、「甚兵衛」の関係者の中に小早川のことを恨んでいた者がいて、その者が密かに小早川が食べる伊勢うどんに青酸を入れた可能性もある。
そして、そのケースなら、捜査を進めて行けば、自ずから真相に近付けるだろう。
更に、それ以外として考えられるのは、青酸入りのカプセルを小早川が飲んでしまい、小早川が伊勢うどんを食べてる時にそのカプセルが解け、青酸が小早川の体内に入り込んだというケースだ。小早川は無論、そのカプセルの中に青酸が入っていたことを知らなかったことであろう。
そう思うと、皆川はこの事件はなかなか大変な事件だという思いを感じざるを得なかった。
それはともかく、皆川は更に小早川の部屋の中を調べてみた。
すると、妙なことが次から次へと明らかとなった。
というのは、クロゼットの中に入っていた小箱から百枚程の名刺が見付かったのだが、その名刺には様々な名前とか会社名が記されていた。例えば、〈大王宝石 長沼洋〉とか、〈亀田運送 亀田正吉〉とか、〈大沼電気店 大沼信二〉という具合だ。
これらの名刺に記されていた名前とか店が実在してるものなら、何ら問題はないだろうが、皆川が妙に思ったのは、同じ名刺が十枚以上あったりするのだ。もし、それらの名刺が他人のものなら、その名刺が十枚以上もあるのは妙と思えるのだ。
更に、クロゼットの奥には、女性の下着が入っている箱も見付かった。その箱には、ブラジャーとかパンティといった女性の下着が、何と百枚以上も入っていたのだ。
小早川は独身であったということから、それらは小早川の妻のものでないことは確かであろう。
となると、恋人のものか? 小早川は独身であったことから、恋人がいたとしても、不思議ではないだろう。
だが、それらの下着を具に見てみると、サイズがバラエティに富んでいた。色や柄も様々であった。それらは、正に同一人物が使用していたものとは、とても思えなかったのだ。
その事実を間の当りにして、皆川の表情は突如、険しくなった。
そう!
小早川はこれらの下着を盗んだのだ! 即ち、小早川は女性の下着泥棒だったのだ!
更に、クロゼットの中の捜査を進めて行くと、やがて妙なものが見付かった。
それは、工具箱だったのだが、その工具箱の中には、バールとかドライバーなんかが入っていた。
もっとも、普通の者がそれらを眼にしても、妙には思わないかもしれない。
しかし、皆川は普通の者ではない。皆川は治安を守る為に、日々精を出している警察官なのだ。そして、皆川はこのような工具類を今までに何度も眼にしていたのだ。
即ち、それらの工具類は、ピッキングに頻繁に用いられて来たものだったのだ!
そして、これによって、事の次第は明らかになったというものだ。
即ち、小早川は表面的には宅配のアルバイトを装っていたのだが、そんな小早川には裏の顔があった。その裏の顔がピッキング強盗なのだ!
そして、このマンションの家賃も、ピッキング強盗によって手にしていたのではないのか?
嘗て、泥棒稼業で手にした金で豪邸暮らしをしていた輩がいた。それ故、小早川正明という男も、その類であったのかもしれない。
そして、それに絡んで何かトラブルが発生し、小早川は死に至ったのだ!
それが、小早川の死の真相であろう!
そう思うと、皆川は些か満足そうな表情を浮かべた。
だが、そんな皆川の表情はすぐに曇った。何故なら、小早川がピッキング強盗であったとしても、小早川が誰とトラブルになり、誰に殺されたのかは、その手掛かりはまだてんで摑めてなかったからだ。
それに、小早川の死はまだ殺しによってもたらされたと決まったわけではない。
更にこの事件は三重県警の事件なのだ。
それで、皆川はこの時点で皆川が捜査して来たことを伊勢署の滝川に報告することにした。