8 一致した指紋

 それはともかく、滝川と皆川は実のところ、田中と沙知の指紋を取ることに成功していた。田中か沙知に小早川の写真を見せた時に、巧みに田中と沙知の指紋を取ったのだ。
 そして、田中か沙知の指紋が小早川の部屋から見付かれば、もはや田中と沙知はしらばくれることは出来ないというものだ。
 そう滝川と皆川は思っていたのだが、果して滝川と皆川の思いは功を奏すだろうか。
「清和マンション」の小早川の部屋からは、正に徹底的に指紋採取が行なわれた。
 だが、その殆どは小早川のものであった。
 しかし、小早川のものでない指紋もあった。
 それで、それらの中に、田中か沙知のものがないか、鑑定が行なわれたのである。
 すると、その結果、滝川と皆川の予想に反して何と成果を得ることが出来たのである! 何故なら、リビングに置かれていた置時計から採取された指紋が、何と沙知のものと一致したのである!
 この結果を受けて、皆川は、
「驚きましたね」
 と、眼を白黒させては言った。
「正にその通りです」
 滝川も眼を白黒させては、皆川に相槌を打つかのように言った。
 滝川と皆川は、小早川の部屋から田中の指紋は見付かる可能性はあると思っていた。何故なら、小早川と田中はピッキング強盗仲間であった可能性があったからだ。それ故、小早川の部屋の中でピッキングに関する謀議が行なわれても何ら不思議ではなかったからだ。
 だが、沙知の指紋が見付かったのは、意外であったというわけである。
 とはいうものの、小早川の部屋から沙知の指紋が見付かったということは、小早川と沙知が親密な関係であったということは充分に察せられた。
 また、小早川の部屋から沙知の指紋が見付かったのは、正に幸運であったといえよう。何しろ、沙知が小早川や田中の関係者として存在してるということは、田中のアパートを訪れるまでは、まるで分からないことであったのだから。それ故、もう少し、田中のアパートを訪れる時間が遅かったら、山村沙知という女性の存在を知ることは出来なかったのである。正に幸運であったといえるわけだ。
 また、これによって、沙知が皆川に嘘をついたということが明らかになった。何しろ、沙知は小早川のことをまるで知らない人物だと断言したのだから。
 正に天からプレゼントされたかのようなこの幸運によって、捜査は一気に進展すると、滝川と皆川は思ったのだ。
 更に、天からのプレゼントのような幸運は、これだけではなかった。
 伊勢署がおかげ横丁の事件で新聞等に情報提供を呼び掛けたところ「甚兵衛」で小早川が伊勢うどんを食べてる時に突如倒れ場面から、辺りの野次馬の姿を何とビデオカメラで録画していたという者が現われたのだ。
 その者は、名古屋に住んでいる黒木治郎という二十三歳の大学生であった。黒木は妙な事件に関わりを持つことを嫌い、現場に制服姿の警官が姿を見せるや否や、まるでその場を逃げるように後にしたとのことだ。
 しかし、黒木は新聞でおかげ横丁の事件で情報提供を呼び掛けてることを知り、自らが撮影したビデオが役に立つのではないかと思い、そのビデオを伊勢署に持って来たのである。もっとも、黒木はそのビデオが警察の捜査に必ず役立つとまでは自信はないと伊勢署に言ったのだが、伊勢署はそれでも構わないと言った。
 それはともかく、その黒木の話を耳にした滝川は、急遽、伊勢に戻ることになった。また、皆川も同行することになった。そして、早速そのビデオの映像を見ることになった。
 そのビデオの映像は、小早川が「甚兵衛」の露天にあったテーブルの傍らで倒れ、痙攣してる場面から始まっていた。そして、小早川が死んだと思われるまでは、小早川に焦点が合わされていたが、その後、カメラの映像は小早川の周囲にいた者に移っていた。だが、そのビデオは密かに撮られていたのか、黒木のビデオの方に眼を向けてる者は誰もいなかった。
 そんな黒木のビデオの映像に、滝川は固唾を呑んで眼を凝らしていたのだが、その時、皆川が、
「そこで止めてください!」
 と、甲高い声で言った。
 それで、滝川は中断ボタンを押した。そして、
「どうかしたのですかね?」
 と、真剣な表情で言った。今の皆川の口調に只ならぬものを感じたのである。
 そんな滝川に皆川は、
「今の場面をもう一度見てみたいのですがね」
 と、眼を爛々と輝かせては言った。
 それで、滝川は今の場面をもう一度再生した。
 その映像に皆川は食い入るように眼を凝らしていたが、やがて、
「そこで一時停止させてください!」
 そう言われたので、滝川は一時停止ボタンを押した。
 すると、皆川は画面に近付き、食い入るように見やったが、やがて、
「やはり、そうです! 間違いありません!」
 と、険しい表情で言っては、大きく肯いた。
 そして、その皆川の表情は、程なく笑みが見られた。その笑みは、まるで闘いに勝利した時に見せるかのような笑みであった。
 そんな皆川に釣られ、滝川も思わず笑みを浮かべたのだが、その笑みはすぐに滝川から消えた。滝川は皆川が笑みを浮かべた映像を見ても、何故皆川が笑みを浮かべたのか、てんで分からなかったからだ。
 それで、
「何か見付けたのですかね?」
 と、好奇心を露にして言った。
 そんな滝川に皆川は、
「やりました! やりましたよ!」
 と、まるで勝利の雄叫びのような声を発した。
「一体、何が映っていたのですかね?」
 滝川は眼を大きく見開いて言った。
「山村ですよ! 山村沙知が映ってるのですよ!」
 皆川は力強い口調で言った。そんな皆川は明らかに興奮していた。
「山村沙知? 山村沙知って、誰のことでしたかね?」
 山村沙知という名前をど忘れしてしまっていた滝川は、些か顔を赤らめては言った。
「ほら! あの女性ですよ! 僕たちが田中のアパートを訪れた時に、女性が田中の部屋を後にしたじゃないですか! その女性が山村沙知なんですよ! その山村沙知がこの映像に映ってるのですよ!」
 と、皆川は眼を大きく見開き、爛々と輝かせては言った。
 そう皆川に言われ、滝川も眼を爛々と輝かせた。滝川は無論、山村沙知がどういった女性なのかは、皆川から聞いて知っていた。だが、面と向かって話したことはなかった為に、皆川のように顔は分からなかったのである! それで、山村沙知が映ってるということに気付かなかったのである!
 しかし、まさかその山村沙知が「甚兵衛」に小早川と共にいたなんて、想像すらしてなかったのである!
 だが、これで、山村沙知が小早川の死に関与してるということが証明されたみたいなものだ。何しろ、沙知の指紋が小早川のマンションの部屋で見付かってるのだ。この事実を目の当たりにすれば、もはや、沙知はしらばくれることは出来ないであろう!
 それで、滝川は甚だ興奮し、言葉を失ってしまったかのようであった。
 そんな滝川に皆川は、
「山村さんが小早川の近くにいたということは、小早川が死ぬのを密かに見ていたということですよ。無論、殺したのは、山村さんですよ!」
 と、力強い口調で言った。
 だが、そんな皆川の表情は、甚だ険しいものであった。そんな皆川は、あの誠実そうな感じの沙知が小早川を殺したということが、信じられないかのようであった。
 そんな皆川に対して、沙知の容貌を知らない滝川は、皆川のように厳しい表情は浮かべてはいなかったが、
「僕もそう思いますね。山村さんが小早川さんの近くにいたということは、やはり山村さんが小早川さんを殺したのですよ!」
 と、正に皆川に相槌を打つかのように言った。そして、
「となると、山村さんが小早川さんが伊勢うどんを食べてる時に、小早川さんの眼を盗んで、青酸を入れたのでしょうかね?」
 と、渋面顔を浮かべては言った。そんな滝川は、果してそのようなことが可能なのかと言わんばかりであった。
 そんな滝川に皆川は、
「可能ですよ! というのはカプセルを用いた可能性があるからですよ!」
 と、甲高い声で言った。
「カプセルですか……」
 滝川は呟くように言った。
「そうです。カプセルです! 山村さんは小早川さんと共に、伊勢に来ていたのではないですかね。そして、山村さんは巧みに小早川さんに青酸入りのカプセルを飲ますことに成功したのですよ! そして、そのカプセルが、小早川さんが『甚兵衛』で伊勢うどんを食べてる時に溶け、小早川さんの体内に入り込んだのですよ! その結果、小早川さんは息絶えたのですよ。山村さんはそれを確認すると、密かにその場を後にしたというわけですよ!」
 と、皆川はいかにも自信有りげな表情と口調で言った。そんな皆川は、正に真相はこうに違いないと言わんばかりであった。
 すると、滝川は、
「僕もそう思いますよ」
 と、正に皆川に相槌を打つかのように言った。
「動機もうまく説明出来ますよ。即ち、三角関係の縺れですよ」
「三角関係の縺れですか……」
 滝川は呟くように言った。
「そうです。三角関係の縺れですよ。山村さんが田中さんのアパートから出て来たということは、山村さんは田中さんと親密な関係があったと思われます。
 その一方、小早川さんのマンションに山村さんの指紋が付いていたことから、山村さんは小早川さんとも親密な関係にあったと思われます。
 つまり、山村さんは田中さんと小早川さんの二人と付き合っていたのですが、小早川さんのことが邪魔になったので、殺したというわけですよ」
 と、皆川はその可能性は充分にあると言わんばかりに言った。
 すると、滝川は、
「僕は動機はそんな単純とは思わないですね。というのは、小早川さんと田中さんは二人でピッキング強盗を行なっていたと思われるのですよ。そのことを山村さんは知っていた可能性もあるのですよ。そういった状況なのに、三角関係という色恋沙汰が動機で殺しを行なうでしょうかね?」
 と、皆川の推理には賛成出来ないと言わんばかりに言った。
 そう滝川に言われると、皆川は渋面顔を浮かべては、言葉を詰まらせた。滝川の言ったことは、もっともなことだと思ったからだ。
 それで、二人の間に少しの間、沈黙の時間が流れたが、やがて、皆川は、
「これだけ山村さんにとって不利な証拠を入手出来たのですから、山村さんを追い詰めることは可能ですよ。それ故、山村さんのアパートに行って、山村さんに泥を吐かせましょう」
 ということになり、この時点で二人は沙知のアパートへと向かったのであった。

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