第六章 予期されなかった死

     1

 東南植物楽園は、沖縄北郊にある沖縄でも屈指の美しい公園で、那覇市から出発する沖縄中北部を巡る定期観光バスは必ずといっていい位訪れる、沖縄を代表する観光スポットだ。
 園内には、約二千種もの熱帯、亜熱帯植物が生い茂り、ここが日本なのかと思わせる位、異国情緒を感じさせる。
 だが、その反面、嘉手納基地の米軍機が低空を飛び交い、その時に立てる爆音で会話が遮られることも度々である。
 正にここが沖縄であることを痛感させるスポット。それが、東南植物楽園である。
 その東南植物楽園の売店でアルバイトをしている沖縄市在住の平良正子(54)は、いつも通り、愛車のミラで、東南植物楽園に向かっていた。東南植物楽園は午前九時営業であったが、正子たちは、午前八時半までには出勤してなければならなかった。
 とはいうものの、今日はいつもより早く家を出た為か、時間的に余裕があった。それで、正子はいつもよりゆっくりとミラを走らせていた。
 そして、東南植物楽園の駐車場にまで後少しという位の所にまで来た時に、ふと左前方に眼をやった。
 すると、正子の表情は、突如、曇った。何故なら、道路から少し入った茂みの中に、人が倒れてるのを眼に留めたからだ。
 それと同時に、正子は急ブレーキを掛けた。
 大したスピードは出てなかったものの、急ブレーキを掛けた為に、助手席に置いてあったバッグが、助手席から下に落ちてしまった。
 そして、ミラはすぐに停まったが、後続車が走っていなかったことは、正子にとって幸であっただろう。
 それはともかく、正子はミラを路肩に留め、エンジンを切るや否や、素早く車外に出ては、その女性の許に行き、
「もしもし」
 と声を掛け、女性の肩を揺り動かしてみた。しかし、女性は何の反応も示さなかった。
それで、正子は女性の手に触れてみた。
 すると、正子の表情は、忽ち強張ってしまった。何故なら、女性の手が信じられない位、詰めたかったからだ。
〈死んでいる……〉
 正子の脳裏に、その思いが過ぎった。
 正子は五年前に正子の母の死を経験したが、その時の母の手もこのように冷たかったと記憶していた。
 それで、正子はとにかくこの女性のことを警察に知らせなければならないと思い、直ちに携帯電話で110番通報したのだ。
 沖縄署員が現場に到着するのに、さ程時間は掛からなかった。正子は何と早く来るのだろうと思った位であった。
 それはともかく、正子は制服姿のその中年の警官に、状況を説明した。
 その警官は、正子の説明に真剣な表情で耳を傾け、また、正子が言ったことを手帳にメモしていた。
 程なく、救急車がやって来て、その救急隊員が女性を担架に載せては救急車に運び、救急車は去って行った。その女性が息を吹き返さないことは、既に警官が確認していたが、救急隊員たちの行動は、とても迅速であったのだ。

     2

 東南植物楽園近くの道路脇の茂みの中で、死体で発見された女性は、まだ二十代の初め位の若い女性であった。
 だが、その若くて綺麗な顔は、苦悶の表情を浮かべていた。そして、それは正に予期せぬ、また、望まぬ死であったことを物語っていた。
 また、その女性の首には、ロープのようなもので絞められたと思われる鬱血痕があったことから、女性は何者かに絞殺されたものと推定された。案の定、司法解剖された結果、女性はロープのようなもので絞められたことによる窒息死であることが判明した。 
 即ち、殺しである!
 また、死亡推定時刻も明らかになった。
 それは、昨日、即ち、五月二十日の午後八時から九時の間であった。
 だが、女性の身元はまだ明らかになってなかった。
 しかし、女性の死がTVや新聞で報道されたことを受けて、その女性の遺体が安置されている沖縄市内のK病院は、十数名の者が自らの娘か姉、妹ではないかと思い、姿を見せたのだが、身元確認には至らなかった。
 だが、女性の遺体が見付かって二日後に、身元が明らかになった。
 その日に、K病院を訪れた五十位の婦人が、その女性は娘の加奈子であるということを確認したのである。
 その女性は、豊里加奈子という沖縄市で家事手伝いをしている女性であった。
 そして、加奈子は両親と共に住んでたのだが、二日間も何処に行くとも言わずに、帰宅しなかったので、まさかとは思っていたが、東南植物楽園近くで見付かった女性のことを警察に問い合わせてみたところ、加奈子の特徴に似ていたので、K病院に行ってみたところ、それは、娘の加奈子であったのだ。
 正に予期せぬ娘の死に遭遇してしまった母の千恵子の哀しみの様は、痛々しいものであった。
 そんな千恵子に、沖縄県警の宮城勝警部(50)は、まるで、その巨体を小さくさせては、
「お気の毒です」
 と、千恵子に悔みの言葉を述べた。そして、
「加奈子さんは何者かに殺されたのですよ」
 と、いかにも言いにくそうに言った。
 しかし、宮城にその様に言われても、千恵子は特に反応は示そうとはしなかった。千恵子にとってみれば、加奈子が死んでしまったとなれば、それが事故によるものでも、殺しによるものでも、さして、違わなかったのかもしれない。
 千恵子が宮城の言葉に何も言おうとはしないので、宮城は同じ言葉を繰り返した。
 すると、千恵子は、
「信じられません」
 と、蚊の鳴くような声で言った。
「加奈子さんが亡くなられてすぐに捜査を始めるのも、心苦しいですが、我々は一刻も早く犯人を逮捕しなければならないし、また、加奈子さんもあの世でそれを望んでおられると思います。それ故、我々の捜査に協力してくださいな」
 と、宮城は前置きしてから、
「奥さんは、加奈子さんを殺した犯人に当りありますかね?」
 と、神妙な表情を浮かべては言った。
 すると、千恵子は引き攣った表情を浮かべながら、
「いいえ。加奈子は人にとても好かれる娘でした。それなのに、殺されたなんて、とても信じられません」
 と言っては、目頭にハンカチを当てた。
 千恵子にそう言われると、宮城は、
「そうですか……」
 と、呟くように言った。
 となると、偶然に何かの事件に巻き込まれたのだろうか? その可能性がないわけでもないだろう。
 それはともかく、宮城は加奈子が家を出た時のことを訊いてみた。
 すると、千恵子は、
「あの日、加奈子は午後七時半頃、少し用があると言って、家を後にしたのですよ」
 と、蚊の鳴くような声で言った。
「午後七時半頃ですか。で、その時に、どのような用件なのか、何か言っておられましたかね?」
 宮城は、真剣な表情を浮かべては言った。
 だが、千恵子は、
「加奈子はその用に関して、何も言ってませんでした。また、私もまさかこのようなことになるなんて、思ってもみなかったので、それに関して何も訊かなかったのですよ」
 と、些か悔しそうに言った。千恵子はこの時、その時に千恵子がもう少し注意していれば、加奈子はこのような災難に巻き込まれることにはならなかったのにという思いが脳裏を過ぎったのであった。
「では、加奈子さんがその時に外出したのは、予め決まっていたことなんでしょうかね? それとも、電話で呼び出されたりした結果なんでしょうかね?」
 と、宮城は興味有りげに訊いた。
「その時は外出するというとことは、事前に言ってませんでしたし、また、私が知ってる限りでは、電話が掛かって呼び出されたりはしなかったと思います」
 と、千恵子は渋面顔で言った。
「じゃ、加奈子さんは最近、何か悩みを抱えておられませんでしたかね? また、トラブルなんかを抱えておられませんでしたかね? 何か気付いたことがあれば話していただけませんかね。どんな些細なことでも構いませんから」
 と、宮城は何とか事件解決の糸口を摑もうとした。
 すると、千恵子は何やら思いを巡らすかのような様を見せては、少しの間、言葉を詰まらせていたが、やがて、
「そう言えば、妙なことがありましたね」
 と眉を顰めては言った。
「妙なこと? それ、どんなことですかね?」
 宮城は思わず身を乗り出しては言った。
「実はですね。加奈子の友人であった島袋万理ちゃんという娘が、最近何者かに殺されて、その遺体が万座毛際の海で発見されたという事件があったのですよ。
 で、加奈子は万理ちゃんの友人であったので、沖縄県警の刑事さんから、万理ちゃんの事件で何か思うことはないかと、聞き込みを受けてましたね」
 そう言われ、宮城は緊張したような表情を浮かべた。何故なら、加奈子の事件は、島袋万理の事件に関係してると、直感したからだ。また、今の千恵子の説明を聞けば、誰でもそう思うことであろう。
「成程。で、加奈子さんは島袋さんの事件で何か情報を持っておられたのですかね?」
 宮城は島袋万理の事件は勿論知っていたが、万理の事件の捜査には携わってなかった為に、その捜査状況は分からなかった。それで、そのように訊いたのだ。
 すると、千恵子は、
「特に持っていなかったみたいですよ。私には、そう言っていましたから」
 と、冴えない表情で言った。
 千恵子は、万理の死を聞いて、万理の母親である敏江のことを可哀相だと思っていた。万理は敏江一人で苦労して育てて来た娘であったのだ。そんな娘が何者かに絞殺され遺体を海に遺棄されたとなれば、正にやりきれない思いを抱いたことであろう。
 だが、まさか、その敏江の思いを千恵子が抱かなければならないとは、夢にも思っていなかったのだ。もっとも、千恵子の夫は健在ではあったが、大切な娘であったというのは、同じであったのだ。
 それはともかく、千恵子の言葉を耳にし、宮城は表情を険しくさせた。というのは、今、この時、何故加奈子が殺されたのは、その動機が見えたからだ。
 即ち、それは、口封じだ。
 加奈子は、千恵子には万理を殺した犯人や動機には心当りないと言ってたらしいが、それは、嘘で、実際には犯人に心当りあったのではないのか?
 それで、加奈子はその者に接触したのだが、その結果、口封じの為に殺されてしまったというわけだ。
 その可能性は、十分に有り得るだろう。
 それで、宮城はその推理を千恵子に話してみた。
 すると、千恵子は険しい表情を浮かべては、何も言おうとはしなかった。そんな千恵子は、たとえ加奈子が殺された動機が分かっても、加奈子は戻って来ないと言わんばかりであった。
 千恵子は、宮城の推理に何も言おうとはしなかったが、加奈子が殺された動機にある程度目処がついたということもあり、今度は加奈子の部屋を捜査してみることにした。加奈子の部屋の中に加奈子の事件を解決する鍵が存在してるかもしれないからだ。
 すると、呆気なく、有力な手掛かりと思われるものが見付かった。
 それは、加奈子の机の片隅に置かれていた本の中に挟んであった白い封筒だ。
 そして、その封筒には、切手は貼られてなかったし、また、差出人の住所も記されていなかった。また、加奈子宅の住所も記されてなかったが、〈豊里加奈子様へ〉と、定規をあてがって書いたような文字で記されていた。
 それで、宮城は早速、その封筒の中に入っていたA4判の紙に眼を通してみた。その紙には、定規をあてがったような文字でこのように記されていた。
〈五月二十日の午後八時に、S公園の入り口まで来てくれないか。どうしても話したいことがあるから 
   玉城四郎    〉

 この手紙を読み終えると、玉城四郎という男のことが、自ずから大きく浮上した。加奈子の死亡推定時刻は、五月二十日の午後八時から九時だ。そして、この手紙によると、玉城がS公園に加奈子を呼び出した時間も五月二十日の午後八時だ。
 となると、この手紙通りに、加奈子がS公園の入り口で玉城と会っていたら、玉城が加奈子を殺した犯人である可能性は一気に高まるであろう。
 それで、宮城はとにかく、この手紙を千恵子に見せてみた。
 すると、千恵子はそのような手紙が加奈子の机の上に置かれていた本に挟まれていたことに気付かなかったし、無論、その手紙を読んだこともないと言った。
 そんな千恵子に、宮城は、
「この手紙には切手が貼られてませんから、差出人が直に豊里さん宅の郵便ポストに方に放り込んだのでしょう」
 と、眉を顰めては言った。
「そうかもしれませんね。加奈子はよく私より先に郵便受けに入ってる手紙を部屋の中に持って来ますから、その時もそうであったのでしょう」
 と、千恵子は淡々とした口調で言った。
「成程。で、奥さんは玉城四郎という人物のことをご存知ですかね?」
 と、興味有りげに言った。
 すると、千恵子は、
「知ってますよ。加奈子の高校時代の同級生にそのような人物がいましたね。 でも、私はそれ以上のことは知らないのですよ」
 と、険しい表情で言った。
 千恵子とて、その手紙を読んでみて、玉城四郎という人物が、加奈子の死に関係がありそうなことは、十分に理解出来た。
 それ故、宮城に言われなくても、玉城四郎という人物に関して思いを巡らしてみたのだが、しかし、それ以上のことは分からなかったのである。
「では、加奈子さんは、玉城さんのことで何か言ってませんでしたかね?」
 と、宮城は鋭い眼差しを千恵子に向けた。 
 だが、千恵子は、
「何も言ってなかったですね」
 そう千恵子に言われ、宮城は渋面顔を浮かべた。
 とはいうものの、玉城四郎という男性からは、話を聴かなければならないだろう。また、島袋万理の事件を捜査してる刑事たちから、玉城四郎に関して訊かなければならないだろう。何しろ、玉城四郎は島袋万理を殺した犯人なのかもしれないのだから。
 また、そうだとしたら、玉城四郎は、既に万理の事件で容疑者として、疑われてるのではないのか?
 それで、宮城は島袋万理の事件を捜査している花城警部に連絡をし、万理の事件の容疑者として、玉城四郎という男が浮上していないか、訊いてみることにした。

     3

 すると、花城は、
―浮かんでますよ。
 と、あっさりと言った。
 それを聞いて、宮城は思わず眼を大きく見開き、そして、輝かせた。これによって、万理の事件も加奈子の事件も一気に解決するのではいかと思ったからだ。
 即ち、万理の事件も加奈子の事件も、犯人は玉城四郎というわけだ。
 それで、宮城は、思わず、
「玉城四郎という人物は、どういった人物なんですかね?」
 と、いかにも興味有りげに言った。
―島袋さんの高校時代の同級生で、島袋さんと付き合っていたのですよ。
 と言っては、何故玉城が万理の事件の容疑者になってるか、花城たちの推理、即ち、米兵絡みのことを話した。そして、
―島袋さんが失踪した頃の玉城のアリバイは曖昧なんですが、まだ、有力な証拠がないので、任意出頭すら出来てない状況なんですよ。
 しかし、今、宮城さんから聞いた情報によって、署に出頭させ、話を聴くことが出来ますよ。
「で、玉城はどんな仕事をしてるのですかね?」
―沖縄市内のクラブで働いてるようですよ。バーテンダーなんかをやってるそうですよ。
「じゃ、今から玉城宅に行けば、玉城に会えるでしょうかね?」
―可能性はありますね。
 ということになり、早速、宮城は花城と共に、プラザハウスショッピングセンター近くにある玉城のマンションに向かったのであった。


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