第一章 謎の死

     1

 九州の耶馬渓、静岡の三保の松原と共に、新日本三景の一つに讃えられ、昭和33年に国定公園に指定された大沼は、駒ヶ岳を背景に、大沼湖、小沼湖、じゅん菜沼が散らばり、それらの湖には、126の小島が浮かんでいる。
 その三湖の中では大沼湖が最大で、大沼湖を巡る遊覧船から望む駒ヶ岳はとても風情があり、観光客は思わず溜息を洩らしたりするものだ。
 そんな大沼を巡る遊覧船は、今、いつも通りに出発しようとしていた。
 今日は五月の終わりなのだが、五月晴れで、大沼から眼に出来る駒ヶ岳は、一際、その雄姿を誇示してるかのようであった。
 そんな状況ではあったが、朝一番の遊覧船に乗船してる乗客は、僅か七人であった。朝一番ということで、まだ、観光客が集まって来ていないのだろう。また、その七人は、辺りのホテルとか、ペンションの宿泊客なのだろう。
 それはともかく、遊覧船は快適なエンジン音を響かせ、時間通りに桟橋を後にした。
 やがて、名も無い小島が犇めき合う島々の間を縫うようになり、観光客は首を左右に振りながら、それらの光景を堪能していた。
 そして、島々の間をかなり進むと、やがて、視界は開けて来た。
 といっても、依然として、遊覧船の周囲には、名も無い島々が散在していた。これらの島々を抜けないと、駒ヶ岳の全容を眼には出来ないであろう。
 と、その七人の乗客の中の一人である平沢雄一郎は、そのように思っていた。
 平沢は仙台在住の32歳の会社員で、たまたま休暇を取れたということもあり、一人で二泊三日の北海道旅行にやって来た。昨日は函館を巡り、昨夜大沼公園にやって来ては、大沼湖畔のペンションに泊まった。そして、今日は朝一番の遊覧船に乗船したのである。
 そんな平沢は、ふとその小島を見やったところ、妙なものを眼にしてしまった。
 しかし、妙なものと表現するのは、平沢にとって相応しくないかもしれない。何故なら、平沢はそれを人間と理解していたのだから。
 その人間は男性で、年齢は分からないが、紺のジャンパーに黒のズボン姿で、常緑樹に覆われている岸辺に、俯きになって倒れていた。その様は正に尋常ではないといえるだろう。
 それで、平沢は思わず、
「人が倒れている!」
 と、大声で言った。平沢には連れがいなかったので、一緒に乗船してる他の人の注意を促す為に大声で言ったのである。
「本当だ! 人が倒れてる!」
 と、甲高い叫び声を上げた。
 その男性の叫び声を耳にした乗客たちも俯きになって倒れてるその男性を眼に留めたのか、それぞれ悲鳴のような声を発した。
 だが、その声は、遊覧船の操縦士には聞こえなかったようだ。遊覧船の操縦に神経を集中していたのかもしれない。
そういった状況であったが、最初に叫び声を上げた五十位の男性は、平沢に、
「操縦士に知らせなければなりませんね」
 と、渋面顔で言った。
「正にそうですね」
 と、平沢は肯いた。
 それで、その男性は直ちに操縦士、即ち、高田誠(45)に、事の次第を説明した。そして、
「あの男性を眼にしなかったですかね?」
 と、幾分か表情を強張らせては言った。
 すると、高田は前方を見やりながら、
「眼にしなかったですね」
 と、小さく頭を振った。
 そんな高田に、男性は、
「そうですか。でも、あれはただ事ではないですよ。何とかしなければならないと思うのですが」
 と、今度は険しい表情を浮かべては言った。
 すると、高田は男性の方を見やっては、
「どの島に倒れていたのですかね? もう一度説明してもらえないですかね?」
 それで、男性は、
「ほら! あの島です!」
 と、後方を見やっては、男性が倒れていた島を指差した。
 とはいうものの、遊覧船は速度を落とすことなく、ぐんぐんと進んでいたので、その島はどんどんと遠ざかって行った。
 だが、高田はその島を確認したようだ。何故なら、
「分かりました。直ちに事務所に連絡します」
 と言っては、高田は携帯電話で直ちに事の次第を伝えたのであった。
 それで、男性は元の席に戻った。それと共に、船内は元の平穏さを取り戻したのであった。そして、船内には再び観光案内のテープが流れ始めたのであった。
 程なく、遊覧船からは何ら遮蔽物を介することなく、駒ヶ岳を眼にすることが出来た。そして、平沢たちはまだしばらくの間、駒ヶ岳の雄姿に眼を奪われていたのだが、遊覧船が方向転換し、小沼目指して進み始めると、平沢の視界からは駒ヶ岳の雄姿は消えてしまった。
 といっても、辺りの光景は決して平沢たちを退屈はさせなかったのである。

     2

 丁度その頃、高田から連絡を受けた高田が勤務してる大沼興業の係員が二人、モーターボートで男性が倒れていたという小島に足を踏み出していた。
 その二人の係員、即ち、鈴木二郎(30)と、松野俊弥(32)は強張った表情を浮かべていた。何故なら、この島にあのような恰好で倒れているとなれば、やはり、それはただ事ではないと思ったからだ。しかし、状況を確認してみないと、滅多なことは口に出来ないというものであろう。
 それで、鈴木はとにかく、男性の肩を摑んでは、
「もしもし」
 と、男性に声を掛けた。しかし、反応はない。
 それで、鈴木は男性を仰向けにしてみた。
 すると、鈴木は、
「わっ!」
 と、小さな叫び声を上げては、後退りしてしまった。何故なら、男性の胸の辺りが血のようなもので赤黒く白のシャツを染めていたからだ。
 また、男性の様から、男性は既に絶命してると察知した。
 それで、松野に、
「死んでるよ」
 と、囁くように言った。すると、松野は黙って肯いた。
 そんな松野に鈴木は、
「じゃ、俺は今から事務所に戻って110番するよ。松ちゃんはここで待っていてくれないかな」
「分かったよ」
 その時、二人が上陸してる小島の傍らを観光客を乗せたモーターボートが疾風のように疾走して行った。モーターボートの観光客は、一体何事が起ったのだろうかと言わんばかりの眼差しを鈴木たちに向けたが、観光客を乗せたモーターボートは、正にあっという間に、鈴木たちの許から去って行ったのであった。
 やがて、鈴木から連絡を受けた大沼駐在所の世良一(28)と菅沼敏(29)という若い巡査が、鈴木が操縦するモーターボートで、件の小島に到着した。
 世良と菅沼がやって来ると、鈴木は、
「あの男性です!」
 と、絶命してる男性を改めて示した。
 世良と菅沼は、鈴木に説明されなくても、その男性のことを眼に留めていたが、その男性は四十位に見受けられたが、どういった職業についていたのかは、よく分からなかった。
 とはいうものの、胸の辺りから出血し、また、苦悶の表情を浮かべていたことから、男性の死は殺しによってもたらされたということは、自ずから察せられた。
 それで、世良は、
「ナイフなんかが、この辺りに落ちていなかったですかね?」
 そう世良に言われ、鈴木は改めて辺りを見回したが、そのようなものは、発見出来なかった。
 それで、その旨を説明した。
 すると、世良は、
「ふむ」
 と、呟くように言うと、菅沼が辺りの様を写真に撮った。そして、世良が、
「あの男性はいつ頃から、この島であのような状態でいたのでしょうかね?」
 と、眉を顰めては言った。
「昨日はまだいなかったと思いますね。あの男性が横たわっていた辺りは、遊覧船なんかから容易く眼に出来ますからね。でも、昨日はそのような報告がなかったですからね」
 と、鈴木は眉を顰めた。
「遊覧船の乗客が見落としたという可能性はなかったのですかね?」
「そりゃ、なかったとは断言出来ませんが……。でも、この辺りはモーターボートが頻繁に行き来してますからね。ですから、昨日からこの場所に遺棄されていたのなら、眼にされた筈ですよ」 
 と、鈴木は説明した。
 すると、世良は、
「成程」
 と言い、そして、
「では、男性を殺した犯人が湖畔からゴムボートであの小島に行こうと思えば、行けますかね?」
「そりゃ、行けることには行けますが……」
 と、鈴木は呟くように言った。
 すると、世良は、
「恐らくそうしたのでしょう」
 と、眉を顰めた。
 やがて、消防団員を乗せたモーターボートがやって来ると、男性の遺体を担架に載せては、小島を去って行った。
 それに続いて、世良と菅沼も現場を後にすることになった。

     3

 大沼湖の小島で身元不明の男性の遺体が発見されたことは、その日の夕刊とかTVで報道された。
 それを受けて、その男性に心当りあると言った十人程の男女が、男性の遺体が安置されている函館市内のM病院に姿を見せたが、身元確認には至らなかった。
 しかし、翌日、即ち、六月一日の午前十時頃、男性の身元が明らかとなった。その男性は苅田利男という札幌に住んでいた四十二歳の男性であったのだ。
 何故苅田利男と確認出来たのかというと、苅田は嘗て窃盗事件を起こし、その罪で逮捕された前科者であったのだ。それ故、苅田の指紋が警察に保管されていたのである。
 そんな苅田である故、今回、被害に遭ったのは、決して偶然ではないように思われた。

 苅田の死は、苫小牧に住んでいる苅田の両親に直ちに伝えられた。
 だが、苅田の父親はかなり痴呆症が進んでいて、今、病院暮らしだとのことだ。それで、母親の花子が、苅田の遺体が安置されているM病院に駆けつけることになった。
 花子は苅田の遺体に対面すると、
「利男に間違いありません」
 と言っては、項垂れた。
 そんな花子に、苅田の事件の捜査の指揮をとることになった北海道警捜査一課の速水速雄警部(50)は、苅田の遺体が発見された経緯を改めて説明した。
 すると、花子は、
「利男は殺されたというのですかね?」
 と、表情を強張らせては言った。
「司法解剖とか現場の状況からして、間違いありません」
 と、速水は言いにくそうに言った。
 すると、花子は速水から眼を逸らせては言葉を詰まらせた。
 そんな花子に速水は、
「で、それに関して、何か心当りありませんかね?」
 と、花子の顔をまじまじと見やっては言った。
 だが、花子は黙って頭を振った。
「では、利男さんは、二年前に窃盗罪で逮捕され、僅かな期間ではありますが、刑務所暮らしを行なったのですが、出所後、どういった仕事をされていたのですかね?」
「それが、よく分からないのですよ。それに関して、利男は何も説明しませんでしたので……。もっとも、札幌に住んでいたことは分かっていたのですが……」
 と、花子は決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
「では、利男さんの交友関係は分からないですかね?」
「私では、分からないですね」
 と、花子は頭を振った。
 それで、速水はこの辺で一旦、花子への聞き込みを終え、捜査本部の置かれている函館中央署に戻ることにした。
 すると、その頃、苅田が二年前に犯した窃盗事件の詳細が明らかになっていた。
 若手の野村刑事(29)が、それを直ちに速水に説明することになった。
「苅田さんは、金に困っていたのですよ。サラ金にかなりの借金があったのです。それで、郊外に住んでいる開業医宅に忍び込んだのですが、呆気なく未遂に終わったのですが、苅田が窃盗を企てたのが三回目ということから、実刑判決が出て、僅かな期間ですが刑務所暮らしを経験してるのですよ」
 と、野村刑事は説明した。
「何故苅田さんは金に困っていたんだい?」
「遊興費ですよ。サラ金から金を借りては、遊んでいたのですよ」
「その頃、苅田さんはどんな仕事をしていたのですかね?」
「トラックの運転手をしていたそうですよ」
「出所後は、どんな仕事をしていたのかな?」
「それは、まだ分かってません」
「じゃ、その調書を書いた白石署の小鹿警部補に話を訊いてみるよ」
 と言っては、速水は白石署の小鹿警部補に電話を掛けた。
―小鹿ですが。
「捜査一課の速水です」
―お世話になっています。
「小鹿さんは二年前に開業医宅に窃盗を企て逮捕された苅田利男の事件を覚えていますよね?」
―勿論覚えていますよ。
「その苅田が先日、大沼湖の小島で他殺体で発見されたのですよ」
―そうでしたか。でも、それは初耳ですね。
 と、小鹿は些か驚いたように言った。
「で、死亡推定時刻も明らかになっています。
 それは、五月三十日の午後八時から九時で、死因は心臓を刃物で刺されたことによるショック死ですね」
―ということは、明らかに殺人ですね。
「そうです。で、小鹿さんは苅田の死に関して、何か心当りありませんかね?」
 と、速水は眼を大きく見開いては言った。小鹿が何か思うことがあるのではないかと思ったのだ。
 だが、小鹿は、
―特に心当りないですね。
 と、申し訳なさそうに言った。
「そうでしたか。では、苅田はどんな男だったのですかね? 苅田は前科者だったから、殺されるようなトラブルを抱えていて不思議ではないと我々は見ているのですがね」
―確かに速水さんのおっしゃる通りだと思います。苅田は素行がよくなかったらしいですからね。
 苅田は高校卒業後、様々な職業を経験してるのですよ。飲食店の店員、土木作業員、トラックの運転手といった具合に。
 どの仕事も長続きせず、また、同僚とか上司との間で、度々トラブルを起こしていたみたいですよ。また、学生時代も、万引きをしたり、先生に楯突いたりする問題児だったそうですよ。
 苅田が初めて刑事事件を犯したのは三十の時ですが、苅田を知ってる人の話だと、もっと前に刑事事件を起こしても不思議ではないと言ってましたね。
「では、苅田が最近、どういった仕事をやっていたか分からないですかね?」 
―それは、分からないですね。
「じゃ、苅田の交友関係は分からないですかね?」
―二年前に事件を起こした当時の会社の同僚に僕は聞き込みを行ないましたね。何しろ、苅田には余罪があったかもしれませんからね。
「じゃ、その会社のことを教えてもらえないですかね?」
―亀田運送という会社でしたね。白石区にある従業員五十人位の会社でしたね。
「分かりました。じゃ、亀田運送で話を聞いみますよ」
 速水は小鹿との電話を終えた後、直ちに亀田運送に行っては、苅田のことを訊いてみた。
 すると、苅田の上司だったという中田という五十位の男が速水の前に姿を見せた。
 そんな中田に、速水は、苅田が先日、大沼湖の小島で他殺体で発見された経緯を説明した。そして、
「そのことをご存知ですかね?」
 と、中田の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、中田は、
「知らなかったですね」
 と、驚いたような表情を見せた。
「苅田さんは亀田運送で働いていた時に窃盗事件を起こしたのですよね?」
「そうです。その為に、うちの会社を馘になったのですよ」
「そうですか。で、苅田さんという男は、いつ刑事事件を犯してもおかしくないような男だったとか」
「そうですね。うちの社員とよく些細なことで喧嘩をしていましたし、また、我々上司に対しても、よく楯突きましたからね。
 非常に性格の荒っぽい男であったので、我々もその内に何か問題を仕出かすのではないかと、言い合っていたのですがね。案の定、窃盗事件を起こしました。まあ、我々の監督が甘かったのかもしれませんが、馘になっても、やむを得なかったですね」
 と、中田は神妙な表情で言った。
「苅田さんが亀田運送を辞めてから、どのような仕事をしていたか、分かりますかね? また、苅田さんの死に関して何か心当りありませんかね?」
「僕では分からないですね」
「では、そのことに心当りありそうな人物はいませんかね?」
「そうですね。矢野君なら何か情報を持っているかもしれませんね。矢野君は結構苅田君と親しくしていましたからね」
「じゃ、矢野さんと話をしたいのですがね」
「今は、この事務所にいませんね。じゃ、電話してみましょうか」
「そうしてもらえますかね」
 中田が矢野の携帯電話に電話したところ、電話は繋がった。それで、速水が中田と話をすることになった。
 速水はまず自己紹介した後、
「仕事中で申し訳ないですが、以前、亀田運送で働いていた苅田利男さんのことで訊きたいことがあるのですがね」
―苅田君のことですか。で、どんなことですかね?
「苅田さんが一昨日、大沼湖の小島で他殺体で発見されたことをご存知ですかね?」
―いいえ。知らなかったですね。今、初めて知りましたよ。
 と、矢野は些か驚いたように言った。
「そうですか。で、我々は今、苅田さんの事件を捜査してるのですが、犯人とか動機に関して、何か心当りありませんかね?」
―特にないですね。
「では、亀田運送を辞めてから、苅田さんがどういった仕事をしていたのか、また、どういった暮らしをしてたかなんてことを、矢野さんはご存知ないですかね?」
―苅田さんは亀田運送を辞めてから、刑務所に収監されたのですが、四ヶ月で出所したそうです。
 出所してから三ヶ月経った頃、僕は苅田さんに電話したことがあるのですが、その頃、苅田さんは仕事をしてなかったようですよ。
 と、矢野は淡々とした口調で言った。
「そうですか。でも、苅田さんは金がなかった為に窃盗を行なったのですがね。また、サラ金に借金があったとのことですが、それなのに働かずにどうやって遣り繰りしていたのでしょうかね?」
―さあ、どうやって遣り繰りしていたのでしょうかね。そこまで、僕は訊きませんでしたからね。
「それに関して、情報を持ってそうな人物に心当りありませんかね?」
―亀田運送の関係者では誰も知らないと思いますよ。何しろ、亀田運送の中では、僕が苅田さんと一番親しかったですからね。その僕が知らないとなれば、誰も知らないだろうということですよ。
 と矢野は言っては、小さく肯いた。
 それで、速水は矢野との電話を終えることにした。
 そして、この辺で亀田運送を後にすることにした。 
 亀田運送を後にすると、速水は望月刑事(30)に、
「苅田さんはサラ金から幾らか知らないが金を借りていたんだ。そんな刈田さんが働かずに遣り繰り出来る筈はない。それ故、苅田さんが借りていたサラ金がどうなったかを調べてみよう」

    4

 ということになり、まずそれに関して、苅田の母親に訊いてみることにした。 
 すると、花子は、
―私たちは、利男にお金の援助はしませんでしたね。何しろ、そんな余裕は私たちにはありませんでしたから。
 と、神妙な表情で言った。
「では、どうやって利男さんがサラ金の返済をしたのか、それに関してご存知ですかね?」
―いいえ。全く知らないのですよ。
 という具合であった。
 それで、速水は早々と花子との電話を切り上げた。
 花子との電話を終えると、速水は、
「正に、この点は大いに引っ掛かるな」
 と、眼を大きく見開き、険しい表情を浮かべた。 
 しかし、それはもっとものことだ。何故か、苅田はサラ金の返済をスムーズに終えたかのようだからだ。だが、その資金先に不審なものを感じるというのは、当然であろう。そして、その不審点の中に今回の苅田の事件の謎が潜んでるのではないのか?
 速水はそのように推理したのである。
 それで、改めて亡き苅田の部屋が捜査されたのだが、その資金先に関して特に新たな手掛かりを得ることは出来なかった。
 それで、とにかく苅田のアパートの住人に聞き込みを行なってみることにした。
 そして、まず苅田の部屋の隣の住人から話を聞いてみることにした。それは、202号室の長崎真澄という住人であった。
 速水が玄関扉横のブザーを押すと、程なく三十位の女性が姿を現わした。
 それで、私服姿の速水はすかさず警察手帳を見せ、
「長崎さんは先日隣室の苅田さんが大沼公園で他殺体で見付かったのをご存知ですか?」
 と訊くと、長崎真澄は、
「それ、本当ですか!」
 と、いかにも驚いたかのように言った。
「ええ。新聞とかTVに出ていたのですがね。それに、我々も隣室に姿を見せていたのですがね」
 と、速水が言うと、真澄は、
「ここしばらくの間、友人の家にいましたので」
 と、決まり悪そうに言った。
「そうでしたか。で、隣室の苅田さんは、どういった暮らしをしていたのでしょうかね?」
「さあ……。よく分からないですね。でも、昼間も結構家にいた時がありましたよ。ですから、普通のサラリーマンではなかったようには思っていたのですがね。
 それに、時々、女の人を連れ込んでは、よく騒いでいましたからね。ですから、私は迷惑していましたね」
 と、真澄は眉を顰めては言った。そして、
「一度、苅田さんがこの近くで女性を連れて歩いてるのを眼にしましたよ。その女性は若くて綺麗な方でしたから、苅田さんはどうやってものにしたのかと、思っていたこともありましたね」
「その女性がどういった女性なのか、分からないですかね?」
「それは、分からないですね」
 と、真澄は再び眉を顰めては言った。
「では、苅田さんは何者かに殺され、その遺体が大沼公園の小島で発見されたのですが、その犯人とか動機に関して、何か思うことはありませんかね?」
「まるで、ありませんね」
 長崎真澄に対する聞き込みはこのような具合であった。
 そして、他の部屋の住人に対しても、このような具合に聞き込みを行なってみたのだが、特に成果を得ることは出来なかった。
 とはいうものの、長崎真澄に聞き込みを行なって、ある程度の成果は得られた。
 というのは、出所後、苅田は定職についてるようでなかったにもかかわらず、悠々と生活していたことが、浮かび上がったからだ。
 そして、そのことが、苅田の事件に繋がった可能性は充分にあるだろう。
 それで、この点に関して、速水は部下の刑事たちと意見を交わしたが、苅田が再び窃盗事件を犯し、不正に金を手にした可能性があるということになった。
 それで、苅田が不正な金を手にしたと思われる頃の窃盗事件などを洗い出し、苅田が関係してそうな事件をピックアップしてみようとした。
 だが、特に成果は得られなかったのだ。
 その結果を受け、速水は、
「苅田の部屋に来ていたという女性のことが分かれば、捜査は進展すると思うのだが」
 と、渋面顔で言った。
「そうですね。でも、その女性の手掛かりはまるでないですね」
 と、望月刑事も速水と同じような顔で言った。
 そして、二人の間で少しの間、沈黙の時間が流れたが、やがて、速水が、
「しかし、苅田さんは一体幾ら位、サラ金から借りていたのだろうか? また、幾ら位の金を手にしたのだろうか」
 と、呟くように言った。実のところ、その点に関しては、まだ明らかにしてなかったのである。
 それで、その捜査が早速行なわれることになった。
 すると、苅田が刑務所から出所して間もない頃に、苅田は大手サラ金のPなどに五百万程の返済を一気に行なったことが明らかとなったのだ。
 また、サラ金に返済しただけでなく、その頃にK銀行に五百万ものお金を入金したことまで明らかとなったのだ。
 この事実を受け、速水は、
「苅田の事件は、正にこの金が絡んで発生したのだろう」
 と、眼を大きく見開き、輝かせては言った。そして、小さく肯いた。正にその通りだと思ったからだ。
 とはいうものの、苅田がいかにして、その金を手にしたのか、また、苅田と付き合っていた女性が誰なのかということは、まだ分かりそうもなかった。というのも、苅田が出所後、定職についていなかったようなので、交友関係が分からず、また、苅田が亀田運送で働く以前に働いていた飲食店や建設会社の従業員、更に学生時代の同級生などにも聞き込みを範囲を拡げ、捜査してみたのだが、成果を得られなかったからだ。
 その結果、果して苅田の事件を解決出来るのかという不安が捜査陣の中に漂い始めても決して不思議ではなかったのである。

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