第三章 追及

     1

 速水が伊達署に五月女の先妻の轢き逃げ事件のことを問い合わせてみると、中村速雄という警部補が電話に出た。
 そんな中村は、
―僕が五月女由美さんの事件を担当してる者ですが。
「その事件はいつ発生したのですかね?」
―五年前の五月二十三日ですよ。
「犯人はまだ挙がってないのですかね?」
―そうです。
「犯人の手掛かりはまるでないのですかね?」
―そうなんですよ、その日はかなり雨が降っていましてね。それで、由美さんを轢いた車の手掛かりを洗い流してしまったのですよ。また、目撃者もまるでいなかったことなどから、犯人の目処はまるで立っていないという状況なんですよ。
 と、中村はいかにも決まり悪そうに言った。
「洞爺湖のどの辺りで被害に遭ったのですかね?」
―中心街から少し離れた所にあるPホテルの駐車場の入口付近ですよ。夜の八時から九時の間でしたがね。
「どうしてそんな時間に由美さんは外出したのでしょうかね?」
―それは分かっていません。でも、駐車場近くのホテルに一人で泊まっていたのは、間違いないのですよ。
「どうして一人で泊まっていたのでしょうかね?」
―由美さんは元々、一人旅が好きであったそうですよ。ご主人がそのように言ってましたから。
「そうですか。で、もう一度訊きますが、犯人の手掛かりはまるでないのですかね?」
―そうなんですよ。
 と、中村はいかにも決まり悪そうに言った。
「じゃ、迷宮入りしてしまうかもしれないのですかね?」
―そうなるかもしれませんね。
 と、中村は力無い声で言った。
「由美さんの死は、轢き逃げによってもたらされたということは、間違いないんですかね?」
―それは間違いないですよ。解剖の結果、そのように判断されたわけですから。
 すると、速水も、
「そうですか」
 と、力無い声で言った。
 そんな速水に、中村は、
―何故、今になって、そのことに関心を待たれるのですかね?
 と、興味有りげに言った。
 それで、中村は苅田の死から、何故五月女家に関して興味を持ち始めたのか、その凡そを説明した。
 すると、中村は、
―成程。
 と言ったものの、
―今までに由美さんが故意に轢かれたと思ったことはなかったですね。
 と、渋面顔を浮かべては言った。
 そんな中村に、
「そりゃ、五月女家の災難が由美さんの死で終われば、僕もそのようなことにまで考えを膨らますことはなかったと思いますよ。でも、五月女家の災難は、由美さんの死に留まらず、その事件が発端となり、第二、第三の事件へと発展したかもしれないのですよ」
 と、速水は力強い口調で言った。そんな速水は、まるでその推理に強い自信を持ってるかのようであった。
 そう速水に言われると、中村は、
―そうですか。
 と言ったものの、
―でも、今までの捜査では、五月女家を恨んでるような人物の情報は、まるで入っていないですね。
 と、力無い声で言った。
 それで、速水はこの辺で中村との話を終えることにした。
 速水は中村との電話を終えると、その内容を野村刑事に話した。
 すると、野村刑事は、
「困りましたね」
 と、渋面顔を浮かべた。即ち、由美の事件で容疑者がいれば、その容疑者を捜査していこうと、速水も野村刑事も思っていたのだが、そうはならなかったというわけだ。
 それで、二人の間で少しの間、沈黙の時間が流れたが、やがて、今度は五月女の後妻の治子に対する捜査を行なってみることとなった。

     2

 五月女宅は、函館空港近くにあった。
 五月女宅は流石に不動産会社の社長宅だけあって、外からは中の様子を窺うことが出来ない高塀に囲まれ、敷地は三百坪程はあると思われた。
 だが、そんな五月女宅を訪問する前に、まず近所の住人から話を聞いてみることにした。
 五月女宅の二件隣にある吉岡宅のインターホンを押すと、婦人が出たので、速水は来意を話した。 
 すると、程なく五十の半ば位の婦人が姿を見せた。
 その婦人、吉岡昌子は、
「五月女さんのどういったことを知りたいのですかね?」
 と、真顔で言った。そんな昌子は、警察相手の話に幾分か緊張してるかのようであった。
「五月女家の娘であった京子ちゃんは、二年前に大沼湖に落ちて、水死しましたね」
「そうらしいですね」
 と、昌子は神妙な表情で言った。
「京子ちゃんは五月女さんと先妻との子供だったそうですね」
「そうらしいですね」
「ということは、後妻の治子さんは、京子ちゃんのことを嫌っていたのではないですかね?」
 と、速水が言うと、昌子は、
「そんなことはないですよ。治子さんは京子ちゃんのことを実子のように可愛がっていましたよ」
 と、速水の顔をまじまじと見やっては言った。
「しかし、実子ではないから、引っ掛かるものがあったのではないですかね」
「そりゃ、治子さんの心の中までは分からないですよ。でも、よく京子ちゃんの手を引いて歩いてる治子さんの姿を眼にしましたがね」
「そうですか。で、五月女さんと治子さんとの間には、今は子供はいないのですよね?」
「一度、懐胎されたそうですが、流産されたそうですよ」
「そうでしたか。で、先妻の由美さんは洞爺湖の近くで轢き逃げに遭ったのですよね」
「そうらしいですね」
「それに関して、近所の人たちは、どのように言っておられますかね?」
 そう速水が言うと、昌子は怪訝そうな表情を浮かべては、
「それ、どういうことですかね?」
 すると、速水は笑顔を繕っては、
「例えば、誰かが意図的に由美さんを轢き殺したとかいうことですよ」
「まさか! そんな噂は全然、耳にしたことはないですね」
 と、昌子は声高に言った。
 そう昌子に言われ、速水は、
「そうですか」
 と、些か気落ちしたように言った。だが、
「では、五月女さんは、誰かに恨まれていなかったですかね?」
 と、依然として速水の脳裏に蟠っている思いを言った。
 すると、昌子は、
「そういった話は耳にしたことはないですね」
 と、眉を顰めた。
「では、五月女さんと先妻の由美さんとの仲は、どんなものでしたかね」
 と、速水が言うと、昌子は、
「五月女さんと由美さんの仲ですか」
 と、渋面顔で言った。
 そんな昌子を眼にして、速水は、
「五月女さんと由美さんとの仲は、うまく行ってなかったのではないですかね?」
 と、昌子の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、昌子は決まり悪そうな表情を浮べては、
「あまり良くなかったかもしれませんね」
 と、速水から眼を逸らせては言った。
「それは、何故ですかね?」
 速水は好奇心を露にしては言った。
「そうですねぇ。近所の人たちの噂では、五月女さんの女遊びが原因だったみたいですよ」
「女遊びですか……」
 速水は呟くように言った。
「ええ。そうです。五月女さんは背が高く、ハンサムですから、女の人によくもてるのですよ。つまり、五月女さんの女遊びが原因で、五月女さんと由美さんとのいざこざが絶えなかったそうですよ」
 と、昌子は流暢な口調で言った。
「ということは、五月女さんと由美さんは、しょっちゅう喧嘩をしていたのですかね?」
 と、速水。
「そういった噂も耳にしたことはありますね」
 と、昌子は眼を輝かせては言った。そんな昌子は、正に世間話をするのが、好きだと言わんばかりであった。
「ということは、二人は離婚しそうな状況だったのですかね?」
「さあ……、そこまでは知らないですね」
 と、昌子は苦笑した。
「じゃ、五月女さんと由美さんの馴れ初めは、どんなものなんですかね?」
「見合いですよ。見合い結婚したそうですよ」
「見合い、ですか。五月女さんは、女性によくもてたんじゃないですかね?」
 速水は、些か納得が出来ないと言わんばかりに言った。
「五月女さんの父親が勧めたそうですよ。まあ、勢力結婚だったのではないですかね。五月女さんのお父さんは不動産業を営んでおられましたし、また、由美さんの実家もお金持ちだったそうで。それに、由美さんは綺麗な方でしたから、五月女さんにとって不足はなかったのではないですかね」
「でも、五月女さんは浮気をし、それが、いざこざの元だったのですよね?」
「そうだったみたいですよ」
「では、五月女さんは、今の奥さんである治子さんと、どのようにして知り合われたのですかね?」
 速水は、興味有りげに言った。
 すると、昌子は眉を顰めては、
「それがですね。治子さんは、以前、水商売に従事していたらしいのですよ」
 と、ひそひそ話をするかのように言った。
「近所の人がそのように言っていたのですかね?」
「そうです。それで、私はこの点に関して治子さんに訊いてみたのですが、治子さんははっきりとおっしゃらなかったですね。要するに、あまり触れられたくない部分なんでしょう」
 と、昌子は言っては、
「あら、いやだ! 刑事さん。私がこのようなことを言ったなんて、治子さんには言わないでくださいね」
 と、決まり悪そうに言った。
 それで、速水は、
「勿論、言いはしませんよ」
 と、笑顔を見せては言った。 
 だが、速水はこの時、五月女と由美とのいざこざの原因は、治子の存在にあったのではないかと思った。だが、そう思ったのは、速水だけではなかった。野村刑事もそのように思ったのである。
 それで、野村刑事は、
「五月女さんと由美さんのトラブルの元は、治子さんの存在だったのではないですかね?」
 と、昌子の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、昌子は、
「そうかもしれませんね。実のところ、私たちもそのように噂していたのですよ。五月女さんは由美さんを失ってから一年も経たない内に治子さんと再婚されてますからね。それ故、五月女さんは由美さんが健在だった時から、治子さんと付き合っていたのでしょうね」
「ということは、由美さんが事故死したのは、五月女さんにとって好都合だったのでしょうかね。不謹慎な言い方になりますが」
 速水がそう言うと、昌子は些か険しい表情を浮かべては、
「そのようなことはないと思いますがね」
「では、五月女さんは由美さんが亡くなられてから、とても落ち込んでいましたかね?」
「そりゃ、そうだったと思いますが」
「でも、その当時、五月女さんは由美さんとはうまく行ってなかったのではないですかね。それ故、五月女さんは由美さんが死んでも、あまり哀しくはなかったのではないですかね」
 と、速水は昌子の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、昌子は、
「私は五月女さんではないので、五月女さんの心の中までは分からないですよ。でも、五月女さんは由美さんを亡くして、とても哀しそうにしていたようには見えましたがね」
 と、昌子は淡々とした口調で言った。
「そうですか」
 と、速水は口ではそう言ったものの、この時、速水は、由美を轢き逃げに見せかけて殺したのは、五月女ではなかったのかという思いが脳裏を過ぎった。
 由美が亡くなった頃は、五月女と由美との仲は、思わしくなかった。恐らく、その原因は治子にあったのだろう。治子が勤務してるクラブなんかに五月女は出かけ、治子を知り、五月女は治子にのめり込んで行ったのだろう。
 となると、五月女にとって由美の存在が邪魔になった可能性は充分にある。それ故、五月女が由美を轢き逃げに見せ掛けて殺した可能性は充分に有り得るというものだ。
「で、由美さんを轢き逃げした犯人はまだ見付かっていないのですが、それに関して何か噂はないですかね?」
「噂とは?」
「例えば、あの人物が意図的に由美さんを轢き殺したのではないのかというようなことです」
 と速水は言っては、小さく肯いた。
 すると、昌子は、
「まさか! そのような噂は耳にしたことはないですね」
 と、声高に言った。
「では、何故由美さんは亡くなられた日に、洞爺湖に行ったのでしょうかね?」
「そのようなことを私に言われても、私では分からないですわ」
 昌子にそう言われ、この辺で速水は昌子に対する聞き込みを終えることにした。
 昌子宅を後にすると、速水は、
「今、閃いたんだが、京子ちゃん殺しを企て実行したのは、五月女さんと治子さんの二人であったのかもしれないな」
 と言っては、眼をキラリと光らせた。
 すると、野村刑事は、
「僕はその可能性は小さいと思いますね。幾ら何でも我が子を殺しはしないと思いますがね」
「いや。そうとも限らないよ。前妻との子供を殺したという事件は、今までに発生してるからな」
 速水がそう言うと、野村刑事は言葉を詰まらせた。
 だが、速水は、
「でも、そうだとしたら、苅田を雇う必要がなくなってしまうよ。となると、苅田の死をうまく説明出来なくなってしまうというわけだ」
 と、困惑したように言った。
 そんな速水に野村刑事は、
「ですから、もし京子ちゃんの死に五月女さんたちが関係してるとなれば、五月女さんか治子さんのどちらか一方ですよ。そして、犯人が五月女さんなら、治子さんは五月女さんが京子ちゃんを殺したことを知らないし、また、治子さんが犯人なら、五月女さんは治子さんが京子ちゃんを殺したことを知らないというわけですよ」
 と言っては、小さく肯いた。
 そう野村刑事が言うと、速水は、
「成程。そういった見方が出来ないわけでもないな」
「そうですよね。で、苅田さんの死は、心臓の辺りを刺されたことによるショック死ですから、治子さんでも、苅田さんを殺せないわけではないですよ」
 と、野村刑事は言っては、小さく肯いた。
「じゃ、今度は治子さんから話を聴いてみよう。吉岡さんたちから色んな情報を入手出来たから、もう治子さんから話を聴いても大丈夫だ」

     3

 五月女宅は吉岡宅のすぐ近くだから、五月女宅にはすぐ着くことが出来た。
 もっとも、今は午後二時なので、治子が在宅してるかどうかは、分からなかった。
 それはともかく、速水がインターホンを押すと、治子と思われる女性が応答したので、速水は来訪の旨を話した。
 すると、程なく檜造りの門扉が開き、治子が姿を見せた。 
 そんな治子を一眼にして、速水は〈綺麗だ〉と思った。治子は優雅な気品に満ち、正に街を歩けば、人目を惹くに違いない女性と思ったのだ。
 それはともかく、
「五月女治子さんですかね?」
 と、私服姿の速水は警察手帳を見せた後、その女性にそう言った。
「ええ。そうですが」
 治子は小さな声で言っては、小さく肯いた。
「実はですね。五月女さんに少し訊きたいことがありましてね」
「私に訊きたいこと? それ、どんなことですかね?」
 治子は怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「二年前の五月十五日に、五月女さん一家が大沼公園に行った時に、京子ちゃんを亡くしましたね」
「ええ」
「その件について、少し訊きたいことがあるのですよ。即ち、その時のことをもう一度説明してもらいたいのですよ」
 と、速水は治子の顔をまじまじと見やっては言った。
「ですから、私たちはその日、朝一番の大沼湖巡りの遊覧船に乗りました。朝一番ということもあり、乗船客の数は少なかったということを覚えています。
 で、私たちは遊覧船の後部デッキにいました。
 で、後部デッキの縁に置かれていた長椅子に座って、私たちは辺りの光景に眼をやっていたのですが、私と主人が京子から少し眼を離していた隙に、京子は遊覧船から大沼湖に落ちてしまったのですよ。そのことに、私と主人が気付いた時は、遊覧船と京子との距離はかなり離れていたのです。でも、主人が大沼湖に飛び込み、京子を助けようとしたのですが、間に合わなかったのですよ。また、主人も後少しで溺死してしまうところだったのですよ」
 と、治子はいかにも、もうそのことは思い出したくないと言わんばかりの表情と口調で言った。そして、その内容は速水が五月女から聞いたのと同じようなものであった。
「成程。でも、後部デッキの手摺を京子ちゃんはよく乗り越えたものですね?」
「ですから、鉄棒なんかで遊んでると錯覚してしまったのではないでしょうか。何しろ、三歳でしたからね」
 と、治子は神妙な表情で言った。
「でも、幾ら三歳だったとしても、危険は避けようとする本能が働くのではないでしょうかね」
 と、速水は冷ややかな口調で言った。
「いいえ。そうではないですよ。京子はまだまだ物事の善悪を判断出来るには至っていなかったのですよ」
 と、治子は神妙な表情と口調で言った。
 そう治子が言ったので、速水は、
「成程」
 と言い、そして、
「で、プライベートのことに言及して申し訳ないのですが、京子ちゃんは治子さんの実子ではなかったのですよね」
 と、速水が言うと、治子の表情はさっと蒼褪めた。
 だが、治子はすぐに表情を元に戻すと、
「ええ」
 と言っては、小さく肯いた。
 すると、速水も小さく肯き、そして、
「こんな言い方をするのは申し訳ないのですが、奥さんは京子ちゃんのことを実子と同じように思っていましたかね?」
 と、言いにくそうに言った。
 すると、治子は、
「思っていましたよ」
 と、毅然とした表情で言った。
「そうでしたか。で、奥さんは一度、流産なされたとか」
「ええ。そうです」
「その後、子供をつくろうとなされましたかね?」
 そう速水が言うと、治子は、
「その内につくろうと思っていましたが」
 と、治子はさりげなく言った。
「そうですか。で、このようなことを言うのも何ですが、五月女さんと奥さんとの間に子供が産まれたら、京子ちゃんの存在は、奥さんたちにとってあまり好ましくない存在となってしまうのではないですかね? 再婚した夫の前妻の子供が虐待された例は、枚挙にいとまがないですからね」
 と、速水が言うと、治子はむっとしたような表情を浮かべては、
「私たちは、そのように思ってはいませんでしたわ」
 と、口を尖らせては言った。
「じゃ、五月女さんも奥さんと同じように思っていたのですかね?」
「そりゃ、そうでしょう」
 と、治子は小さく肯いた。
「じゃ、今度は別の質問を行ないますが、奥さんと五月女さんは、いかにして知り合ったのですかね?」
 そう速水が言うと、治子はむっとしたような表情を浮かべては、
「刑事さん。私は何故そのようなことを訊かれなければならないのですかね? 私は何かの事件の容疑者なんですかね?」
 と言っては、速水を睨み付けた。
 すると、速水は、
「いや。そうじゃないですが」
 と、決まり悪そうな表情を浮かべては言った。そして、
「五月女さんはハンサムですし、奥さんも綺麗ですから、どんな馴れ初めがあったのかと思いましてね」
 速水がそう言ったものの、治子は、
「そうですか。でも、幾ら警察の方だといっても、そのようなことまで答える必要はないと思います」
 と、些か不満そうに言った。
「では、五月女さんの先妻の由美さんが、洞爺湖で轢き逃げに遭って死亡し、その犯人がまだ挙がっていないことをご存知ですかね?」
「ええ」 
 治子は神妙な表情で言った。
「その事件に関して、五月女さんはどう言ってますかね?」
「早く犯人を捕らえて欲しい。そうしないと、由美も浮かばれないだろうと、言ってますよ。また、警察は何をしてるんだと、警察に文句を言ってますね」
 と、治子は冷ややかな視線を速水に投げた。そんな治子は、依然として由美を轢き逃げした犯人を挙げることの出来ない速水たち警察のことを非難してるかのようであった。
「そうですか。それは申し訳ないですね。で、由美さんが亡くなられて一年もしない内に、奥さんは五月女さんと結婚されたのですが、奥さんは由美さんが亡くなられる以前から、五月女さんと付き合っておられたのですかね?」
 そう速水が言うと、治子は、
「付き合ってはいませんでしたが、五月女さんのことは知ってはいました」
 と、速水から眼を逸らせては言った。
「ということは、由美さんがまだ生きておられた頃から、五月女さんは奥さんが働いていたお店に客としてやって来たわけですかね?」
 速水は治子がまだクラブのホステスをやっていたと、治子から聞いたわけではないが、そうに違いないと思い、そう言った。また、治子のことは既に捜査してるんだと、治子に思わせ、治子に圧力を掛ける為にも、そう言った。
 だが、治子は率直にそのことを認めた。何故なら、治子は速水から眼を逸らせ、小さな声ではあるが、
「ええ」
 と、言ったからだ。
 すると、速水は、
「やはり、そうでしたか。で、由美さんが亡くなられた後、奥さんは五月女さんから交際を申し込まれたから、付き合うようになり、そして、結婚なされたのですかね?」
 と、治子をまじまじと見やっては、淡々とした口調で言った。 
すると、治子は、
「まあ、そうです」
 と、些か面映ゆそうに言った。
 そう治子に言われると、速水は些か満足そうに肯いた。捜査が一歩一歩前進してると自覚したからだ。
 だが、そんな速水に治子は、
「さっきも訊きましたが、何故私たちのプライベートのことを何だかんだと訊くのですかね?」
 と、些か不満そうに言った。
 すると、速水は、
「その問いに答える前に、奥さんはこの人物のことをご存知ですかね?」
 と言っては、苅田の写真を治子に見せた。
 治子はその苅田の写真をしげしげしげと見やったが、やがて、
「全く知らない人物ですね」
 と、何ら表情を変えずに、淡々とした口調で言った。
「そうですかね……」
 速水は些か落胆したように言った。
 そんな速水に、治子は、
「その人物がどうかしたのですかね?」
 と、眉を顰めては言った。
「その人物は苅田利男さんというのですが、先日、大沼湖の小島で他殺体として発見されたのですよ」 
 と速水は言っては、険しい表情を浮かべた。
「ということは、先日、新聞等で報道された人物のことですかね?」
 治子は、些か驚いたように言った。
 そんな治子の表情を、速水も野村刑事も食い入るように見やった。治子が苅田の死に本当に驚いてるのか、あるいは、演技をしてるのかどうかという具合に。
 それはともかく、速水は、
「ええ。そうです」
 と言っては、小さく肯いた。
「そうでしたか。しかし、そのことが、どう私に関係してるというのですかね?」
 治子は、些か納得が出来ないように言った。
「実はですね。その苅田さんは、京子ちゃんが大沼湖に落ちて亡くなった二年前の五月十五日に、五月女さん一家が乗船していたのと同じ遊覧船に乗船していたという情報を我々は入手してるのですよ」
 と、速水はまるで治子に言い聞かせるかのように言った。
 すると、治子は、
「まあ!」
 と、些か驚いたように言った。そして、
「それ、本当なんですかね?」
 と、半信半疑の表情を浮かべては言った。
「絶対にそうだとは断言は出来ないです。だが、そういった情報があることにはあるのですよ。
 で、その点に関してご主人には確認してみたのですがね。
 すると、五月女さんは苅田をその時、眼にした記憶はないと証言されたんですよ。 
 では、奥さんはどうなのかと、確認してみたのですよ」
 と、速水は治子の顔をまじまじと見やっては言った。
「そうすか。でも、やはり、私もその人物を眼にした記憶はありませんね。
 でも、そのことが、私たちにどう関係してると言われるのですかね?」
 と、治子は些か納得が出来ないように言った。
「実はですね。その苅田さんが意図的に京子ちゃんを大沼湖に突き落としたのではないかという見方も出来ないわけではないのですよ」
 と、速水は言っては小さく肯いた。そんな速水は、そう言った速水の言葉に対する治子の表情の変化を注視しようとした。
 すると、治子は、
「そんなことが有り得るのでしょうか!」
 と、いかにも納得が出来ないように言った。
「ですから、それは飽くまで推理ですよ。絶対にそうだと断言はしませんよ」
 と、速水は治子に言い聞かせるかのように言った。
 すると、治子は、
「そうですか。でも、そのような可能性はまず有りませんね。何故なら、その苅田と思われる男が私たちの傍らにいれば、私たちがそれに気付かない筈はないですからね。でも、実際にはそうではなかったからですよ」
 と、今度は速水に言い聞かせるかのように言った。
 治子にそう言われ、速水は渋面顔を浮かべた。何故なら、確かに治子の言うことは、もっともなことだからだ。
 そんな速水に、治子は、
「でも、刑事さんは何故そのような推測をなされたのですかね?」
 と、些か納得が出来ないように言った。
「実はですね。京子ちゃんが亡くなった頃、苅田さんは千万を超えると思われる位のお金を手にしたのですよ。苅田さんはそんな大金を手に出来る当ては、その頃ありませんでした。それ故、不正な手段で手に入れたと思われるのですが、その不正な手段が京子ちゃん殺しです。即ち、京子ちゃん殺しの報酬として、苅田はそのお金を手にしたかもしれないのですよ」
 と、速水はいかにも落ち着いた口調で言った。
「まさか! 私はそのようなことは信じられませんね。でも、一体、誰がそのようなことを依頼したと刑事さんは思われてるのですかね?」
 と、眉を顰めた。
「奥さんはそのような人物に心当りないのですかね?」
「まるでないですね」
 と、治子は神妙な表情で言った。
「五月女家を恨んでるような人物に心当りないのですかね?」
「全くないですね」
 速水の問いに、治子は即座にそう答えた。
「五月女さんもそう言ってましたね」
 と、速水は渋面顔で言った。
 速水がそう言うと、治子は何やら考え込むような仕草を見せては、少しの間、言葉を詰まらせていたが、やがて、
「刑事さんは私のことを疑ってるのではないですかね? だから、私のプライベートのことを何だかんだと訊いたのではないですかね?」
 と、いかにも険しい表情を浮かべては言った。
 すると、速水は治子から眼を逸らせては、
「一応、可能性の有りそうな人は、疑ってみないとね」
 と、言いにくそうに言った。
 そして、治子を見やった。そんな速水は、治子が速水の言葉にどう反応するか、具に見ようとしたのである。
 すると、治子は、
「それは、あまりにもひどいですよ! 何故、私が苅田という人物に、京子を殺すようにと依頼しなければならないのですか!」
 と、今度は速水を強く非難するかのように言った。
 すると、速水は、
「ですから、疑わなければならない人物は、一応疑ってみなければならないので。それが、我々の仕事なんで。まあ、気を悪くしないでくださいな。
 で、奥さんは五月三十日の午後八時から九時にかけて、何処にいましたかね? 無論、今年の五月三十日ですが」
 と、苅田の死亡推定時刻の治子のアリバイを確認してみた。
 すると、治子は、
「その頃は、この家にいましたよ」 
 と、当然だと言わんばかりに言った。
「じゃ、ご主人はその頃、どうしてましたかね?」
「ちょっと待ってくださいね」
 と、治子は言っては、席を外し、そして手帳を持って来ては眼にすると、
「主人はその日は、出張で外泊してましたね」
「外泊、ですか。どちらで外泊されていたのですかね?」
「松前です。仕事で松前に用があったのですよ」
「いつからいつまで、松前にいたのですかね?」
「ですから、五月三十日と三十一日の二日間ですよ」
 と、治子は言っては、小さく肯いた。
「松前の何というホテルに宿泊されたんですかね?」
「『松風ホテル』というホテルに泊まっていましたね」
「そのホテルは、松前にあるのですかね?」
「そうです」
「五月女さんは、マイカーで松前に行ったのですかね?」
「そうです」
「分かりました。この辺で結構です」
 と、速水は言っては、この辺で治子に対する聞き込みを終えることにした。

     4

 五月女宅を後にすると、速水は野村刑事に、
「どう思う?」
 と、意見を求めた。
 すると、野村刑事は、
「どうも、治子さんは苅田さんの事件には関係はないようですね」
 と、決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
「そうか。野村君もそう思ったか。実は、僕もそう思ったんだ」
 と、野村刑事と同様、決まり悪そうに言った。
「となると、怪しいのは、五月女さんとなりますかね?」
「そうなるかな。五月三十日は、治子さんの証言で松前のホテルに泊まっていたことが分かったが、ホテルなら、夜は外出することは可能だからな。車なら大沼にまで行っては戻って来ることは、充分に可能だよ」
 と、速水は言っては、小さく肯いた。
「そうですよね。松前から大沼までは、充分に往復可能ですからね。大沼で殺したのか、それ以外の場所で殺したのか分からないですが、五月女さんの犯行である可能性は充分にあるというわけですよ」
「そういうわけだ。要するに、苅田に京子ちゃん殺しを依頼し、報酬を渡したが、その後、苅田が新たに金を要求した。そんな苅田のことを五月女さんはもてあまし、苅田を殺さざるを得なかったのだろう。
 で、治子さんが苅田と思われる男を眼にしなかったとのことだが、それはやはり苅田がうまく動いたのだろう」
 と、速水は言っては、小さく肯いた。
「じゃ、早速『松風ホテル』に五月女さんのことを問い合わせてみよう」
「正にその通りですね。でも、いかにして、五月女さんと苅田は接点が生じたのでしょうかね? 五月女さんが苅田に京子ちゃん殺しを依頼したのなら、二人に接点が存在してるに決まってますからね」
「それは分かってるさ。それ故、その捜査を望月刑事に行なってもらおう」
 と、速水は言っては、力強く肯いた。
 そして、「松風ホテル」に直ちに電話をし、五月女のことを訊いてみた。
 すると、田中というフロントマンが、
―確かに五月三十日と三十一日に、函館の五月女謙治という方が宿泊されました。
「その五月女さんは、四十二歳で、長身でしたかね?」
―確か、そのような方でしたね。
「じゃ、五月女さんは三十日の夜、外出してなかったですかね? 外出といっても、車でなんですけど、しかも、四時間以上といった長時間と思われるのですが。
 そう速水が言うと、田中は、
―それは、分からないですね。
 と、些か申し訳なさそうに言った。
「夜に外出する時、フロントに鍵を預けないのですかね?」
―そりゃ、預けるシステムになってはいるのですが、預けないで外出されるお客さんもいらっしゃいますので。
「となると、五月女さんが外出していても、分からなかったという可能性もあるのですかね?」
―そりゃ、ありますね。
 そう田中に言われ、速水は渋面顔を浮かべた。だが、すぐに表情を元に戻し、
「では、駐車場は何処にあるのですかね?」
―ホテルの横にあります。
「夜間に車は自由に出入り出来るのですかね?」
―出来ますね。
「それをホテル側はチェックしてないのですかね?」
―そこまではやってないですね。
「そうですか。分かりました」
 と言っては、速水はこの辺で田中との電話を終えることにした。
「『松風ホテル』のフロントマンの田中と話をしてみても、特に成果を得ることは出来なかった。五月女が三十日の夜、車で外出していたという証言を入手出来れば、五月女に対する容疑は一気に高まったのだが、そうはならなかったのだ。
 それで、その旨を速水は野村刑事に話すと、野村刑事は、
「では、五月女さんの車の中を捜査してみてはどうですかね? トランクの中に苅田の衣服の繊維なんかが見付かれば、有力な証拠となると思うのですが」
 野村刑事はそう言ったものの、今の段階では、その令状は出ないという旨を速水は野村刑事に説明した。
 そして、二人の間に少しの間、沈黙の時間が流れたが、やがて、速水は、
「ボートだよ。五月女さんが苅田の死体を大沼湖の小島に運ぶには、ボートが必要さ」
 と言っては、肯いた。
「ということは、五月女さんはゴムボートを持っていないか、調べるわけですね」
「しかし、五月女さんに直に訊くのは、まずいな。そのようなことを訊いても、持ってないと答える違いないからな。
 だから、奥さんに訊いてみよう。奥さんなら正直に答えてくれると思うな。何しろ、五月女さの犯行を奥さんは知らないだろうからな」
 ということになり、早速、速水は治子に電話し、そのこと確認してみることにした。
 電話に出た治子に対して、速水は、
「今日、訊き忘れたことがありましてね」
 と、愛想良い声で言った。
―それは、どういったことですかね?
「五月女さん宅にゴムボートなんかは、ありますかね。釣りをする時に使用するようなゴムボートです。ただし、二人以上は乗れる位のものですが」
 と、速水が訊くと、治子は、あっさりと、
―ありますよ。
 と言った。
 その治子の言葉を耳にすると、速水は薄らと笑みを浮かべた。捜査が一歩一歩、前進してると実感したからだ。
「では、ご主人は釣りなんかをする為に、そのボートを使われるのですかね?」
―そうですね。主人は釣りが趣味なんで。
「そのボートは空気を抜いて持ち運び出来るのですかね?」
―そうだと思います。
「じゃ、そのボートは空気を抜いて、いつもご主人の車の中に入れてあるのですかね?」
―さあ、そこまでは私では分からないのですが。
「そうですか。分かりました。どうも」
 と言っては、速水は電話を切った。
 そして、治子との電話の内容を野村刑事に話した。 
 すると、野村刑事は薄らと笑みを浮かべては、
「これで、いよいよ警部の推理が現実味を帯びて来ましたね」
 と、些か満足したように言った。
「ああ。治子さんの話を聞いて、僕の推理が推理ではなく、真実であったという思いを強くしたよ。
 つまり、五月女さんは自らのゴムボートで苅田の死体を大沼湖の小島に運んだというわけさ」
 と、些か自信に満ちた口調で言った。
「しかし、何故大沼湖の小島に死体を遺棄したのでしょうかね?」
 と、野村刑事は些か納得が出来ないように言った。
 そう野村刑事が言うと、速水は言葉を詰まらせた。
 そんな速水に、野村刑事は、
「つまり、五月女さんは何故、大沼湖の小島なんかに、苅田さんの遺体を遺棄したのかということですよ。大体、ゴムボートを使って運ぶなんてことは、とても面倒ですからね。何故、そんな面倒なことをやったのかということですよ」
 と、渋面顔で言った。
 すると、速水は、
「確かにその点は引っ掛かるな。しかし、苅田と大沼湖周辺で待ち合わせていたとしたら、決して妙ではないよ。そこしか、死体の遺棄場所を思いつかなかったということも有り得るからな」
 と、言っては肯いた。
「確かに、警部のおっしゃる通りかもしれませんね。大体、大沼周辺以外で苅田と会っていたら、わざわざ大沼湖の小島に死体を遺棄するなんてことは行なわなかったでしょうからね」
 と、野村刑事は言っては、小さく肯いた。
「だが、それには五月女さんが五月三十日に『松風ホテル』を夜に抜け出していなければならないんだ。それ故、その点を確認しなければならないんだ」
 と、速水は些か険しい表情を浮かべては肯いた。
「でも、それは、ホテルのフロントマンでも分からないのですよね」
「ああ。そうだ。それ故、三十日に『松風ホテル』の駐車場を利用した宿泊客に聞き込みを行なってみるんだ」
 ということになり、早速その捜査を行なってみたのだが、結局、成果を得ることは出来なかった。
 その結果を受け、野村刑事は、
「困りましたね」
 と、いかにも困ったと言わんばかりに言った。
 そう野村刑事に言われても、速水は言葉を発そうとはしなかった、速水は次の捜査をいかにして行なうか、妙案が浮かんでいなかったからだ。
 それで、速水は、
「望月君は、五月女さんと苅田の接点を見付けたのかな」
 と、眉を顰めては言った。
「それが、まだみたいですね」
 と、野村刑事は冴えない表情で言った。
 それで、しばらくの間、二人の間で沈黙の時間が流れたが、やがて、速水は、
「苅田は、出所後、若くてけばけばした感じの若い女性と付き合っていたんだ。その若い女性を見付け出せれば、捜査は進展する筈なんだが」
「しかし、その女性をどうやって突き止めるのですかね? 苅田の知人でその女性のことを言及出来た者は、誰もいませんでしたからね」
 と、野村刑事は渋面顔で言った。
「確かにその通りだ。それ故、女性の方から名乗り出てくれれば、ありがたいのだが」
「で、苅田の部屋から採取した指紋はどうだったのですかね? 五月女さんや治子さんの指紋は出なかったのですかね?」
「ああ。そうだ」
 と、速水はいかにも困ったという表情を浮かべては言った。
 さて、困った。苅田の死に関して、大沼興業の女性従業員からの思ってもみなかった情報提供を受け、その情報に基づいて捜査したところ、五月女不動産社長の五月女謙治という容疑者が浮かび上がり、一気に事件は解決すると予想したにもかかわらず、その予想はあっさりと裏切られてしまったという状況になってしまったのだ。
 そして、今や、苅田の事件は解決出来るのかという思いすら、漂い始めていたのだ。
 そんな折に、速水は五月女からの電話を受けてしまった。五月女は開口一番に、
―一体、どういうつもりなんですかね?
 と、声を荒げて言った。
「どういうつもりなんですかね、とは、どういうことですかね?」
 と、速水は落ち着いた口調で言った。
―それは、あまりにも白々しい言い方ですね。妻や近所の人たちに、僕や妻のことを何だかんだと、訊きまくってるじゃないですか! 僕や妻が何か悪いことをやったとでも言うのですか!
 と、五月女は再び声を荒げた。
「いや。そういうわけじゃ……」
 速水は、言葉を濁した。
―だったら、何故僕や妻のことを捜査するのですか。妻の話だと、僕か妻が京子のことを殺したんじゃないかと疑ってるそうじゃないですか!
 と、五月女は声を荒げた。
「ですから、そういった可能性も有り得るというわけですよ。何しろ、我々はあらゆる可能性を想定しなければなりませんからね。 
 で、以前も説明しましたが、我々は今、五月三十一日に大沼湖の小島で死体で発見された苅田さんの事件を捜査してるのですが、その事件と二年前の京子ちゃんの事件が関係してる可能性もあると見てるのですよ。
 五月女さんは否定しましたが、我々はやはり、五月女さんは何者かに恨まれてるかもしれないのですよ。そして、その人物が苅田に京子ちゃん殺しを依頼したかもしれないのですよ。そして、今度はその人物が苅田を殺したかもしれないでのですよ。
 それ故、我々は五月女さんや、あるいは、五月女家を恨んでるような人物のことを知りたいのですよ。五月女さんは何か事情があって、そのことを隠してるのかもしれないという見方も出来ますからね。
 それ故、我々は五月女さんたちのことをもっと知りたい為に、近所の人たちなんかに聞き込みを行ない、情報収集をしてるのですよ」
 と、速水は五月女に説明した。
―ですから、その点に関しては以前、説明した通りなんですよ。僕にはそのような人物に心当りないのですよ。
 と、五月女はいかにも不快そうに言った。
「そうですかね。五月女さんが気付いてないということも有り得るんじゃないですかね?」
―いや。そのようなことは、まずないですね。僕たちを殺したい位、恨んでる人物がいれば、その人物に気付かない筈はないですよ。でも、そのような人物に僕たちはまるで心当りないですからね。
「しかし、五月女家では、五年前に由美さんが轢き逃げによって死亡されてますからね。更に、二年前は、京子ちゃんという具合です。五月女家の者がここ五年の間で二人も妙な死に方で亡くなられたことは、正に不自然だと思うのですがね」
 と、速水はいかにも納得が出来ないと言わんばかりに言った。
―由美を轢き逃げした犯人がまだ見付からないのは、警察の捜査が悪いからですよ!
 と、五月女は速水たち警察のことを非難するかのように言った。
「申し訳ありません。で、僕は由美さんの死に関して、由美さんは意図的に轢き逃げされたのではないかという見方もしてるのですよ。犯人は、由美さんが死んだ方がよいと思ってる者です。
 で、五月女さんはそういった人物に心当りないのですかね?」
―そのような者には、まるで心当りないのですよ。それに、由美が意図的に轢き逃げされたんてことは、今までに考えたことはないのですよ。
 と、正にそのようなことは、想像すらしたことはないと、言わんばかりに言った。
「じゃ、話は変わりますが、五月女さんは京子ちゃんが可愛かったですかね? 妙な聞き方となりますが」
 と、速水が言うと、五月女は、
―そりゃ、可愛かったですよ。自分の娘ですからね。
 と、むっとしたような表情を浮かべては言った。
「でも、治子さんにとってみれば、あまり可愛くはなかったのではないですかね。実の娘ではないのですから」
―そんなこはないですよ。治子は京子のことを、実の娘のように可愛がっていましたから。
「そうですか。で、後少し確認したいことがあるのですがね」
―それは、どんなことですかね?
「五月女さんは、五月三十日と三十一日に、松前に行ってましたね?」
―ええ。
「仕事で行ったのですよね?」
―そうです。うちは、松前の物件も扱ってますからね。
「で、松前には、五月女さんのクラウンで行ったのですよね?」
―そうです。
「そのクラウンは、ホテルの駐車場に停めていたのですよね?」
―そうです。
「では、そのクラウンに乗って、夜は外出しなかったですかね?」
―しなかったですよ。
「それを誰かに証明してもらえますかね?」
―それは無理ですよ。僕は一人で宿泊してましたからね。
 でも、何故そのようなことを訊くのですかね?
 五月女は納得が出来ないように言った。
「それは、答えられません」
―速水さんはひょっとして、僕のことを疑っているのではないですかね? 苅田という男を僕が殺したのではないのかと!
「その可能性も有り得ると思ってますよ」
―やはり、そうですか。でも、何故僕が疑われなければならないのですかね?
 五月女はいかにも不満そうに言った。
「それも、今の時点では答えられません」
―いいですか! 速水さん! 僕も妻も、苅田という男を殺してませんよ。勿論、京子殺しを苅田に依頼してはいませんよ! それに、五月女家を恨んでる人物もいませんよ!
 ですから、その件ではもう捜査しないでください!
 と、五月女は声高に言っては、電話を切ってしまった。
 五月女から、速水たちの捜査に対する苦情の電話は受けたものの、速水たちの捜査の進展になる情報は入手は出来なかった。
 それで、その旨を速水は野村刑事に話すと、野村刑事は、
「五月女さん以外のケースを考えてみてはどうですかね」
 と、渋面顔を浮かべては言った。
「五月女さん以外のケースか……」 
 速水は呟くように言った。
「ええ。今までは京子ちゃんが大沼湖に落ちて亡くなった時の遊覧船に、苅田と思われる人物が乗船していたという情報が寄せられたので、五月女さんのことが浮かび上がり、五月女さんたちが苅田殺しに関係してると推理し、捜査を進めたのですが、五月女さんたちとは全く関係のない人物が苅田を殺したという線で捜査してみてはどうかということですよ」
 と言っては、野村刑事は小さく肯いた。
「僕はその可能性は薄いと思うな。五月女さんは五年前に由美さんを轢き逃げで失ってるし、二年前には、京子ちゃんという具合だ。どう考えても、身内がここ五年の間で二人も妙な死に方をしたというのは、自然ではないと思うな。それ故、やはり、苅田の死には、五月女さんたちが何らかの関わりがあると思うのだが」
 と、速水は決まり悪そうな表情を浮かべては言った。そんな速水は、その速水の言葉は、些か自信無げであった。
「そうですか。警部はそのように思ってられるのですか。じゃ、今度は治子さんのことをもっと調べてみてはどうですかね」
「治子さんのことか……」
 速水は、呟くように言った。
「ええ。そうです。治子さんは表面的には、京子ちゃんのことを可愛がってはいましたが、やはり、京子ちゃんのことは、憎かったのですよ。それで、苅田を使って、京子ちゃんを殺させたというわけですよ。治子さんはクラブのホステスをやっていたわけですから、客としてやって来た苅田と知り合った可能性はありますからね」
 と、野村刑事は言っては、小さく肯いた。
「成程。その可能性がないとはいえないな。しかし、治子さんが車の免許を持っていないことは明らかなんだ。そんな治子さんがどうやって大沼湖に行き、苅田を苅田の死体が見付かった小島にまで運ぶことが出来たかということだよ」
 と速水は言っては、小さく肯いた。 
 すると、野村刑事は言葉を詰まらせた。
「それ故、僕は治子さんが苅田さんを殺したという可能性は、小さいと思うな」
「じゃ、共犯がいたのではないですかね?」
「共犯か。しかし、今の時点では、治子さんの共犯と思われる人物は、まるで浮かんではいないんだ。それ故、そのようなケースを想定するのはまずいな」
「じゃ、今後、どうやって捜査を進めて行くのですかね?」
 野村刑事は眉を顰めては言った。
 野村刑事がそう言うと、速水は言葉を詰まらせた。速水は、今後、どのように捜査を進めて行けばよいか、分かっていなかったからだ。
 そんな速水に野村刑事は、
「やはり、五月女さんから離れて苅田を捜査してみましょうよ」
「しかし、既に苅田の知人なんかには、聞き込みを行なってるんだ。しかし、成果は得られなかったんだ。その知人たちにもう一度、聞き込みを行なうというのかい?」
 と、速水は冷ややかな眼差しを野村刑事に投げた。
 そう速水に言われると、野村刑事は言葉を詰まらせた。
 そんな野村刑事に速水は、
「だから、やはり最も怪しいのは、五月女さんだよ。それ故、五月女さんのことをもっと捜査するんだ。
 要するに、五月女さんは治子さんとの新しい生活を始める為には、由美さんのことが邪魔だったのさ。だから、自らで由美さんを殺したんだ。そして、次は五月女さん自身の手で、京子ちゃんを殺したのかもしれない。五月女さんが京子ちゃんを助ける為に大沼湖に飛び込んだのは、世間の眼を欺く為だったというわけさ。
 もっとも、そうなれば、苅田がどう五月女さんに関わってるのかは、説明出来ないというものだ。それ故、まだ分かっていない謎が存在してるんだよ」
「となると、苅田の死は、五月女さんとは無関係かもしれないのですかね?」
「その可能性も有り得る。しかし、関係してるかもしれないんだ。それは、今後の捜査で明らかとなるだろう」
 と、速水は言っては、大きく肯いた。そして、
「もう一度、由美さんの事件を洗い直すんだ」
 と、力強く肯いたのであった。

     5

―中村ですが。
「北海道警捜査一課の速水ですが」
―これはどうも。
「五月女由美さんの轢き逃げ事件の捜査は、その後、進展は見られましたかね?」
―いや。それが、まるで進展は見られないのですよ。
 と、中村は決まり悪そうに言った。
「以前、僕が言ったケース、つまり、由美さんが意図的に轢き逃げに遭ったというケースは、検討してもらいましたかね?」
―そりゃ、全く可能性がなかったわけではありませんが……。また、五月女さんがそのようなことをやったとは思えないのですがね。というのも、その頃、五月女さんは出張で札幌にいたことは明らかとなってるのですから。
「でも、札幌のホテルを抜け出し、洞爺湖に行ったという可能性は有り得ますよね。札幌から洞爺湖までは、さ程時間は掛からないですから」
―それはそうですが、今になってみれば、その裏は取れないし、また、その可能性も小さいと思うのですがね。
「由美さんが轢き逃げに遭った場所は、実際にも轢き逃げが起こりそうな場所なのですかね?」
―可能性がないわけではありません。車の往来は少なからずありますからね。また、夜でしたからね。
 それに、由美さんが被害に遭った夜は雨が降ってまして視界が悪かったですからね。そんな折に、由美さんが辺りの様子を確認することなく飛び出してしまえば、車に轢かれる可能性はありますね。また、その場面を目撃した者が誰もいなければ、由美さんを轢いた車の運転手は逃げたということも有り得るというわけですよ。
 と、中村はまるで速水に言い聞かせるかのように言った。
 そう中村に言われると、速水は、
「そうですか」
 と、力無く言った。中村の説明はもっともなことだと思ったからだ。
「で、轢き逃げ犯は、見付かりそうですかね?」
―それがですね。なかなかうまく行かなくて……。迷宮入りしてしまうかもしれないという状況なんですよ。
 そして、この辺で、速水は中村との電話を終えた。
 そして、中村との電話の内容を野村刑事に話した。
 すると、野村刑事は、
「苅田さんの事件も迷宮入りしてしまいそうですね」
 と、力無く言った。
 そんな野村刑事に、
「そんな弱気を出しては駄目だよ。何としてでも、犯人を見付け出さなければならないんだ。
 で、今度は五月女不動産の同業者にもっと聞き込みを行なってみよう。まだ、高木不動産からしか、聞き込みを行なってないじゃないか」
 と、速水は言ったものの、その速水の表情は冴えないものであった。五月女不動産の同業者に聞き込みを行なっても、有力な情報が入手出来る可能性は小さいと思っていたからだ。それは、正に他に有力な捜査手段がない為に、やむを得ず行なわざるを得ない捜査みたいなものであったからだ。
 だが、その時に、函館中央署に衝撃的な情報が飛び込んで来た。五月女治子が何と、変死したというのだ!



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