第六章 新たな捜査

     1

 まず、五年前に洞爺湖畔で轢き逃げによって死亡した由美に対する捜査が行なわれることになった。由美の旧姓は三田村とのことだ。
 三田村由美は、函館周辺でチェーンレストランの経営してる三田村朝雄、幸代夫妻の長女として生まれ、二十五歳の時に、五月女と見合いをして五月女と結婚したとのことだ。
 五月女家と三田村家は商売柄付き合いが長く、また、五月女の父親の謙一と三田村朝雄は、高校時代の同級生だったとのことだ。
 そんな三田村家を、速水は訪ねてみた。
 三田村邸は、五稜郭公園の近くにあった。
 三田村邸も、五月女邸と同じく豪邸で、邸の周りは高い塀で囲まれ、外から中を眼にすることは出来なかった。
 それはともかく、速水がインターホンを押し、来意を告げると、程なく板張りの門扉が開き、六十位の婦人が姿を見せた。恐らく由美の母親の幸代であろう。
 速水が警察手帳を見せると、幸代はそれを一瞥しては、
「由美のことでどういった用件があるのですかね?」
 と、怪訝そうな表情で言った。
「まだ、由美さんを轢き逃げした犯人を見付けることが出来なくて、申し訳ありません」
 と、速水はまず頭を下げた。
「まだ、目星もついてないのですか?」
 幸代は不満そうに言った。
「ええ。そうです。申し訳ありません」
 速水は再び頭を下げた。
 二度も頭を下げられれば、幸代はもうその件に言及しようとはしなくなったようだ。
「で、由美のことで、どういったことを知りたいのですかね?」
「実はですね。由美さんは意図的に轢き逃げに遭ったかもしれないのですよ。つまり、事故ではなく、事件だった可能性もあるのですよ」
 と、速水は言いにくそうに言った。
 すると、幸代は、
「そんな!」
 と、信じられないと言わんばかりに言った。そんな幸代は、今までそのようなケースは思ってもみなかったと言わんばかりであった。
「断言してるわけではありません。その可能性もあると申してるだけなのですよ」
 と、速水は幸代に言い聞かせるかのように言った。
「でも、今まで警察の方から、そのように言われたことはないのですがね」
 幸代は些か納得が出来ないように言った。
「でも、状況が変化したのですよ。何しろ、京子ちゃんだけでなく、五月女さんの後妻であった治子さんが変死し、五月女さん自身も変死したともなれば、由美さんの死も洗い直す必要が生じて来たのですよ。その辺のことは、理解してくださいな。
 で、由美さんは五月女さんに関して何か苦情を言ってはいませんでしたかね?」
 と、速水は幸代の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、幸代はその速水の問いに対して、間髪を入れずに、
「言ってましたね」
 と、顰面で言った。
「ほう……。どういう風に言ってましたかね?」
 速水は興味有りげに言った。
「よく浮気をすると文句を言ってましたね」
「では、浮気相手に関して、具体的に言及してましたかね?」
「具体的には言及はしてませんでしたが、何でもクラブのホステスのようなことは言ってましたね。かなりの金品を貢いでいると、不満を述べてましたね」
「成程。では、由美さんはそんな五月女さんと離婚したいとは言ってませんでしたかね?」
 速水は依然として五月女が由美を殺したという推理を捨て切れなかったので、五月女と由美との関係を詳細に知ろうとしたのだ。
 すると、幸代は、
「そこまでは言ってませんでしたね」
 と、神妙な表情で言った。
「でも、由美さんは五月女さんとしょっちゅう、喧嘩をされてたそうですが、それでも由美さんは五月女さんとの離婚を考えてはいなかったのでしょうかね?」
「そうみたいですよ。由美はそのようなことは、口には出さなかったですからね」
 と言っては、幸代は小さく肯いた。
「では、五月女さんはどう思っていたのでしょうかね?」
「さあ……。五月女さんの胸の内は、私では分からないですね。でも、由美には離婚しようとは言ってなかったみたいですよ」
「では、由美さんと親しかった人物のことは分かりますかね?」
「分かりますよ。由美が亡くなった時に、由美の手紙とかアドレス帳なんかを私が引き取りましたから」
「じゃ、それらをお借りしたいのですが」
「構いませんよ」
 速水は幸代から由美のアドレス帳なんかを元に、由美の友人であった者たちに電話をし、由美と五月女との関係とか、また、由美を恨んでるような人物はいなかったか、確認してみた。
 すると、由美は友人たちにも五月女の浮気に対する不満を述べていたことが分かった。だが、由美のことを恨んでるような人物に関しては、特に情報を得ることは出来なかった。
 今までの捜査から、由美が死んだ当時、五月女と由美との関係が良好ではなかったことが改めて確認出来た。
 しかし、そうだからといって、五月女が由美を轢き逃げに見せ掛けて殺したとまで断言出来る感触は得られなかった。
 となると、由美は偶然に轢き逃げに遭ったということになるのか?
 そう思うと、速水の表情は曇った。速水は飽くまで由美は五月女によって殺されたと信じていたからだ。
 とはいうものの、由美に対する捜査は一旦、この辺で中断することにした。
 そして、望月刑事の五月女と苅田との接点に関する捜査のことを望月刑事に確認してみると、そちらの方も成果を得られてないようだ。
 望月刑事は、
「苅田さんは亀田運送を馘になった後、定職についていないのですよ。それ故、交友関係も摑みにくく、その為に捜査が進展しないのですよ」
 と、いかにも決まり悪そうに言った。
「苅田さんの死は、由美さんの死や治子さんの死、五月女さんの死とは違って、殺しによるものとはっきりと決まってるんだ。それ故、犯人がいることは確実なんだ!」
 と、捜査が思うように進んでいないことを痛感した速水は、声を荒げて言った。
「それは勿論分かってますよ。でも、苅田という男は正に何をしていたのか、分からないような男でして……」
 と、望月刑事は再び決まり悪そうに言った。
 そんな望月刑事に速水は、
「苅田さんの家に来ていたという女性のことが分かれば、捜査は一気に進展する筈なんだが」
 と、眉を顰めた。
「しかし、その女性が誰なのか、てんで分からないのですよ」
 と、望月刑事は眉を顰めた。
「苅田さんは、その当時、うだつが上がらない状態であったんだ。それ故、女性にはもてなかった筈だよ。
 それ故、金でものにしたんだよ。その可能性が高いよ。となると、水商売関係かな」
「成程。僕も警部に同感ですね」
 と、望月刑事は速水に相槌を打つかのように言った。
「じゃ、望月君にその捜査をやってもらうよ。つまり、函館周辺のクラブとかバーを当たって、苅田さんと付き合っていた女性はいなかったのかの捜査をだ」
 と、速水は望月刑事に指示を出した。
 そして、
「で、京子ちゃんの件は、実際にも事故だった可能性もあるよ。自宅のベランダから落ちて死亡する子供も決して珍しくはないからな」
 と言っては、小さく肯いた。そして、
「次は五月女さんだが、五月女さんの死が殺しだと、誰が犯人なのかということだ。また、動機は何かということだ」
 と、速水は些か険しい表情を浮かべては言った。
「怨恨というケースは小さいと思いますね。今までの捜査から、五月女さんを恨んでるような人物は浮かばなかったですからね」
 と、野村刑事。
「じゃ、金銭絡みとでも言うのかい?」
 と、速水。
「金銭絡みの可能性も小さいと思いますね。何しろ、五月女不動産の財務内容は良好だし、五月女さん自身も借金を抱えてはいなかったし。また、五月女さんから金を借りてた人物もいなかったようですからね」
 と、野村刑事は言っては、小さく肯いた。
 すると、望月刑事が、
「大沼湖で京子ちゃんが死んでますよね。だから、五月女さんの死は、京子ちゃんの死に関係してるのではないですかね?」
「何故そう思うのかな?」
 と、野村刑事.
「だから、駒ヶ岳と大沼湖は、近くにあるからですよ」
 と、望月刑事は些か顔を赤らめては言った。そんな望月刑事は、いかにも自信無さそうであった。
 すると、速水が、
「僕もその望月君の推理に賛成だな。五月女さんの遺体を駒ヶ岳に遺棄したというのは、京子ちゃんの死に場所に近いからかもしれないよ。何か意味があるのかもしれないよ。もっとも、その意味は何なのかは分からないが」
 と、速水は言っては、唇を歪めた。
「警部。犯人は五月女さんと一緒に駒ヶ岳登山に行ったのではないですかね? そして、隙を見ては殺したのではないですかね?」
 と、野村刑事。
「そういうことが全くないとはいえないが、しかし、背広姿で登山道を歩くだろうか?」
 と、速水は今の野村刑事の推理には賛成出来ないと言わんばかりに言った。
「では、警部はどういった人物が五月女さんを殺したと推理されてるのですかね?」
「まだ、我々の知らない何かがあるのかもしれない。その何かを知ることが肝心だ」
 と言っては、速水は唇を噛み締めた。
「となると、五月女さんを知ってる人物に対して再び聞き込みを行なうのですかね?」
 と、野村刑事は眉を顰めては言った。
「そうならざるを得ないな。しかし、悲観することはないよ。今まで我々が五月女さんの聞き込みを行なったのは、五月女さんの仕事関係とか、近所の住人だけじゃないか。五月女さんの友人だった者には、まだ聞き込みを行なってはいないんだ。それ故、五月女さんの友人だった者なら、何か有力な情報を提供してくれるかもしれないよ」
 ということになり、速水は野村刑事と共に、五月女の友人だった者に聞き込みを行なうことになった。また、望月刑事は、速水の指示通り、苅田と付き合っていたと思われる女性を突き止める為に、函館市内とか周辺のクラブなどを当たることになった。

     2
     
 五月女のアドレス帳に記されていた人物に電話を掛けて聞き込みを行なってみたのだが、速水が電話を掛けて五人目の原口伸一という五月女の学生時代からの友人だったという人物から、興味ある情報を入手することが出来た。
―五月女さんは、由美さんと結婚する前に、付き合っていた女性がいましたね。
「ほう……。それは、どういった女性ですかね?」
 速水は興味有りげに言った。
―礼木守子という女性ですね。
「礼木守子さんですか。それは、一体どのような女性ですかね?」
―アイヌの娘です。
「アイヌの娘ですか……」
 速水は呟くように言った。そして、
「で、五月女さんはその礼木さんとどの程度の付き合いだったのですかね?」
 速水は再び興味有りげに言った。
―アイヌの娘の方が、かなり五月女さんに熱を上げていたみたいですね。五月女さんは礼木さんから結婚を迫られて困ってるんだよと、ぼやいていたことを僕は覚えていますからね。
「ということは、五月女さんは遊びのつもりで礼木さんと付き合っていたというわけですかね?」
―そんな感じだったのではないですかね。
「ということは、五月女さんは礼木さんを振ったというわけですかね?」
―そうじゃないですかね。五月女さんは礼木さんと結婚せずに、三田村由美さんと結婚したわけですから。
「じゃ、礼木さんは五月女さんのことを恨んでるのではないですかね?」
―さあ……。僕は礼木さんではないので、礼木さんの胸中までは分からないですね。
「じゃ、二人はどれ位の間、付き合っていたのですかね?」
―一年位は付き合っていたのではないですかね。
「五月女さんと礼木さんはどうして知り合ったのでしょうかね?」
―仕事の関係で知り合ったみたいですよ。詳しいことは知りませんが。
「じゃ、礼木さんは、何処に住んでるのですかね?」
―松前だと、五月女さんは言ってましたね。
「今も松前に住んでいるのですかね?」
―さあ……。その辺は分からないですね。
「じゃ、礼木さんは何をしていたのですかね?」
―そのようなことまでは分からないですね。
「そうですか。分かりました」
 と言っては、速水は原口との電話を終えた。そして、野村刑事に、
「興味ある情報を入手したよ」
 と、薄らと笑みを浮かべて言った。
「どういった情報ですかね?」
 野村刑事は、興味有りげに言った。
「五月女さんは由美さんと結婚する前に、礼木守子というアイヌの娘と付き合っていたらしいんだ」
「アイヌの娘ですか」
 野村刑事は呟くように言った。
「ああ。もっとも、五月女さんは遊びだったみたいだが、礼木さんの方は本気だったみたいでね。五月女さんに結婚を迫っていたみたいだから」
「ということは、礼木さんは五月女さんを恨んでる可能性は充分にありますね」
「ああ。そうだ。女の恋の恨みというものは、恐ろしいからな。それ故、振った相手を許せずに殺したという事件は、今までに山程あるよ。それ故、礼木さんのことは調べてみる必要はあるな」
 と、速水は言っては肯いた。
「僕もそう思います」
 野村刑事は相槌を打つかのように言った。
「じゃ、早速、礼木さんのことを調べてみよう」
 礼木守子は松前に住んでいたとのことなので、今も松前に住んでいるか、まず、それが捜査された。
 すると、本籍は今も松前にあるのだが、今は伊達市の「清和ハイツ」というアパートに住んでいることが分かった。
 それで、速水は野村刑事と共に直ちに伊達市の「清和ハイツ」に向かった。「清和ハイツ」は、軽量鉄骨二階建てのアパートで間取りは2DK位と思われた。
 それはともかく、守子の部屋の202号室のブザーを何度も押したが、反応はなかった。
「仕方ないな。今はまだ午後六時だから、礼木さんが仕事をしてるとなれば、まだ仕事中かもしれないからな」
 と、速水は言った。そして、
「近くの喫茶店で時間を潰し、もう一度訪ねてみよう」
 ということになり、午後八時にもう一度、守子の部屋を訪ねてみた。そして、ブザーを三回押すと、玄関扉が開き、三十位の女性が姿を見せた。
 その女性は確かに日本人というよりも、ロシア人のような感じであった。その容貌からして、確かに守子はアイヌの娘であると思われた。
 それはともかく、私服姿の守子の見知らぬ者の来訪に、守子は戸惑ってるようであった。
 そんな守子に速水は警察手帳を見せては、
「礼木守子さんですね?」
 と、守子の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、守子は怪訝そうな表情で、
「ええ」
 と、小さく肯いた。
 すると、速水も小さく肯き、
「実はですね。礼木さんに少し確認したいことがありましてね」
 と、穏やかな表情と口調で言った。
「どういったことですかね?」
 守子は怪訝そうな表情のまま言った。
「礼木さんは五月女謙治という男性を知ってますかね? 五月女謙治さんとは、函館で五月女不動産を営んでいる男性ですが」
 と、速水が言うと、守子は十秒程言葉を詰まらせたが、やがて、
「ええ」
 と、小さな声で言った。
「そうですか。で、その五月女さんが先日、駒ヶ岳の登山道で死体で発見されたのですが、そのことをご存知ですかね?」
 と、速水は守子の眼を見据えては言った。
 すると、守子は、
「ええ」
 と、再び小さな声で言った。
「どうやってそのことを知りましたかね?」
「新聞で知りました」
「五月女さんの死を知って、礼木さんはどのように思いましたかね?」
 速水は再び守子の眼を見据えて言った。
「そりゃ、気の毒と思いました」 
 守子は何ら表情を変えずに言った。
「そうですか。で、礼木さんは以前、五月女さんと付き合っていたということを耳にしたのですが、礼木さんと五月女さんとの付き合いは、どういったものだったのですかね?」
 速水は興味有りげに言った。
「仕事上で少し付き合いがあったのですよ」
 守子は速水から少し眼を逸らせては言った。
「礼木さんも不動産関係の仕事をされていたのですかね?」
「いいえ」
「じゃ、どうして礼木さんは仕事上で五月女さんと付き合いがあったのですかね?」
 速水は些か納得が出来ないように言った。
「松前の私の家の土地を五月女不動産に売ったことがあるのですよ。その時の五月女不動産の担当者が五月女さんだったのですよ」
「では、礼木さん五月女さんとの関係はそれだけであったのですかね?」
 そう速水が言うと、守子は決まり悪そうな表情を浮かべては、言葉を発そうとはしなかった。
 そんな守子を眼にして、速水は守子は簡単に落とせると思った。というのは、守子は嘘をついたりするのが、苦手だと思ったからだ。
 だが、守子はやがて、
「いいえ」
 と、小さな声で言った。
「じゃ、五月女さんとはどういった付き合いがあったのですかね?」
 速水はそれは凡そ分かっていたが、全くそのことを分かっていないような口振りで言った。速水は守子の出方をみようとしたのだ。
 すると、守子は、
「どうして刑事さんは、そのようなことを訊くのですかね?」
 と、些か不満そうに言った。
「実はですね。五月女さんの死は、他殺の可能性があるのですよ」
 速水は言いにくそうに言った。
「ということは、私が疑われてるというわけですかね?」
 守子は不満そうに言った。
「いや。そういうわけではありません。でも、生前の五月女さんと付き合いのあった人物から五月女さんのことを訊き、捜査してるのですよ。礼木さんだけに聞き込みを行なってるわけではないのですよ」
 と、速水は穏やかな表情と口調で言った。
 すると、守子は眉を顰めては少しの間、言葉を詰まらせたが、やがて、
「ですから、仕事上で知り合っただけですよ」
 と、素っ気なく言った。
 すると、速水は、
「仕事上だけの付き合いだったというわけですか」
 と、速水も眉を顰めた。
 すると、そんな速水に守子は、
「でも、刑事さんは何故私のことを知ったのですかね?」
 と、興味有りげに言った。
「五月女さんの友人から、五月女さんは礼木さんと付き合っていたということを聞いたのですよ。また、その友人は礼木さんが五月女さんとどのような付き合いをしていたかを、五月女さんから聞いて知っていたそうです。それで、礼木さんに確認してみたのですよ」
 と、速水は冷ややかな眼差しを守子に投げた。そんな速水の眼差しは嘘をついても無駄だよと、まるで守子を威嚇してるかのようであった。
 そんな速水に守子は、
「その友人は、刑事さんに五月女さんと私との関係をどのように言っていたのですかね?」
 と、鋭い眼差しを速水に投げた。
「五月女さんは礼木さんとかなりの仲だったそうだと言ってましたね。また、礼木さんは五月女さんに結婚を迫っていたとも言ってましたね」
 と言っては、速水は守子の眼を見据えた。
 すると、守子は、
「ホッホッホッ!」
 と、突如、甲高い声で笑った。
「何がおかしいのですかね?」
 速水は思わず眉を顰めては言った。
「だって、刑事さんは突如、妙なことをおっしゃるからですよ。だから、急におかしくなってしまったのですよ」
 と、守子はさもおかしくて仕方ないと言わんばかりに言った。
 すると、速水はむっとしたような表情のまま、
「どういったことが妙だというのですかね?」
「私が五月女さんに結婚を迫っていたということですよ。一体、誰がそのようなことを言ったのかは知りませんが、それは全くの出鱈目ですよ」
 守子にそう言われ、速水は言葉を失ってしまった。というのは、守子が五月女に結婚を迫っていたと証言したのは、原口一人であり、原口が嘘をついたという可能性がないわけでもなかったからだ。
「じゃ、礼木さんは五月女不動産に土地を売った時に五月女さんと話をしたという位の関係だったのですかね?」
 そう速水が言うと、守子は渋面顔を浮かべては、言葉を発そうとはしなかった。
 それで、速水は、
「どうなんですかね?」
 と、詰め寄るように言った。
「そりゃ、仕事以外で三、四回程会ったことはありますが……」
 と、守子は言いにくそうに言った。
「それは、五月女さんが結婚される前のことですよね?」
「そうだと思います」
 守子は小さな声で言った。
「ほう……。でも、どうして礼木さんは五月女さんがその時、独身だということを知っていたのですかね?」
「どうしてって、五月女さんと話をしてる時に、五月女さんがそのように言ったので……」
 と、守子は速水から眼を逸らせては、決まり悪そうに言った。
「そうですか。では、五月女さんと三、四回会ったというのは、いわば、デートだったのではないのですかね?」
 と言っては、速水は薄らと笑みを浮かべた。
 すると、守子は、
「いいえ」 
 と、頭を振った。
「じゃ、何故、三、四回も五月女さんと外で会ったのですかね?」
 速水は、些か納得が出来ないように言った。
 すると、守子は俯き、少しの間、言葉を詰まらせたが、やがて、
「ですから、五月女さんに誘われたのですよ」
 と、小さな声で言った。
「ということは、やはり、デートに誘われたということじゃないのですかね?」
「それ程、大袈裟なことではないのですよ。五月女さんは時々、松前に仕事でやって来たのですよ。その時にお茶を一緒に飲みませんかと誘われたのですよ。私とこの土地を売ってもらったという縁があったので、あっさりと断るわけにもいかなかったので……」
 と、守子は決まり悪そうに言った。
「じゃ、それ以降、礼木さんは五月女さんとの付き合いはなかったのですね?」
「ええ」
「ということは、礼木さんは五月女さんと結婚を前提に付き合っていたということはなかったのですね?」
「そうです」
「では、礼木さんは五年程前に、松前からこの伊達市に引っ越しましたね?」
「そうです」
「どうして伊達市に引っ越したのですかね?」
「昭和新山にある民芸店で働くようになったのですが、その関係ですね」
 と言っては、守子は薄らと笑みを見せた。
「そうですか。では、その民芸店で働く以前に、礼木さんは何をされていたのですかね?」
「特になにもしてなかったですね」
「無職だったというわけですか」
「まあ、そうですね」
「では、礼木さんは今、独身ですかね?」
「そうです」
「このアパートには、お一人で住まわれてるのですかね?」
「そうです」
「では、礼木さんは車の免許を持ってますよね」
「ええ」
「ということは、昭和新山の民芸店まで、車で通ってるのですかね?」
「そうです」
「昭和新山の何という民芸店で働いてるにおですかね?」
「松沢民芸店というお店です」
「じゃ、六月二十二日の午後七時から八時頃にかけて、礼木さんは何処で何をしてましたかね?」
 と速水が訊くと、守子はむっとしたような表情で、
「どうしてそのようなことを訊かれなければならないのですかね?」
 と、速水を見据えた。
 すると、速水は笑顔を繕い、
「一応、確認しておきたいので」
「どうして、そのようなことを確認したいのですかね?」
 守子は納得が出来ないように言った。
 速水はこの時、その時間帯が五月女の死亡推定時刻であるということを、守子に話すべきかどうか、少し躊躇ってると、守子は、
「その頃は、このアパートにいましたよ」
 と、素っ気なく言った。
「それを誰かに証明してもらえますかね?」
「それは無理ですよ。私は一人で住んでますので」
 そう言われてしまえば、仕方ない。
 それで、速水は野村刑事と共に、一旦、守子への聞き込みを終え、守子のアパートを後にすることにした。
 守子のアパートを後にすると、速水は野村刑事に、
「どう思う?」
 と、野村刑事の意見を求めた。
「よく分からないですね」
 野村刑事は渋面顔で言った。
「僕も同感だよ。原口さんの話を聞いた時には、礼木さんが犯人だと、ぴんと来たのだが」
「しかし、礼木さんは原口さんの話を否定しましたね」
「ああ。そうだ」
「どちらの話を信じればいいのですかね」
「分からんよ」
 と、速水は眉を顰めた。そして、
「五月女さんが礼木さんと付き合っていたと証言したのは、原口さんだけだからな。原口さん以外にも、そう証言した人がいれば、原口さんの話の方が正しい筈なんだが」
「僕は、やはり礼木さんが嘘をついたと思いますね。五月女さんの死亡推定時刻のことを訊いた時に、礼木さんは不満そうにしましたからね。それは、正に礼木さんに後ろ暗い所があるという証ですよ」
 と、野村刑事は力強い口調で言っては、大きく肯いた。
「僕もその可能性が高いと思うな。原口さんが我々に嘘をつく必要はないからな。だが、もし礼木さんが五月女さんを殺したのなら、礼木さんは我々に嘘をつく必要があるからな。
 で、五月女さんと礼木さんが深い関係にあり、五月女さんが礼木さんを捨てたのなら、そこに強い動機が存在してるというものだ」
 と言っては、速水は肯いた。
「でも、警部。分からないことがあるのですがね」
 と、野村刑事は眉を顰めた。
「何だ、それは?」
 速水は興味有りげに言った。
「もし、五月女さんが礼木さんを捨て、由美さんと結婚したとしても、礼木さんはどうして今になって、五月女さんを殺さなければならないのかということですよ。何しろ、五月女さんと由美さんが結婚したのは、今から五年前のことですから、少し時間が開き過ぎてるんじゃないかということですよ」
 と言っては、野村刑事は眉を顰めた。
「成程。それは、確かに妙だ。五月女さんが礼木さんと別れたのは、もう五年以上も前のことだろうから、かなり時間が開き過ぎてるという感じだな」
 と言っては、速水も眉を顰めた。
「ひょっとして、五月女家の人間を次から次へと殺して行ったのは、礼木さんではないのかな。最初は由美さん。次は京子ちゃんという具合に。五月女さんの家族を殺すことは、五月女さんに対する復讐にもなりますからね。そして、最後は五月女さんを殺したというわけですよ。
 このように推理すれば、何故、今になって五月女さんが殺されたかは、うまく説明出来るではないですかね。もっとも、苅田さんの死は、うまく説明出来ないですが」
 と、野村刑事は眼を大きく見開き輝かせては言った。
「成程。その可能性は充分にありそうだな。しかし、振られただけで、その家族までを次から次へと、殺すだろうか?」
 と、速水は眉を顰めた。
「そりゃ、以前も話が出ましたが、女の怨念は恐ろしいものですからね。要するに、もう正気ではないのですよ。正気ではない人間は、何をするか分からないのですよ」
「成程。で、礼木さんは車の運転が出来るから、犯人の条件を具備してるというものだ。恐らく、五月女さんは別の場所で殺され、あの場所に運ばれたのだろう。もっとも、五月女さんの死体を一人ではあの場所にまでは運べないだろうから、共犯がいたのかもしれないな」
「となると、礼木さんのことをもっと突っ込んで捜査しなければなりませんね」
「その通り。で、まず、礼木さんの嘘を暴くんだ。そして、礼木さんを一歩一歩、追い詰めて行こうよ。
 しかし、その前にもう一度、原口さんから話を聞こう。また、原口さん以外からも、もう少し話を聞こう。そうすれば、何か耳寄りの話を入手出来るかもしれない」
 ということになり、速水は再び原口に電話をしてみた。
 すると、原口は、
―五月女さんが礼木さんと付き合っていたことが本当かどうかと訊かれても、僕には何とも言えませんね。僕はただ五月女さんからそのように聞かされていただけですから。
 と、渋面顔で言った。 
 原口はそう言ったものの、どうやら、原口の証言は誤りではなかったという感触を速水たちはやがて得るに至った。というのは、更に五月女の友人であった者に聞き込みを行なってみたところ、原口以外にも後二人から、原口と同じような証言を入手するに至ったからだ。
 その結果を受けて、速水は、
「やはり、嘘をついていたのは、礼木さんの方だったみたいだな」
 と、些か満足したように肯いた。
「そうだったみたいですね」
 と、野村刑事も些か満足そうに肯いた。
「となると、礼木さんが嘘をついたということは、やはり、礼木さんに後ろ暗い所があるからだよ。それ故、今度は礼木さんの友人、知人たちから礼木さんに関する情報を入手することにしよう」
「でも、まだ、礼木さんの経歴は分かっていないのですが」
「以前、松前に住んでいたことは分かってるじゃないか。それと、本籍も分かってるんだ。それ故、それだけでも、なんとかなるよ」

     3

 ということになり、速水は野村刑事と共に、松前に行き、守子の本籍があった辺りで、守子のことを訊いてみた。
 すると、思ってもみないような興味深い情報を入手することが出来た。その情報を速水と野村刑事に提供したのは、梅沢泰子という五十の半ば位の女性であった。
 泰子は、
「この辺りには、アイヌの人たちが多く住んでいたんですよ。昔は、アイヌのコタンがあった関係ですね」
 と、淡々とした口調で言った。
「失礼ですが、梅沢さんもアイヌなんですかね?」
「いいえ。私はれっきとした日本人ですよ」
 と、泰子は薄らと笑みを浮かべては言った。
「そうですか。で、この辺りに礼木さんという人が住んでいたと思うのですが。そして、戸主は、礼木礼二郎さんで、礼二郎さんには、守子という娘さんがいたと思うのですが、その守子さんのことをご存知ですかね?」
 と、速水は泰子の顔をまじまじと見やっては言った。そんな速水の表情は、まるで今後の捜査が進展するのは、これからの泰子の証言に掛かってると言わんばかりであった。
 すると、泰子は、
「守子ちゃんのことは、子供の時から知ってますよ」
 と、笑顔を見せては言った。
 すると、速水も笑顔を見せては、
「そうですか。では、守子さんが伊達市に引っ越す前位のことで訊きたいことがあるのですが」
 と言うと、泰子は興味有りげな表情で、
「どんなことですかね?」
 と、速水を見やっては言った。
「守子さんは五年程前に、この男性と付き合ってはいませんでしたかね?」
 と、泰子に五月女の写真を見せた。
 泰子は五月女の写真に眼をやったが、すぐに眼を逸らせ、
「分からないですね」
 と、小さく頭を振った。
「じゃ、その頃、守子さんは男性と付き合っていたというような話を聞いたことはありませんかね?」
 と、速水が言うと、
「そういう話は、聞いたことはないですね。何しろ、守子ちゃんは私の身内でもなかったのですからね」
 と、泰子は当然だと言わんばかりに言った。
 だが、すぐに、
「でも、やはり、守子ちゃんは刑事さんが言われたように、男性と付き合っていたようですよ」
 と、ひそひそ話をするかのように言った。
「ほう……。どうしてそう思われるのですかね?」
 速水は好奇心を露にしては言った。
「実はですね。その頃、守子ちゃんは妊娠していたからですよ」
 と、泰子は言いにくそうに言った。
「妊娠ですか……。で、子供は堕ろしたのですかね?」
「いいえ。産んだのですよ」
 泰子は眼を大きく見開き、輝かせては言った。
「本当ですかね?」
 速水は思わず甲高い声で言った。
「本当ですよ。私はお腹の大きい守子ちゃんの姿を何度も眼にしましたし、また、産後の守子ちゃんの姿も眼にしましたからね」
 と、泰子はいかにも大切な話をすると言わんばかりに言った。
「ということは、守子さんは未婚の母となったのですかね?」
「そうなのですよ」
 と、泰子は今度は渋面顔で言った。
「で、父親は誰なのか、分かってるのですかね?」
「それがですね。そのことは、私たち近所の住人は、誰も知らないのですよ」
「そうですか。で、その子供は今、どうしてるのですかね?」
「それがですね。生後、二ヶ月程で、亡くなったみたいなのですよ」
「どうして亡くなったのですかね? 今は医学が発達してますから、乳児といえども、簡単には死なないと思うのですがね」
 と、速水は些か納得が出来ないように言った。
 すると、泰子は、
「その辺のことは、分からないのですよ」
 と、眉を顰めた。
「じゃ、守子さんの経歴のこととか、また、学校を卒業後、どういったことをやっていたのか、また、守子さんと親しい友人のことは、分からないですかね?」
「守子さんは、松風中学を卒業後、松風商業高校に進みました。その後は、家業を手伝っていたみたいですよ」
「家業ですか。どういった家業をやっていたのですかね?」
「漁師ですよ。礼木さんとこは、祖父の代から漁師をやっていましたよ。守子さんはその手伝いをやっていたというわけですよ。
 もっとも、漁には出ませんよ。簡単な手作業とか事務的なことをやっていたというわけですよ」
 と泰子は淡々とした口調で言っては、小さく肯いた。
「成程。で、守子さんの父親の礼二郎さんは、今、どうしてるのですかね?」
「それが、行方不明らしいのですよ」
「行方不明?」
「ええ。何でも、不動産を売ってかなりのお金を手にしたらしいのですが、そのお金を元に商品先物取引に手を出し、その結果、大損をしたらしいのですよ。それで、家族を捨て、夜逃げ同然に姿を晦ましてしまったそうですよ」
 と、泰子はいかにも神妙な表情を浮かべては言った。
「それは、いつ位のことですかね?」
「今から五年位前のことらしいですよ」
「では、守子さんの母親とか、兄弟姉妹は、今、どうしてるのですかね?」
「母親は、もう十年位前に亡くなってますね。で、守子さんには姉が二人いますが、既に嫁いでいますね。ですから、礼二郎さんは守子さんに婿養子を貰うつもりだったそうですが、その前に礼二郎さん自身が姿を晦ましてしまったというわけですよ」
「ということは、礼二郎さんが姿を晦ます以前は、守子さんは礼二郎さんと二人で暮らしていたというわけですかね?」
「そうです。礼二郎さんは守子さん一人を残し、姿を晦ましてしまったのですよ。家屋敷は債権者に奪われてしまいました。それで、守子ちゃんは転居せざるを得なくなってしまったのでしょうね」
「成程。そんな状況なら、守子さんは子供を育てて行くのは、大変だったでしょうね?」
「そうだったでしょうね。ですから、こんな言い方をするのは不謹慎だと思いますが、子供が二ヶ月で亡くなって、守子ちゃんは助かったのではないかと思いますよ。女手一人で育てていくのは、大変でしょうからね」
「そうですか。で、その守子さんの子供の父親のことを、守子さんの友人なら、知ってるでしょうかね?」
「さあ、どうでしょうかね」
 と言っては、泰子は、首を傾げた。
 速水はこの辺で、泰子への聞き込みを終えることにした。
 泰子に聞き込みを行なって、大いに成果があったと速水は実感した。守子の思ってもみなかった内情が色々と分かったからだ。妊娠し、未婚の母親となり、その子供が二ヶ月後に死亡したということや、守子が子供を産んだ頃、父親の礼二郎が先物取引で損失を被り、姿を晦ましてしまったということなどだ。
 これらの状況を踏まえると、やはり、守子が五月女や五月女家の者を殺したという速水たちの推理が一層現実味を帯びて来るのだ。
 守子は五月女と別れたといえども、五月女の子供を宿していた。そして、密かに五月女の子供を産んだのだ。
 だが、子供に死なれ、そして、礼二郎は借金を遺しては姿を晦ましてしまった。
 守子は自らは何と不運だと嘆き、五月女不動産の社長として優雅な暮らしをしている五月女のことを許せないという思いを抱く。それ故、五月女家の者を一人一人殺して行き、五月女を苦しめ、そして、最後は五月女を殺したというわけである。
 五月女は五月女を恨んでるを人物に心当りないと速水に言ったが、五月女には守子に対して済まないという思いがあったので、速水に守子のことを言わなかったのかもしれない。あるいは、五月女はまさか守子が五月女たちを殺してやりたい位恨んでいたということまで気付かなかったのかもしれない。
 それはともかく、速水は野村刑事と共に、守子の学友たちに聞き込みを行ない、守子と親しくしていたという人物を突き止め、聞き込みを行なってみた。
 その結果、守子が五月女と付き合っていたという事実を確認出来た。というのは、守子はその中川真弓という友人に、
「私、函館で不動産業を営んでる人と結婚するかもしれないわ」
 と、いかにも嬉しそうに言ったというのだ。
 もっとも、真弓はその人物が五月女だったということまでは知らなかったそうだが、その人物は、五月女と見て間違いないであろう。
 この真弓の証言を受け、速水は、
「これで、礼木さんを追い詰めることは可能だな」
 と言ったものの、そんな速水の表情には笑みは見られなかった。何故なら、守子の境遇には、何となく哀れみを感じたからだ。
「そうですね。でも、どうやって守子さんの犯行だと証明するのですかね? 有力な証拠がなければ逮捕は出来ないと思うのですが」
 と、野村刑事は眉を顰めた。
「確かにそうだ」
と、速水は決まり悪そうに言った。
「じゃ、どうするのですかね?」
 野村刑事も決まり悪そうに言った。
「六月二十二日に、礼木さんは五月女さんと会ったに違いないんだ。それ故、その場所を突き止めれば、捜査は進展するよ」
「しかし、五月女さんは礼木さんと会ったりするでしょうかね?」
「そりゃ、可能性がないとはいえないよ。礼木さんが五月女さんが礼木さんと会わなければならないような理由を見出せば、五月女さんは会わざるを得なくなるんじゃないかな」
 そう速水が言った後、速水と野村刑事との間で少しの間、沈黙の時間が流れたが、やがて、速水は、
「五月女さんの自宅に礼木さんがやって来たか、あるいは、五月女さんが伊達の礼木さんの家に行ったという可能性もあるだろうな」
「どうしてそう思われるのですかね?」 
 野村刑事は些か納得が出来ないように言った。
「六月二十二日は、五月女さんのクラウンは五月女さん宅のガレージにあったということが今までの捜査で分かってるからさ。となると、礼木さんが五月女さんの家に来たか、あるいは、函館から伊達までは車ではかなり時間がかかるから、五月女さんは車ではなく、JRで行ったということだよ」
 と、速水は決まり悪そうな表情で言った。速水はその推理にはあまり自信はなかったのである。
 そして、その後、二人は何だかんだと話し合っていたが、結局、その二つのケースに関してまず捜査をしてみることにした。
 だが、六月二十二日に、守子の姿が五月女宅周辺で眼にされたという証言は入手は出来なかった。
 それで、速水は野村刑事と伊達市に行っては、守子のアパートの住人とか、守子のアパートの近所の住人たちに、五月女の写真を持って、聞き込みを行なってみた。
 すると、意外にも成果があった。守子と同じアパートに住んでいる千田芳子という五十位の女性が、六月二十二日に、五月女らしき男性を眼にしたと証言したのだ。
「その男性と思われる人物が、その日、『清和ハイツ』の前をうろうろしてるのを、私は何度も眼にしましたね。何度もうろうろしてましたから、私はその男性のことを覚えているのですよ」
 と、証言したのだ。
「その男性が、絶対にこの男性と断言は出来ますかね?」
 速水はもう一度、五月女の写真を眼にしてくれと言わんばかりに言った。
「断言出来るかといえば、そうではないですね。何しろ、その男性は私とは面識のない男性ですから。でも、とても似ていましたね」
 と、芳子は些か自信有りげに言った。
「そうですか。で、千田さんはその男性を何時頃に眼にしたのですかね?」
「午後五時頃と午後六時頃でしたかね。その頃、私はたまたまアパートの外に出たのですが、その男性はアパートの周辺を行ったり来たりしていたのですよ。きちんとした背広を着てましたので、そのような人が一体何の用があるのかと思っていたのですがね」
「ということは、その男性は『清和ハイツ』の住人に何か用があったのだが、不在だったので、その住人が戻って来るのを待っていたという様相だったのでしょうかね?」
「そう言われてみれば、そんな感じだったですね」
 それを聞いて、速水は〈成程〉と思った。要するに、五月女は昭和新山近くの民芸店で働いていたという守子の帰りを待っていたのであろう。
「で、千田さんがその男性を眼にしたのは、その時の二回だけでしたかね?」
「そうです」
「そうでしたか。で、千田さんは202号室に住んでいる礼木守子さんのことをご存知ですかね?」
「いいえ。知らないですね。何しろ、私は一階に住んでますから、二階の居住者のことは知らないですね」
 そう芳子が言った後、まだしばらく芳子から話を聞いたのだが、特に成果を得られなかったので、速水はこの辺で芳子に対する聞き込みを終えることにした。
 そして、野村刑事に、
「どうやら、ホシは礼木さんで決まりのようだな」
 と、幾分か表情を険しくさせては言った。
「そうですね。『清和ハイツ』周辺で六月二十二日に五月女さんが目撃されていたともなれば、礼木さんはもう逃れられないですよ。『清和ハイツ』で五月女さんと面識があるのは、礼木さんだけでしょうからね」
 と、野村刑事は表情を些か険しくさせては言った。
「正にその通り。だが、五月女さんは何故、わざわざ伊達にまでやって来ては、礼木さんに会わなければならなかったのだろうか?」
 と、速水は首を傾げた。
「分からないですね。まさか、二人の関係が今も続いていたわけではないでしょうからね」
 と、野村刑事は首を傾げた。
「まあ、その辺のところは礼木さんに確認しよう。
 で、後は証拠固めだ。それ故、礼木さんの部屋の両隣の住人から話を聞いてみよう」
 ということになり、守子の部屋の両隣の住人、即ち、201号室の203号室の住人から話を聞いてみることになった。
 すると、成果があった。203号室に住んでいる山辺晴美という三十位の女性が注目すべき証言をしたからだ。
「六月二十二日の夜、隣の202号室で、人の争うような声がしたのですよ」
 と、晴美は速水の問いに何ら躊躇う素振りも見せずに言った。
「それは、六月二十二日の夜の何時頃のことでしたかね?」
「午後七時半頃だったと記憶していますよ」
 そう晴美に言われ、速水は納得したように、無言で肯いた。何故なら、五月女の死亡推定時刻は、六月二十二日の午後七時から八時の間であったからだ。
 ということは、五月女は守子の部屋の中で殺されたということだろうか?
「で、人の争うような声とは、男性と女性の争う声でしたよね?」
「そうですよ」
 と、晴美は眉を顰めては言った。
「では、どんなことで言い争っていたか、分かりますかね?」
「そこまでは分からないですね。でも、男性は随分、大声を上げていましたね。何かよほど頭に来るようなことがあったのではないですかね」
 と、晴美は神妙な表情を見せては言った。
「では、その言い争うような声は、どれ位の時間、続いたのですかね?」
 速水は興味有りげに言った。
「そうですね。五、六分位ではなかったですかね。でも、その後はまるで嘘のように静かになりましたよ」
 そう晴美に言われ、速水は些か満足そうに肯いた。要するに、静まり返ったということは、その時に五月女が死んだということなのだろう。
「そうですか。で、山辺さんは、隣室の礼木さんと付き合いがありますかね?」
「いいえ。殆どないですね。私は昼間は働いていますから、顔を知ってる位ですよ。話したこともないですよ」
 と、晴美は素っ気なく言った。
「そうですか。で、礼木さんはこのアパートに一人で住んでるのですかね?」
「そうみたいですね」
「礼木さん宅に度々訪ねて来るような人はいますかね?」
「時々、女の人が訪ねて来てるみたいですよ。話し声が時々聞こえて来たりしましたからね」
「それは、礼木さんにとって、どのような人物ですかね?」
「そのようなことまでは、分からないですよ」
 と、晴美は渋面顔を浮かべた。
 この辺で速水は山辺晴美に対する聞き込みを終えることにした。
 そして、守子の帰宅を待つことにした。千田芳子の証言と山辺晴美の証言により、守子を五月女殺しの犯人として逮捕することは充分に可能となったからだ。

     4

 守子が室に戻って来たのは、午後八時頃であった。そして、部屋の明かりが点いたことを確認すると、速水は野村刑事と共に守子の室の前に行き、玄関扉のブザーを押した。
 すると、程なく玄関扉が開き、守子が姿を見せた。
 守子は速水の姿を眼にすると、顔を歪めた。
 そんな守子に、速水は、
「礼木さんに確認したいことがあるのですよ」
 と言っては、守子を見やった。
「確認したいこと? それ、どんなことですかね?」
 守子は怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「礼木さんはこの前、五月女不動産の五月女さんと、以前、外で三、四回会ったということを認めましたが、礼木さんと五月女さんが最後に会ったのは、いつのことでしたかね?」
 速水は守子の眼を見据えて言った。
「そうですねぇ。もう五年位前のことではないですかね」
 守子はいかにも平然とした表情で言った。
「それは、間違いないですね?」
 そう速水が力を込めて言うと、守子は、
「どうして嘘をつかなければならないのですかね?」
 と、些か不満そうに言った。
「そうですかね? 礼木さんは嘘をつかなければならない理由があるから、嘘をついたのではないですかね?」
 と、速水は守子から眼を逸らせては、言いにくそうに言った。
「嘘をつかなければならない理由? それ、どういうものでしょうかね?」
 と、守子は、まるで挑むような眼差しを速水に向けた。
「ですから、礼木さんに疾しいものがあるということですよ」
 と、速水は守子から眼を逸らせては、言いにくそうに言った。
「疾しいもの? それ、どういうものですかね?」
 守子は再び速水に挑むような眼差しを向けた。
「それを話す前に、僕はまず礼木さんの嘘を暴くことにします。
 で、礼木さんはどういった嘘をついたかというと、礼木さんが五月女さんと最後に会ったのは、五年位前と言われましたが、そうではなく、実際には六月二十二日に五月女さんと会ったということですよ。それ故、礼木さんは僕に嘘をついたということですよ」
 と速水は言っては、守子の眼を見据えた。その速水の眼はとても冷ややかなものであった。
 すると、守子は、
「それは、嘘です! 私は六月二十二日に五月女さんと会ってなんかいませんわ!」
 と、語気を荒げては、速水に反発した。
「いいえ。嘘ではありません! 六月二十二日の午後五時頃と六時頃に五月女さんの姿が、このアパートの近くで目撃されてるのですよ。このアパートで五月女さんと面識のあるのは、礼木さんだけでしょうから、六月二十二日に五月女さんがこのアパートにやって来たのは、礼木さんに会う為なのですよ。そうですよね?」
 と言っては、速水は守子の眼をまじまじと見やった。
 すると、守子は、
「五月女さんがこのアパート近くで目撃されたかどうかなんてことは、私では何ともいえないですが、私が五月女さんに会っていないのは、間違いないですよ。ですから、五月女さんによく似た別人が目撃されたのではないですかね?
 それに、このアパートで私以外の五月女さんの知人がいないということが、どうして分かるのですかね? 捜査したのですか?」
 と、守子はまたしても速水に挑むような眼差しを向けた。
 そう守子に言われ、速水は言葉を詰まらせてしまった。実のところ、まだそこまでは捜査してなかったからだ。
 だが、速水は程なく、話題を変え、
「では、六月二十二日の夜、礼木さんの部屋に誰かが訪ねて来ませんでしたかね?」
 と訊くと、守子は、
「訪ねて来ましたよ」
 と、何ら躊躇う様も見せずに言った。
「ほう……。誰が訪ねて来ましたかね?」
 速水は興味有りげな様を見せては言った。
「姉です。白老町に住んでいる姉が訪ねて来ましたよ」
「姉ですか。何時頃に訪ねて来たのですかね?」
「五時半頃だそうです。姉はこの部屋の合い鍵を持っていましてね。それで、私より先にこの部屋に来ては、夕食を作って私の帰りを待っていてくれたのですよ」
 と、守子は些か誇らしげに言った。
「そうですか。でも、礼木さんは以前、僕に六月二十二日の午後七時から八時頃、この部屋には礼木さん一人でいたと証言されたのですがね」
「ですから、姉は急用が出来、午後七時頃、帰ってしまったのですよ」
「そういうわけですか。で、六月二十二日の夜、礼木さんの部屋に入ったのは、礼木さんの姉だけですかね?」
 と、速水が守子の眼を見据えて言うと、守子は、
「そうですよ」
 と、何ら表情を変えずに淡々とした口調で言った。
 すると、速水は眉を顰め、
「それはおかしいですね」 
 と、首を傾げた。
「どうしておかしいのですかね?」
 守子は不満そうに言った。
「というのは、六月二十二日の午後七時半頃、礼木さんの部屋で男の人の声がしたと、隣室の人が証言したからですよ。しかも、その男の人と礼木さんが言い争いをしていたようだと証言したのですよ。このことをどう説明してくれるのですかね?」
 と、今度は速水が守子に挑むような眼差しを投げた。
 すると、守子の表情は、さっと蒼褪めた。
 しかし、すぐ元の表情に戻すと、
「隣室の人は、何か勘違いをされてるのではないですかね」
 と言っては、首を傾げた。
「いいえ。勘違いではないですよ。その証言は複数の人物から入手してますので」
 と、多少嘘を交えて言った。
 そして、
「で、誰と言い争っていたのですかね?」
 と言っては、速水は守子を睨み付けた。
「ですから、それは何かの間違いなんですよ!」
 守子は顔を赤らめては言った。
「そんな嘘は通用しませんよ。六月二十二日の午後五時頃と六時頃に五月女さんがこのアパート近くで目撃されてるということと、午後七時半頃、礼木さんの部屋で、礼木さんと男性の言い争いの声が聞こえたというこの二つの証言を僕はとても重視してるのですよ。何故なら、五月女さんは六月二十二日の午後七時から八時頃にかけて殺されたと思われますからね。
 で、五月女さんの姿が六月二十二日の午後五時と六時頃目撃され、しかも、午後七時半頃に礼木さんの部屋で礼木さんと男性の言い争う声が聞こえたということは、何を意味してると思いますかね? 即ち、五月女さんは礼木さんの部屋で殺されたということですよ!」
 と、速水は声高に言っては、守子を睨み付けた。
 すると、守子は興奮しながら、
「違いますよ! それは、刑事さんの想像のし過ぎですよ!」
 と、声高に言った。
「想像のし過ぎではないですよ。きちんとした証言に基づいて話をしてるのですから。それに、礼木さんが五月女さんを恨んでるという情報も我々は既に入手してるのですよ。
 で、それはどういった情報かというと、礼木さんは礼木さんの友人に五年程前に函館に住んでいる不動産会社の社長と結婚するというようなことを話していますからね。即ち、その当時、礼木さんは五月女さんとの結婚に夢心地だったのですよ。
 ところが、五月女さんはそんな礼木さんのことをあっさりと振ったのですよ。それ故、礼木さんは五月女さんのことを決して許すまいと思ったのですよ。違いますかね?」
 と言っては、速水は守子に冷ややかな眼差しを向けた。
 速水にそう言われると、守子は速水から眼を逸らせては少しの間、言葉を発そうとはしなかったが、やがて、
「それは間違いですよ」
 と言っては、唇を歪めた。
「間違い? 何が間違いなんですかね?」
 速水は些か納得が出来ないように言った。
「ですから、私が私の友人に言ったことですよ。つまり、私が函館の不動産会社の社長と結婚するとかいうようなことですよ」
「でも、そう友人に言ったのですよね?」
「ですから、私は友人に嘘をついたのですよ。
 私はその頃、結婚相手がいなかったので、そう言っては見栄を張ったのですよ」
 と言っては、守子は薄らと笑みを浮かべた。
「しかし、礼木さんはその頃、男性と付き合っていたのですよね?」
 速水は守子の眼を見据えては言った。
「いいえ。付き合ってなんかいませんよ」
 と、守子は小さく頭を振った。
「じゃ、お腹の子供の父親は誰なんですかね? 礼木さんはその頃、近所の住人にお腹が大きくなってるのを眼にされてるのですよ。それ故、礼木さんがその頃、男性と付き合っていたのは間違いないのですが、そのお腹の中の子供の父親は誰なのかと訊いてるのですよ」
 と言っては、速水は守子を睨み付けた。
 すると、守子の言葉は詰まった。どうやら、守子は今の速水の問いに対して、巧みな言い訳を思いつかないかのようだ。守子は正に狼狽した様を浮かべてるからだ。
 そんな守子に速水は、
「その子供の父親は、五月女さんだったのですね?」
 と、詰め寄った。
 すると、守子は速水から眼を逸らせては、何も言おうとはしなかったが、程なく、
「いいえ」
 と、小さな声で言っては、頭を振った。
「じゃ、誰なんですかね?」
 速水は荒立ったように言った。
「それは、言えません」
 と、守子は気丈な表情を見せては言った。
「言えない? どうしてですかね?」
「ですから、それはプライベートのことなので」
 守子は素っ気なく言った。
「プライベートのことねぇ。で、その子供は二ヶ月で死んだとのことですが、どうして死んだのですかね?」
「私が負ぶっていたら、落ちてしまいましてね。打ち所が悪かったので、死んでしまったのですよ」
「そうでしたか。まあ、それはそれとして、礼木さんは五月女さんの事件の重要参考人として、署で話を聴かせていただくことになりましたからね」
 と、速水は険しい表情で言った。
「断ればどうなるのですかね?」
「断れば、公務執行妨害で逮捕しますよ」

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