2 怪しげな妻
明美は、北上川に近い所にある十階建てのマンションの七階に住んでいた。間取りは3DK位と思われた。
明美には事前に電話連絡していたので、その日の午後三時に明美の部屋を訪れた。明美は、中肉中背で、髪はかなり長く、細面の面立ちだった。昔、水商売をしていたというだけあって、人あしらいが上手そうな印象を沢口に抱かせた。
それはともかく、沢口は明美に、
「まだ、ご主人から連絡はないのですかね?」
それは分かりきったことであったが、沢口はとにかくそう言った。
すると、明美は、
「ええ」
と、いかにも沈んだような声で言った。
すると、沢口も表情を暗くしては、
「今になっても、連絡が取れないということは、お気の毒ですが、ご主人は、やはり、龍泉洞内で事故に見舞われたと看做さざるを得ないかもしれないですね」
と言っては、眉を顰めた。
そう沢口が言っても、明美は表情を暗くさせたまま、言葉を発そうとはしなかった。
そんな明美に、沢口は、
「で、失礼な言い方になりますが、奥さんとご主人との関係はどんなものでしたかね?」
そう沢口が言うと、明美は言葉を詰まらせた。そんな明美は、今の沢口の言葉の意味が理解出来ないと言わんばかりであった。
案の定、明美は、
「それ、どういうことですかね?」
と、いかにも納得が出来ないように言った。
「ですから、ご主人と奥さんとの関係は悪化していた。そうではなかったのですかね?」
そう沢口が言うと、明美は些か表情を険しくさせては、
「その様なことは、ありません」
「しかし、ご主人は気の弱い方だったということも聞いていますし……」
と、沢口が言っても、明美は、
「それはないです」
それで、沢口は、
「聞くところによると、奥さんは再婚だったそうで」
「そうです」
「前のご主人とは、離婚されたのですかね?」
沢口は明美の顔をまじまじと見やっては言った。
「いや。そうではないです」
「そうではない? では、死別されたのですかね?」
そう沢口が言うと、明美は些か不満そうな表情を浮かべては、
「そのようなプライベートのことまで、警察に話さなければならないのですかね?」
「出来れば、話していたただきたいですね」
と、沢口は明美に言い聞かせるかのように言った。
「それは、何故ですかね?」
明美は些か不満そうに言った。
「ご主人が二度も妙な死に方をなされたんじゃ、我々が関心を持ってもそれは当然といえるのではないですかね?」
そう言っては、沢口は唇を歪めた。
すると、明美は、
「では、刑事さんは、私の前の夫が何故死んだのか、知っておられるということですかね?」
明美は些か不満そうに言った。
「まあ、そういうことです」
と、沢口は些か決まり悪そうに言った。
「では、何故先程、それに関して訊いたのですかね?」
明美は些か納得が出来ないように言った。
「ですから、秋田さんの口から、直に聞きたかったのですよ」
そう沢口が言うと、明美は渋面顔を浮かべては、言葉を発しようとはしなかった。
そんな明美に、沢口は、
「一度目のご主人は、車の運転中、断崖から車ごと落ちて、死亡した。二度目のご主人は、龍泉洞内で行方不明となってしまった。これが、事実なんですよね」
そう言っては、沢口は明美の顔をまじまじと見やった。
すると、その事実は隠すことは出来ないと理解したのか、明美は、
「まあ、そうです」
と、憮然とした表情で言った。
そう明美が言うと、沢口は小さく肯いた。沢口は、これによって捜査が一歩前進したと理解したからだ。
そんな沢口は、
「で、前のご主人が妙な死に方をし、再婚したご主人も、妙な死に方をなさる。これだけなら、不審感をもたれないかもしれません。
それにもかかわらず、我々警察が動き出したのは、何故だか、秋田さんは、分かりますかね?」
と言っては、唇を歪めた。
だが、明美は、
「分からないですね」
と、素っ気なく言った。
「本当に分からないですかね?」
沢口は念を押した。
「ええ。分からないですね」
と、明美は小さく肯いた。
「そうですかね。僕はその秋田さんの言葉は信じられないですね。
では、僕が話すことにしましょうか。
つまり、前夫の原田さん、そして、龍泉洞内で行方不明になったご主人の二人には、高額な生命保険が掛けられていたからですよ」
と言っては、沢口は明美の顔をまじまじと見やった。
すると、明美は、
「そのことですか」
と、いかにも素っ気無く言った。そんな明美は、そのことは、大したことではないと言わんばかりであった。
そして、明美はそう言った後、言葉を発そうとはしなかった。そんな明美に、沢口は、
「高額な保険金が掛けられていたご主人が、相次いで妙な死に方をなされた。これは、妙ではないですかね?」
と言っては、眉を顰めた。
「妙ではないですよ」
明美は沢口の言葉をあっさりと否定した。
「どうして妙ではないのですかね?」
沢口はいかにも納得が出来ないように言った。
「最初の夫は、仕事柄、生命保険の会社の人と付き合いがあったのですよ。その為に、その知人の顔を立てる為に、生命保険に入ったのですよ。五千万もの契約を取れれば、その知人の営業成績はアップしますからね」
と、明美は毅然とした表情で言った。そんな明美は、前夫に高額な生命保険が掛けられていたのは、正に当然のことだと言わんばかりであった。
そう明美に言われると、沢口は眉を顰めた。というのも、今の明美の説明は、もっともなことだと思ったからだ。仕事柄、付き合いのあった生命保険会社の人に勧められれば、それはやむを得ないことと思われたからだ。
「でも、ご主人は、生命保険に入ってから、二年程で、あっさりと事故死されたのですよね?」
「そうです」
「しかし、そうあっさりと事故死しますかね?」
と、沢口は些か納得が出来ないように言った。
「そのようなことを私に言われても、私では分からないですよ」
明美は憮然とした表情で言った。
「その日は、ご主人は一人で車の運転をされてたのですかね?」
「そうです」
「何処で事故死されたのですかね?」
「伊豆半島です。主人は元々心臓に持病がありました。それ故、車の運転には常日頃から、無理をしてはいけないと、医者からも、忠告されていました。
しかし、その持病が出てしまったのかもしれません」
と、明美は決まり悪そうに言った。
「でも、何故ご主人は、伊豆に行かれたのですかね? また、誰と行かれたのですかね?」
「私と二人で伊豆旅行に行ったのですが、その最中に起こった事故だったのですよ」
と、明美は沢口から眼を逸らせては、いかにも決まり悪そうに言った。
「奥さんと二人で伊豆旅行の最中に発生した事故ですか。
では、奥さんはその事故の時に車に乗られていなかったのですかね?」
「そうです」
「しかし、それは、妙ではありませんかね? 奥さんと二人で行かれた旅行なら、奥さんもご主人が運転されていた車に乗っていたと思うのですがね」
と、沢口はいかにも納得が出来ないように言った。
「実は、私と主人は、一緒に伊豆に行ったものの、主人は一人で先に帰ったのですよ。というのも、主人は翌日仕事だったですからね。
で、私はもう少し伊豆にいたかったから、後二日伊豆に留まることになったのですよ。
それで、主人は一人で先に帰ることになったのですが、その帰りに事故に遭ってしまったのですよ」
と、明美は重苦しい表情と口調で言った。そんな明美は、明美が一緒に車に乗っていれば、あのような事故には見舞われずに済んだと言わんばかりであった。
そう明美に言われて、沢口は返す言葉はなかった。今、明美の説明だけでは、明美が原田の死に関与していたのかどうかなんてことは、分からなかったからだ。
「それで、奥さんは五千万受け取ったわけですか」
「そうです」
「では、今回の事故でご主人が龍泉洞内で行方不明なり、その結果、奥さんは高額な生命保険を受け取ることになるのですかね?」
「そうなるでしょね」
と、明美は当然だと言わんばかりに言った。
「しかし、夫が二人とも変死し、しかも、二人とも、高額な生命保険が掛けられていたでは、何だか話がうま過ぎるのではないですかね?」
と言っては、沢口は眉を顰めた。
「うま過ぎやしませんよ。偶然そうなってしまったに過ぎないのですよ。主人に高額な生命保険をかけていたのは、前の夫が事故死した為に慎重になっていたのですよ」
と、明美は正にそういった事態になったのは、偶然に過ぎないと言わんばかりであった。
沢口としても、明美の夫だった二人が、明美の手によって殺されたという証拠を入手してるわけではない。それ故、明美が言ったように、正に偶然こういった事態が発生したのに過ぎないのかもしれない。
しかし、明美は夫が、龍泉洞にいた時に、何処で何をしていたのか。この点は確認しておく必要があるだろう。
それで、沢口はその点を明美に確認してみた。
すると、明美は、
「その頃は私は家にいました」
と、憮然とした表情で言った。
「家にいた、ですか。となると、奥さんは専業主婦ですかね?」
「いいえ。週に三回程アルバイトをやってます。」
「どういったアルバイトをやってるのですかね?」
「私はネイリストなんで、その方面のお店で仕事をやってます」
「そうですか。では、ご主人は一人で龍泉洞に行かれたのですかね?」
「そうです」
「最初から龍泉洞に行くと言ってたのですかね?」
「そのようなことを言ってましたね。主人は元々旅行が好きなんですよ。そして、その日も、私と共に行く予定だったのですが、私の体調が悪くなってしまい、行けなくなったのですよ。それで、主人は一人で旅行に行ったのですよ」
と、明美は決まり悪そうに言った。そんな明美は、明美が一緒に行っていれば、あのような事態にはならなかったと言わんばかりであった。
一度目の夫は明美と共に伊豆旅行を行なっていたが、一人で帰宅中に事故に遭い、帰らぬ人となってしまった。二人目の夫は、明美が体調を崩し、行けなかった為に一人で行ったところ、龍泉洞内で変死した。
どう見ても、不審感がないわけでもないが、そうかといって、明美が殺しに関与したとまでは断言出来ない。
そう思った沢口は、渋々と明美の許を後にするしかなかった。
そして、明美が白なのか黒なのか、今の時点で判断出来ないという旨をT生命の長谷川に話した。
すると、長谷川はいかにも失望したような声で、
「そうですか」