第十二章 狂った女

     1

 これによって、長倉の死体遺棄事件は解決した。そして、その真相は、川崎たちが当初、まるで予想してなかったものであった。
 それで、改めて事件というものは、正に意外な展開を見せるものだということを痛感したのだったが、それはともかく、三瓶夫妻が長倉の死には関係していないのは、まず間違いないというのは、川崎たちの見解であった。 
となれば、長倉は何故死んだのか? その点に関しては、まだ明らかになってはいなかった。
だが、今までの捜査から、長倉はやはり、渡辺が言ったように、何らかの手違いによって息絶えたのではないかというのが、最も可能性がありそうだった。長倉は星川知美から入手した青酸を用い、渡辺を殺そうとしたのだが、何らかの手違いが発生し、長倉は死んでしまったのである。
とはいうものの、それはまだ推理に過ぎず、果して長倉の死の真相を明らかに出来るのかという悲愴感さえ、漂い始めていたのであった。
 それはともかく、沙希の事件に関しては、その後の捜査で進展が見られた。というのは、沙希は大通公園のベンチで遺体で見付かった時に沙希が身に付けていたブラウスに沙希のものでない血痕が付いていたことが明らかとなったのだが、その血痕はDNA鑑定の結果、知美のものと一致したのである!
 この事実を受け、知美は改めて中央署に任意出頭を要請された。形の上では、任意ではあったが、それは正に強制に近いものであった。
 そして、その事実を告げられ、また、これだけの証拠があれば、知美を沙希殺しの疑いで十分に逮捕出来ると、知美に言い聞かせると、知美は遂に真相を話し始めたのである。

     2

「このような事件が起こってしまったのは、巡り合わせが悪かったのです……」
 と、知美は馳たちに顔を合わせるのが嫌なのか、俯きながら、いかにも気落ちした表情で、また、蚊の鳴くような声で言った。
「巡り合わせですか……」
 馳は、呟くように言った。
「そうです。巡り合わせです。綺麗な女とブスな女が同じ職場に居合わせるようになってしまったことが、悲劇が発生した最大の原因だったのですよ」
 と、今度は知美は馳たちに顔を向けては言った。そんな知美の眼は血走り、また、そんな知美の表情にはまるで生気がなかった。
「……」
「私は子供の時から、ブスであったことに、とてもコンプレックスを感じていました。小学校の時は、学友たちから〝バイ菌女〟という綽名をつけられていた位でした。
 それで、必死に勉強し、成績は常にトップクラスでした。でも、そんな私のことを面白く思わなかった者が数多くいて、私はよく虐めにあったものです。
 それはともかく、私は頑張って勉強した為に、成績優秀はその後も続き、私はS大の理学部にトップの成績で入り、その後、助手として大学に残ることになったのです。私の性格からして、会社員をやるよりも、大学に残った方がいいと、ゼミの教授に言われたのです。その教授は、高柳教授ではありません。
 で、助手になって、五年が過ぎたのですが、そんな私には常に鬱陶しい人がいました。
 それが、永山さんだったのです。永山さんも私と同様、成績が良く、それで、大学に助手として残ったのです。
 そんな永山さんのことを、大学時代から私は知っていましたが、口を利いたこともありませんでした。何しろ、クラスが永山さんとは違っていたし、また、永山さんのような綺麗な女性は私にとっては、正に別の世界の生き物であり、それ故、私とは正に無関係な人物だったのです。
 だが、そんな永山さんが私にとって無関係ではなくなってしまったのです。何故なら、永山さんも何と私と同様、S大の助手として、S大に残ることになったのですから!」
 と、知美は一気に捲くし立てた。
 そんな知美は相当に興奮してるようだった。知美の声がかなり上擦っていたからだ。
「S大理学部の助手で、女性は私と永山さんを入れて、全部で五人だったので、私は永山さんとはよく行動を共にしたのですが、どうしても、馬が合いませんでした。
 何しろ、私は勉強だけが私の生き甲斐で、こうやって大学の助手になったにもかかわらず、学問なんかやらなくてもいいと思われるような綺麗な永山さんが、学問に精を出し、私の領域を侵害してるというような思いを私は除々に抱くようになったのです。
 それで、何でもないようなことを理由に、永山さんに辛く当たりました。すると、永山さんは何でこんなことで強く言われなければならないのと思ったことでしょう。そういう風にして、私と永山さんとの関係は悪化して行ったのです。 
 そして、私と永山さんとの一触即発の関係は、その後もずっと続いていたのですが、遂に私を逆上させるような言葉を永山さんは発したのです。 
 それはどういうものかというと、私はある人から、高柳教授と永山さんが私的に付き合ってることを知りました。それで、永山さんに諫言したのですよ。
 すると、永山さんは、『あんただって、高柳教授と付き合いたいんでしょ。でも、あんたはブスだから相手にされないのよ。そのことをあんたは知ってるから、そんな生意気な口を利くのよ!』と、まるで私のことを嘲るかのように言ったのですよ。
 その言葉は私を逆上させました。でも、その時は永山さんに強く出ることは出来ませんでした。何故なら、その場はS大の研究室の中だったからです。もっとも、その時は私と永山さんの二人しかいませんでしたが、いつ誰が来るかもしれません。洞爺湖でのように、その場で髪の引っ張り合いをしながら、小学生がやるような喧嘩をするわけにはいかなかったのですよ」
 と、知美はまるで馳たちに言い聞かせるかのような口調で言った。そして、そんな知美の話は更に続いた。
「で、その時は私は何とか自らの爆発寸前の気持を抑えたのですが、私の永山憎しの思いは消え去ることはありませんでした」
 そう言っては、知美は大きく呼吸をし、更に話を続けた。
「私は家に帰ってから、永山沙希を何とかぎゃふんと言わせることは出来ないかと、その手段を考えました。そして、永山を懲らしめるには、あの綺麗な顔が醜くなればよいと思ったのです。それには、顔に塩酸でもぶっかけてやればいいのですが、うちの大学には塩酸は扱っていませんでした。
 それで、思いついたのが、青酸によって永山が死ぬということでした。
 丁度都合良く、永山の彼氏であった長倉強という男が、先日、大通公園で死体で発見されるという事件が発生したばかりで、永山の死体も大通公園のベンチで死体で発見されれば、永山の死は長倉の死に関係ありと世間を欺けると私は思ったのです。
 つまり、今、永山を殺すのに相応しいまたとない好機が到来したのです! 正に天が私に永山を殺す機会を提供してくれたというような啓示を私は受けてしまったのです!」
 と言っては、知美は唇をわなわなと震わせ、そして、小刻みに身体を震わせた。
「で、私は天から永山殺しの啓示を受けると、その機会を窺っていました。そして、それは、程なくやって来ました。
 というのは、永山の方から私に話したいことがあると言って来たからです。
 そう言われ、私はピンと来ました。というのは、先日、長倉さんの死体が大通公園のベンチに遺棄されたわけですが、その長倉さんの死因は青酸死であることが明らかになってました。それ故、永山さんは私のことを疑っていたというわけです。
 つまり、永山は私が長倉さんを殺したと疑っていたというわけですよ。
 そして、そのことを説明するには、私が何故長倉さんのことを知ったかということから説明しなければなりません。
 とはいうものの、刑事さんたちは、今までに私に言ったことから、そのことは凡そ、察知してると思います。そして、その察知は、凡そ当たってるのです。
 つまり、ふとしたことから、私は薄野の『花園』というクラブで働いている長倉強さんと永山が付き合ってるということを知ったのです。それで、私は興味がてら、永山と付き合ってる長倉という男がどんな男なのか見てやろうと思い、『花園』に行き、長倉さんを眼にしてみたのですが、それはとてもいい男でした。女を虜にしてしまうと表現してしまうような男だったのです。
 そして、私もつい長倉さんに嵌ってしまったのです。何しろ、長倉さんはとても口もうまかった為に、つい私は羽目を外し、長倉さんに夢中になってしまったのです。
 そんな長倉さんを私は店外デートに誘いました。私は今まで長倉さんのようないい男にあんなに優しく言われたことはなかったので、つい私は今まで貯めてきたお金で長倉さんの歓心を買おうとしたのです。そんな私は、長倉さんが永山の彼氏であったということは、その時はすっかりと忘れてしまっていた位でした。
 そして、つい男女関係を持つに至ったのですが、その時に長倉さんは妙なことを言ったのです。私がS大の理学部の助手をしてると言うと、『じゃ、永山沙希という女性と一緒か?』と訊いて来たのです。私は前述したように、長倉さんが永山の彼氏だと知っていたので、長倉に近付いたのですが、長倉はそれを知りませんでした。それで、私と永山の関係を長倉さんは知らなかったのです。
 で、私は永山の蟠りのことは無論話しませんでしたが、とにかく永山と一緒に仕事をしてるということを話しました。
 すると、その時に、私は長倉さんから大学の研究室から青酸を盗んでくれと持ち掛けられたのですよ」
 と、知美はいかにも決まり悪そうに言った。何しろ、この点に関しては、知美は何度も否定して来たので、この期に及んでも、それを認めるのは、心苦しいかのようであった。
「私はもうすっかり長倉さんに夢中になっていましたので、長倉さんの要求を無視することは出来なくなっていました。一体、青酸を長倉さんが何に使うのかを問うこともなく、私はやはり、大学の研究室の中にある青酸を失敬してしまったのですよ」
 と、知美はいかにも決まり悪そうな表情で言っては、俯いた。そして、顔を上げると、
「でも、私が毒劇薬保管棚の青酸を盗んだのは、長倉さんの為だけではありません。何しろ、私は永山を殺さなければならないという啓示を受けています。それ故、元々永山を殺す為に、青酸を盗もうと思っていたのです。そんな折に長倉さんの依頼を受けたのです。それで、つい青酸を失敬しては、その半分を長倉さんに渡したのですよ」
 と、知美はいかにも決まり悪そうに言った。
「でも、私は長倉さんの死には関係ありません!」
 と、知美は青酸を盗み、長倉に渡したことは率直に認めたものの、長倉の死は無関係であることを主張した。そして、
「こういった状況なのに、永山は何と長倉さんを殺したのは私だと吐かしたのです!」
 そう言っては、知美は眼を大きく見開きギラギラと輝かせた。そんな知美は、今は故人となってしまった沙希に対して、依然として敵愾心を燃やしているかのようであった。
 そして、知美の告白は更に続いた。
「つまり、永山の私に対する話とは、正にそれだったのです。つまり、長倉さんを殺したのは私じゃないかと言うことだったのです。
 永山が言うには、永山は私が長倉さんと付き合っていたことを知っていました。また、金で私が長倉さんを釣ったんだろうと言ったのです。
 その推測は当たっていたのですが、その後の推測が私を逆上させるものでした。というのは、長倉さんが私との付き合いに我慢出来ず、私にもうブス女の顔を見るのも嫌だという具合に、私を逆上させるような暴言を吐き、その結果、私が長倉さんに殺意を抱き、殺したのではないかと、永山は吐かしたのです。そして、このような話をするのには、私の車とかいう密室でしかなかったから、永山はあっさりと私の車に乗ったのだと思います」
 と言っては、知美は小さく肯いた。そして、更に告白を続けた。
「実のところ、その時までは私の永山に対する殺意には、躊躇いがありました。やはり、いくら憎くても、殺しまではという思いが少しはあったのです。
 だが、今、あの私の人権を侮辱するような言葉を聞かされては、私の迷いも吹っ切れてしまいました。私は巧みに車を人気の無い所にまで移動させると、その場で助手席に座ってる永山の口に青酸をこじ入れたのですよ」
 と、知美はまるで言い聞かせるかのように言っては、小さく肯いた。
「で、永山はまさか私がそのような暴挙に出るなんてことはまさか思ってもみなかったようでした。でも、永山は少しは抵抗しました。だが、正に不意打ちを喰らったという状態になってしまっていたので、永山は青酸を体内に飲み込んでしまい、その場で息絶えたというわけですよ。恐らく、永山は私が永山に青酸をこじ入れようとしていたことに気付かなかったのだと思います。私が単に永山の口を塞いで窒息させようとしていたと思っていたのだと思います。そういった永山の判断の誤りが、永山の死をもたらしてしまったのだと思います」
 と、知美はまるで沙希が死んだのは、知美の所為というよりも、沙希の判断の誤りの所為だと言わんばかりであった。そんな知美の表情は、妙に晴々としたものであった。正に今まで痞えていた胸の内を吐き出した為に、すっきりとしたと言わんばかりであった。
 そんな知美に馳は、
「だが、永山さんはその時、星川さんの腕を引っ掻いたりしたのですかね?」
「ええ。そうです。それが、永山の私に対する最後の抵抗だったみたいですね。
 で、永山に引っ掻かれ、私の腕からは血が出てしまったので、私は私の腕を引っ掻いた永山の指から私の血を拭きとったのですよ。私の痕跡を消す為に……。しかし、まさか、その血が永山のブラウスに付いてるとまでは考えが及ばなくて……」
 と、知美はいかにも悔しそうに言った。それがなければ、知美は沙希殺しでは逮捕されなかったのにと言わんばかりであった。 
 そんな知美に、
「で、永山さんを殺してから、その日の夜に、永山さんの遺体を大通公園に遺棄したのですかね?」
「そうです。もっとも、その日の夜というよりも、その翌日の午前二時頃ですけどねね」
「黒いサングラスをかけて遺棄したのですかね?」
「そうです。長倉さんの事件でも、長倉さんの遺体を大通公園のベンチに遺棄したのは、黒いサングラスを掛けた中肉中背の女性だということを聞かされていましたから、私も中肉中背であることから、永山の死体もその女性が遺棄したと思わせてやろうと私は考えたのですよ。つまり、長倉さんの事件と永山の事件は同一犯人の仕業だと警察に思わせてやろうと、私は思ったのですよ。
 もっとも、そうなれば、私が疑われることも有り得るとは思っていましたが、私は長倉さんの事件には関係ないし、また、永山の事件でもうまく逃れる自信がありましたからね。ですから、永山の死体を大通公園のベンチに遺棄したのですよ」
 と、知美は眼を大きく見開き、かなり興奮気味に言った。
 そして、これによって、永山沙希の事件は解決した。後は、知美にどのような罪が下るかは、裁判官が決めるだろう。


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