第十三章 意外な真相

     1

 永山沙希の事件と大沢勝の事件の解決の目処は立ったといえども、長倉の死の真相と、高柳教授の事件はまだ解決してはいなかった。とりわけ、高柳教授の事件は長倉の事件とは違って、まだ全く解決の目処は立っていないのだ。
 高柳教授の事件も星川知美が犯人である可能性は無論あったので、高柳教授の事件でも、無論訊問を受けた。
 だが、知美は高柳教授の事件の関わりを頑なに否定したのだ。その否定振りからして、知美は実際にも高柳教授の事件には関わりがなかったのではないかという思いを捜査陣は抱いた位であった。
 では、ここでもう一度高柳教授の事件を振り返ってみよう。
 十一月十五日の午前七時頃、小樽運河に浮かんでる死体が観光客によって発見され、その上着のポケットに入っていた名刺などから、その人物は、S大理学部教授の高柳肇だということが明らかになった。そんな高柳教授の死因は、青酸死であった。
 そんな高柳教授の死は、二通りのケースが考えられた。一つは自殺によるものであり、後一つは殺しによるものであった。
 自殺だとしたら、何故高柳教授は自殺したのだろうか?
 それは、永山沙希の死だ。沙希は高柳教授と私的に付き合っていた。高柳教授は沙希に妻と別れるから付き合おうと言ったのかもしれない。だが、最初から高柳教授にはその気はなかった。だが、沙希は本気になってしまい、高柳教授に結婚を迫った。だが、高柳教授は、そんな沙希の要求を突撥ねた。
 それを悲観した沙希は大通公園で自殺してしまった……。
 もっとも、今の時点では、沙希の死は知美による殺しということが明らかになってはいたが、高柳教授が死んだ時は、それはまだ明らかにはなってなかった。
 そんな高柳教授は、沙希の死は、高柳教授が沙希を突撥ねた為だと解釈した。
 その為に、高柳教授は良心の呵責を感じ、自殺してしまったのである。
 これが、村上たちが想定してる高柳教授の自殺の動機であった。
 では、殺しの動機をどう想定していたかというと、知美が殺したというケースであった。知美は沙希が高柳教授と付き合っていたことを知っていた。それで、知美も高柳教授に沙希のように付き合ってとか、あるいは、高柳教授に沙希と付き合うのを止めるようにと諫言したのかもしれない。
 その結果、高柳教授が知美が逆上するような暴言を発した。その結果、知美は高柳教授に殺意を抱き、事に及んだというケースだ。
 高柳教授の死亡推定時刻には、知美は自宅にいたと証言したが、それは正にアリバイは曖昧だといえるだろう。それらのことから、知美が高柳教授を殺したという可能性はかなり高いものであると、村上たちは看做していた。だが、知美は高柳教授殺しを頑なに否定したのだ。
 それ故、沙希殺しのような確固たる物証もないことから、知美に対して、高柳教授の事件では強く出ることは出来ないのだ。

     2

 そんな折に、高柳教授の事件の捜査本部が置かれている小樽署に、高柳教授の妻の聡子が訪ねて来た。そんな聡子はとても窶れ、その様から聡子は高柳教授の死からまだまだ立ち直れないと思われた。
 村上はそんな聡子に、
「まだご主人の死の真相を明らかに出来ないのですよ」
 と、いかにも申し訳なさそうに言っては、頭を下げた。 
 すると、聡子はそんな村上に何も言おうとはせずに、村上から眼を逸らせた。そんな聡子を見て、村上は村上たちがまだ高柳教授の死の真相を明らかに出来ないことを非難してると察知し、再び、
「申し訳ありません」
 と言っては、頭を下げた。
 すると、そんな村上を聡子はちらっと見やっては、
「申し訳ありませんでした」
 と、いかにも決まり悪そうな表情を浮かべては、頭を下げた。村上はといえば、そんな聡子の言動が理解出来なかった。
 それで、いかにも怪訝そうな表情を浮かべては、
「はっ?」
 と、小さな声を発した。
 すると、聡子はそんな村上を恐る恐る見やっては、
「私は村上さんたちに嘘をついていたのですよ」
 と、再びいかにも決まり悪そうに言った。
「嘘?」
 村上は、いかにも納得が出来ないように言った。
「ええ。そうです。実は主人の遺体が発見されて五日後に、手紙が届いたのですよ」
 聡子は村上から眼を逸らし、いかにも言いにくそうに言った。
「手紙?」
 村上は眉を顰めた。
「ええ。そうです。手紙です。で、その手紙の差出人は、主人だったのですよ」
「ご主人からの手紙? それは、妙じゃないですかね? その時はご主人は既にお亡くなりになられていたのではないですかね?」
「そうです。ですから、主人は自殺する前にその手紙を投函したのです。そして、その宛先は北海道の出鱈目な住所と宛先が記してあったのです。それで、その手紙は返送されて来たのですよ」
 と、聡子は村上に言い聞かせるかのように言った。
「すると、ご主人の死はやはり自殺だったのですかね?」
 村上は、いかにも神妙な表情を浮かべては言った。
「ええ。そうです。返送されて来た手紙には、そのように記されていましたから。即ち、その手紙は主人の遺書だったというわけです」
 と言っては、聡子は高柳教授の遺書だという手紙を村上に差し出した。
 それで、村上は早速、その遺書だという手紙を読んでみることにした。

     3

< これから記すことは、誠に言い辛いことなので、僕は何度も書くことを止めようと思ったんだが、僕は正義と言うものを尊ぶ血が流れてるのか、やはり、書くことにした。
 それはともかく、去年の五月に起こった朝里川温泉の轢き逃げ事件のことを覚えてるかね? 覚えてなければ、今から説明するよ。
 その轢き逃げ事件は、去年の五月二十日に朝里川温泉から少し離れた二車線の道路で、朝里川温泉で仲居をしてる安西房子という女性が轢き逃げによって死亡したんだが、その轢き逃げ犯は、実は僕だったんだよ。
 その日、僕は朝里川温泉のホテルで、永山沙希さんと一時を愉しんだんだが、永山さんが一緒に泊まりたいというのを説き伏せ、僕一人で朝里川温泉を後にし、家に戻ろうとしたんだよ。その頃、聡子は僕が女性と付き合ってるということを薄々感づいていたみたいだったので、僕は外泊するのはまずいと思ったんだよ。
 で、温泉街を出て、まだ時間がさ程経っていない時に、僕は事故を起こしてしまった。まだ、酔いが完全に覚めてなかった為に、判断力が鈍っていたのかもしれない。
 だが、飲酒運転をしていたことを自覚してたことと、また、辺りに誰もいなかったことを幸いとばかりに、僕は安西さんをそのままにして逃げたんだ。
 もっとも、僕は安西さんを撥ねた後、車を停止させ、車外に出ては安西さんの様子を見たので、安西さんが既に息絶えていたことは、すぐに分かった。それで僕は逃げることを決意したんだよ。
 また、その時は正に僕にとって幸いだったんだよ。というのは、その時、激しい雨が降り出したからだ。恐らく僕の車の塗料なんかが辺りに少し位残っていたと思うのだが、激しい雨が降り出した為に、そのような痕跡を全て洗い流してしまうことを僕は確信したんだ。また、僕も家に戻って来てから、車に残っていた擦過痕を綺麗に補修したので、結局、僕はまんまと警察から逃げることに成功したんだ。また、僕の前には、警察は一度も顔を出したことはなかったからだ。というのも、朝里川温泉のホテルの宿帳には、僕の名前は記さずに、永山さんの名前だけ記してあったことも、僕にとって幸運であったといえるだろう。
 その事件のことは、僕は無論、永山さんにも話はしなかったんだが、その後も、僕は永山さんとの関係は続けていた。
 すると、先月になって、永山さんは何と僕に結婚を迫り始めたんだ。僕に妻と別れ、永山さんと結婚してくれと、迫り始めたんだ。
 これには、正に僕は困ってしまった。
 というのも、僕は元々永山さんとは遊びのつもりだったし、また、家族を捨てるなんてことは、最初から毛頭なかった。また、僕は轢き逃げ事件を起こし、轢き逃げ相手を死亡させたしまった身の上だ。そんな僕が家族を捨て、前途ある若い女性と結婚するなんてことは、あまりにも厚かましいと思ったんだ。
 それで、僕はその思い(僕が轢き逃げ犯だということは、無論話しはしなかったが)を永山さんに話すと、永山さんは、「結婚してくれないのなら、自殺してやる!」と、僕に訴えたんだ。
 しかし、僕はそれは冗談だと思ってたんだ。
 でも、冗談ではなかったんだ。何故なら、永山さんは本当に大通公園で僕の研究室にあった青酸を失敬しては、自殺してしまったのだから。
 即ち、僕のちょっとした遊び心が、若い前途ある女性の死をもたらしてしまったんだよ。
 その事実を受け、僕はどうしようもない位、落ち込んでしまった。僕はもう二人の人間を死に至らしめてしまったからだ。
 僕は今も尚、表面的には大学の教授として、紳士的に振舞ってるが、自らが犯した罪と板挟みになってしまい、その重圧に堪えられなくなってしまったんだ。
 それ故、自殺を決意したんだよ。
 聡子には、僕が轢き逃げ事件を犯したこととか、僕の研究室の助手である永山さんと付き合っていたことを隠していて、申し訳ないと思ってる。そんな僕のことを許して下さい。また、博幸のことを宜しく頼みます。
    肇から聡子へ    >
 高柳の遺書は、このように記されていた。
 遺書を読み終えると、村上は、
「この遺書を書いたのは、高柳さんに間違いありませんかね?」
 と、確認した。
「ええ。間違いありません。確かに、筆跡は主人のものですから」
 と、聡子は悲愴な表情を浮かべながらも、はっきりとした口調で言った。
 すると、村上は、
「ふむ」
 と言っては、肯いた。要するに、これによって、高柳教授の事件は解決したのだ。高柳教授の死は、やはり、殺しによってもたらされたのではなく、自らの手によってもたらされたのだ。
 とはいうものの、あっさりとその遺書とやらを信じるのはよくないので、村上は野口刑事に去年の五月二十日に起こったという轢き逃げ事件のことを確かめるようにと、指示を出した。 
 それはともかく、村上は村上から眼を逸らせ、俯いてる聡子に、
「どうしてこの手紙をもっと早く我々に見せてくれなかったのですかね?」
 と、神妙な表情で言った。 
「それは、主人が起こした轢き逃げのことを公にしたくなかったからです。一人息子である博幸の為にも、その方がいいと思って……。博幸はまだ小学校三年なんですが、博幸の将来の為にも、その方がいいと思って……」
 と、聡子は蚊の鳴くような声で言った。
「成程。心情は十分に察することは出来ますよ」
 と、村上は聡子を労わるかのように言った。
「私は、この手紙を初めて眼にした時は、この手紙は決して警察には見せるまいと思っていたのです。
 でも、主人の死の真相を明らかにしようと必死になってる警察の姿を見てると、やはり、この手紙を見せないわけにはいかないと思ったのですよ」
 と、聡子は決まり悪そうに言った。
「そうですか。それはよくぞ決断してくれました」
 と、村上は聡子の決意に称賛の言葉を述べた。
 とはいうものの、少し表情を険しくさせては、
「実はですね。ご主人は誤解していたのですよ」
 と、神妙な表情で言った。
 すると、聡子はいかにも真剣な表情を浮かべては、
「それ、どういうことですか?」
「ご主人は、永山さんが自殺したと断定していたみたいですが、そうではなかったのですよ」
「……」
「永山さんは実は殺されたのですよ」
 と、村上は言っては、まだ公表されていない沙希の死の真相を話した。
 すると、聡子は、
「まあ!」
 と、素っ頓狂な声を上げたが、すぐに苦渋に満ちた表情を浮かべた。何故なら、それが事実なら、高柳は自らで命を果てることはなかったという思いが、聡子の脳裏を過ぎったからだ。また、村上の思いも聡子と同じであった。
 しかし、轢き逃げによって、一人に人間を死に至らしめてしまった高柳には、明るい未来が待ってるとは思えなかった。それを直ちに悟った聡子は、
「主人は天罰を受けたのです!」
 と、何者かに憑かれたかのように言ったのだった。

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