第二章 興味ある情報
1
川崎は今回の事件では、長倉を死に至らしめた青酸をどうやって犯人は手に入れたのかを解明することが、事件の解決に繋がるのではないかと思っていた。
もっとも、まだ、長倉は自殺したということが完全に払拭されたわけではないし、また、インターネットにより青酸を手に入れたとしたら、それは犯人の特定に至らないかもしれない。
しかし、もし、犯人が青酸を手に入れる立場にいるのなら、それは犯人を明らかにする糸口になるだろう。
その点を踏まえて、川崎たちは長倉の友人だった者たちに更に聞き込みを行なってみた。
すると、興味深い情報を入手することが出来た。その情報を川崎に提供したのは、永山沙希という長倉と高校時代からの友人であった女性であった。
そんな沙希は、川崎の長倉と青酸の関わり合いに関する問いに対して、正に興味深い情報を提供したのである。
沙希は川崎に、
「私は長倉君から青酸をせがまれていたのですよ」
と、些か顔を赤らめては、いかにも言いにくそうに言った。
「青酸をせがまれていたですか……」
川崎はいかにも怪訝そうな表情を浮かべては、呟くように言った。川崎は沙希の言葉の意味が分からなかったのである。
すると、沙希は、
「実はですね。私はS大の理学部に助手として働いていましてね。
で、私が所属してる研究室には青酸が保管してあるのですよ。無論、人間を死に至らしめることが出来る青酸をです。
で、長倉君は私からその情報を知ると、私に、『青酸を盗み出してくれないか』と言ったのですよ。一ヵ月位前のことでしたがね」
と、川崎から少し眼を逸らしては、いかにも言いにくそうに言った。
そう沙希に言われ、川崎は、
「ほう……」
と、いかにも興味有りげに言った。確かにその沙希の話には大いに興味をそそられたのである。
そんな川崎に、沙希は決まり悪そうな表情を浮かべながらも、更に話を続けた。
「私はそう長倉君に言われ、びっくりしました。まさか、そのようなことを言われるなんて、思ってもみなかったからです。でも、そんな私に、長倉君はしつこい位、私に青酸を盗み出してくれと言ったのですよ」
と、沙希は渋面顔で言った。
そんな沙希に、川崎は、
「でも、長倉さんは何故青酸を必要としていたのでしょうかね?」
と言っては、眼をキラリと光らせた。
「それなんですがね。私は無論、その使い途のことを長倉君に訊いてみましたよ。すると、長倉君はそのことを決して私に話そうとはしませんでした。ただ、しつこく私に青酸を盗み出してくれと言うばかりだったのですよ」
と、沙希は渋面顔を浮かべては言った。
そう沙希に言われ、川崎は、「成程」と言ったものの、果して今の沙希の話が果して長倉の事件に関係があるのかどうかは、まだ何とも言えなかった。
そんな川崎は、
「で、永山さんは、長倉さんに青酸を渡したのですかね?」
と、いかにも興味有りげに言った。
すると、沙希は、
「とんでもない! そのようなことをすれば、私は罰せられてしまいますわ!」
と、今の川崎の言葉は、以ての外と言わんばかりに言った。
すると、川崎は、「ふむ」と言っては、腕組みをした。
即ち、今の沙希の話からして、長倉は青酸を必要としていた。そして、何らかの手段で青酸を手に入れることが出来たが、その青酸は長倉が使用しようとしていた相手に使用するに至らず、その青酸は長倉を死に追いやってしまった。その解釈するのが、最も現実的だと思ったのだ。
それで、川崎はその推理を沙希に話した。
すると、沙希は、
「私もそう思います」
と、川崎に相槌を打つかのように言った。
「長倉さんは、殺してやりたい相手がいたのでしょうかね?」
今までの捜査の結果、長倉は「花園」の店長をやっていた山村治と、四百万を貸した大沢勝に強い憤りを感じていたことが明らかになっていた。それ故、長倉の殺意の矛先は、この二人である可能性は高かった。
とはいうものの、その思いは口には出さず、川崎は、長倉が殺してやりたい位、憎く思ってる人物がいたか、訊いてみた。
すると、沙希は、
「それは、私では分からないです」
と、眉を顰めては言った。
すると、川崎は渋面顔を浮かべては、少しの間、言葉を詰まらせたが、やがて、
「長倉さんは何故そのような重大なこと、つまり、青酸を盗んでくれないかと永山さんに言ったのでしょうかね? 長倉さんと永山さんは、かなり親密な間柄であったのですかね?」
そう川崎に言われると、沙希は、川崎から眼を逸らしては、
「まあ……」
と、いかにも恥ずかしそうに言っては、顔を赤くさせた。
すると、川崎は、
「失礼なことを訊くかもしれませんが、つまり、永山さんは長倉さんと男女の仲があったというわけですかね?」
と、沙希の顔をまじまじと見やっては言った。
すると、沙希は川崎から眼を逸らしたまま、
「ええ」
と、再び顔を赤らめては、言いにくそうに言った。
「その長倉さんとの関係は、今も続いていたのですかね?」
川崎は、興味有りげに言った。
すると、沙希は顔を赤らめたまま、
「ええ」
と、呟くように言った。
すると、川崎は、
「それは妙ですね」
と、いかにも納得が出来ないように言っては、首を傾げた。
すると、沙希は、
「何が妙なのですかね?」
と、眼を大きく見開き、そう言った川崎の胸の内を探るかのような表情を見せた。
それで、川崎は千佳のことを話した。
そんな川崎の話に何ら表情を変えずに、じっと耳を傾けていた沙希は、川崎の話が終わると、些か神妙な表情を浮かべては言葉を詰まらせた。そんな沙希の表情からして、今の川崎の話は、沙希に少なからずの動揺を与えたかのようであった。
また、その沙希の表情を眼にすると、千佳の存在を沙希は知らなかったようだ。
それで、そのことを川崎は沙希に確認してみた。
すると、沙希は黙って肯いた。
すると、川崎も表情を険しくさせた。つまり、今も沙希が言ったように、沙希も長倉と付き合っていたのなら、長倉は同時に二人の女性と付き合っていたことになる。
それで、川崎はその旨を沙希に話した。
すると、沙希は、
「そういうことになりますね」
と、些か表情を険しくさせては、いかにも決まり悪そうに言った。
「永山さんと長倉さんとの関係は、最近では悪化してなかったのですかね?」
と、川崎は渋面顔で訊いた。
というのも、川崎たちは長倉が殺された動機の一つして、千佳を巡る三角関係の縺れを挙げていた。ところが、そこに沙希が加わってしまうと、何だか話がややこしくなって来たからだ。また、沙希はかなりの美人だ。それ故、川崎はとにかく、長倉の事件にこの永山沙希という女性も関係してるのではないかという思いが、ふと川崎の脳裏を過ぎったのである。
それはともかく、川崎の問いに沙希は「悪化はしてませんでした」と、呟くように言った。
「では、長倉さんは、二人の女性と同時に付き合っていたわけですが、長倉さんはそういったことをやりそうな男性だったのですかね?」
と、川崎は眉を顰めては訊いた。
「そうですね。長倉君はハンサムで、身体付きもスマートでしたから、女性によくもてたのですよ。また、クラブのバーテンダーをやってましたから、同時に複数の女性と付き合ってもおかしくはなかったと思いますね。
で、私は高校時代から長倉君と付き合ってましたから、そう刑事さんに言われても、別に変だとは思いませんよ」
と沙希は言っては、小さく肯いた。
そして、後少し沙希から話を聞いたが、もう捜査に役立そうな情報を入手出来なかったので、川崎はこの辺で沙希に対する聞き込みを終えることにした。
2
沙希に聞き込みを行なって、かなり成果を得られたと川崎は思った。長倉が青酸を入手していたがっていたという情報を入手出来たからだ。
また、長倉が何故青酸を必要としていたかというと、それは長倉は青酸によって誰かを殺そうとしていたのだ。青酸というものに、仕事上、何の関わりを持たない者の青酸の使い途は、正に人殺し位しか有り得ないだろう。そして、長倉には殺してやりたい位、憎い者が存在していたのだ。
それが、山村なのか、大沢なのかは、まだ分からない。あるいは、それ以外の者が存在していたのかもしれない。
だが、何かのアクシデントが発生して、長倉は自らが入手した青酸によって、息絶えてしまった。
これが、長倉の事件の真相ではないのか? その可能性が高いと、川崎は思った。
だが、長倉が青酸を飲んでしまったのは、自らの過失によるものか、あるいは、第三者によってそのように仕組まれてしまった結果なのか。
その二つのケースのどちらかと思われるのだが、そのどちらなのかによって、川崎たち警察の関与は大いに異なってくるだろう。というのは、前者なら単なる微罪に留まるだろうが、後者なら殺人事件となるからだ。
それ故、長倉の青酸の入手先をまず明らかにしなければならないだろう。永山沙希は長倉に青酸を渡さなかったのだから、長倉は沙希に対して行なったように、他の誰かに沙希に対して行なったように、青酸を手にする為の働きを行なった可能性があるのだ。
それで、その点を明らかにする為に、更に長倉の友人だった者に聞き込みを行なってみた。また、長倉が住んでいたマンションの部屋を捜査してみた。だが、結局、その捜査は成果をもたらさなかったのだ。
長倉がもし青酸を入手出来たとしたら、それは、永山沙希に沙希の研究室の青酸を盗ますか、あるいは、メッキ工場などから盗むしかないだろう。何しろ、長倉はインターネットをやってなかったのだから。
だが、ここしばらくの間で、メッキ工場から青酸が盗まれたという被害届は出てなかったのだ。
もっとも、何も長倉を死に至らしめた青酸が、長倉の手によって入手されたと確定してるわけではない。無論、長倉を殺した犯人が手にしては、長倉を死に至らしめたという可能性も十分に有り得るわけだ。
だが、まだ、後者のケースではその手掛かりをまるで得られてなかった為に、長倉が入手したというケースに基づいて、捜査をしてるに過ぎないというわけだ。
また、沙希が嘘をついたという可能性も想定してみた。
即ち、沙希は実際には長倉に青酸を盗み出しては渡したにもかかわらず、それを正直に川崎に話さなかったというわけだ。
だが、そのようなことが有り得るだろうか?
その点はまだ何ともいえない。
それで、川崎は沙希が働いているというS大に行っては、沙希の研究室の教授から話を聞いてみることにしたのだ。
札幌の郊外にあるS大を川崎が訪れたのは、その日の午後三時頃であり、沙希の研究室の教授である高柳肇教授は研究室で川崎を待っていてくれる筈であった。
そして、川崎は高柳の研究室にやがて、高柳によって案内されることになった。
高柳は四十の後半位の年齢で、流石に理学部の教授であるだけあって、いかにも知的な感じであった。
そんな高柳に川崎は単刀直入に高柳の研究室に保管されてる青酸が盗まれた可能性がないかと、訊いてみた。
すると、高柳は、
「盗まれてないと思うのですがね」
と、眉を顰めては言った。
そう高柳に言われ、川崎は些か落胆したような表情を浮かべた。もし、盗まれたのなら、その青酸が長倉の死に使用された可能性があったからだ。そうなれば、捜査は前進となった筈なのだが、実際にはそうはならなかったみたいだからだ。
とはいうものの、
「盗まれてないと思うとは、どういうことですかね?」
と、川崎は訊いてみた。
すると、高柳は、
「青酸が入った小瓶が盗まれたとか、あるいは、今までビンの半分位は入っていたのが、三分の一位になったというのなら、はっきりと盗まれたということが分かるのですがね。しかし、青酸の致死量は僅かに二百ミリグラムですから、たとえば、五人とか十人位の致死量の青酸が盗まれたとしても、その程度なら分からないというわけですよ」
と、渋面顔で言った。
「成程。でも、青酸の保管場所は、鍵を掛けてるのですよね?」
「そうです。僕がその鍵を管理しています」
と言っては、高柳は小さく肯いた。
「学生とか、教授の助手なんかが、その鍵を開けることはあるのですかね?」
「ありますよ。実験で使うことがありますからね」
「教授はその場面を眼にしないのですよね?」
「そりゃ、勿論ですよ」
と、高柳は小さく肯いた。
「では、助手の永山沙希さんが開けたことはありますかね?」
「そう言えば、一ヵ月程前に、永山さんに毒劇薬保管棚を開けてもらったことがありますね。もっとも、永山さんから青酸を取り出してもらったわけではりませんよ。別の薬品を取り出してもらったのですがね」
「永山さんは、一人で毒劇薬保管棚から、その薬品を取り出したのですかね?」
「そうですよ。そのようなことを、ペアで行なう必要はありませんからね」
そう高柳に言われ、川崎は思わず眼を光らせた。何故なら、今の高柳の説明では、永山沙希が高柳に無断で青酸を密かに取り出した可能性は有り得るからだ。
そして、この辺で川崎は高柳に対する聞き込みを終え、S大を後にすることにした。
高柳から話を聞いて、川崎は成果を得られたと思った。何故なら、高柳の研究室の学生、助手なら、毒劇薬保管棚から青酸を盗むことが可能だったということが明らかとなったからだ。
即ち、永山沙希が青酸を盗んだという可能性は、十分に現実味を帯びて来たからだ。
では、何故沙希は青酸を盗む必要はあったのだろうか?
それは、長倉からの依頼であろう。
だが、こういう可能性はないだろうか。
沙希は長倉を殺す為に青酸を盗んだのだ。
では、沙希は何故長倉を殺そうとしたのか?
それは、三角関係の縺れであろう。
沙希は高校時代から長倉と付き合っていた。そんな沙希は、長倉との将来を考えていたのかもしれない。
だが、長倉は沙希を裏切り、千佳に現を抜かし始めた。沙希は川崎には長倉が千佳と付き合っていたことは知らないと証言したが、その証言は嘘で、沙希はその事実を知っていたのだ。
それで、沙希は長倉に千佳と付き合うことを止めるように諫言した。
だが、長倉はそんな沙希の諫言を聞き入れようとはしなかった。
それで、沙希は長倉に殺意を抱き、長倉を殺したというわけだ。いわば、可愛さ余って憎さが百倍というわけだ。
では、何故沙希は長倉が青酸を必要としていたなんてことを川崎に話したのであろうか?
それは、後日、高柳の研究室から青酸が盗まれたことが公になった場合、万一、沙希に疑惑の眼が向けられるということも有り得るだろう。
それ故、沙希はそんな疑惑の眼を沙希から逸らす為に、先手を打って、そのことを川崎に話したのではないのか?
川崎はそう推理したのである。
それはともかく、この時点で、永山沙希という新たな容疑者が浮上した。
だが、沙希を容疑者と看做すには、まだ越えなければならないハードルがあるだろう。
それは、沙希が長倉のことを強く思っていなければならない。
沙希は自らで、長倉と高校時代から付き合っていたことを川崎に証言した。また、男女関係もあることも認めた。
とはいうものの、どの程度沙希が長倉のことを思っていたのか、この点はまだ明らかになっていない。
今の時世、自らの許嫁でもないのに、身体を与える女性が数多くいることは当たり前だ。アイドルスターを追いかけるグルーピーなんかは、アイドルスターと寝ることを、勲章とするそうだ。長倉はハンサムで女にもてる男であったから、そんな長倉と寝ることに沙希は、アイドルスターと寝るのと同様に看做していたのかもしれない。もし、そういった思いを長倉に抱いていたのなら、沙希が長倉を殺したという可能性は小さくなるだろう。
その点を踏まえて、川崎は長倉と沙希の高校時代の同級生だった者に聞き込みを行なってみることにした。
3
すると、その捜査結果は川崎の予想に反するものとなってしまった。
というのは、確かに沙希が長倉と付き合っていたことを知っていた者は少なからずいたのだが、そうだからといって、沙希が長倉と結婚しようと思っていたようだという証言はまるで得られなかったのだ。
もっとも、沙希はたとえそのような思いを抱いていても、その思いを自らの胸の内に秘めていたか、あるいは、沙希の友人たちが沙希に不利になるようなことは川崎に話さなかったという可能性も有り得るだろう。
それ故、沙希がまだ、容疑者圏外になったというわけではなかった。とはいうものの、沙希が殺ったという証拠は今の時点では、まるで入手出来そうもなかった。
それはともかく、もし、沙希が長倉を殺したのなら、長倉の死体を大通公園のベンチに遺棄したのも、沙希であろう。
その点を踏まえて、引き続き、沙希への捜査を行なうこととなった。
長倉の死体が大通公園で発見されたのは、十月十二日の午前十時頃だから、長倉の死体がそこに遺棄されたのは、十月十一日の深夜から十二日の明け方までであろう。
その時間帯に、沙希の姿とか、不審な場面が目撃されてる可能性が絶対にないとは言い切れないであろ。
また、沙希が長倉の死体を遺棄したのなら、その時間帯に沙希は沙希のマンションを不在にしてなければならないだろう。
それ故、大通公園に立て看板を立てては、市民に情報提供を呼びかけると共に、沙希のマンションの住人にも聞き込みを行なってみることにした。
すると、興味ある情報を入手することが出来た。その情報を警察に提供したのは、その辺りでタクシーの運転手をやっているという角倉敏夫という五十五歳の男であった。
「僕は十月十二日の午前二時頃、妙な場面を眼にしたんですよ」
と、中央署に姿を見せた角倉は、川崎に対して幾分か緊張したような表情を見せては言った。
「妙な場面ですか。それ、どんなものですかね?」
川崎は興味有りげに言った。
「トヨタカローラが大通公園の道路脇に停まったと思ったら、黒っぽいサングラスを掛けた中肉中背の女性が、大きな麻袋のような袋をトランクから出したのですよ。あんな大きな袋に何が入ってるのかと僕は思ったのですよ」
と、角倉は些か興奮気味に言った。
「そのカローラは、色は何色でしたかね?」
「確か、白でしたね」
「成程。で、それからその女性はどうしまたかね?」
川崎はいかにも興味有りげに言った。
すると、角倉は渋面顔を浮かべては、
「それがですね。何しろ、僕はその時、車を運転していましたから、その女性のカローラの傍らをすぐに通り過ぎたのですよ」
「そのカローラに乗っていたのは、その女性の一人だけでしたかね?」
「そうだったと思いますよ。でも、断言は出来ませんがね」
と、角倉は眉を顰めた。
そう角倉に言われ、川崎も、「ふむ」と、小さく肯いた。即ち、その女性がトランクから出した袋の中には、長倉の遺体が入っていたかもしれないからだ。
それで、その旨を川崎は角倉に話してみた。
すると、角倉は、
「そのようなものが入ってるなんて、その時は夢にも思ってもみなかったです」
と、興奮を隠すこともなく、息を弾ませて言った。
「そのカローラのナンバープレートなんかは、分からないですよね?」
野暮な問いだとは分かってはいたが、川崎はとにかくそう言った。
すると、角倉は苦笑しながら、
「覚えてませんね」
「そのカローラが何年式のものか、分からないですかね?」
すると、角倉は、
「僕はタクシーの運転手をやってますが、車にはあまり詳しくないのですよ。それに、何しろ夜でしたから」
と、いかにも決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
角倉からの情報提供を受けて、捜査は一歩前進したと思われた。角倉が眼にしたそのカローラに乗っていた女性が、どうやら長倉の事件に関わりがありそうだからだ。
それで、直ちに沙希がどういった車に乗っているのかの捜査が行なわれた。
すると、その結果は川崎たちを失望させた。何故なら、沙希は日産のマーチに乗っていたからだ。また、色はシルバーだ。
角倉が眼にしたカローラの色と沙希のマーチの色は、似てることには似てるが、いくら車に詳しくないタクシーの運転手といえども、カローラとマーチを間違えることはないであろう。となると、沙希は事件に無関係ということか?
だが、そう決め付けるのは、早合点というものであろう。沙希の長倉殺しが計画的なものであったのなら、沙希のマイカーを犯行には使わないと思われるからだ。どうやってそのカローラを沙希が入手したのかは分からないが、大学の助手をやってる沙希なら、そんな稚拙なミスは行なわないであろう。それ故、沙希をまだ白だと断定するわけにはいかないであろう。
そう川崎たちは思っていたのだが、角倉からの情報提供を受けた翌日に沙希からの抗議の電話が川崎に寄せられてしまった。
沙希は川崎たちが沙希のマンションの住人たちに沙希に対する聞き込みを行なったり、また、沙希の友人たちに沙希のことを何だかんだと聞き回っていることに、正に憤然と抗議したのだ。川崎たちの聞き込みは、正に長倉の事件で沙希のことを容疑者扱いしてると、沙希は川崎のことを強く非難したのだ。
そんな沙希の口調を耳にしてると、沙希は正に長倉の事件には何ら関係がないと思わせた。
それで、川崎は長倉の身近であった人物は誰でも疑って掛かってるのですよと、沙希の怒りを鎮めたのであった。