第四章 意外な事実 

     1

 沙希の事件の捜査の指揮を取っている馳は、引き続き、沙希の友人、知人たちに聞き込みを行なうように、部下の刑事たちに指示を出した。前述したように、あっさりと沙希が長倉を殺し、沙希が自殺したで、事件を終結させるわけにはいかなかったからだ。また、それがたとえ事実であったとしても、その裏付けはまだ何らなされていないのだ。
 それで、粘り強く沙希の友人、知人たちに聞き込みを行なったところ、意外な証言を入手することが出来た。 
 その証言が果して今回の事件に関係してるのかどうかは、まだ何とも言えなかった。しかし、その証言が事実であるのら、決して侮れないようなものであった。 
 そして、その証言を行なったのは、沙希の友人で、札幌市内の商社に勤務している安藤弘美という女性であった。
 弘美は馳に、
「永山さんは高柳教授と付き合っていたみたいですね」
 と、いかにも神妙な表情を浮かべては、言いにくそうに言った。
 そう弘美に言われ、馳は渋面顔を浮かべた。それは、思ってもみなかった証言であったからだ。
 それで、馳は、
「高柳教授とは、S大の理学部の高柳教授ですかね?」
 と、念を押した。
「そうです。その高柳教授です」
 と、弘美は真顔で言った。そんな弘美はその言葉には嘘偽りはないと言わんばかりであった。
 すると、馳は思わず言葉を詰まらせてしまった。その事実が果して今回の事件に関係あるのかないのか、考えが及ばなかったからだ。
 それで、馳は言葉を詰まらせてしまったのだが、それは弘美も同様であった。
 それで、馳は、
「何故安藤さんはそのことを知ってるのですかね?」
 と、眉を顰めた。
「何故って、私は永山さんからそう聞かされたからですよ」
 と、弘美は再び真顔で言った。
 そう弘美に言われ、馳は渋面顔を浮かべた。というのは、馳たちの推理では、沙希は長倉が沙希以外の女を作ったことに反発し、長倉を殺しては自殺したであった。
 だが、沙希自身が高柳と付き合っていたのなら、沙希も長倉を裏切っていたと言えるのではないのか。それ故、そんな沙希が長倉が沙希を裏切ったりしたからといって、その理由で長倉を殺しはしないのではないのか?
 もっとも、馳は元々沙希が長倉を殺し、自殺したという推理には反対であった。それ故、今の弘美の証言からも、一層その可能性は小さいと看做したのであった。
 それはともかく、
「でも、高柳教授は妻子持ちではなかったのですかね?」
 と、馳は眉を顰めては言った。
「そうらしいですね」
「それなのに、永山さんは高柳教授と付き合っていたのですかね?」
 馳は、些か納得が出来ないように言った。
「妻子持ちだからといって、独身の女性と付き合ってはならないということはありませんからね。また、教授が教え子や助手なんかに手を出すということは、いくらでもあるということを聞いたことはありますからね。
 もっとも、高柳教授はなかなかいい男らしいですから、永山さんも高柳教授と付き合っていて、満更ではなかったらしいですよ」
 と弘美は言っては、小さく肯いた。 
 そんな弘美に、馳は、
「でも、永山さんは長倉さんと付き合っていたのではないですかね」
 と、眉を顰めた。
「ですから、高柳教授とは、本気で付き合っていたわけではないと思います。私の推測では、高柳教授が永山さんに手を出したのではないかと思います。永山さんは美人でしたから、高柳教授の食指が動いても不思議ではないと思います。また、教授から迫られれば、断るのはむずかしいのではないでしょうか。でも、永山さんは高柳教授と付き合っていて、満更ではなかったということですよ」
 と、弘美は言っては、小さく肯いた。
「満更ではないというのは、永山さんがそう言っていたのですかね?」
「満更という表現はしてませんでしたが、『なかなかセックスもうまく、愉しいわ』とか言ってましたからね。ですから、私はそう思ったというわけですよ」
 と、弘美は些か言いにくそうに言った。
 そんな弘美の証言を耳にし、正に永山沙希という女性は現代的な翔んでる女性だったようだ。そんな沙希であったから、長倉が沙希以外の女と付き合っていたからといっても、それを理由に長倉を殺しはしないであろう。また、今までの沙希に対する捜査からして、沙希は自殺をするような女性ではないという思いを一層強く感じた。
 それはともかく、果して今の弘美の話が、沙希の事件に関係あるだろうか? 
 馳の勘としては、関係ないとは断言は出来ないと思った。
「で、永山さんは高柳教授のことをどのように思っていたのでしょうかね?」
 馳は興味有りげに言った。
「どのように思っていたとは?」
「ですから、本気で付き合っていたのか、それとも、軽い気持ちで付き合っていたのかということですよ」
 と言っては、小さく肯いた。
「さあ、どうでしょうかね。その辺のことに関しては特に言及してませんでしたからね。ですから、私では何とも言えないですよ」
 と、弘美は眉を顰めた。
 すると、この時、馳の脳裏には新たな容疑者として、高柳教授のことが浮かび上がった。
 というのは、高柳教授は妻子持ちで、沙希とは軽い気持ちで付き合っていたのかもしれない。あるいは、妻と別れるから付き合ってくれという口実をつけ、沙希に迫ったのかもしれない。
 だが、そんな高柳教授の思いとは裏腹、沙希は本気になって高柳教授のことを思うようになり、結婚を迫った。だが、高柳としては、元々沙希と結婚するつもりは毛頭なかった。
 それで、沙希の申し出をあっさりと断った。
すると、沙希は高柳との関係をS大の関係者にばらしてやると、高柳教授を脅した。
 そんな沙希の存在を危険に思った高柳教授が沙希を殺した。沙希を死に至らしめた青酸は、高柳教授なら容易に手に出来るというものだ。何しろ、高柳教授の研究室の毒劇薬保管棚の鍵は、高柳教授が管理してるのだから。それ故、高柳教授が沙希殺しの犯人である可能性は十分に有り得るだろう。
 そう思うと、馳は些か満足そうに肯いた。そして、
「永山さんは長倉さんと高柳教授のどちらの方に熱を入れてましたかね?」
 と、いかにも興味有りげに言った。
 すると、弘美は、
「永山さんはその点に関しては特に何も言ってなかったので」
 と、いかにも申し訳なさそうに言った。
 それで、馳はこの辺で弘美に対する聞き込みを終え、次に高柳教授から話を聴いてみることにした。

     2

 S大の高柳教授の研究室に姿を見せた馳に、高柳は、
「今日はどういった用件ですかね?」
 と、眉を顰めては言った。
 そんな高柳に、馳は、
「実は妙なことが分かりましてね」
 と、高柳と同様、眉を顰めた。
「妙なこと? それ、どんなことですかね?」
 高柳は、特に関心なさそうに言った。
 すると、馳は眉を顰めたまま、
「高柳さんと永山さんが付き合っていたということですよ」
 と、いかにも言いにくそうに言った。
 すると、高柳の表情は些か蒼褪め、言葉を詰まらせた。それは、正に触れられたくないことに触れられたと言わんばかりであった。
 そんな高柳に馳は、
「それは、事実ですよね」
 と、確認した。
 すると、高柳は、
「一体、誰がそのようなことを言ってたのですかね?」
 と、渋面顔で言った。
「永山さんの友人ですよ」
 と、言っては、馳は小さく肯いた。
 すると、高柳は隠しても無駄だと思ったのか、あっさりとそれを認めた。
 すると、馳は小さく肯き、そして、
「でも、高柳さんは妻子持ちではないのですかね?」
 と、高柳の顔をまじまじと見やっては、言った。
 すると、高柳は些か顔を赤らめては、
「そりゃ、確かにそうですが。でも、今の時世、不倫がブームになってますからね」
 と、いかにも心苦しい弁明と言わんばかりに、決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
 そんな高柳に馳は、
「高柳さんはどういうつもりで永山さんと付き合っていたのですかね?」
 と、興味有りげに言った。
「どういうつもりとは?」
 高柳は、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「ですから、本気で永山さんと付き合っていたのか、軽い気持ちで付き合っていたのかということですよ」
 と馳は言っては、小さく肯いた。
 すると、高柳は些かむっとしたような表情を浮かべては、
「どうしてそのようなことを訊かれなければならないのですかね? まるで、僕が永山さんの事件の容疑者とされてるみたいなんですが」
 と、些か不満そうに言った。
 すると、馳は、
「永山さんの身近だった人からは一応話を聴いておかなければならないのでね。ですから、是非、捜査に協力してくださいな」
 と、殊勝な表情を浮かべては言った。
 すると、高柳教授は渋面顔を浮かべたまま、
「まあ、僕としては、軽い気持ちで付き合っていましたよ」
 と、馳から眼を逸らせては言った。
 すると、馳は小さく肯き、
「高柳さんはそういう気持ちであったのですが、永山さんの方は本気になっていたのではないですかね? それ故、妻子持ちの高柳さんは、そんな永山さんのことを持て余していたのではないですかね?」
 と、高柳の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、高柳は、
「そんなことはないですよ。元々永山さんはドライな性格だったし、また、永山さん自身も付き合っていた彼がいたみたいですよ。
 そんな僕と永山さんだったから、僕たちの間柄が本気になるということはなかったですよ。飽くまで、僕たちは遊びをしてると割り切っていましたからね。ですから、馳さんが思ってるように、僕が永山さんのことを持て余して殺したなんてことは有り得ませんよ」
 と、いかにも穏やかな表情と口調で言ったが、その眼はとても冷やかであった。そんな高柳は、正に高柳のことを疑って掛かった馳のことを強く非難してるかのようであった。
 そんな高柳に馳は、とにかく沙希の死亡推定時刻の高柳のアリバイを確認してみた。 すると、高柳は、
「その頃は、家にいましたよ」
 と、当然だと言わんばかりに言った。
「それを誰かに証明してもらえますかね?」
「そりゃ、家内たちが証明してくれますよ。でも、そのようなことを家内に訊かないでもらいたいですね。僕が永山さんと付き合っていたことは、家内は知らないのですから、馳さんが家内に妙なことを言って、僕たち夫婦の関係に波風を立ててもらいたくないですからね」
 と、警察のプライベートを尊重しない捜査手法のことを何度も耳にしたことのある高柳は、苦情を言った。
 すると、馳はそんな高柳に何も言わずに、この辺で高柳に対する捜査を終え、S大を後にした。
 高柳から話を聴いて、特に成果を得ることは出来なかった。とはいうものの、高柳の話や、また、高柳の容貌からして、高柳が沙希を殺したとは思えなかった。高柳は殺人を犯すような人物には見えなかったのだ。
 だが、まさかあの人物が犯人とは思わなかったというケースが、これまでに発生してなかったというわけではない。
 それ故、捜査は慎重に進める必要があるだろう。

     3

 馳が高柳から話を聴いた翌日になって、捜査を一歩前進させると思われる情報が寄せられた。その情報を警察に寄せたのは、東京から札幌に出張に来ていた高橋勝次という五十歳の男性であった。高橋はテレビ塔の近くにあるホテルに泊まっていたのだが、薄野で一人で夜遅く飲んでしまい、酔いを覚ます為に大通公園のベンチで座っていたところ、ついうとうととしてしまい、眼が覚めたのは、午前二時頃であった。
 それで、慌ててホテルに戻ろうとしたのだが、その時に不審な光景を眼にしてしまったのだ。
 というのは、夜の二時頃、眼が覚めた高橋は、眠気眼を擦りながら、大通公園の隅っこをてくてくと歩いていたのだが、やがて、大通公園を出ては、信号を渡ろうとしたのだが、その時に黒いサングラスを掛けた平均的な身体付きをした女性が、手に大きな麻袋のような袋を手にしては、道路脇に停めてあった車に乗り込んだというのだ。
 その時は、高橋はその女性のことに特に何とも思わなかったのだが、後になって、その辺りに女性の死体がベンチに置かれていたという事件のことを友人から知った。 
 その話を耳にするや否や、高橋は高橋が眼にしたその女性のことが忽ち高橋の脳裏に思い出されたのである。
 何しろ、その女性は深夜の二時だというにもかかわらず、黒いサングラスを掛けていた。また、まるで逃げるように、その車に乗り込んだかのようなその素振りは、何となく不審感を漂わせていたのだ。また、手に大きな袋を手にしていたというのも、気になるというものだ。一体、あの袋の中に何が入っていたというのか?
 そう思うと、その不審な女性と、大通公園で遺棄されていたという女性のことが、無関係とは高橋には思えなかったのだ。
 それで、高橋は高橋が眼にした事実を警察に届け出たのである。
 電話ではあるが、高橋のその話を耳にした馳は、正にその女性は沙希の遺体を遺棄した女性である可能性は充分にあると思った。高橋がその女性を眼にした時間といい、黒いサングラスを掛けていたことや、また、手に大きい袋を持っていたことなどから、一層その女性は事件に関係ありそうであった。
 とはいうものの、高橋は車には詳しくなかった為に、その女性が乗り込んだ車の車種を言い当てることは出来なかった。
 とはいうものの、白のセダンの車で、1500CC位ではないかと高橋は言った。
 その高橋の話から、自ずから長倉の遺体が遺棄された頃、タクシーの運転手によって眼にされた不審な女性のことが、思い出された。その不審な女性も中肉中背の身体付きで、黒いサングラスを掛けていて、また、そんな女性は、大きな袋を手にしていたというではないか。また、その女性が乗り込んだ車も、白のカローラのようであったと、タクシーの運転手は証言しているのだ。
 その二人の証言から、その白いカローラと思われる車に乗った中肉中背の女性が、どうやら長倉の事件と沙希の事件に関係あるという可能性がこの時点で高まったのである!

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