八木守男は正に運が悪い男であった。
 高校三年の時に親父の誠一が商品先物取引に手を出してしまい、六千万の負債を背負ってしまった。
 その結果、誠一は勤め先の建設会社を馘となってしまった。とはいうものの、先物会社に対する負債は返済しなければならない。そうかといって八木家の貯金は一千万しかなかった。
 それ故、長崎市内にある自宅を売却せざるを得なくなってしまった。しかし、それでも三千万の負債が残った。
 だが、勤め先を馘となり、また、既に五十歳を越えていた誠一に条件のよい就職先は見付からなかった。そんな誠一の容姿はみるみる内に痩せ細り、そして、朝から酒を飲む毎日となった。
 そんな誠一に愛想を尽かせた妻の淑子は娘の智子を連れて誠一と離婚した。誠一の許には守男が残った。
 正に困り果てた誠一を見て、守男は奮い立った。そんな守男が発した言葉はこうであった。
「親父。借金は俺が返してやるよ」
 そう守男に言われて、誠一は表情を綻ばせたが、それは少しの間だけであった。何故なら、高校三年の守男が三千万もの借金を返せる筈はないと思ったからだ。
 それで、誠一はその思いを守男に話した。
 すると、守男は、
「俺が、何千万と稼げる方法があるんだよ」
 と、眼を輝かせては言った。
 すると、誠一は、
「それ、一体どんな仕事だい?」
 と、半信半疑の表情で言った。
「ホストだよ。ホストさ!」
 守男は眼を輝かせては言った。
「ホスト?」
 思ってもみなかった守男の言葉に誠一は啞然とした表情を浮かべては言った。
「ああ。そうさ。ホストだよ。ホストなら、二十代前半でも、何千万と稼ぐのもいるらしいぜ」
 守男は以前TVで見たホストの特集番組を思い出しながら言った。そのTVでは新宿の歌舞伎町のホストを特集していて、その中で二十二歳で三千万稼いでいるホストが紹介されていたのだ。守男はそのことを思い出したのである。
 そう守男に言われて、誠一は表情を曇らせた。守男が言ったことは現実的とは思えなかったからだ。それで、
「ホストって、お前に出来るのかい? それに、ホストクラブって何処にあるんだ?」
 と、眉を顰めて言った。
「新宿さ。東京の新宿の歌舞伎町さ!」
 守男は眼を輝かせては言った。
 そう守男に言われ、誠一はびっくりしてしまった。誠一は福岡辺りのことを思っていたからだ。それで、思わず言葉を詰まらせてしまった。
 そんな誠一に守男は、
「新宿の歌舞伎町にはホストクラブが一杯あるんだ。そして、お金を一杯持っている女の子たちが湯水の如くお金を落として行くんだよ」 
と、眼を輝かせては言った。
 すると、誠一は、
「でも、お前にホストが出来るのかい?」
 と、半信半疑の表情を浮かべては言った。
 すると、守男は、
「やってみせるよ。それに、俺、元々東京でホストをやってみたいと思ってたんだよ。それに、俺、女あしらいは得意なんだよ」
 と、些か自慢げな表情を浮かべては言った。実際にも守男は長崎の繁華街で既に五人の女の子をナンパした実績があったのだ。何しろ、守男は元々高校を卒業したら東京の芸能事務所にでも入ろうかと思ってた位だ。それが、実現可能かどうかは別として、守男の容貌はなかなかのものだったのである。それに、身長も173センチとまずまずだ。それ故、守男としては、自らがホストとして成功出来るんじゃないかと思ってしまうのだ。
 そして、守男はその思いを誠一に話した。
 すると、誠一は、
「そうか……。そこまでお前が言ってくれるのなら、お前の意向に任せるよ」
 ということになり、守男は高校を中退して、東京へと向かった。何しろ、悠長なことは言ってられないのだ。返済期間が伸びれば伸びるだけ金利が重く伸し掛かって来るわけだから。
 そして、東京に着いたその日に守男はホストの求人が掲載されている雑誌を購入し、翌日から面接を受けてみた。
 すると、三つのクラブから採用してよいと言われた。
 それで、その中で最も条件の良さそうな店で翌日から働くことが決まった。
 そんな守男はその若さとそのタレントにでもなれそうな容貌、更に都会慣れしていない純朴さなんかが金持ちのマダムなんかの眼に留まり、指名がどんどんと増えて行った。そして、ホストクラブで働くようになって三年間で五千万を稼いだのだ。そして、見事に誠一が作った借金を返済してみせたのだ。正に守男は誠一にとってこの上もない孝行息子となったのである。
 家の借金を返すまでは守男は自らが稼いだお金を自由には使えなかった。
 しかし、家の借金を返し終えたとなれば、もう気兼ねすることはない。同年齢のサラリーマンたちが決して稼ぐことが出来ないお金を稼ぐ守男には、当然女が寄って来るようになった。もっとも、女は守男が歌舞伎町でホストとして働き始めた頃より守男に寄って来たのだが、その当時は家の借金を返さなければならないという目的があった為に女と思うように遊ぶことは出来なかったのだ。それ故、女から誘われても、何とか言い訳をしては親しく付き合うことが出来なかった。
 しかし、今や何ら気兼ねすることなく女と遊べるようになったのだ。
 そんな守男がものにした女は十人を超えるようになった。そして、守男は一人の女と長く付き合おうとはしなかった。というのは、次から次へと女が守男に言い寄って来るので、一人の女と長く付き合っていられないのだ。
 正にもてない男から見れば羨ましい限りだが、そんな守男に転機が訪れた。というのは、守男は覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕されてしまったのである。そして、それは守男が東京に来て五年目の秋のことであった。
 思えば、正に守男にとって軽率なことであった。十一人目に付き合った真子というヤンキーっぽい女から妙なものを勧められた。それが、覚せい剤だったのだ。
 そうとも知らず、守男は手を出してしまった。そして、その味を覚えてしまった守男はそれを断ち切ろうとはしなかった。
 そんな守男のマンションに警察が乗り込んで来たのは、真子から覚せい剤を勧められて僅か三週間経った頃であった。
 そして、守男は呆気なく逮捕されてしまったのだが、その入手経路を警察から問われ、守男は真子の名前を挙げた。だが、何故か真子とは連絡が付かなかった。そして、真子が警察に逮捕されたという話を守男は遂に耳にすることはなかった。
 そんな守男は嵌められたと思った。
 即ち、真子は守男を警察に逮捕させる為に覚せい剤を守男に勧めたのだ。となると、守男を警察に密告したのは無論真子ということになるだろう。
 では、何故真子は守男を嵌めたのか?
 そのことに守男は思いを巡らせてみた。
 すると、それに関して思い当たらないことがないこともなかったのだ。
 それは、妬みだ。守男のことを妬んでいる輩がいたのだ。
 それは守男と同じ店に属してた森高秀男というホストだ。秀男は守男より二歳年上だが、ホスト歴は守男と同じ位であった。
 そんな秀男は守男とは違って指名は多くなかった。それで、度々便所掃除なんかもさせられていた。そんな秀男が地方出の守男がもてもてで稼ぎまくっているのを見て面白いわけがなかった。陰で秀男は秀男と同様、売れないホストに守男の悪口を言い散らしていたのである。
 そんな秀男は実のところ、既に度々守男に嫌がらせをしていたのだ。例えば、守男を指名するという電話予約が入ったにもかかわらず、守男は今日は休暇だとか言ったりしたり、また、守男の靴の中に密かに水を入れたりしたのだ。
 もっとも、守男の靴の中に水を入れたのが、秀男だという証拠があったわけではない。しかし、秀男しかそのような嫌がらせをする者は守男には思い当たらなかったのである。電話の件では秀男は守男が本当に休暇日だったと思ってたとマネージャーに弁明していたが、それが秀男の本音とはとても思えなかった。
 そんな状況であった為に、真子を守男に差し向けたのは、秀男に違いないと守男は確信したのである。
 そうかといって、秀男を訴えるわけにもいかなかった。何しろ、その証拠は何もなかったのだから。
 もっとも、秀男と真子との間に知人関係があるのかどうかの調査をすることは不可能というわけではない。
 しかし、守男はそんな面倒なことまでやろうとはしなかった。それに、東京に出てホストをやろうとしたのは、元はといえば、親父が作った借金を返済する為だ。そして、その目的は既に達せられたのだ。
 それ故、この際、守男はホスト稼業から身を引くことにした。もっとも、守男が逮捕されたことを受け、店の方から先に守男に馘を通告して来た。それ故、守男は自ずからホスト稼業からは身を引かなければならなくなってしまってたのだ。
 それはともかく、覚せい剤取締法違反に関しては守男は初犯だということで、執行猶予がつく刑に留まった。
 そして、それを機に守男は九州に戻ることにした。
 だが、郷里の長崎に戻ったわけではなかった。何しろ、郷里の長崎には守男が住む家はなかったからだ。
もっとも、親父は長崎市内のアパートに住んでいた。だが、六畳間と四畳半のキッチンの二間のその木造アパートに3LDKの高級マンション暮らしが慣れてしまった守男が住む気にはなれないであろう。
 そんな守男が新たな居住地として選んだのは福岡であった。福岡は九州最大の都市であり、また、九州最大の歓楽街である中洲もある。それ故、そこにはホストクラブもあることであろう。守男は中洲で再びホスト稼業をやってみようとしたのだ。
 そして、その守男の思いは達せられた。
 そんな守男は歌舞伎町時代に培われた技量などによって、みるみる内に頭角を現し、守男がその店の売れっ子になるのにさ程時間は必要とはしなかった。
 守男は福岡に居を移して一年経った頃には福岡市内に3LDKのマンションを購入した。購入金額は四千万であった。もっとも、キャッシュでは払えなかったが、その年の守男の年収は千五百万あった。そんな守男にとって、千万、二千万程度ローンを組むことは容易いことであった。
 福岡でホストを始めて四年が経った。その間は正に守男の人生の絶頂期といってもよい位であった。何しろ、歌舞伎町時代にいた森高秀男のような輩がいなかったこともあり、やることなすことがうまく行き、毎日毎日がまるで夢のように守男には感じられたのだ。
 だが、その頃、守男はある夢を密かに抱いていた。
 それは、自分の店を持つことだ。即ち、このホスト稼業を行なえるのは若い時だけだ。三十を超えてホストをやるわけにはいかないだろう。しかし、ホスト以外で守男にとってこれ程まで金を稼げる仕事はないであろう。
 それ故、守男自身がホストクラブを持つのだ。守男はホストがホストを辞めた後、自らでホストクラブを興し、成功した事例を知っていた。それ故、守男もその道を歩もうとしたのである。
 その夢を実現する為に守男は猛烈に頑張った。そして、福岡でホストをやり始めて五年経った頃には、五千万貯まった。そして、その五千万を元に守男は独立し、遂に守男の店を持つに至った。それは、守男が二十八歳の時であった。
 その店は、「ツリー」という名前に決まった。そして、「ツリー」は守男が以前働いていたホストクラブの近くの雑居ビルの地階で営業されることになった。
「ツリー」の出だしは好調であったのだが、黒字を確保出来たのは営業を始めて一ヶ月目だけであった。それ以降は赤字続きであったのだ。
 というのは、優秀なホストが思うように集まらなかったからだ。守男は「ツリー」のホストの誰もに守男が意図したホストを求めた。即ち、「ツリー」のホストは皆、守男のようなホストになることを求めたのだ。
 しかし、その要求は土台無理なものであった。というのは、優秀なホストの多くは守男が始めた「ツリー」のような新興店より自ずから老舗の店に流れてしまうのだ。それ故、「ツリー」のような新興店にはホストの力量としては三流クラスの人材しか集まって来ないのである。そのような人材に、歌舞伎町で辣腕を振るった守男のようになれというのが土台無理な話であったのである。それ故、守男と「ツリー」のホストとの対立が頻繁に発生するようになった。
 その結果、「ツリー」のホストの流出が相次いだ。そうかといって、老舗並みの高給を出すことも、予算の関係上無理であった。
 その結果、「ツリー」は倒産に追い込まれてしまった。その負債金額は一億にも上った。そして、それは守男が「ツリー」を興して僅か二年足らずのことであったのだ。

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